「いったん頓挫した「大連立」に思うこと」への読者の感想

2007.11.09

*「いったん頓挫した「大連立」に思うこと」と題した私のコラムの文章にメールで感想を寄せてくださった方が、私の述べた、主権者・国民の一大覚醒・一大奮起に期待を寄せるほかにない、という点に関して、どういう方策があるのかという極めてもっともな(そしていろいろな集会で私が常に出会う)疑問を提起されました。このコラムを読まれた多くの方が感じられる疑問でもあると思いますので、その方の文章とともに、私がその方にお返ししたメールの文章を紹介しておきたいと思います(11月9日記)。

<読者の方のメール>

浅井様の論文からいろいろと勉強させていただいています。
 マスメディアのだらしなさ、特にテレビのひどさは今に始まった事ではありませんが、テレビの背後にはスポンサーがあり、その意向に従った番組製作になり勝ちだと思うのです。これを変えるには、スポンサー企業へ直接抗議の手紙を出すとか、不買運動をするくらいしかないのかもしれません。視聴率が下がらない限りその変化は期待できないでしょう。今のテレビは刹那的に視聴者の気を引きさえすれば良いという考えではないでしょうか。社会的責任を考えての番組は少ないです。
 「主権者・国民が一大覚醒・一大奮起することに期待を寄せるほかありません。」とお書きになっていますが、市民が覚醒するにはどうすればいいのでしょうか? 「おとなしい日本人」、これまた日本人に長年にわたって染み付いた性格だと思うのです。それを変える事は革命的に困難な事のように感じられます。どうすれば変えることが出来るか、浅井様はどうお考えですか、その方策をいつかお書き願いたいです。
           一読者

<私の返信メール>

「一読者」様
感想・質問を寄せてくださいまして、本当にありがとうございます。私の友人の一人が中央キー局に長年勤めていて、本人はとても良心的なんですが、やはり視聴率がすべてだ、ともらしています。この状況は、日本の政治そのものが根本的に変わらない限り、改まる見込みはないと思わざるを得ません。抗議の手紙を出すといっても、不買運動をするといっても、やはりその大波を起こすためには日本の根本的変革が不可欠であり、そのためには主権者・国民の一大覚醒・一大奮起がなくては始まりませんでしょうから。
したがって、やはり問題は一大覚醒・一大奮起をどうすれば実現できるのか、というご質問の点に立ち返るということになるのではないでしょうか。「おとなしい日本人」ということに問題があるのではなく(日本人は決して「おとなしい」という形容が当たる民ではないと思います)、むしろ「群れる」したがって「自分がない」人が多いということに根本的な原因があるのではないか、と私は思うようになっております。私が最近コラムなどで「他者感覚」についてしばしば書くようになっているのはそのためです。
とはいえ、「他者感覚」を身につけることは決して簡単なことではないと言わざるを得ません。他方、「他者感覚」が身につかない日本人は、南京大虐殺のようにあるいは太平洋戦争への突入へののめり込みのように、なにかパニック状況が起これば、再び暴走する危険性が極めて高いと思います。今の北朝鮮に対する国民的敵意の爆発はその予兆です。ですから、主権者・国民の一大覚醒・一大奮起は、どうしても「他者感覚」を備えた上でのものでないと危ないのです。
では出口がない、ということになってしまうんでしょうか。私にももちろん結論はありませんし、ましてや「方策」などあろう筈がありません(そんな「方策」があったならば、とっくの昔に提案しています)。ただ、私は人類の歴史には信頼を置いています。紆余曲折はあるにせよ、人類は前進を遂げつつあります。私は、この人類史的歩みの中にある日本・日本人ということに期待を寄せています。したがって、私としては、自分の考えを地道に発信し続ける以外にないと思い極めているのです(私はもう66歳ですので、発信を続けるという以外の選択肢はないことを認識しています)。私としては、問題意識を持つすべての日本人が、自分の条件の許す範囲内で最大限の努力をすることが必ずや国民の一大覚醒・一大奮起につながると確信して、その最善を尽くすことを期待したいという「方策」しか思いつきません。
長々と書きました。お答えになっていないでしょうが、お許しください。

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