防衛省昇格と日本政治

2007.02.08

学生たちが発行しているミニ・コミ紙の依頼を受けて書いた小文です(2月8日記)。

軍国主義・日本は、①徹底した非軍事化、②人権・民主国家への生まれ変わり、③戦争犯罪人の処罰という三つの要求を突きつけたポツダム宣言を受諾して降伏した。したがって新生日本は、この三つの要求を忠実に満たすことが求められていた。そして、①及び②を実現したのが日本国憲法である。憲法については「押しつけ憲法」という批判が改憲論者から盛んに行われる。しかし、戦前を引きずる当時の政府が、明治憲法の焼き直しに過ぎない内容の憲法案しか示せなかった(つまり、ポツダム宣言の対日要求を忠実に履行する意思はなかった)ために、業を煮やした占領軍が主導権を握って、ポツダム宣言を体した憲法の起草に主導権を握ったというのが真相であって、「押しつけ憲法」という批判はまったく的外れである。

ところが米ソ冷戦の深まりと中国内戦で共産党が勝利したことによって、アメリカの対日政策は、民主化・非軍事化から反共・再軍備へと急転換し、その結果、民主化・非軍事化を代表する憲法が邪魔な存在になったのだ。天皇中心主義からアメリカ中心主義に衣替えすることで延命に成功した保守政治は、すでに触れたようにポツダム宣言を受け入れる気持ちなどなく(彼らにとっての関心事は天皇制の維持即ち国体護持だけだった)、日米安保・軍事同盟体制のもとでの軍事力拡大路線を強力に推し進め、また、機会を見つけて憲法を「改正」することを目指すことになった。

その際、憲法の下での再軍備・軍事力強化という、本来あり得ない自己矛盾そのものの路線を取り繕うための努力の一環が、軍事を担当する部局を防衛庁という省以下のランクに位置づける工夫だった。つまり、内閣府の外局である防衛庁とすることによって、すべての事項について主務大臣である総理大臣を通さなければならず、これによって、かつての軍部独走という苦い経験を繰り返す危険はないと言い訳をすることが可能となった。

しかし、1991年の湾岸戦争以来、特に小泉政権のもとで自衛隊の海外派遣・派兵が露骨に推し進められてきたこと、また、ブッシュ政権の強い要求に積極的に応える形で日米軍事同盟の変質強化が進んでいることを背景に、政府・自民党は、平和憲法に基づく「戦争しない国」・日本を「戦争する国」・日本に根本的に変えることに本気で取り組む構えを見せている。憲法「改正」を正面から掲げる安倍政権の登場である。防衛庁の防衛省への格上げは、そうした政治攻勢と不可分に結びついているし、憲法「改正」の先取りという性格を濃厚に持っている。

つまり、防衛庁が防衛省となることは、前に述べたことから明らかなように、総理大臣を通さずに、自らの名において法律・政令の制定のための閣議開催を要求することができ、省令制定、予算要求などができるなど、政策・実務官庁として一人前の存在となるということである。具体的に考えた方が分かりやすいだろう。これまでであれば、日米軍事協力を進める際にも、常に外務省が前面に出て、防衛庁はその後塵を拝さなければならなかった(ただし、外務省が目を光らせていれば安心、ということではない)。しかし、防衛省はいずれ直接米国防省と協議・交渉し、物事を決めるようになる(外務省が簡単に引き下がることはないだろうが、アメリカでは国務省と国防省は互いに独立しており、国防省が防衛省との直接交渉・取引を要求してくれば、外務省としてはどうしようもないし、防衛省は当然国防省との直接交渉・取引を望むだろう)。それは、国際金融・通貨問題が財務省の専管事項であるのと同じである。シビリアン・コントロールの伝統のない日本、戦争責任を国民的に清算せず、それどころか過去の歴史を美化しなければ気が済まない人びとが日本政治の中枢を占めるようになっている日本という現実を重ね合わせるとき、防衛庁が防衛省に姿を変えたことに息詰まる重苦しさを感じているのは、私一人ではないはずだ。

しかし、政府・自民党にとって「これですべてが終わり」なのではない。防衛省ができても、平和憲法が存在する限り、日本を「戦争する国」に変えることは不可能だ。したがって、防衛庁から防衛省への変身が政府・自民党の期待通りの結果を生み出す(つまり、日本の軍隊がアメリカ軍とともに世界中で戦争できるようになる)ためにも、どうしても憲法(特に第9条)を変えなくてはならないのだ。

私たちにとっての課題は、何よりもまず憲法「改正」を許さないことである。平和憲法があれば、私たちは政府・自民党の悪政をまた元に戻す確かな根拠を手にしていることになる。民主化・非軍事化の日本という原点に立ち戻ることが可能になるのである。

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