安倍政権崩壊後の日本政治をどう見るか

2007.09.15

1.マスメディアの報道姿勢に対する基本的疑問

9月12日の安倍首相のあまりにも常軌を逸した辞任表明には、多くの国民を含め(14日付朝日新聞に載った緊急世論調査では、約70%が「無責任」と答えた)怒りを通り越してあっけにとられたというのが正直なところだったと思われます。緊急入院した安倍首相にはお構いなく、後継者を選ぶための自民党内の動きが激しくなっていますが、「安倍首相にぴったり寄り添ってきた」麻生幹事長対「安倍政治に距離を置いてきた」福田元官房長官の対決とするマスメディアの報道姿勢に、私は毎度のことですが、とてもついて行けないものを感じています。なぜならば、そういう対立の構図で描き出すことによって、福田になれば日本政治は大きく変わるのではないかという、なんとはなしの印象が醸し出されるからです。

 しかし、福田氏は、小泉政権の官房長官として、小泉流の新自由主義「構造改革」を推進した中心人物であったし、安倍首相が政権を放り出す最大の原因と説明したテロ対策特措法の成立にも中心的役割を果たした人物であって、福田氏が後継総裁・首相になったとしても、それで日本政治が大きく変わるという保証はまったくありません。強いていうならば、福田氏が小泉政権から去ったのは、対アジア政策をめぐる小泉外交に対する距離感によるものでしたが、その点については、安倍首相が中韓との関係修復に動くという軌道修正を行った(安倍首相の本心がどこにあったかはしばらく問わない)ことによって基本的に解消しています。

 確かに、イデオロギー的、体質的に正真正銘の反動右翼(靖国派)に属する安倍首相に対し、福田氏はそれほど旗幟鮮明ではないという違いはあります。「戦後レジームの転換」「憲法改正」を呼号した安倍首相との対比でいえば、福田氏はそれほど極端な主張を行うことには慎重である、とも見られます。その違いは、今後の改憲問題を考える上では、一つの重要な要素にはなり得ます。しかし、私たち主権者の国民が福田氏も無視できないほどの明確な意思表示をしなければ、福田氏がどのように身を処していくかについて何の保証もありません。

 このように見るならば、私たちは、マスメディアの報道姿勢に躍らされるのではなく、日本政治の根本の問題点を正確に捉え、それに基づく政策の提起を行うこと、そしてその基本をしっかり踏まえた政治への視点を持つことこそが今求められていることが分かると思います。私としては特に、戦後の保守政治においてもひときわ反人権民主の本質を露わにした小泉・安倍政権(自公政権)のもとでの内政と、権力政治の権化であるアメリカに対する徹底した追随を特徴とする安全保障・外交政策に注目していますし、これらの点において安倍首相の後継者が如何なる認識と政策をもって対応しようとするかを見極めることが、今後の私たちにとって最も重要なのではないかと思います。

2.反人権民主の内政

 小泉政治の最大の「負の遺産」は、新自由主義の市場原理に基づく「改革」路線です。安倍政治は、その路線を継承するとしつつ、教育基本法「改正」及び憲法「改正」に代表される「戦後レジームからの脱却」を政治日程に乗せようとしました。安倍首相の後に来る政権にとっても、この二つが引き続き内政の中心問題であることに変わりはないと思われます。この二つについては、一方が経済・国民生活に関わるものであり、他方は日本という国家のあり方という根幹に関わるものという区別はあります。しかし、双方に共通するのは、人間の尊厳(人権民主)という普遍的価値に対する正面からの挑戦であるということです。

 まず新自由主義の市場原理は、郵政民営化や福祉分野への応益負担原則の導入に端的に示されるように、利潤や経済効率を最大限優先し、経済的社会的弱者に犠牲を強要することを本質にする点において、人間の尊厳の尊重という根本的要請と正面から衝突します。また、教育基本法の「改正」において標的になったのは個(人間の尊厳)そのものであり、そこでは公(国家)を個(個人)に優先させるという国家主義の復活が意図されています。そして、自民党の新憲法草案においては、「公共の福祉」を「公益又は公の秩序」に置きかえることによって、「個人を国家の上におく」人権民主国家における国家観に代わって「国家を個人の上におく」全体主義国家の国家観の復活を目ざそうとしています。

 小泉・安倍政治の後継者に対して厳しく問われるのは、新自由主義の市場原理に基づく「改革」路線と国家主義に基づく「戦後レジームからの脱却」路線と明確に決別するのか、それともそれらを継承するのかという問題です。決別するのであれば、小泉政治の時代の「改革」の「成果」を根本から見直すことが求められるはずです。また、安倍政治における国会での多数を頼んだ強行採決で実現した諸々の重要法案の見直しが不可欠です。その点に正面から取り組む決意を明らかにしない限り、小泉・安倍政治からの「転換」ということはあり得ないのです。現実に明らかになりつつあることは、安倍首相の後継を目ざす福田、麻生いずれの候補からも、小泉政治に対する明確な決別を口にする者はいないどころか、「改革」は継続しなければならないということが強調されているという事実であります。安倍政治を特徴付ける「戦後レジームからの脱却」という点に関しては、今のところ福田、麻生両氏から明確な発言はありませんが、私たちとしては教育基本法「改正」に対する二人の姿勢を注視しなければなりませんし、憲法問題に対する言動にも最大限の注意を払っていく必要があると思います。

3.対米追随の安保外交政策

 安保外交政策において小泉安倍政治を特徴づけてきたのは、歴代保守政権と比較しても突出したアメリカへののめり込みでした。小泉政権にわずかに先んじて政権についたブッシュ大統領は、2001年の9.11事件を契機に「対テロ戦略」という名のもとにおける先制攻撃戦略を打ち出しました。この戦略に基づく力任せの政策は、辛うじて国際社会を社会たらしめてきた外交や国際法の役割を無視したもので、国際秩序は大きく脅かされるに至ったのです。米ソ冷戦時代には、米ソ対立の狭間で自らの精一杯の存在理由を模索していた国連も、アメリカの一極支配のもとで、アメリカの対外政策遂行を正当化するための道具として利用される状況が生まれています。そういう状況の下で小泉政権は、アメリカのアフガニスタン攻撃に協力するためにテロ対策特措法を強行しましたし、対イラク戦争に際してはイラク特措法をもって対米協力に突き進んだのでした。

 民主党の小沢代表が強調するように、テロ対策特措法にしても、イラク特措法にしても国連安保理の決議に基づいたものではありません。「国際協調」という意味不明な口実の下での行動です。しかし、問題の本質は、国連安保理決議という根拠があれば日本の対米軍事協力は正当化されるものではない、ということにこそあります。問題の本質は、日本国憲法第9条の下で自衛隊の海外派兵、対米軍事協力が正当化できるかという点にあることを、私たちは明確に再確認しておくことが重要です。

 つまり、今の問題に即していえば、テロ対策特別措置法を延長することはもちろん、民主党の主張を勘案した新法を作ることも含め、日本国憲法第9条に違反するものであって許されない、ということです。そういう視点をしっかり確立しておくことにより、福田、麻生のいずれが後継者になろうとも、自公政治が「対米公約」の名目の下でテロ対策特別措置法の延長(新法による対応を含む)を強行することを許さないのはもちろん、自公政治と民主党との間に「妥協」が行われることをも許さないよう、国会の動きを厳しく見ていく必要があると思います。

 より根本的には、小泉政治の時代に強行された日米の軍事的一体化、在日米軍の再編、日本全土の米軍基地化という日米軍事同盟の変質強化は、日本を「戦争する国」にするものであり、侵略的な軍事同盟としてアジアの平和と安定に重大な危険を持ち込むものであることを、私たちは明確に認識することが求められています。この点においては福田、麻生両氏は全面的にコミットしてきたわけであり、私たちとしては何らの幻想を持つことも許されません。

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