危機の日本政治と主権者・国民のチャンス

2007.04.30

*雑誌『高校のひろば』に寄稿した原稿を紹介します。この2ヶ月弱の間、このコラムの更新をほとんどしていません。取り上げるべきこと、考えなければいけないことがなかった、ということではありません。正直言って、私は安倍政治のあまりのひどさに気持ちが萎えています。そんな私にとって、4月の統一地方選挙は私の気持ちを改めてかき立ててくれるものになってほしいという気持ちが強くありました。この雑誌への寄稿は、そういうときのものでしたので、編集部にお願いして、すべての選挙結果が分かってから書かしてもらうことにしたのです。

しかし、結果的には、私の気持ちを奮い立たせるような内容は何もありませんでした。

気持ちが萎えているとはいえ、私は日本政治に見切りをつけているわけでは決してありません。大状況としては、決して悲観する理由はないからです。問題は、主権者である国民が一大覚醒をするか否かの一点にかかっています。この原稿は、そういう私の問題意識をまとめたものです。(2007年4月30日記)

日本政治は今、戦後最大・最悪の危機に直面している。施行60年の日本国憲法が危ない。すでに教育基本法は「改正」された。次は本丸の憲法を「改正」することを目指し、日本の保守反動勢力はその攻勢をますます強めようとしている。 憲法「改正」手続きを定める国民投票法案の成立が強行されれば、数年以内(最短では5年)に憲法「改正」が私たち主権者・国民に提案され、その段階で主権者・国民がしっかりした判断力を示さなければ、改憲が現実の可能性となる。万が一、自民党新憲法草案の内容を反映する憲法「改正」を許してしまうならば、日本が再び「戦争する国」にされてしまうのを阻止できなくなる。それだけではない。第二次世界大戦までの国家観が復活し、個人の尊厳(人権・民主主義)は根底から否定され、私たちは主権者としての国民の地位を根底から揺るがされることになる。

この日本政治の危機に、私たち主権者・国民は、決意を新たにし、しかも確信を持って立ち向かうことが求められている。保守反動勢力の攻勢をはね返すだけの強大なエネルギーの結集も不可欠である。確信を育み、エネルギーを結集する上での大前提は、的確な情勢分析・判断である。本稿は、その情勢分析・判断を行う一つの試みである。

1.保守反動勢力の目指すもの

保守反動勢力は、何を目指しているのか。そこには、大きくいって二つの目標がある。

<アメリカの対日軍事要求への積極的呼応>

1990年代から進行してきた保守反動勢力の憲法「改正」を目指す動きを理解する上では、何よりもまずアメリカの世界戦略とその戦略の下における対日軍事要求の高まりという事実、そして保守反動勢力がその要求に積極的に応える路線を追求してきたことを正確に踏まえる必要がある。後で言及するように、日本国憲法を「改正」することは保守反動勢力の一貫した宿願であったが、それを具体的政治日程にあげる過程で、アメリカの対日軍事要求の高まりが決定的な役割を果たしてきたのである。

1990年代以後のアメリカの軍事戦略は、米ソ冷戦終結によって世界唯一の軍事超大国となった同国の国際情勢認識の変化に伴い、クリントン政権からブッシュ政権にかけて変遷を遂げてきた。ブッシュ政権がクリントン政権に対してきわめて批判的であることから往々にして見逃されがちだが、ソ連に代わるアメリカにとっての主要な脅威を、大量破壊兵器(WMD)を開発・保有する「ならず者国家」と規定し、この脅威に対抗し、実力で屈服させるために、米ソ冷戦時代に核抑止力に強く依存していたのとは異なり、同盟国・友好国の対米軍事協力とミサイル防衛を重視する、という脅威認識及び実戦対応重視において、両者の間には断続性よりも継続性が顕著である。

そもそも「ならず者国家」という言葉を最初に用いたのはクリントン大統領だった。それは、アメリカの世界覇権に対して異議申し立てし、アメリカから見れば、WMDを使ってでもアメリカに挑みかかってくる可能性のある向こう見ずの国家の総称だった(ならず者国家として指定されているのはイラン、シリア、リビア、キューバ、北朝鮮)。9.11事件を受けたブッシュ政権においては、「ならず者国家」とは、テロリストを庇護し、支援し、かくまうという内容が強調されているが、大量破壊兵器(WMD)を使ってでもアメリカに挑みかかってくる可能性のある向こう見ずの国家の総称という基本的内容において変わりないし、具体例としてあげられる国家も大同小異である。

ブッシュ政権がクリントン政権より踏み込んだのは、相手が挑みかかってくる前に、相手を先制攻撃で打倒することも、自衛権行使として認められるという乱暴を極める主張を行い、現実にイラクに対して戦争を仕掛けたことだ。イラク戦争に即して正確に言えば、イラクはアメリカに対して戦争を仕掛ける可能性はなかったわけで、自衛権の行使として国際法上認められる場合があるともされる先制攻撃ではありえず、国連憲章上も認められない予防戦争の範疇に属する。つまり、国際法違反の戦争である。日本とのかかわりに注目したときの問題は、そのような国際法違反のアメリカの戦争に日本以下の同盟国が協力し、参戦することをアメリカが要求する点にある。

すでにクリントン政権時代に、日米軍事協力を強化するための動きは具体化し(ナイ・イニシアティヴ、新ガイドライン、周辺事態法)、弾道ミサイル防衛問題も日米間で話題に上っていた。日本に対して集団的自衛権行使への踏み込みを求めたいわゆるアーミテージ報告(2000年10月)の中心人物であるアーミテージが国務副次官として対日政策を取り仕切った第1期ブッシュ政権のもとで、徹底した対米協調路線をとった小泉政権は、主に三つの面で対米軍事協力を加速させた。

一つは、テロ対策特別措置法(2001年)及びイラク特別措置法(2003年)の二つの特措法に基づく自衛隊の海外派兵である。

第二に、武力攻撃事態対処法(2003年)、米軍支援法、国民保護法、特定公共施設利用法(以上、2004年)等の国内法措置による在日米軍再編・日米軍事一体化・日本全土の米軍基地化の進行である。日米両政府が公然と「日米の安全保障協力は、弾道ミサイル防衛協力や日本における有事法制の整備によって、深化してきた」(2006年6月のブッシュ・小泉共同宣言「新世紀の日米同盟」)と認めるように、本来条約締結によるべき日米同盟の変質強化が、国内法によって実質的に担保するという脱法・違法行為によって強行された。

第三が、朝鮮民主主義人民共和国(以下「共和国」)の脅威を口実にした弾道ミサイル防衛協力の加速である。これまた、日本側の国内的措置(2003年12月の閣議決定「弾道ミサイル防衛システムの整備等について」)による脱法行為として行われている。

しかし、これらの措置にもかかわらず、アメリカの対日要求の根幹部分は充足されていない。それは、端的に言えば、米英同盟並みの日米同盟の実現、つまりアメリカの行う戦争に対する日本の全面参加・加担であり、そのためにはどうしても憲法第9条が邪魔になる。こうして、安倍政権が第9条改憲を現実的政治課題と位置づける状況が、アメリカからの強い要求に基づいて生まれた。

なお、この問題は、国内ではしばしば集団的自衛権行使の是非として議論されるが、このような問題設定には重大な問題があることを明らかにしておかなければならない。集団的自衛権とは、自国の安全に密接に関係がある国家に対して第三国から攻撃が行われた場合に、その国家の側に立って第三国に対して反撃する権利(国連憲章第51条)を指す(その本質は「自衛」ではなく「他衛」)。つまり、憲章(第2条4)上認められない武力行使を、第三国から攻撃があった場合に限って認めるという点がポイントである。

しかし、先に触れたとおり、アメリカは国際法違反の予防戦争(自衛権行使の武力行使ではない)に日本の参戦・協力を要求している。これは、仮に集団的自衛権行使を憲法上可能とする第9条「改正」を行ったとしても、対応できるものではあり得ない。自民党新憲法草案の文言を見ると、そこには集団的自衛権については規定しておらず、「自衛軍は、…国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動…を行うことができる」(第9条の2)とある。「国際協調」とは、イラク戦争に際して、自衛隊のイラク派兵の根拠となったイラク特措法を正当化するために政府側が度々持ち出したものである。つまり、自民党新憲法草案は集団的自衛権行使を超えた国際法違反の対米軍事協力・参戦を憲法上可能にすることを狙っている。

<反動を極める政治的意図>

アメリカの使嗾のもとで憲法「改正」に突き進もうとしている保守反動勢力は、早くから日本国憲法及び教育基本法を敵視し、その「改正」を狙っていた。彼等にとって、アメリカの圧力は長年の宿願を実現する絶好機と受けとめられた。ここでは、すでに教育基本法「改正」を強行し、さらに憲法「改正」を目指す先頭に立っている安倍首相のこれまでの発言に基づいて、彼等のもくろみの危険を極める反動性を確認しておく。

まず、教育問題に関しては、次の三つの安倍首相の発言が、彼に代表される保守反動勢力の見方を集約している。

〇「教育基本法を読んでみると…上っ面な、地球市民的なにおいしかしてきません。」(『自由民主』2005年1月4/11日号)

〇「教育基本法は憲法といわばワンセットの関係にあります。…『これが日本の』教育基本法であるといった香りがまったく漂ってこないのです。たとえば国家とか地域、歴史、家族の大切さといったものが、まったく書かれていないからです。…『公のために奉仕する』という価値観についても、いっさい触れられていません。」(『安倍晋三対論集』p.234)

〇「戦後日本は、60年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトインされてしまった。だから、国家的見地からの発想がなかなかできない。いやむしろ忌避するような傾向が強い。戦後教育の蹉跌のひとつである。」(『美しい国へ』p.202)

 「上っ面な、地球市民的なにおい」しかしないとは、教育基本法が「個人の尊厳」(前文)、「個人の価値」(第1条)という普遍的価値を積極的に承認しながら、「国家とか地域、歴史、家族の大切さといったもの」や「『公のために奉仕する』という価値観」にまったく触れていないことに対する、安倍首相の悪意に満ちた中傷である(確かに「改正」教育基本法前文も「個人の尊厳を重んじ」という文言を残しているが、そこでは、「公共の精神を尊び」等とともに、教育における徳目としての位置づけにおとしめられている)。「『これが日本の』教育基本法であるといった香り」の必要性を強調する安倍首相は、普遍的価値に背を向け、日本の特殊性を際だたせることを狙う偏狭で独善的なナショナリズムを代表している。

 その教育基本法が安倍首相にとってどうにも我慢できないのは、同法が憲法とワンセットである事実とともに、同法に基づく戦後教育が「国家=悪という方程式」をビルトインし、「国家的見地からの発想」を忌避する傾向を強めた、と認識しているからである。

 しかし安倍首相においては、国家と個人のあるべき関係のあり方は、「私たちの自由など、さまざまな権利を担保するものは最終的には国家です。国家が存続するためには、時として身の危険を冒してでも、命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。」(『この国を守る決意』p.150)とされる。つまり、国家を個人に優先させる国家観(「国家を個人の上におく」国家観)である。そのために求められるのが、「改正」教育基本法の「教育の目標」(第2条)に盛り込まれた愛国心に他ならない。

 憲法問題に関してはどうか。ここでは、教育基本法に対する悪意を超えた敵意があふれた発言を紹介しておく。

〇「現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない。いまの『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』のくだりも、為政者が責任放棄を宣言したような内容ですね。国民の安全と平和は諸外国に任せますと言ってのけたわけですから。」(『安倍晋三対論集』p.85)

〇「『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい』のくだりは、…国際社会のみなさんから褒めてもらえるように自分たちも頑張ろうという宣言でしかない。…こんなにへりくだった書き方をしている国はなかなかないでしょうね。」(『安倍晋三対論集』p.85)

 こうした敵意に満ちた憲法観からは、次の結論は不可避である。

〇「今の憲法を全面的に見直すことなくしては、占領軍による付与のものである戦後体制を自ら変えることはできません。」(『安倍晋三対論集』p.78)

2.保守反動勢力の根本的弱点:国民的チャンス

 紙幅が限られてきたので、先を急がなければならない。以上の内外情勢に関する分析・判断を踏まえたとき、一見圧倒的に見えるアメリカ及び日本の保守反動勢力の攻勢が、実は主権者・国民がチャンスに転じることができる、根本的な弱点を内に抱えていることを指摘することができる。

<アメリカの世界戦略に対する国際的批判>

 アメリカの対日軍事要求の基礎にある世界戦略は、軍事のみならず経済においても、その独善性(「一国主義」)及び利己性(「市場原理」)について、国際的な批判を引き起こしている。軍事面では、国際的批判・牽制を押し切って強行したイラク戦争の泥沼化は、アメリカの国際的立場を限りなく傷つけた。2006年秋の中間選挙における民主党の勝利は、当のアメリカ国内においても、政策の根本的見直しが必要という国民的認識を反映している(本稿は、経済問題に立ち入る余裕はないが、アメリカ主導の市場主義に基づくグローバリゼーションの国際経済運営についても、環境問題との関連を含め、根本的な疑問が提起される状況が生まれている)。

 ひとり日本国内においてのみ、保守反動勢力を中心として、アメリカに対する無批判な迎合が続いているが、国際的に見て、この状況は異様というほかない。しかし、主権者である国民が状況の異様性を自覚し、主権者として行動するならば、未だ手遅れではない。主権者・国民が日本をして日本国憲法の平和主義に立脚して国際社会にかかわる立場を明確にさせることは、アメリカ主導の権力政治に対する明確な対抗軸を提起することになる。

<人類史の潮流との根本的矛盾>

 人類の歴史的歩みにおいて明確であることは、「人間の尊厳」(人権・民主主義)という価値が普遍性を確立したことである。今や、人間の尊厳を否定するいかなる思想的立場も市民権を主張できない。人間の尊厳の普遍的価値としての確立こそ、20世紀までの人類国際社会の歴史的到達点である。

 21世紀の人類国際社会の課題は、普遍的価値として確立した人間の尊厳が、人間社会・生活のあらゆる局面において徹底的に実現されることである。この課題の実現において、日本も決して傍観者・局外者ではあり得ない。

 すでに見たとおり、保守反動勢力が実現を目指すのは、正に人類史の潮流に逆らって、普遍的価値を無視し、国際的批判の矢面に立つ、歴史によって唾棄された偏狭な国家主義を再興しようとする試みである。私たち主権者・国民は、このような保守反動勢力の企てを阻止し、普遍的価値に立脚する日本国憲法の指し示す方向こそが歩むべき道であることに確信と自信を持つことができる。

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