いったん頓挫した「大連立」に思うこと

2007.11.07

10月30日の福田・小沢両党首会談にはじまり、11月7日の小沢党首の続投表明においてとりあえず区切りがついた形の今回の自民党と民主党の大連立を目ざす動きは、私たちのような日本の民主政治のあるべき姿・方向を真剣に模索するものにとって、いくつかの重要な考えるべき課題・ポイントを提起していると思います。こういう課題・ポイントこそが国民的議論の中心に座るべきだと思うのですが、残念ながら多くのマス・メディアは「政局」としての取り上げ方しかしていない(いつものことですが)ので、せめて私のコラムを見て下さる方には私の問題意識を共有していただきたいと思った次第です(2007年11月7日)。

1.今後本格化する保守勢力の大連立・大野合を目ざす動きの「先駆け」

自民党及び民主党(以下両党を一括して呼ぶときは「保守勢力」)は、ともに日本国憲法(特に第9条)の「改正」を目ざす改憲勢力です。確かに、自民党の「新憲法草案」及び民主党の「憲法提言」を読むかぎり、軍事面での対米無原則協力(それを正当化しようとするキー・ワードが「国際協調」)を志向する自民党と、国連安保理決議に根拠をおく国際的軍事活動に力点を置く民主党との間には、一見距離があるようにみられます。今問題になっている新テロ特措法に関する両党の対立も、以上の立場の違いに基づくものであることはよく知られているとおりです。

しかし、今回の両党首の密室会談で明らかになったことは、以上の立場の違いは政治的判断でいかようにも調整される(政治的妥協が図られる)性質のものにすぎないという事実でした。多くの報道で伝えられているのは、自衛隊の海外活動に関する恒久法制定(小沢氏の年来の主張)と引き換えに、新テロ特措法への弾力的対応(この点では、新法断念に福田氏が応じたとする小沢氏の説明がありますが、その後の福田氏の発言では引き続き新法の成立を目ざすと言っており、訪米を控えた福田氏が新法断念に応じたとする小沢氏の解釈は大いに割り引いて考える必要があるでしょう)で両者が一致したということです。そうであるとすれば、本丸とでも言うべき改憲問題での両党の立場の相違も、両党のホンネからすれば、いかようにも妥協が図られうる程度のものにすぎないことは明らかだと言わなければなりません。

そして、この点が重要なところですが、改憲(特に9条改憲)は、米日軍事同盟の変質強化(すでにかなり進んでいる!)を目指すアメリカの日本に対する本格的要求であるということです。また、同じく重要なことは、この点では共和党と民主党とはまったく同じ立場であり(第2アーミテージ報告参照)、アメリカの大統領選挙の帰趨にかかわらず、日本が対米従属政策を続けるかぎり(そして、この点にこそ日本の保守勢力の本質があります)、日本の保守勢力としては、なるべく早い時期にアメリカの意向を満足させる内容の改憲をなし遂げなくてはならないということです。

確かに今回の党首会談は、衆参での「ねじれ現象」で国会が空転していること、そしてその中で新テロ特措法案が暗礁に乗り上げている状況を打破しようとする福田首相のせっぱ詰まった事情と、来るべき衆議院総選挙に対する展望(したがって民主党主導の政権交代の可能性)を持てない小沢党首の「結果がすべて」的発想とが結びついて実現したという偶然性の側面はあります。しかし、アメリカの対日改憲要求が今後強まることはあっても弱まることはありそうにないことを考えるとき、保守勢力の大連合・大野合に向けた動きは今後もとどまることはない、と見ておかなければならないと思います。

この関連で指摘しておきたいことは、福田首相の危険性ということです。危険性がきわめて分かりやすかった安倍前首相に比べると、なんとなく「物わかりよさげ」でソフト・ムードな感じを与える福田首相ですが、私たちとしては、小泉政治を長年にわたって取り仕切ったのは福田官房長官であったこと、彼の最初の組閣に当たって、安倍内閣のほとんどの閣僚をとどめながら、数少ない新任として現行・テロ特措法及び武力攻撃事態対処法など一連の有事法制の成立を担当した「軍事お宅」の石破防衛庁長官を防衛相として登用したことを思い出すべきです。その彼にして今回の行動があるのです。ソフトなファシズムは往々にして軍服姿のファシズムより危険です。

2.保守勢力の反民主的体質

福田・小沢密室会談及び政治的取引を行おうとした両者の政治感覚ほど、日本の保守勢力に共通する主権者・国民の意志を完全に無視する反民主的体質を如実に示したものはないと思います。そのことは、自民党については特にはっきりしています。10月30日の第1回目の会談に際しては自民党内からも様々な不協和音が聞こえましたが、11月2日の第2回目の会談を受けて小沢氏が大連立提案を持ちかえる事態になると、一気に大連立による「政局」打開への期待の声が圧倒的になりました。そこには、政治的目的実現のためには手段を選ばない自民党の体質が見事なまでに浮き彫りになっていました。

その点、民主党においては、小沢氏の提案に対して、役員会でこぞって、「大政翼賛的だ」、「これでは国民に対応(説明)できない」という声が噴出して、「あくまで選挙で政権交代を目ざす」ということで、大連立提案を拒否することになりました。だからといって、自民党より主権者・国民に対して目が向いていると言えるでしょうか。「『自民党はだめだが、民主党も本当に政権担当能力があるのか』という疑問が提起され続け、次期総選挙での勝利はたいへん厳しい情勢にある」(11月5日付しんぶん赤旗)と述べた小沢氏(もっとも小沢氏自身は、その趣旨は参議院選挙の勝利に浮かれているのでは衆議院総選挙での勝利は難しいという意味だった、と釈明したそうですが)に対して、党内から反発は出ましたが、結局は全党の総意として慰留に奔走したのです。本当に民主党が主権者・国民の意志に忠実で、民主政治に深くコミットしているのであれば、ありえない行動です。要するに、小沢氏が自らに忠実な参議院議員を引き連れて民主党を離脱して自民党と手を組む可能性(そうすれば、国会の「ねじれ」現象は解消してしまう)を恐れ、また、民主党自体がガタガタになってしまうことを恐れる気持ちが支配したという以外にありません。つまり民主党の党益しか眼中にないことがさらけ出されたのです。

私は、以上から、日本の保守勢力に対して主権者・国民が期待を抱くことは危険であり、幻想にしかすぎないことを強く言いたいと思います。

3.「二大政党政治」を宣伝するメディアの責任

今回の一大茶番劇から最も深刻な教訓をくみ取り、主権者・国民に対して深く謝罪するべきは、「二大政党政治」に深々とコミットし、それ以外の選択肢はありえないかのように大宣伝を行ってきた大新聞、テレビの中央キー局であると、私は強く思います。

そもそも、日本の民主政治の可能性をこの上もなく深く傷つけたのは、「二大政党政治」を可能にする小選挙区制の導入でした。しかし、日本のマス・メディアは、既成事実に極端に弱いという日本政治における常の悪習を自らの属性としています。そのため、導入前にはその是非について大いに議論があった小選挙区制を前提として物事を考えることが当たり前となり、その結果として「二大政党政治」をも前提として考えるには時間がかからなかったのです。その結果マス・メディアは、「政権交代ができる制度が即ち民主政治である」という、なんら歴史の検証にも堪えない仮説以上の何ものでもない考え方を、あたかも普遍の真理であるかのように私たちに押しつけることになりました。

二大政党政治及びそれを生み出しやすい小選挙区制が民主政治にとって決して最良でもなんでもない制度であることについては、イギリス及びアメリカの現実がそれぞれ異なる形で答えを与えています。民主政治発祥の地であるイギリスにおいては、長年にわたる二大政党政治に割り込む形で自由党という第3政党が現実政治に登場しています。また、アメリカの二大政党政治が、民主党と共和党の大同小異ゆえに、アメリカ政治の長年にわたる沈滞と低迷さらには腐敗を招いていることは秘密でもなんでもありません。民主政治が行われているほかの国々の実践を見れば、むしろ多党政治が当たり前であり、民意をより良く反映する政治形態であることを確認することができます。

今回の一大茶番劇が示した最も重要な事実は、日本のように民主政治が形骸化し、空洞化しているところでは、「二大政党政治」が一夜にして大政翼賛政治に陥る重大な危険性を内に秘めているということでした。しかし、私の承知するかぎり、マス・メディアはその点については知らぬふりを決め込み、もっぱら表面的な政治現象を追いかけることに終始しています。ここまでくるともはや主権者・国民に対して犯罪的ですらあります。残念ながら、今のマス・メディアに自浄作用を期待することはきわめて非現実的でしょう。私としては、主権者・国民が一大覚醒・一大奮起することに期待を寄せるほかありません。

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