6者協議と南北首脳会談

2007.10.

9月27日から30日まで行われた6者協議と10月2日から4日まで行われた南北首脳会談は、長年にわたって一触即発の危険な状態にあった朝鮮半島情勢が平和と安定に向かう可能性を実感させる確かな歩みを示すものとなりました。また、そのことは、混迷を深めるイラク・アフガニスタン情勢と対比させるとき、戦争(武力行使)が国際問題の解決にとって如何に無意味であるかということ、国際問題の根本的解決は粘り強い外交によってのみ実現できるということを改めて教えるものになっています。私の日頃の表現を使えば、「力による」平和観は明らかに破産しており、「力によらない」平和観こそが21世紀国際社会のよって立つ確かなよすがであるということが、6者協議の進展と南北首脳会談の成功によって示されているということです。

もちろん、そのことは、6者協議と南北首脳会談の当事者がすべて「力によらない」平和観にコミットしていることを意味するということではありません。私もそのようなことを主張するほどナイーヴではないつもりです。イラク及びアフガニスタンに軍事的能力のすべてを注ぎ込まざるを得ないアメリカ・ブッシュ政権としてはとても朝鮮半島で軍事的に事を構える余力はなくなっているということが、朝鮮半島情勢の変化に決定的に働いています。そのブッシュ政権としては、わずか1年余を残すだけになった任期のうちに、皮肉にも外交的な成果を上げることが可能になった対北朝鮮関係において、その可能性を追求することに利益を見いだしているというのも間違いないことです。ブッシュ政権が深々と「力による」平和観にコミットしている状況には何ら変わりはありません。したがって、北朝鮮に臨むその姿勢は、伝統的な権力政治(パワー・ポリティックス)の発想であることについては、何ら幻想を持つことはできません。

また、北朝鮮の金正日政権としても、アメリカの核恫喝政策に対して政権の生き残りをかけた最小限核抑止政策に依拠していることは、アメリカに強いられたものであるにはせよ、弱者による権力政治の追求という本質をもっていることは確かです。現実に、金正日政権のそのような政策は、それを口実にした日本国内における核武装の主張を生み出しています。私たちは、核戦争の悲惨きわまりない結末を深く認識するだけに、その核兵器に手をつけた同政権の政策路線に深い危惧感を持つわけです。

以上のことを正確に踏まえた上で、私たちは9月に行われた6者協議によって生み出された合意文書の内容には大いに力づけられることは確かです。それは、長年にわたって北朝鮮に対して力ずくで臨んできたアメリカが、そのことが正に対抗的な(死にものぐるいの)北朝鮮の核兵器開発という結果を招いてしまったことに対する反省にたって、本格的に外交によって問題を解決する(北朝鮮の非核化実現のために北朝鮮が望んでやまない米朝国交正常化に応じる)ことに方向転換したことによって可能になったものです。また、北朝鮮としても、そういうアメリカの2006年末に始まった質的に転換した対北朝鮮政策に確かな手応えを感じ、自国の国家的生存が確保されるという目標(その中心は、アメリカによる北朝鮮敵視政策の終了と米朝国交樹立であることは間違いないところです)の実現を目指して、非核化への最終的同意という唯一のカードを駆使した外交による問題解決に舵を切ることで、アメリカと同じ軌道の上に乗ったことを意味します。

6者協議の今回の成果を生み出した最大の要因は、「行動対抗道」という原則が6者なかんずくアメリカによって理解され、受け入れられたということであることは、しっかり踏まえる必要があると思います。この原則は、すでに1994年にクリントン政権の下で米朝間で合意されたいわゆる枠組み合意で最初に採用されたものです。通常の国際合意(条約、協定そのた名称はさまざまですが)では、合意の当事者がとるべき行動・措置・ルールを定めるものが一般的です。しかし、枠組み合意では、米朝それぞれが相手の行動に見合う行動を取り合う過程を繰り返すことによって、かなりの時間をかけて最終的な目標実現を目指すことを内容としていました。このようなスタイル・内容は、アメリカと北朝鮮という相互不信に満ちた当事者の間で編み出されたユニークなものでした。このスタイル・内容の合意文書の最大のメリットは、互いに行動を重ねていくことで、一方が行動をとらないときは、他方がその段階で合意の履行の義務から解放されるということによって、一方的な食い逃げが起こらないことが確保されるということにあります。また、長い期間をかけて相互に行動を取り合うことを積み重ねていけば、その間に相互不信が解消することが期待されるというメリットもあるわけです。枠組み合意に関していえば、2002年にアメリカが北朝鮮の「ウラン濃縮」疑惑を持ち出すことによってアメリカ側の行動をストップ(朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の崩壊)し、これに対して北朝鮮が2003年にNPT脱退という対抗措置をとることで崩壊したことは、記憶している人もいるでしょう。

2003年に開始された6者協議は、このKEDO崩壊と朝鮮半島情勢の暗転に危機感を持った中国の外交努力によって可能になったものです。2004年6月に開かれた第3回協議で「行動対行動」という段階的プロセスをとることが確認されました。つまり、1994年の枠組み合意方式を踏襲して6者協議を進めていくことが確認されたのです。その結果、2005年9月の第4回協議で共同声明ができ、「6者協議の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化であることを一致して再確認」するとともに、北朝鮮は「すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること、並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束」し、アメリカは「朝鮮半島において核兵器を有しないこと、及び、北朝鮮に対して核兵器又は通常兵器による攻撃又は侵略を行う意図を有しないことを確認」するという成果を上げたのです。この共同声明でも、「6者は、「約束対約束、行動対行動」の原則に従い、意見が一致した事項についてこれらを段階的に実施していくために、調整された措置をとることに合意」し、行動対行動の原則が再確認されています。この共同声明後も、アメリカが北朝鮮によるマネー・ロンダリングの問題を持ち出したために協議は難航しました。しかし、先にも述べたようにアメリカが対北朝鮮政策を根本的に見直すことにより、マネー・ローンダリングの問題は北朝鮮の要求を満たす形で解決され、2007年2月には初期段階の措置についての合意が成立し、その措置を各当事者が履行することによって、今回の第2段階の措置の合意へとこぎ着けたということです。

第2段階における「行動対行動」の中身は次のようにまとめることができます。まず北朝鮮は、①現存するすべての核施設(寧辺の実験炉、核燃料再処理施設、核燃料加工施設)の07年12月31日までの無能力化に合意し、②07年12月31日までにすべての核施設の完全かつ正確な申告を行うことに合意しました。

これに見合う行動ですが、アメリカは、①北朝鮮との「完全な外交関係を目指すこと」を約束、②「北朝鮮との交流を増加し、相互の信頼を強化」、③「北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する作業を開始し、北朝鮮への対敵国通商法の適用を終了する作業を進めることについての約束を想起しつつ、米朝国交正常化のための作業部会における合意を基礎として北朝鮮がとる行動と並行して約束を履行する」ことになりました。この③の文章は、テロ支援国家指定解除作業の開始の部分が文末の「北朝鮮がとる行動と並行して約束を履行」とリンクするか否かによって、解釈が分かれる(日本政府は、日本の拉致問題が解決されない限り、アメリカは指定解除をしないはずだとしていますが、北朝鮮側は北朝鮮が上記の①及び②を履行することに見合って(つまり「行動対行動」により)指定解除するという意味であるとしている)ところです。

日本との間では、①平壌宣言に従って、「不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として早期に国交を正常化するため誠実に努力する」、そのため②「精力的な協議を通じ、具体的な行動を実施していくことを約束」しました。今回の合意事項では、このほかには、北朝鮮に対する経済及びエネルギー支援と6者閣僚会合のことだけしか取り上げていませんので、「行動対行動」原則において、日朝協議が重要な位置づけを与えられたことを確認できます。
この点で注意を喚起しておきたいことがあります。07年2月の「初期段階の措置」に関する合意では、日朝が「不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎として、国交を正常化するための協議を開始する」ことを定めていたということです。つまり、「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」が安倍首相の決まり文句だったのですが、国際的には「不幸な過去の清算」が「懸案事項(注:日本側としては拉致問題を含める)」に先立って指摘されていたということです。平壌宣言でも過去の問題の清算が最初に来ていたことからすれば当たり前なのですが、安倍政権も国際的に過去の清算を重視しなければならないことを受け入れていたのです。それなのに、3月に行われた日朝間の第1回の作業部会では、日本側が拉致問題に固執し、過去の清算問題を後回しにする姿勢をとったために、北朝鮮側の反発を招き、交渉は何らの成果も上げることができませんでした。それは、日本政府が6者協議の初期段階の措置として国際的に合意されたことを無視した行動に出たことによってもたらされたのです。そうであるからこそ、今回の6者協議に先立って行われた9月の第2回の日朝作業部会では、初日に過去の清算問題を話しあい、2日目に拉致問題を協議することに日本側が応じたということであり、北朝鮮側も日本側の姿勢を評価したのです。これでやっと、日朝交渉も6者協議の枠組みのなかで動く基礎ができたということです。
国内の報道ではほとんど取り上げられてもいないことなので強調しておきたいのですが、日朝交渉も6者協議の枠組み、特に「行動対行動」原則によって規制されるに至っているということをしっかり確認しておく必要があります。日本が国際的に通用しない勝手な議論を振り回しているのであれば、6者協議の進展を日本が妨げることになるとの国際的批判を受けることになります。私たちは、拉致問題について国際的にも説得力のある政策を考える必要があるのです。そのためには、「北朝鮮脅威」論などの虚構をもてあそぶのはもはや論外であるし、「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」などといった硬直した議論に固執するのではなく、日朝国交正常化問題と被拉致者の生存・帰国問題を外交的に切り離す(それぞれ別個の問題として扱う)という決断が必要であることを国民的に認識しなければなりません。

その点では、韓国の盧武鉉政権の対北朝鮮アプローチからいろいろ学ぶことがあるはずです。今回の南北首脳会談も例外ではありません。今回発表された「南北関係発展と平和繁栄のための宣言」に関しては、北朝鮮の非核化に関する内容が乏しいとか、拉致問題に関する言及がないとかの批判を耳にしますが、私にいわせれば、木を見て森を見ずというか、日本の手前勝手な視点で目を曇らされているというか、とても説得力を感じません。2000年の金大中大統領の訪朝の際の南北共同宣言でも核問題は扱われていませんでした。これは、核問題は優れて米朝問題であり、南北関係の発展にとって障害となってはならないとする韓国側の戦略的判断に基づくものだろうと思います。また、拉致問題が南北関係の障害になるような事態にさせてはならないとする盧武鉉大統領の判断も私は評価されるべきであって、批判するべきことだとは到底思えません。

むしろ、「統一問題を自主的に解決する」(第1項)、「相互尊重と信頼の南北関係に転換」(第2項)、「どんな戦争にも反対」(第3項)、「休戦状態の終結、恒久的な平和体制の構築(そのための3者または4者の首脳会談と6者協議の合意履行)」(第4項)を明記した今回の宣言の重要性は、2000年の最初の共同宣言のような外見的な華々しさはないかも知れませんが、実質的には遙かに重要な内容を盛り込んだ画期的なものであると思います。ここには、核問題については米朝交渉・6者協議の進展に期待を寄せつつ、朝鮮半島の将来をアメリカの勝手にはさせないとする南北共同の強固な意思表明があるのです。その重要なメッセージは、アメリカべったりの日本の政治・メディアでは正当に評価することもできないのかもしれません。しかし、そういう日本であってはならないと判断するものであれば、今回の南北首脳会談の重要な意義について、大いに学ぶことがあることを認識することができるはずです。そこに流れているのは、権力政治とは本質的に決別した朝鮮半島の運命は自らが決めるという思想であり、政治哲学であると思います。今の日本政治にもっとも欠落した要素であると思います。

日本もいい加減アメリカ追随の権力政治の発想を卒業し、日本国憲法に軸足を置いた「力によらない」平和観に基づく平和外交を真剣に考えるときではないでしょうか。中国においても、朝鮮半島においても、日本が権力政治(「力による」平和観)と決別すれば、それに積極的に呼応する政治的環境が醸成されつつあると思います。大国・日本がアメリカ追随をやめ、独立自主の平和外交路線をとるときこそ、東アジアに真の平和と安定が訪れるのだと思います。

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