教科書検定撤回9.29沖縄県民大会に思う

2007.10.03

沖縄県宜野湾海浜公園で9月29日に行われた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」のもの凄いエネルギーの噴出を圧倒的な写真映像(一面と最終面とを合体し、そこに巨大な集会写真を掲げる)で見事に伝える沖縄2紙(9月30日付の沖縄タイムスと琉球新報)に、正直息をのんだ私です。主催者の当初の予想(5万人)を2倍以上上回る11万6千人の人々が会場を埋め尽くす写真映像は、見るものを感動させずにはおきません。

 「信条や立場、世代を超え、県民があらためて歴史認識の共有を確認しあった。その意義は、計り知れない。沖縄の歴史と県民の記憶の底に、将来にわたってしっかりと刻み込まれるだろう」と、琉球新報の社説は記していました。そのとおりだと思います。仲井間県知事はもちろん、県教育長までが県民大会で県民の意志とともにあることを表明したのは、今の本土ではまったく考えられないことです。

また、1995年の米兵による暴行事件に抗議した「10.21県民総決起大会」の8万5千人を大きく上回ったこの沖縄の民意は、「沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」から旧日本軍の関与を削除しようとする教科書検定の動きに対し県民の怒りがわき上がったからだ」と、沖縄タイムスの社説は記しています。これもそのとおりだと思います。文科省の歴史ねつ造の行動は、これまで「集団自決」について堅く口を閉ざしてきた沖縄県民の重い口を開かさずにはおかないというぎりぎりの選択を押しつけることによって、文科省さらには靖国派が影響力を強めてきた自民党の、人間の尊厳を踏みにじる絶対に許せない歴史認識のありようを白日の下にさらしだしたのだと思います。

この空前の民意の強烈な意思表示を前にして、朝日新聞をはじめとする中央各紙も、一面トップ(または準トップ)で大きな写真入りで報道せざるを得ませんでした。これも沖縄県民の約10人に一人が県民大会に結集するという、本土で過去の例をたぐるならば、1960年のいわゆる反安保闘争に優に匹敵する強烈な沖縄の主張を直視するほかなかったからでしょう。 この圧倒的な沖縄県民の怒りの結集を前にして、政府・自民党は明らかに追い詰められています。渡海文科相が慎重な言い回しを選びながらも、記述「訂正」に応じる姿勢を示したのは、この沖縄県民の怒りの結集を前にしてのことでした。教科書各社は、消し去られた「集団自決」の記述復活に向けて動き出しています。私たち本土の人間も、沖縄県民とともに、自民党・文科省が姑息な対応でごまかしを行うことがないよう、きびしく監視していく気持ちを新たにすることが求められていると思います。

問題は、「集団自決」の記述が復活すればそれで終わり、ということでは決してありません。問題は沖縄だけのことではないのです。沖縄県民が総意として示した歴史認識を国民すべてのものとして共有する方向につなげていかなければならないはずです。今回の検定でまたもや行われた靖国派主導の歴史ねつ造・歪曲の動きを根本的にかつ抜本的に根絶させる国民的な認識・運動に高めていかなければなりません。 教科書検定制度の抜本的見直しそして廃止、改悪された教育基本法をもとの姿に戻すこと、沖縄に最大の犠牲を強いている日米軍事同盟の道と決別すること、憲法改悪を絶対に許さないこと等々、私たちは、日本国憲法が指し示す人間の尊厳を根底に据えた人権民主の国家を私たち主権者の手に取り戻す国民的出発点として9.29沖縄県民大会を位置づける視点を我がものにすることが求められていると思います。また、そうでなければ、沖縄県民の本土の私たちに対する厳しい問いかけに答えることにならないでしょう。

措法をどうしても成立させようとしていますが、その非なることを明らかにしたつもりです(2007年12月26日記)。

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