朝鮮半島情勢の変化と安倍政権

2006.12.14

*11月18日に在日本朝鮮人社会科学者協会でお話しした内容をテープ起こししていただきましたので、その要旨を以下に紹介します。これまでこのコラムで述べてきたことと重なる部分が多いのですが、記録に残しておきたいと思います。(2006年12月14日記)

(はじめに)

私はいわゆる朝鮮問題の専門家ではなく、日本の政治外交のあり方、あるいは国際関係を見るという視点の中で朝鮮問題が重要な位置を占めるということで、国際関係の中の朝鮮半島という見方、日本の外交における朝鮮半島、という兼ね合いで見ている者であります。

 最初にレジュメの構成からお話しします。

まず、アメリカですが、今回の中間選挙においてブッシュ大統領の共和党が大敗したことを受けて、今後、ブッシュ政権の対朝鮮、対アジア政策がどのように変わっていくのか、今の段階では判断材料があまりにも足りないため、その点には立ち入りません。これまでのブッシュ政権の対朝鮮半島政策に焦点をあてて見ていきたいと思います。

アメリカは、彼らにとって気にくわない存在に「ならず者国家」、「圧政国家」というレッテルを貼ることによって体制交代させる、あるいはその国家を潰すという戦略をとっております。その点を端的にあらわすものが先制攻撃戦略であり、共和国を圧殺するためには、共和国との間で行った合意についても平気で覆す。その点をレジュメでは、「アメリカの先制攻撃戦略」、「合意前提条件の覆し」として取り上げております。

次に中国、韓国、ロシアの場合は、共和国を追いつめる事が最悪の事態を招き、その結果は、共和国を取り囲むすべての周辺国にとって耐え難い結果、被害をもたらすので、そういう事態を招かないために共和国を追いつめないようにする、という立場をとっていると思います。中国、韓国、ロシアがもっとも重視するのは外交、対話による問題解決であり、それが具体的には六者協議ということで、レジュメでは「六者協議」が項目に入っています。

三番目が共和国の基本姿勢です。アメリカは何らかの機会を探して共和国、あるいは金正日体制を潰そうとしている。したがって共和国としては、それに対抗して国家としての存続を全うすることが至上命題になる。そのために、あらゆるとり得る手段を講ずるという発想になっているのだろうと思います。そうしたことから、たとえば核開発問題が出てまいりますし、アメリカが共和国を潰さない、ということを確保するためにもっとも重要なのは米朝対話であると考えていると思います。そうした共和国の核開発問題、米朝対話問題を掲げる必要があると思い、「共和国の核開発」、「米朝対話」という項目が入っております。しかし、これらの点については、皆様の方がよくご存じの点ですから、ここでは省きます。

最後に日本ですが、2002年の平壌宣言にもかかわらず、その平壌宣言における合意内容の優先順位を覆して、拉致問題、核問題を利用して「北朝鮮脅威論」を国内的に演出することによって、日米軍事一体化路線、日米軍事同盟の変質強化を合理化、正当化しようとする方向性を追求しております。そうしたことから、「平壌宣言と安倍政権」という問題につながります。

1.アメリカの先制攻撃戦略

まずアメリカの先制攻撃戦略というものがどういうものであるかという問題です。私が見るところ、私が仮に共和国にいる人間だとしたならば、アメリカの先制攻撃戦略というのは、本当に身の毛がよだつほどの内容のものであると考えざるを得ません。共和国の立場に立って、アメリカの戦略を見たらどのように物事が映るのか、見えるのかという視点を私たちが持つならば、世の中がかなり違った情景に見えてくるはずであるということを、私としては強調したい。今から私がお話しする先制攻撃戦略の内容を共和国からの視点と結びつけて見た場合、いかにその戦略が恐ろしい内容のものであるかということがお解かりいただけると思います。

アメリカは、2001年の9.11事件以来、旧ソ連に代わる脅威として、「恐怖という目に見えない脅威」、あるいは「新しい捉えどころのない敵」という形で脅威を設定しました。要するに、アメリカが主観的に恐怖を感じる相手はすべて脅威であると規定するわけです。こうした「目に見えない脅威」という規定の仕方は、お化けをもって敵とするという考え方と同じであります。「お化け」というのは非常に主観的な産物でして、アメリカが恐怖を感じる相手は全部脅威と見なしてしまう。そうしますと、世界貿易センターを襲撃したテロリストも脅威になりますし、あるいは核兵器を含む大量破壊兵器等の開発を急いでいるとアメリカが断定する、例えば共和国、イラン、その前にはイラクがあったわけですが、そういう国々は「ならず者国家」、「圧政国家」として脅威の中に組み込まれてしまう。さらにいえば、将来的にアメリカに対抗する実力を身につけるだろう、したがってアメリカにとって将来的に恐怖を感じる可能性のある存在として台頭する中国、あるいはロシアも脅威に組み込まれるということになってまいります。ですから、ブッシュ政権の下での脅威とは、非常にさまざまなゴッタ煮の内容を持っていて、要はブッシュ政権が恐怖を感じる相手はすべて脅威ということになります。

ただし、この点は軍事を専門にされる方にとっては常識的なことでありますが、ブッシュ政権の脅威認識というものは非常にばかげた、あるいはまったくお笑い種の考え方です。といいますのは、脅威という概念は、軍事的には明確な定義があるわけでして、AとBという国があった場合に、BがAに対して攻撃する能力、意思を兼ね備えた場合、はじめてそれがAに対する脅威として定義されます。つまり、能力と意思、この二つが合わさった場合にのみ脅威というものが成立するというのが古典的理解であり、ブッシュ政権が上記のような勝手な定義をする前までは、国際的に常識であった理解であります。

共和国にそくしていえば、共和国が核ミサイルを持てば、それが能力ということになります。そして、例えば日本、アメリカをその核ミサイルで攻撃する意思を持つ場合、はじめて共和国は日本、アメリカにとって脅威であるということになるわけです。ところが共和国の場合、能力という点では、兼ね備えるべく必死の努力をしておりますが、しかし仮にその能力を持つに至ったとしても、はたしてその能力をもってアメリカ、あるいは日本に対して攻撃を仕掛ける意思を持つかどうかとなりますと、それはまったくありえないということが容易に分かるわけであります。なぜかといえば、仮に共和国がそういうことをやれば、次の瞬間にはアメリカの大量報復攻撃を受けることによって、地上から抹殺されるということは誰もが理解できることであります。したがって、そういうことはやるはずがない、ということはほとんどの人が知っていることなのです。ですから共和国が脅威でないことは明白であると言わなければならない。こういう点でアメリカの脅威認識というのは、いかに実態とかけ離れたものであるかお解かりいただけると思います。

ところが、アメリカは自分が勝手に作り出した脅威概念を前提にして、物事を先に進めていきます。つまり、恐怖を感じさせる相手はいつどこで何を仕掛けるかわからないので、それにいかに対処するのが有効かという発想になります。そうした場合に、いつどこで何を仕掛けてくるかわからない相手を待っていたならば、再び9.11事件のようにとんでもない被害をこうむることになる。そういうことを避けるために一番良いのは、相手が仕掛けてくる前にこちらから相手を探し出して、それを叩きつぶすというのがもっとも有効な対策であるということになります。ですから相手を探し出して、その相手に先制攻撃をかける、という考え方から先制攻撃論が出てきます。したがって先制攻撃戦略というのは、「恐怖=脅威」というとんでもない脅威観から出てきたものであるというところが、共和国問題を考える上でも非常に重要なポイントになってくると考えます。

そうした場合、いつどこで何を仕掛けてくるか分からない相手に対して、世界のいたるところで相手を探し出してやっつけることが必要だということになってきますと、これまで旧ソ連を相手にアメリカが世界で展開してきた重厚長大な米軍編成では有効に対処できないという考え方になってきます。要するに、いつどこで何を仕掛けてくるかわからない相手に対抗するために、軽快、機敏、迅速に対応できる米軍を世界中に展開するという発想になってきます。これが今、世界規模で進められている米軍再編です。特にユーラシア大陸の南側、すなわちアラビア半島・中央アジア、南アジアを通って中国大陸、朝鮮半島に及ぶ部分を特にそういう脅威が密集している地域として、それを「不安定の弧」と呼んでおります。その「不安定の弧」に有効に対応するためには、その東端に位置する日本がアメリカの戦力再編において、もっとも重要なカギを占めるということになります。それが今、日本で行われようとしている在日米軍の再編ということになります。

つまり、これを私たち日本に住むものの問題意識にそくして理解しますと、アメリカが在日米軍の再編に成功するか否かによって、ブッシュ政権の新しい脅威認識とそれに基づく戦い方の成否が左右されます。そうした在日米軍再編を妨げる、阻止するのに私たち日本人が成功するかどうかによって、国際情勢全体が大きく左右されるということになると思います。特に在日米軍再編を挫折させるということになれば、アメリカの世界戦略は大きく崩れ去るし、したがって在日米軍再編を許さない私たちは、例えばアメリカが共和国に対して発動するかもしれない先制攻撃の戦争をチェックし、「基地を提供しない日本」ということによって第二次朝鮮戦争を防ぐ、ということに貢献できるであろうと思います。

ところで、ブッシュ政権は共和国に対して非常に敵対的な政策をとっています。ブッシュ政権に根強い「レジーム・チェンジ(体制交代)」という考え方が、共和国に対しても全面的に押し出されてまいりました。今年2月に公表された「国防計画見直し(QDR)」の一節に、「アメリカは、可能なときはいつでも平和的協力的方法を用いるが、必要であれば軍事力を行使する。このため、国家や非国家主体の大量破壊兵器の能力や計画について、その所在を突き止め、…破壊する大量破壊兵器絶滅作戦が重要となる。」というくだりがあります。ここで「国家」という言葉を共和国に当てはめれば、アメリカは共和国が大量破壊兵器の能力や計画を持っていれば、その所在を突き止めて破壊する大量破壊兵器絶滅作戦を行う、というメッセージが公然と表明されているということになります。私が共和国の人間だとしたならば、このようなくだりを読んだ場合には、頭から大量の冷水を浴びせられたような恐怖感におそわれるであろうと思います。要するに共和国が核兵器を開発する能力を持っている、あるいは開発しようとしていれば、突き止めて、それを絶滅する先制攻撃を仕掛けるということです。そこには「共和国が攻撃を仕掛けてきたら」という前提はまったくないわけです。ということは共和国としては、いつ、何時絶滅の危機にさらされるか分からないということです。このことが、共和国として身構えざるを得ない状況を作り出している最大の原因だと理解しております。

さらに、アメリカはひどいことを考えております。それは先制攻撃論を正当化する主張を構築していることです。先制攻撃の戦争というのは、現在の国際社会では、国連憲章の下で絶対に正当化されない違法な戦争であります。しかし、アメリカはそれを正当化する理屈を作ろうとしている。つまり、アメリカは自衛権の行使という考え方を膨らませることによって先制攻撃をしても良いのだ、という理屈付けを考えているということであります。アメリカが公然と「先制攻撃をやっていいのだ」という理屈を作ることまでするということは、そこまで本気なのだと共和国をして考えざるを得なくするということでありまして、まさに共和国としては警戒感と不信を高めざるを得ない理由になっております。

先ほど、先制攻撃は現在の国際法、国連憲章の下では許されないと申し上げましたが、国連憲章は、国連の名の下における武力行使は集団的措置として許容しているほかに、一時的な行為として、国連が軍事的措置をとる前の段階として、各国が自ら自衛権行使としての武力行使を行うことを暫定的な措置としてではありますが認めている。そこでアメリカが考えているのは、自衛権の内容を膨らませることによって、アメリカのやることは国際法違反ではないと主張しているのです。

自衛権の行使とは、三つの条件を満たす場合に認められるとされています。まず、自衛権行使が国際法上許されるのは、「急迫」、つまり差し迫った攻撃がある場合。二番目に、「他に手段がない」ということ。「他に手段がない」というのは、非軍事的手段を尽くして、軍事的手段に訴えるしかないというような状況です。そして三番目に、そうして行われる軍事的行使が「必要最小限」であること。相手が攻撃してきた機会に相手を叩きのめすことは過剰防衛ということで許されない、ということが国際法上確立しております。したがって、相手の火の粉を振り払うのに必要最低限でなければならない、それ以上のものであってはならないという条件がかけられています。これが自衛権行使の三条件であります。

ブッシュ政権はこの三つの条件それぞれについて、これらを拡大解釈したり、無視したりして、自分達がやる先制攻撃を正当化しようとしております。たとえば「急迫」要件に関しましては、2002年の国家安全保障戦略において、「…報復するという脅威にのみ立脚する抑止の考え方は、自国民の生命や国富を賭けるリスクをとることを躊躇わない、ならず者国家の指導者に対してはあまり機能しない」と述べています。つまり、伝統的な抑止の考え方は金正日指導部に対してはあまり機能しないということで、従来「法学者や国際法の専門家は先制攻撃の正統性を急迫した脅威の存在の有無によるとしてきたが、…我々としては、急迫した脅威という概念を今日の敵の能力及び目的に適合させなければならない。…脅威が大きければ大きいほど、行動しないことに伴うリスクはそれだけ大きくなるのであって、敵の攻撃の時間及び場所に関して不確実性があろうとも、我々を防衛するために先を見越した行動をとることはそれだけやむをえないものになる。」と言っております。つまり、「急迫」という要件を満たさなくても、自分達を防衛するために先を見越して先制攻撃をすることが許されるという論理を展開しております。

次に、「他に手段がない」要件については、先ほどの国家安全保障戦略によれば、「アメリカは、可能なときはいつでも平和的協力的方法を用いるが、必要であれば軍事力を行使する。」と言っています。つまり、「他に手段がない」という時にのみ許されるべき武力行使を、必要に応じてやる、と言い替えてしまっている。つまり、他に手段があっても必要だと認めれば先制攻撃をするということにしてしまっております。

「必要最小限」の要件についても、国家安全保障戦略に次の記載があります。「先制の選択肢を意味あらしめるため、我々は、…決定的な結果を達成する迅速かつ精密な作戦を遂行できる能力を確保すべく、常に軍事力の再編を続ける。我々の行動の目的は常に、アメリカ、同盟国及び友好国に対する特定の脅威を絶滅することにある。」つまり、相手の火の粉を振り払うために「必要最小限」に限って実力を行使するというにとどまらず、相手を絶滅するまでやっつけてしまうということで、この「必要最小限」という条件も完璧に吹き飛んでいます。

こうしたブッシュ政権の自衛権行使の無限拡大を正当化する論理は、到底、国際法上認められるものではないのですが、アメリカは言いっぱなし、他の人がなんと言おうとかまわないという立場をこれまでとってきていることが大きな問題であります。今後の問題としては、はたしてラムズフェルト国防長官に代わるゲーツ新長官の下で、このような先制攻撃戦略正当化の主張について見直しが行われるかどうかということを、大きなポイントとして見ていく必要があるだろうと思います。

それから、ブッシュ政権は自衛権概念からの逸脱をもう一つやっています。それは自衛権を行使する対象、範囲を恣意的に拡大するということです。従来の自衛権行使の対象として理解されてきたのは、急迫な侵略、攻撃を行ってくる国家に限られていました。しかし、今のアメリカは、国家安全保障戦略で明らかにしているように、「我々は、テロリストと故意に彼らをかくまい、または彼らに援助を提供する連中とを区別しない」と言っています。つまり、テロリストは国家ではないわけですから、そもそもこういう存在を脅威として括ること自体が、これまで確立してきた国際社会のルールを逸脱しております。ところが、そのテロリストを故意にかくまう、あるいは彼らに援助を与える連中として、「ごろつき国家」、「ならず者国家」、「圧制国家」が規定されるわけで、そういうものをもアメリカは自衛権行使の対象に入れてしまう。要するに、アメリカに対して攻撃を仕掛けてくるか否かが基準ではないわけです。テロリストをかくまう、あるいはテロリストに対して援助を提供するか否かによって、アメリカの攻撃対象になるという規定になっているということです。したがって、共和国がテロリスト、あるいはテロリストをかくまうイラン、イラクなどにミサイルを提供すれば、ここにいう「彼らに援助を提供する連中」に該当することになって、アメリカの武力行使の対象になるということになります。私が共和国にいて、アメリカのQDRや国家安全保障戦略を分析するならば、いつ、何時共和国がアメリカの先制攻撃の戦争を受けても不思議はない、と判断するしかないという状況になっています。ブッシュ政権が登場して間もなく、2002年の段階からこういう戦略が公然と明らかにされている。したがって共和国としては、ハリネズミのように身構えるしかないという状況が生まれてきているということを、私は考えるわけであります。

2.合意前提条件の覆し

しかも、ブッシュ政権は共和国のアメリカに対する猜疑心、不信感をいやがうえにもかきたてるようなことを繰り返してきています。それが「合意前提条件の覆し」という問題であります。これは、私たち人間関係を考えてもわかる話なのですが、お互いに不信感を持ち合っている者同士がある約束をした場合に求められることは、お互い約束を破らないということ、それが最低限の前提になります。1994年の米朝枠組み合意を見ても明らかですが、一方が何かのステップを取ったら、相手はそれに見合って次のステップをとる。そのことを確認した当該一方はまたそれに対応して次のステップをとる。こうして、合意事項の履行を積み重ねていくことによって、数年の期間を経て、合意した共通の目的を最終的に達成するという内容になっています。枠組み合意は、8〜9年かけてそのプロセスを実現するということになっており、やはり10年近くの年月をかけてはじめて、米朝間の不信が和らぐということを見越した合意になっております。ここでキーポイントとなるのは、お互いに行った約束を破らないということなのです。

そうした点でブッシュ政権はどうかと申しますと、例えばクリントン政権の下で作られた朝鮮半島エネルギー機構(KEDO)の履行を潰すために、2002年に北朝鮮のいわゆるウラン濃縮疑惑問題を持ち出しております。そして、それに反発した共和国に対して、さらに追い討ちをかけることによって、KEDOを終了させるという行動をとっています。あるいは去年、2005年には六者協議の合意が達成された数日後に、いわゆる共和国によるマネー・ロンダリングを発表し、それによって共和国が憤慨し、席を立つという行為をとるように追い込んでおります。このことを「ニューヨークタイムズ」は最近の社説において、2005年の六者協議の合意ができた直後に、ブッシュ政権がマネー・ロンダリングの疑惑を持ち出して金融制裁を始めたことによって、はたして共和国が約束を履行する意思があるかないかを見極める大切なチャンスを自らの手で葬った、と書いております。要するに、共和国が何かを前に進めたくても、それが出来ないような壁をブッシュ政権が作ってしまうことによって、共和国としてはブッシュ政権には到底信用がおけない状況を作りだしてきたということです。いかに共和国がブッシュ政権に対して、大きな不信感を持っているかという点については、2005年、核兵器保有宣言を行った共和国外務省の声明を読むと非常に明確に判断できると思います。このようにブッシュ政権は、金正日体制を潰せるものなら潰したいと考えております。そのために、何とか外交的に解決しようとする動きに対して、水をさす行動を平気でとることによって、事態を先制攻撃発動の次元に押し戻そうとしたのではないかと見られても仕方がない行動をとってきたと思います。

3.六者協議

次に中国、韓国、ロシアがどういう姿勢をとってきたかということですが、やはり中国、韓国、ロシアの場合、非常に深刻に朝鮮半島情勢を眺めていると思います。これらの国々に共通しているのは、アメリカが、共和国をして暴走せざるを得ない状況に事態を展開させていく、その結果、起こる事態というのは想像を絶する事態であると考えているということです。

例えば中国の場合、共和国に隣接する東北地方の再開発を最重要項目の一つにすえています。そうした場合に、共和国と国境を接する地域において非常に不安定な、あるいは動乱の情勢が起きますと、東北地方の再開発などという計画は吹っ飛んでしまう。ということは、中国の改革・開放政策に重大な影響が生じるわけで、中国としてはそのような事態は万難を排してでも防ぎたいという気持ちを持っている。韓国の場合には、38度線沿いに展開する共和国の砲火がソウルを直撃するわけですから、それによってソウルが火の海になることは間違いないことである。ということは、韓国自体の存亡にも関わる事態でありますから、なんとしてでも朝鮮半島で戦火が起こるという事を防がなければならないという気持ちを持っている。そういう点では、ロシアも似たような感じ方があると思います。

したがって、この三ヶ国にとしては、六者協議という枠組を通じて、何とか平穏に、アメリカをして武力を発動させない形で問題解決をするという考えをもっていることは間違いないと思います。そういうことで、朝鮮半島の非核化を展望し、そして共和国がもっとも不足しているエネルギーの安定供給を保障することを通じて、朝鮮半島の平和と安定の局面をもたらしたいと考えているのだと思います。そういう点で、中国、韓国、ロシアの場合、朝鮮半島問題を非軍事的に解決するメカニズムとしての六者協議を最重視する姿勢をとっていると思いますし、その目的が実現できればそれを通じて徐々に相互不信を氷解させ、お互いに信頼醸成を築くメカニズムに発展させていくことも可能ではないかと考えていると思います。そういう意味で、去年9月の六者協議の合意は非常に重要な内容を持つものであり、アメリカの金融制裁及び、それに反発する共和国の体積によって中断したプロセスを何とかして再開したいというのが、これら三ヶ国が共通に持っている立場だと考えます。

4.平壌宣言と安倍政権

私は、小泉首相が過去の謝罪と償い問題に触れることに応じたからこそ、金正日国防委員長が平壌宣言に合意する前提条件が出来たのだと思っております。つまり、平壌宣言の最大の意味は、日本による謝罪が冒頭にあったということです。ところが当時の報道を思い起こしていただければ分かるように、日本のメディアが飛びついたのは、第三項の問題、つまり拉致問題であります。しかも、この第三項におきましては、拉致という言葉を使っているわけではありません。第三項では、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」という表現で拉致問題が扱われております。また重要なことは、「…朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」ということです。つまり、過去にあったことをもう二度とやりません、という約束をしたことが拉致問題におけるポイントであったわけです。ところが日本側は、そのポイントをことさらに無視し、拉致被害者の帰国問題に問題をすり替えてしまったのです。

話は前後しますが、第二項におきましては、「償い」に関して金正日国防委員長が大幅な譲歩を行っています。それは何かというと、過去に対する償いの代わりに、共和国側は日本による経済協力という形をとることに合意をしていることです。私は、平壌宣言が出来るずっと前に、京都で徐勝さんが主催された会合のときに、実は警告したことがあります。共和国が日朝国交正常化を行うに際して、「謝罪と償い」というところの「償い」の部分で、日韓方式を受け入れてしまうという可能性を私たちは考えておかなければならないということを申し上げたことがあるのです。そのことがまさに現実のものになってしまったのが平壌宣言であります。

経済協力方式になりますと、日本が植民地支配で行った数々の国家犯罪、強制連行や従軍慰安婦問題などもチャラにされてしまう。これは、日本人の歴史認識を正すためにもあってはならないことだと考えております。むしろ私は、日朝間で正式に、過去についての償い、賠償を行うことを通じて、日韓における歪んだ関係の構図をも正すきっかけにすべきであると長年考えておりました。平壌宣言によって、共和国が日韓方式に歩み寄ってしまったのは、日本と朝鮮半島のこれからの長い友好関係考える際に、禍根を残すことになるのではないかと率直に懸念を持っております。

しかし、小泉首相にとっては金正日氏がそのように決断したことによって、平壌宣言を結ぶということに踏み切ることが出来たというのは事実であろうかと思います。このように平壌宣言は、どちらの側に立ったとしても、大きな問題を含む内容と積極的な面があると思います。このように、合意内容としては、双方にとって実行可能な内容があったにもかかわらず、実際に何が起こったかといえば、アメリカがKEDOを潰し、六者協議の合意を潰す行為をとったように、日本側も同じような行動をとりました。それが何かと申しますと、皆様も御承知のように五人の拉致被害者の帰国、それは一時帰国ということで合意されたものでありますけど、一時帰国した彼らの定住帰国を現首相である安倍官房副長官が主導権をとって行いました。

先ほども申したように、相互不信に満ちた同士の合意ならば、約束を一歩一歩積み重ねていかねばならないのですが、合意をした途端に日本側がそれを潰したことによって、平壌宣言が非常に歪められることになったのだと思います。やはり、ここにおいて日本側の責任は免れないであろうと思っています。私は、平壌宣言で共和国側が「拉致を繰り返さない」と約束したことと、拉致された人の帰国問題とは別問題として扱うべきであると考えております。拉致被害者の帰国問題は、日朝国交正常化の原則を定めた平壌宣言には含まれていない事柄であり、あくまで国交正常化交渉とは切り離して別途解決するべき問題であることを、平壌宣言にそくして認識することが不可欠であると考えています。

5.安倍政権の幼稚さと危うさ

以上のような強引な約束違反をあえてした安倍官房副長官(当時)は、今や首相になったわけですが、朝鮮半島問題、特に共和国対しては非常に危険な考え方を持っています。『安倍晋三対論集』によると、彼は、「日本人の安全保障に対する考え方は、ここ数年で大きく変わって、多少のことでは揺るがなくなってきていると思います。その転機となった大きな出来事は、まず2001年の『9.11』…。そして、小泉総理が訪朝して金正日国防委員長が日本人を拉致していたことを認めて謝罪した。…さらに北朝鮮が密かに核開発を続けていたことも追い打ちをかけたと思います。そこで日本人は、国民の安全を守るのは国の基本的な責任で、安全保障にはきちんと取り組んでもらわないといけないこと、国家や安全保障に対するアレルギーが戦後ずっとありつづけたことが問題であったことに気づいたと思いますね。これは大きな転換点でした」と言っています。要するに「9.11」に並ぶ、あるいは日本人にとってもっとショッキングだった事件として「9.17」、すなわち日朝平壌宣言における拉致問題についての共和国側の承認、それを認めるという行為が日本側の北朝鮮に対する認識を改めさせたと主張しているのです。そしてさらに、「北朝鮮の脅威を実感して初めて、『同盟とは何か』を認識した日本人は多いはずです。小泉総理が2003年5月に訪米した際、ブッシュ大統領は、北朝鮮に拉致をされた日本人の行方が一人残らずわかるまで、アメリカは日本を完全に支持すると発言しました。『この発言こそ、同盟だ』とみんな力強く思った。日本人の意識に非常に大きな影響を与えた…」と言っております。私がこの二つの言葉を御紹介した意味は、安倍首相は中国、韓国との間では関係改善のための大きな譲歩的な行動をとりましたが、こと共和国に関しては、全面的に圧力をかける路線を一貫してとろうとしているということであります。

そうした安倍政権の対朝鮮半島政策の幼稚さと危うさ、ということについて触れておきたいと思います。つまり、何が幼稚かといえば、中国、韓国、ロシアに見られるような物事を大局的、戦略的に考えるという視点が決定的に欠けているということであります。その点につきましては、7月5日のミサイル発射に対して、安保理決議を強行しようとした当時の安倍官房長官の姿勢に非常にはっきり現れている。とにかく共和国をゴリゴリ圧さなければ気がすまないということで、無鉄砲に走ったということです。あるいは10月9日の核実験に際しても、共和国に対する国民の反感を煽るだけの行動に終始したということがあります。

こういうことが、幼稚さだけで終わるならば目をつむる余地もあるのですが、その幼稚さが非常に危うさを含んでいるがために黙っているわけにはいかないのです。何が欠けているのかと言いますと、共和国に対する強硬一本やりの政策が如何なる結果を招くかということについて、安倍政権には決定的に想像力が欠けているということであります。その想像力というものが何かと申しますと、最悪の事態ということでありまして、結局制裁を強めていくことによって、さらに共和国が核開発を続けざるを得ない状況に追い込み、そして核保有する、核ミサイルを持つにいたるという事態に追い込むのです。

それに対して、アメリカが先制攻撃の戦争を発動すれば、それは間違いなく第二次朝鮮戦争になる。それは、まさに日本の国内法でいう周辺事態にあたるわけです。その周辺事態というのは、日本に対する武力攻撃の予測事態と認定される可能性が非常に強いわけです。あるいは火の粉が広がれば、対日武力攻撃事態と断定される。アメリカが先制攻撃をした侵略戦争に対して、共和国が自衛権を発動して行う反撃が日本の国内法では対日武力攻撃事態となって、それに対して日米が共同して排除するということになります。そういうことによって、核ミサイル攻撃、原子力発電所に対する襲撃が共和国のゲリラ部隊などによって行われるという事態になる。それは共和国の全滅を意味するでありましょうけれども、決して日本が無傷ですむということではなくて、とても耐え難い被害を受ける。あるいは韓国も同じであろうと思われます。ですから、こういう事態を防ぐことが政治、政治家の責任でなければならないと思うわけですが、そういう認識が安倍首相、安倍政権にはまったくない。それが、安倍政権の最大の危険性、危うさだと思っております。

RSS