『図録 原爆の絵』監修言

2007.07.15

*3月に岩波書店から『図録 原爆の絵』が出版されました。私は、そこに監修言を書くことになりました。久間防衛相の暴言やアメリカ政府高官の原爆投下正当化発言については、その都度コメントを書いてきましたが、この監修言をコラムに載せていなかったことに気づきましたので、この際掲載しておくことにしました。まだ図録を手にとっていない方には、是非見ていただきたいと思います。(7月15日記)

私が原爆の絵に出会ったのは、正直言って、そんなに古い過去ではない。確かテレビの番組の中で取り上げられた絵を見たときがはじめてだった。その時に受けた印象は言葉にならない強烈なもので、私は激しいショックに襲われた。それからの私は、「いつかはもっと正面から原爆の絵に向き合わなければならない」という自分をむち打つ思いと、「しかし、自分にそれだけの精神的な強じんさがあるだろうか」という弱気になる気持ちとの間で揺れ動いてきた。そんな矛盾した気持ちに整理がつかないために、2005年4月に広島に住むことになってからも、この重い宿題は1日延ばしになっていた。

そうしたときに、『図録 原爆の絵 ヒロシマを伝える』の出版企画に参加する機会を与えられた。私は、正直に告白するが、かなり動揺した。企画の趣旨から、かなりの数に及ぶ原爆の絵を丹念に見た上で、その監修言を書くということが私に課される役割であることを伝えられたからである。しかし、一瞬ためらった後、この機会を逃したら、私はこれからも原爆の絵から逃げ続けることになってしまうだろう、むしろこの機会を思い切ってとらえ、原爆の絵と正面から向き合ってみるべきだ、と判断した。

しかし、図録に収められる予定の絵を納めたCDロムが手渡された後、思い切ってパソコンの画面に映し出すまでにはやはり葛藤が続き、かなりの時日を必要とした。絵の数々を凝視する精神的強じんさがあるかどうか、私は相変わらず確信がなかったからである。しかし、ある日、ついに意を決して立ち向かうことにした。一枚一枚の絵の強烈さは、私の覚悟をはるかに上回って私の気持ちを締め付け、押さえつけた。あえぐような感じでようやくすべての絵を見終えた後、私はしばらくただ茫然となって、思考停止になっていた。ショック状態というのは、こういうことを言うのだろうと思う。

いまようやく冷静さを取り戻した中で考えれば、「これが原爆だ」「被爆する、とはこういうことだ」という圧倒的な事実の重みに、私はうちひしがれていたのだ。一枚一枚の絵は、見るものをしてそんな気持ちに追い込まずにはおかない。それは正に、原爆地獄につき込まれた人々の網膜に焼き付いた紛れもない真実であったがゆえに、無機質な写真をはるかに超える迫真力で、見るものの五官を麻痺させるのだと思う。

第一部の「キノコ雲の下で」は、原爆投下で地獄と化した広島と人々の姿を時間の経過を追って示す形をとっている。あのキノコ雲の下で襲いかかった惨状がどんなものであったのかを、私たちは身の毛もよだつ思いをしながら確認することになる。第二部と第三部は、それぞれ「いのち」及び「絆」という共通項で結ばれる絵がまとめられている。いのちと絆こそは、人間存在の中心的要素である。そのいのちと絆が原爆によってどんなにむごい目にあったのか、一枚一枚の絵は無言の圧力で私たちに語りかける。

いま私は、この図録を一人でも多くの人に是非とも見てほしいと願う。この図録を見たら、核戦争が二度とあってはならないことを誰もが素直にうなずくに違いないからだ。そして、被爆した日本の人々の共通の訴えである「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー」の持つ意味が、実感として我がものになるとも思うからだ。「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー」の訴えが我がものになれば、「戦争する国」に向かってまっしぐらに進んでいる今の日本の国としてのあり方に強い疑問がわき上がってくるだろう。核攻撃に備える? 核攻撃まで予想しなくてはならない戦争に備える? 何のため? 誰のため? 次から次へと疑問が積み重ねられるはずだ。図録の描き出した地獄が再び現実になることを正当化するような戦争なんてあるはずがない。

つまり、図録は私たちに正気を取り戻させてくれる。人類は、広島、長崎の体験を二度と繰り返してはならない、という原点に私たちを引き戻してくれるのだ。そのことを通して、「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー」が再び全国民的な認識・訴えとなって、日本を再び平和国家の名にふさわしい存在によみがえらせてくれるだろう。

この図録にかかわって、さらに述べておきたいことがある。
被爆体験の風化ということが言われるようになっている。「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー」が全国民的な認識・訴えとは言えなくなっている厳しい現実があるのも、被爆体験の風化ということと無関係ではないと思う。
また、被爆体験の継承の難しさが危機感を持って指摘されるようになった。被爆者の平均年齢が73歳を超え、被爆体験の継承は今後ますます困難になっていくことは避けられない。被爆体験が風化し、継承されないということは、被爆した歴史が失われるということである。そのことは、私たちの主体的な立場で言えば、被爆体験の歴史を学ぶことを放棄するということだ。
「過去(歴史)を振り返らないものは、その過去(歴史)を繰り返す」とは、古今東西を問わない真理である。「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー」がかつてのような説得力を持ち得なくなっている現実は、正にこの真理を物語っている。

被爆体験を風化させないために、また、被爆体験の継承の難しさに対処するために、さまざまな試みが行われている。私たちは、ありとあらゆる創意工夫を持って取り組むことが求められている。

この図録は、被爆体験を風化させず、その継承を考える上で、きわめて重要な役割を担っていると考える。図録を真剣な気持ちで見るものであれば(図録を手に取るだけで、誰もが粛然とした気持ちにならざるを得ないはずだ)、被爆を全神経を集中して追体験せざるを得ない。被爆体験を風化させるなんてとんでもないことだと実感するに違いない。そしてその時、その人は確実に被爆体験を継承していることになる。

最後に、『図録 原爆の絵』の隠された中心テーマである核兵器廃絶の課題について述べておきたい。

「核兵器は絶対悪だ」という認識に対して、首を横に振るものは、被爆国・日本においては圧倒的少数だろう。しかし、「核兵器はなくなると思うか」という質問に対しては、広島においてもかなりの人が「そうは思わない」と答える現実がある。このことは、日本社会に核問題に関してかなりの曖昧さが支配している状況を反映している。

核兵器は廃絶されるべきだという多くの日本人が、アメリカの核抑止力に依存する政策をとることに大きな矛盾を感じていない。「持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則は堅持するべきだというこれまた多くの日本人が、実は「持ち込ませない」という原則は守られていないとうすうす感じながら、しかしその曖昧さに安住している。核廃絶の課題は現実的政策課題であるはずなのに、その実現を無限のかなた先の目標とすりかえる「究極的核廃絶」という言葉が持ち込まれてきても、多くの日本人はほとんどまったくと言っていいほど目くじらを立てない、等々。 私は、核兵器廃絶という課題を実現するために私たちが本気で取り組む気持ちを養う上でも、この図録はかけがえのない教材であることを保証する。図録を見た誰もが、核兵器廃絶という課題について曖昧さは許されない、という認識を我がものにするに違いない、と確信する。

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