集団的自衛権論議の虚実(改憲論議の真の争点を考える)

2007.08.26

* 私は、2002年に『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書)を著し、集団的自衛権について考察しました。しかし、2001年のブッシュ政権登場後、特に同政権の国際法無視の戦争(アフガニスタン、イラク)と、それに「国際協調」という口実によって戦争協力を強行する小泉・安倍政権の下で、集団的自衛権という国際法上の概念は大きくゆがめられるに至っています。今や日米軍事同盟が目指すものは、集団的自衛権とは無縁の、そして国際法そのものを無視した攻撃的・侵略的な戦争政策です。そういう問題意識を原稿にまとめる機会がありました。本来であれば、上記新書を大幅に見直す作業をし、本にまとめる責任が私にはあると思うのですが、ここに紹介する原稿は、その骨子をまとめたものと位置づけることができるでしょうか。 (8月26日記)

1.9条改憲路線と集団的自衛権

21世紀に入った私たちは今、日本国憲法第9条を「改正」するべきか否かをめぐって国民的選択を迫られる重大な歴史的分岐点を迎えようとしている。その場合に提起されてきた論点の一つが、憲法第9条の規定を改定して集団的自衛権を行使できるようにするべきだ、とするものであることはよく知られている。この論点は、集団的自衛権の行使は憲法上認められないとする、内閣法制局の第9条に関して積み重ねられてきた憲法解釈(1)を前提とした上で、第9条の規定を改めることによって集団的自衛権の行使を可能にしよう、とする論者によって提起されるものである。  私はかねがね、以上のような枠組みで「集団的自衛権の行使の是非」にかかわらせて9条改憲を議論するあり方に疑問を持っており、そういう立場から本(2)を著したこともある。法制局の第9条に関する解釈そのものが、その時々の政治的・軍事的要請に応えるために「解釈改憲」を繰り返してきた政治的な産物(3)であり、多数の憲法学説によって支持される第9条の本来の趣旨から大きく離れている。また、集団的自衛権という概念そのものが国連憲章制定時における大国政治の妥協の産物として創設されたという性格を濃厚に持っており、国連憲章に規定されているというだけの理由で当然の前提としてよいのか、という根本的な問題もある(4)。私は、このような問題の存在を無視して展開される集団的自衛権がらみの9条改憲是非をめぐる議論には危うさを感じざるを得ない。

 しかし、ここ数年来の内外の動きを見ると、日米軍事関係を正真正銘の世界規模の攻撃的な軍事同盟に仕上げるために、その障害となるものとして9条改憲に突き進もうとする政治的意図が前面に押し出され、客観的にいって、改憲勢力の意図が見えやすくなる傾向がある。即ち、集団的自衛権云々の枠組みで論じる時は、同盟国・アメリカが攻められた時に拱手傍観するわけにはいかない、という形で、曲がりなりにせよ侵略に対する反撃を正当化するものとして集団的自衛権の行使が必要、という立論だった。しかし、アメリカが主として構想するのは、相手からの攻撃をまって反撃する形での武力行使ではなく、相手の機先を制して攻撃を仕掛けることによって始める武力行使であり、その武力行使に同盟国・日本が進んで参加・協力することであるのだから、そこには集団的自衛権の行使という概念が入り込む余地はない。

確かに、安倍首相の私的諮問機関として設置され、2007年5月18日に初会合を行った「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(以下「懇談会」)では、公海上で米軍艦船が攻撃を受けた場合、アメリカに向かうかもしれない弾道ミサイルをレーダーで捕捉した場合など(5)、あたかも集団的自衛権の行使が必要になりそうなケースを提起してはいるし、マスメディアは一律にこれらの問題を集団的自衛権行使にかかわる問題として報道している。しかし、世界最強の米軍艦船に対する第三国による「攻撃」といい、アメリカに「向かうかもしれない」第三国による弾道ミサイルの発射といい、当該第三国にとって次の瞬間にはアメリカの圧倒的な報復攻撃(核兵器の使用を含む)によって壊滅させられることが明白な武力行使を仕掛けることなどあり得ないことは常識だろう。念のために言うが、日本に集団的自衛権の行使が国連憲章上認められるのは、アメリカが第三国の攻撃を受けて反撃する場合としてだけであり、アメリカが当該第三国に先制攻撃を仕掛けてその反撃を受ける場合は、日本が集団的自衛権を云々する余地はない(6)。

ちなみに、このように言うと、金正日の北朝鮮なら何をしでかすか分からないと真顔で反論する人が、真に善意の人を含め、少なくないことを私は肌身で知っている。しかし、そういう人こそ、広島、長崎の原爆体験を我がものにする(思想化する)だけの想像力を欠いている、と私は言いたい。アメリカに無謀な戦争を挑んだ東条英機の日本の1941年にはまだ原爆はなかった。だから、勝ち目はないとしても、国家そのものの壊滅という最悪の事態を考える必要はなかった。日本の当時の指導部は、持久戦に持ち込むシナリオを現実に描いたこともあった。しかし、金正日は違う。無謀な戦争の結末は、彼の唯一の拠り所である北朝鮮という国家そのものの瞬時の壊滅(もちろん彼自身の生命の抹殺を含む)であることを、彼は知っている。そういう意味では、原爆体験の恐怖は国際的に共有されている。

残念ながら、安倍首相の挙げた4類型に関するマスメディアの取り上げ方を見る限り、また、日本国内の受け止め方から判断する限り、広島、長崎の原爆体験を持つこの日本において、その思想化がもっとも不徹底であるという印象を禁じ得ない。だからこそ、非核三原則を言いながらアメリカの「核の傘」に入ることに根本的な矛盾を感じる国民が少ないのであろうし、久間発言(7)も飛び出すのであろう。また、広島、長崎に対する原爆投下が絶対悪の犯罪行為であることを承認しないアメリカの非を明確になし得ない日本であるのも、その根っこは同じである。

本論に戻る。アメリカが日本に何を要求しているのか、という点からも、集団的自衛権がらみで9条改憲の是非を考えることが失当であることが分かる。第2次アーミテージ報告(8)を読めば、アメリカが台湾海峡有事を想定して攻撃的な日米軍事同盟の重要性を認識している姿が浮かび上がる。例えば、「2005年2月にアメリカと日本は、2+2の閣僚声明で、『台湾海峡を巡る問題の対話を通じた平和的解決を促す』とする共通の戦略目標を発表した。この賢明な目標は、2020年まで、あるいは中台が政治的違いを解決できない限り、日米の基本的指針となる(強調は筆者。以下同じ)」という文章は何を意味するか。「中台が政治的違いを解決できない限り」とは、「中台間の軍事的緊張が続く限り」ということだ。また、「このようなアプローチの根底には、アメリカと日本が問題の対話による平和的解決に有利な環境をつくり出し、維持することに関心を共有していることがある。このためアメリカは、…中国が武力を行使したりその威嚇を行ったりすることを抑止すると同時に、台湾が一方的に独立に向けたステップをとることを牽制している」、「日本は、アメリカのこれらの義務を理解するべきであり、同盟のパートナーとして、台湾海峡の平和と安定を維持するのに適当な方法で適応するようにするべきである。つまり、アメリカ及び日本にとり、中台の間の積極的かつ建設的な対話を促し、挑発的な言辞を弄したり、役に立たない政治的行動に出たりしないようにし、断固として軍事的恫喝や圧力に反対するということが大切である。」とするくだりもある。要するに、アメリカは、日本を巻き込んだ対中軍事政策を行う意図を明らかにしており、日本に積極的な軍事的呼応を求めているのだ。これは決して、「中国が攻めてきたら」集団的自衛権で対抗という発想ではなく、アメリカの判断次第では、国際法を無視してでも、米日が中国に軍事的に攻勢をかけるという発想であることを読み取ることはなんら難しいことではない。それは、集団的自衛権の行使とはまったく別世界・別次元の問題である。

2.国連とアメリカ主体の武力行使

国連憲章における武力行使の位置づけ、国連の武力行使の変遷とその限界については、既に詳細に検討したことがある(9)。ここでは重複を避けつつ、アメリカの武力行使のあり方に力点を置いて、その集団的自衛権との無縁性(湾岸戦争を除く。)と国連における集団的措置の仕組みを危うくしかねない独善性について考えることとする。

まず、米ソ冷戦終結直後に勃発した湾岸危機に当たっては、アメリカのブッシュ(父)政権は、中東産油地帯を自国の影響下に確保することが死活的国益に直結するため、イラクに侵略されたクウェートを守るとして、集団的自衛権の行使として初の多国籍軍方式でイラクの侵略を撃退した。この際国連安保理は、憲章第7章の下で行動し、「イラクが1991年1月15日以前に(安保理)諸決議を完全に実施しない場合には、クウェートに協力する加盟国が(関係諸決議の実施及び地域の平和と安全を回復するためにすべての必要な措置をとる権限を与える」旨の決定(10)を行った。

当時においては、アメリカは、安保理決議の有無にかかわらず、集団的自衛権の行使としてイラクを撃退する決意を明確にしていた。これに対して、自らはイラクに対して集団的措置としての軍事行動を行う能力・可能性もなかった国連安保理としては、アメリカ主体の多国籍軍による集団的自衛権の行使としての武力行使を、憲章第7章に基づく集団的措置として認めることとしたわけである。

安保理のこの決定は、憲章の規定とのかかわりにおいて重大な問題を内包している。つまり、憲章第51条においては、個別的または集団的自衛権の行使は、安保理が「必要な(集団的)措置をとるまでの間」に限って認められる(11)いわば臨時的・一時的・例外的な権利である。確かに憲章42条は、安保理が集団的措置としての軍事行動をとるに当たって、「国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる」としているが、あくまで臨時的・一時的・例外的な権利としてのみ認められている集団的自衛権の行使をもって集団的措置に充てることまで認めているとは考えられない。

端的に言えば、安保理を主体とする集団的措置(集団安全保障体制)と個別国家が行使することが例外的に認められる集団的自衛権とはまったく異質な法的概念・仕組みであって、両者を混同することは許されない、というべきである。言ってみれば、国内治安能力がない警察がやくざ・暴力団の実力に頼るようなものだからだ。

この問題に関する明確な問題意識を背景にしてのものかどうかについては私には確証がないが、米ソ冷戦が終わり、安保理でアメリカを中心とする大国一致の原則が息を吹き返したことを背景に、国連の軍事面での取り組みを強化することを求める声が上がった(1992年の安保理サミット)。それに応えて、当時の国連事務総長ブトロス・ガリは、「平和への課題」と題する報告を提出し、従来のPKO活動を組織する手続きによって編成される部隊による「予防展開」(12)と「平和強制」(13)の構想を提起した。

そしてアメリカのクリントン政権は、アメリカの死活的な国益にかかわりがないと認める地域紛争に関しては、国連主体の軍事的対応を考え、ソマリア内戦に当たっては1993年に平和強制部隊の組織・活動(14)を支持し、アメリカ自身も部隊を派遣した。しかし、PKO活動3原則(15)を遵守する原則に基づいて組織される部隊をして平和強制活動に当たらせることの法的な問題が十分に検討されないままに拙速に強行された平和強制部隊は、各国寄せ集め部隊の貧弱な戦闘能力と士気の欠如、国連事務局の低い軍事管理(C3I)能力など多くの問題を露呈して惨めな失敗に終わった。その結果、アメリカをはじめとする大国は、国連の軍事管理能力を高めて国際紛争に対処する考え方に早々と見切りをつけることとなった。

国益とかかわりが薄い問題には大国の関心がもともと低い。しかし、そういう問題への対応が期待された国連の当事者能力はゼロという烙印が押された。その時に起こったのがルワンダ内戦(1990~94年)の大虐殺(ジェノサイド。1994年)だった。安保理は、いくつかの決議を採択し、ルワンダにおける国際人道法無視の実情を詠嘆しはしたが、ついに憲章第7章に基づく集団的措置はとることはなかった。しかし、欧州の一部を構成する旧ユーゴにおいて起こった紛争(16)においても凄惨なジェノサイドが各地で起こり、またもや国際世論が沸騰した。この時NATOは、1995年5月以後人道的理由を名目にしてボスニア内戦に介入し、安保理決議を求めることなく空爆作戦を行った(17)。

本稿との直接のかかわりに限定してルワンダ内戦と旧ユーゴ紛争を比較して見た場合、両地域においてジェノサイドが起こり、国際世論は沸騰したが、欧米諸国(特にアメリカ)にとっての利害・関心の多寡如何によって、一方ではなんら意味のある行動をとらず、他方では国際法上の正当性を無視してまで軍事介入を行うという二重基準が支配したことが最大のポイントである。そして、その双方に対して国連はまったく無力であり、当事者能力の欠如をさらけだしたことが今ひとつの重要なポイントといえるだろう。

本稿との関連で今ひとつ留意しておきたいことは、NATOによる空爆と集団的自衛権の関連である。この点に関しては、NATOのソラナ事務総長(当時)の次の総括がもっとも端的に、空爆は集団的自衛権とはおよそ無縁のものであったことを示している。ソラナは、NATOは今回初めて防衛目的ではなく、人道、人権といった「共通の価値観」を守るために域外の軍事行動に従事した、という総括を行ったという(18)。即ち、空爆は集団的自衛権の行使ではないことをNATOの最高責任者が認めたのである。

この点にさらに関連して、「コソボ紛争は、NATO諸国のいわば“周辺事態”でしたが介入しました。日本はいかなる教訓をくみ取るべきか?」という質問に対して、吉川元神戸大学教授(発言当時)が、「本来、NATOは集団的自衛権行使のための軍事機構です。ところが今回のコソボ介入では、NATO 加盟国が軍事的になんら脅威を受けていないにもかかわらず軍事力を行使した。そういう意味で、周辺事態の中身が日本に直接かかわるような軍事的な脅威でなくても、今回のNATO と同じように米国が軍事力行使に 踏み切ると、日本も後方支援等に協力を検討するという意味では、我が国にとっても一つの示唆を与えてくれるものと思います。」と発言している(19)ことはきわめて重要である。つまり、集団的自衛権の行使ではない日米共同作戦があり得ることをNATO空爆が示しているということだ。

安倍首相は、2007年1月にNATOの北大西洋理事会で「日本とNATO:更なる協力に向けて」と題して、次のように演説した。
「私達は、急速な国防費の増大、透明性の欠如等のいくつかの不確実性が中国を取り巻いていることも理解する必要があります。中国の行く先を引き続き注意深く見守る必要があります。…このため、価値を共有するパートナーたちは、協力を強化していくべきです。…日本とNATOは協力の新たな段階へと移行するべきだと考えます。日本とNATOが共通に関心を有する分野についてNATO関連会合に積極的に参加することを希望しています。」(20)

以上の発言を先に紹介した第2次アーミテージ報告と重ねてみれば、安倍首相がアメリカと同じ目線で中国を警戒すべき相手として捉えていることが直ちに明らかになる。しかも、対中国警戒網にNATOが加わることを実質的に呼びかけているとすら読める。

 安倍首相の演説は、次の発言で結ばれていることにも、我々は無関心ではいられないだろう。
我が国は、国際社会におけるより大きな役割を求める世界の増大する期待に応える用意があります。…目の前にある課題はあまりに大きく、日本とNATOが別々に行動するような無駄は許されません。これまでの努力の成果の上に立ち、平和で安全な未来を作るため、ともに働こうではありませんか。」(21)

つまり、国際法を無視して旧ユーゴ空爆をやってのける軍事を重視する機構であるNATOと日本が一緒にやっていこうと呼びかけているのである。しかも、その一緒にやっていく対象のなかには中国が含まれる、という文脈がある。安倍首相が集団的自衛権の枠組みのなかで物事を考えているのではないかとは明らかだ、といわなければならない。

NATOと関連した考察はこの程度で切り上げる。2001年にアメリカにブッシュ(子)政権が登場することによって、国連は更なる試練に見舞われることになった。

即ち、9.11事件を受けたアメリカは、国際社会が広くパニック状態に陥った翌日の2001年9月12日に、「憲章に従い個別的又は集団的自衛の固有の権利を確認」するという前文を伴った安保理決議1368を成立させ、10月7日にはアメリカ主体でNATO諸国も加わった軍事作戦を開始し、11月13日には首都カブールを制圧した。形式的には、アメリカは固有の自衛権を発動し、他の諸国は集団的自衛権に訴えてアフガニスタンに対する武力行使を行ったという受け止め方が一般的だった。

しかし、国際法の教科書的理解によっても、自衛権の行使は、急迫不正、他に手段がない、必要最小限といういわゆる3要件を満たされなければならない。9.11事件に対する報復としてタリバン政権を打倒する徹底した武力行使が自衛権の行使として正当化される、とする主張にはきわめて大きな疑問があると言わざるを得ない(22)。

日本政府は、このように国際法上の正当性の欠如が厳しく批判されるべきアメリカなどによるアフガニスタンに対する武力行使に対して、9.11事件以後わずか2カ月足らずでテロ特措法(23)を作り、インド洋洋上で多国籍軍艦船に無償で給油活動を行ってきた。政府は、周辺事態法で生み出された概念である「非戦闘地域」(24)における海上自衛隊による給油活動は「後方地域支援」であり、憲法第9条で禁止されている「武力の行使」には当たらない、という立論で正当化した。

アメリカが多国籍軍を組織して2003年にイラクに対して発動したいわゆるイラク戦争に至っては、自衛権の行使とは到底言えず(25)、また、安保理決議の裏づけももちろんない国際法違反の戦争をイラクに対して仕掛けるという暴挙を犯したという厳しい批判を免れることはできない(26)。

日本政府は、イラク戦争に際しても、イラク特措法(27)を強行成立させて、イラク国内の「非戦闘地域」とされたサマワに「人道復興支援活動」と称して陸上自衛隊を派遣(2006年7月撤収)し、また、「安全確保支援活動」と称して空上自衛隊による輸送活動を行ってきた(28)。この場合の正当化の論理も基本的に同じである(29)。

テロ特措法及びイラク特措法に基づく自衛隊の海外派遣において浮かび上がってきたことは、実体面と法律面の二つの根本的問題である。

まず実体面における問題とは、日本政府が如何に対米軍事協力の実を挙げようと腐心しても、日本による直接の武力行使にまでは踏み込めず、米英軍事同盟並みの米日同盟の実現(つまり、日本がアメリカの目下の同盟者としてアメリカの行う戦争に全面的に参加すること)はできない、ということである。したがって、米英同盟並みの米日同盟を実現することが最大の眼目であるアメリカとしては、日本に対して、その実現を妨げるあらゆる要素を取り除くべきことを要求することになる。米英同盟並みの米日同盟の実現とは、対旧ユーゴ空爆、イラク戦争から明らかなとおり、集団的自衛権の行使云々の次元の話ではない。アメリカが行うあらゆる戦争に対して(国際法上の正当性如何に関わらず)日本がアメリカと一緒に行動するようになるということだ。

この実体面の問題は、日本の国内問題としては、法律面の問題と直結している。つまり、法制局が憲法第9条の解釈として、憲法上認められているのは個別的自衛権の行使のみ、とする立場を変えない限り、日本はアメリカの軍事要求に応えるための法的根拠を持ち得ないということだ。テロ特措法及びイラク特措法においては、「非戦闘地域」というきわめて疑わしい概念を導入して切り抜けたが、法制局からいわせれば、そのことによって法制局の9条解釈の立場が貫かれたということになる(30)。

ここで問題になるのは、国際法(国連憲章)上認められている武力行使とアメリカ主導で進められる現実の武力行使(既に見たように、国際法違反が問われる)との間の乖離である。改めていうまでもなく、国際法上認められている武力行使の権利は、国連による集団的措置を除けば、各国家に臨時的・一時的・例外的に認められる個別的または集団的自衛権以外にない。したがって、日本国内のこれまでの改憲論議では、個別的自衛権に加え、集団的自衛権の行使を認めるべきか否か、という形で進められてきた。しかし、これまでの議論で明らかなとおり、集団的自衛権の行使を認めるとしても、それだけではアメリカの行う国際法違反が問われる武力行使への参加をすべてカバーすることはできない。この矛盾を如何に処理するか。それこそが、9条改憲問題で問われているより本質的な問題である。

3.日本が直面する集団的自衛権とは無縁な戦争

まず実体面から問題を改めて整理しておく。アメリカが日米軍事同盟によって対処することを現実的に考えているのは、朝鮮半島有事と台湾海峡有事である。朝鮮半島有事については、すでに他の機会に詳細に考察したので、ここでは重複を避ける(31)。また、台湾海峡有事に関しても、他の機会に詳細に検討した(32)し、すでに紹介した第2次アーミテージ報告や北大西洋理事会における安倍首相の演説から、アメリカ及び日本の指導者が現実的可能性として捉えていることが分かるはずである。

 「北朝鮮脅威」論や「中国脅威」論が日本国内では盛んに喧伝されるし、これらの脅威論を振りかざす人々が9条改憲論者と重なることはなんら不思議ではない。しかし、この脅威論のいずれも虚構である。ありとあらゆる戦争シナリオを想定しなければ気が済まないアメリカが、北朝鮮または中国によって始められる戦争シナリオを持っていないということは、この二つの脅威論が虚構であることを何よりも雄弁に物語っている。

実際にあり得るのは、アメリカが北朝鮮に対して先制攻撃の戦争を仕掛け(周辺事態)、それに対して北朝鮮がなけなしの手段で抵抗する(その延長線上として、日本が反撃の対象となる)結果としての戦争(武力攻撃事態)であるか、台湾が独立に走って、それを防衛しようとするアメリカと中国が交戦状態(周辺事態)となり、事態がエスカレートして日本が中国の反撃の対象となる結果としての戦争(武力攻撃事態)である。

 明確なことは、アメリカが北朝鮮または中国に対して武力行使を仕掛けない限り、周辺事態から武力攻撃事態に至る、つまり日本が戦争に巻き込まれることはないということだ。端的に言って、日本がアメリカとの戦争協力を拒否しさえすれば、アメリカは戦端を開くことはできず、日本が有事について思い煩う必要は起こり得ないのだ。

 しかし、そういう真相を明確にすれば、国民の多くは日本がアメリカと軍事的に協力を深めること、つまり日米軍事同盟を強化することに反対し、アメリカの対日軍事要求に応えることができなくなる。だから、日本の改憲勢力としては、意識的にアメリカの侵略性を覆い隠し、北朝鮮、中国を脅威として描き出すことに必死にならざるを得ない、ということなのだ。

 しかし、これまで展開してきた議論と関連づけていえば、アメリカは、アジア太平洋地域においても国際法違反の戦争を行うシナリオを現実に描いており、かつそのシナリオは日本の全面的協力なくしては実行できないがゆえに、日本に対して強引な軍事加担を求めている。集団的自衛権の行使としては正当化されようがない戦争をするために、アメリカは日本に対してなりふり構わない軍事的要求を突きつけてきているということを、私たちは正確に認識しなければならない。

4.改憲勢力の改憲構想にも集団的自衛権は入っていない

最後に、以上のことに関連させて法律面から問題の所在を整理して考えておく。

自民党が2005年10月28日に発表した新憲法草案(以下「草案」)では、第1項はそのままで、第2項を削除した上、第9条の2という規定を新設して次のように規定している(強調は筆者)。

1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する
2 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる
4 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。(33)

民主党は、自民党新憲法草案のような具体的な提案は示しておらず、2005年10月31日に出した同党憲法調査会「憲法提言」(以下「提言」)があるにとどまる。民主党内部ではさまざまな主張が入り乱れているので、今後の動きを予想するのは困難であるが、ここではとりあえず提言の第9条関連の注意すべき箇所を中心に紹介する(傍点は同じく筆者)。

〇国際社会の平和を脅かすものに対して、国連主導の国際活動と協調してこれに対処していく姿勢を貫く。
〇国連憲章第51条に記された「自衛権」は、国連の集団安全保障活動が作動するまでの間の、緊急避難的な活動に限定されているものである。…これにより、政府の恣意的解釈による自衛権の行使を抑制し、国際法及び憲法の下の厳格な運用を確立していく。
〇憲法に何らかの形で、国連が主導する集団安全保障活動への参加を位置づけ、曖昧で恣意的な解釈を排除し、明確な規定を設ける。これにより、国際連合における正統な意志決定に基づく安全保障活動とその他の活動を明確に区分し、後者に対しては日本国民の意志としてこれに参加しないことを明確にする。こうした姿勢に基づき、現状において国連集団安全保障活動の一環として展開されている国連多国籍軍の活動や国連平和維持活動(PKO)への参加を可能にする。それらは、その活動の範囲内においては集団安全保障活動としての武力の行使をも含むものであるが、その関与の程度については日本国が自主的に選択する。
国連主導の集団安全保障活動への参加においても、武力の行使については強い抑制的姿勢の下に置かれるべきである。(34)

 注目する必要があることは、自民党の草案にしても、民主党の提言にしても、集団的自衛権の行使ということについては一切触れていないことである。触れない理由について両党からの説明はないので想像によるしかないが、恐らく両党において、アメリカの対日軍事要求の内容(集団的自衛権行使とは無縁な、国際法も無視する武力行使への参加)が明確に理解されているため、と見るのが自然である。

そう見ることが不自然でない一つの根拠として、民主党の提言には、「国際連合における正統な意志決定に基づく安全保障活動とその他の活動を明確に区分し、後者に対しては日本国民の意志としてこれに参加しないことを明確にする」とするくだりがあることが挙げられる。そこにいう「その他の活動」とは、旧ユーゴ空爆、イラク戦争のようなケースを指すと見ることができる。 これに対して自民党の草案には、「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」とある箇所が注目される。「国際協調」こそは、自公連立政府がアフガニスタン、イラクへの自衛隊派遣を正当化したキー・ワードであった。つまり、「国際協調」とは、アメリカが国際法を無視して行う国際的な武力行使に日本が参加・協力することについて、国民の理解・支持を得るために編み出されたものである。彼等の論理としては、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動は、草案で維持することになっている、第9条1項で禁じられる戦争や国際紛争を解決する手段としての武力の行使には当たらず、区別して扱われるべきである、ということにあると考えられる。

具体的に、アメリカが発動する国際法無視の戦争や武力行使に対して自民党及び民主党が如何なる対応をとることになるかを、草案及び提言に基づいて推察すれば、以上から出てくる推論として、民主党は参加しないという立場であり、自民党は参加するという立場をとると考えられるだろう。しかし、民主党がどこまでその立場を堅持するかについては、決して楽観を許さないと思われる。私たちが厳しい監視の目を光らせ続けなければ、政権獲得を目ざす民主党が対米軍事関係のあり方について態度・方針を豹変する危険性は大きいと見ておくべきだろう。

私たち主権者である国民に求められるのは、9条改憲問題において集団的自衛権行使云々の問題がアメリカの対日軍事要求の真の所在を覆い隠すための「イチジクの葉」であることを正確に見極めることである。そして、9条改憲を許すか許さないかの決定的判断基準は、国際法を無視してでも攻撃的・侵略的な戦争政策を行う構えのアメリカと心中するかどうかについての私たち一人一人の主権者としての意思決定であるということを強調したい。

(注釈)

(1)その到達点ともされるのは、1972年5月12日に、参議院内閣委員会で真田秀夫内閣法制局第一部長が行った次の発言である。 「集団的自衛権というのは、…わが国自身に対する攻撃がない、第三国といいますか、他国に対する攻撃があった場合に、その他国がわが国とかりに連帯的関係にあったからといって、わが国自身が侵害を受けたのでないにかかわらず、わが国が武力をもってこれに参加するということは、これはよもや憲法9条が許しているとは思えない。憲法9条が許しているのはせいぜい最小限度のものであって、わが国自身が侵害を受けた場合に、その侵害を阻止し、あるいは防ぐために他に手段がない、そういう場合において、しかもその侵害を防止するために必要最小限度の攻撃に限って行ってよろしい…というのが政府の考えでございます。」(有斐閣編『憲法第9条(改訂版)』p.92)
(2)『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書、2002年)
(3)前掲拙著、第4章「憲法と日米安全保障体制の歴史」参照
(4)前掲拙著、第2章「自衛権の歴史」(特に3「国際連合と集団的自衛権」)参照
(5)懇談会の初回会合で安倍首相は、本文の2ケースに加え、PKO活動中の他国部隊・隊員が攻撃を受けた場合と、同じくPKO活動における他国部隊に対する後方支援の場合の合計4類型を提起した(出所:官邸ウェッブ・サイトhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou/)。厳密に言えば、初回会合で委員発言として紹介されたように、PKOにかかわる問題は集団的自衛権行使の範疇で扱うのは正確ではない(参照:懇談会第1回議事要旨。出所:同上)。
(6)国連憲章第51条:「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(以下省略)」(強調は筆者)
(7)2007年6月30日に久間防衛相(当時)は、麗澤大学での講演のなかで、「原爆を落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今、しょうがないなと思っている」、「国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうこと(原爆使用)も選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った」と発言し、7月4日に辞任に追い込まれた。
(8)2007年2月16日に発表されたアーミテージとナイによる“The U.S.-Japan Alliance: Getting Asia Right through 2020”(「米日同盟:2020年までアジアをいかにして正しい方向に導くか」)と題する報告。2000年10月に両者が「アメリカと日本:成熟したパートナーシップを目指して」(いわゆる「アーミテージ報告」)を発表してからのブッシュ政権下の約6年間の事態と状況の変化を踏まえた、今日の段階における情勢分析及び政策提言を行うことを目指したもので、第2次アーミテージ報告とも言われる。原文の出所は、Center for Strategic and International Studies(CSIS)のウェッブ・サイト
http://www.csis.org/component/option,com_csis_pubs/task,view/id,3729/type,1/
(9)前掲拙著、第3章「国連と戦争」参照
(10)1990年11月29日付安保理決議678
(11)注釈(6)参照
(12)「紛争が武力衝突に発展する危険性がある地域に、国連が組織した軍事力を背馳して、衝突を未然に防止することを目的とした活動」(ガリ“Agenda for Peace”(「平和への課題」)より)。1995年にマケドニアの要請で実行に移されたケースがある。
(13)「紛争当事者が問題解決に応じない場合には、国連が組織する軍事力を使ってでも問題解決を強制することを目的とした活動」(ガリ「平和への課題」より)。
(14)1993年3月26日付安保理決議814
(15)PKO活動3原則とは、紛争当事者の停戦合意、PKO派遣に対する紛争当事者の同意、PKO部隊の紛争当事者に対する中立性確保を指す。
(16)ユーゴスラビアを構成していた6共和国のうち、クロアチア、スロベニア、マケドニアが1991年に、またボスニア・ヘルツェゴビナは1992年にそれぞれ独立を宣言し、それを認めないセルビアとクロアチア、スロベニア、ボスニア(ECとアメリカは、1992年に独立を承認)との間で激しい軍事衝突が起こった。
(17)NATOは、1999年にもコソボ内戦に際してセルビアに対して空爆作戦を行った。
(18)“NATO’s Success in Kosovo,” Foreign Affairs, Vol.78, No.6 (November/ December 1999),pp.114-120. (出所)木村朗(鹿児島大学教授)ウェッブ・サイト:「「ヨーロッパの周辺事態」としてのコソボ紛争―NATO空爆の正当性をめぐって―」
http://www.ops.dti.ne.jp/~heiwa/peace/shiryo/shu-hen.html
(19)1999年7月3日付聖教新聞「メディアのページ」専用ホームページ所掲記事
  http://www.seikyo.org/21c8.html
(20)外務省ウェッブ・サイト
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0112.html
(21)同上
(22)前掲拙著、pp.148-152参照
(23)正式名称は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」。2001年11月成立。
(24)1999年に成立した「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」(周辺事態法)は、我が国領域並びに「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる我が国周辺の公海(海洋法に関する国際連合条約に規定する排他的経済水域を含む。以下同じ。)及びその上空の範囲(強調は筆者。以下同じ)」を合わせて「後方地域」と定義(第3条三)したが、上記括弧部分の地域を「非戦闘地域」と呼ぶこととなり、テロ特措法及びイラク特措法において引き継がれることになった。
 ただし、テロ特措法では、「現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる…地域」と改められ、その「地域」としては、「公海及びその上空」に加え、「外国の領域」(日本の活動に対して当該外国が同意する場合に限る)をも含むとされた(第2条3)。イラク特措法(第2条3)も基本的にテロ特措法の定義を踏襲している。
(25)年内に刊行が予定されている共著『世界のなかの日本の道――東アジア共同体と憲法九条』(仮題 昭和堂)所掲の「朝鮮半島情勢と日本の道」(仮題)において、アメリカ・ブッシュ政権の自衛権に関する主張が、およそ正当化されない代物であることを詳細に論じたので、参照ありたい。
(26)拙著『集団的自衛権と日本国憲法』、pp.148-152参照
(27)イラク特措法の正式名称は「イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」で、2003年7月成立。
(28)アメリカ空軍の公式ウェッブ・サイトAir Force Linkに載った2006年6月28日付の“Japanese military key member of coalition”(日本の軍隊は多国籍軍の主要な一因)と題する署名記事は、冒頭において「1954年に創設されて以来はじめて、航空自衛隊隊員が戦闘地域で積極的に展開している」と記述しており、空自の活動が戦闘地域で行われている実態を明らかにしている。
http://www.af.mil/news/story.asp?id=123022510
(29)イラク特措法及び同法に基づく日本政府の主張の重大な問題点に関しては、拙著『戦争する国 しない国』(青木書店)、第1章参照
(30)法制局の津野修長官(当時)は、テロ特措法の憲法との整合性に関して、「一番最初に考えたのは、現在の憲法解釈を一切変更しないということだった」、「憲法解釈としては、全然新しいことは付け加えなかった」、「9条は個別的自衛権以外の武力行使は認めていない」と述べた(拙著『集団的自衛権と日本国憲法』、p.205参照)。
(31)注釈(25)で紹介した共著『世界のなかの日本の道――東アジア共同体と憲法九条』(仮題)所掲の拙稿参照
(32)前掲拙著、第1章「なぜ今集団的自衛権なのか」参照
(33)出所:自民党ウェッブ・サイト
http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf
(34)出所:民主党ウェッブ・サイト
http://www.dpj.or.jp/faxnews/pdf/20051031181802.pdf

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