北朝鮮の核試験と韓国の言論報道

2006.11.08

*Jさんから、韓国の学者のHPに掲載された興味ある文章を翻訳したものを送っていただきました。私たちが他者感覚を持つことの大切さを改めて教えていただいた気持ちになりました。おそらく北朝鮮から見たときの政治的軍事的情景を描いているのだと思います。是非皆さんにも読んでいただきたいと思い、Jさんのご了承を得ましたので、ここに掲載します(2006年11月8日記)。

北韓が核試験をしたと発表してから3週間が過ぎた。すぐにでも核戦争が起きるような大騒ぎの雰囲気は静まったが、北韓をどのように戒めるのかに対する論難はあいかわらず熱い。どんなことにも効果的な対策を設けるにはその仕事が起こることになった原因や背景を先に見分けることが望ましい。しかし北韓が、どうしていつから核兵器を開発して来たのかに対する沈着な分析は今まで探しても見つけにくい。

 このような中に「ワシントポスト」10月15日付け記事は注目して見るべきだ。「北韓の核葛藤は深い根を持っている」(N。Korean Nuclear Conflict Has Deep Roots)という題名で北韓が核兵器を持とうとするのには50年以上の歴史があると言う内容である。この記事は、大きく三つを挙げている。まず、1950年トルーマン大統領は、韓国戦争が激烈になるにつれ核兵器も使用することができると話した。二番目、1953年アイゼンハワー大統領は、北韓が休戦協商に誠実に応じなければ武器使用に際限を置かないと脅かした。三番目、1957年から米国は韓国に核砲兵部隊を設置して、核兵器が搭載されたミサイルを搬入し始めた。米国の主要新聞が、米国の核兵器脅威の為に北韓が核兵器を開発し始めたと言う視角を持っていることである。

これに反して韓国の新聞はどうだろう。1995年にあった、あるひとつの話を紹介する。米国国務部が1994年に秘密解除した1950-60年代外交文書を元に韓米関係についての論文を発表したのだが、アメリカが遅くとも1958年1月から韓国に核兵器を配置し始めたと言う内容について、韓国で発行部数がいちばん多いと言う新聞社の記者がインタビューを要請してきた。慶尚道に住んでいるときだったので後にソウルに上京すれば会おうと言ったら、記者は記事のネタあれば地球の果てまでも飛んで行くと言って直ちに会おうと言った。透徹した記者精神に感嘆して、次の日直ぐに会うことにした。慶尚道までやってきた記者に、米国が1950年代後半から駐韓米軍現代化の一環で韓国に核兵器を配置するつ計画を立てながら、1957年ソ連が大陸間弾道ミサイルを開発すると搬入を始めて1991年ソ連が崩壊すると持っていったと説明し、外交文書と私の論文を複写して渡してやった。彼は、「1面トップ記事」資料であるといいながら興奮しながら話をして、私はその資料で「スクープ記事」を一度書いて見たらと彼を応援した。しかし数日が過ぎても1面トップ記事どころか最後の小さな記事にも出なかった。反共反北雰囲気を弱くする憂慮がいると言う新聞社幹部たちの偏った安保意識の為に、編集過程でボツにされたと言う話しを後で聞いた。11年が流れた今まで新聞に載せられてていない背景であるだろう。

よく「朝中東」と言われる右翼新聞たちはそうだとしよう。進歩的だとか均衡のとれた報道をすると言う新聞でも歪曲と偏向が現れている。「ハンギョレ」2006年10月24日付け?北核実験以後の専門家連載寄稿?で統一研究院全ソンフン博士は、北韓が1994年の北米ジュネーブ合議を「執拗に」違反したと言って、「北核実験について米国の責任を問うことは適切ではない」とした。そして「北韓が米国の信頼を得ることができる措置を先に取ることが順理である」と主張している。

いわゆる「専門家」でさえジュネーブ合議についてこのように歪曲された認識を持っていることは驚くべきだ。それが英文でも国文でもジュネーブ合議文書をたった一度でもきちんと読んでみたのかとても気になる。北韓が核兵器を開発したのは、明らかに合意違反である。しかし2002年いわゆる「第2次北核危機」が始まる時まで8年の間より先により多く合意を守らなかったのは米国であった。合意文第1条で2003年まで軽水路を作るとしながら2002年まで土台しか造らなかった。第2条で北韓に対する経済制裁を緩和すると言ったが、依然と「ならず者国家」に烙印して緩和しなかった。そして政治的に完全な正常化に進むとしながら、他の国々が北韓と修交することまで妨げた。そして北韓にはいちばん重要な事項である第3条で、米国が北韓に核兵器の脅威を与えずまた使用しないと保障したのだが、「悪の軸」の中一つであるといいながら、地下にまで浸透することができる核兵器を作って爆撃するという言う計画まで検討した。米国がきちんと合意を守ったものは、第1条で軽水路を完工する時まで、代替エネルギーである重油を供給すると言う条項だけであった。

北韓が「執拗に」合意を違反したのではなく、米国が著しく違反したのだからと言って北韓の核試験を正当化しようと言うのではない。事実を故意に隠したり歪曲してはならないと言う意味である。北韓が、1992年南北間の非核化共同宣言を違反したと批判することはできるが、北米間のジュネーブ合議を違反したと批判することには問題がある。事実を正確に分ってこそ、正しい提案をしたり望ましい対策を設けることができるだろうが、事実を把握することができなかったり歪曲しているから説得力のある提案や対策が出るわけがないのではないか。

だから頼みたい。いわゆる「専門家」たちだけではなく、普通の人々でも北韓の核兵器開発や米国の対北政策など韓半島平和や安保問題について関心があのなら、最近に出版されたボブ・ウッドワードの証言(State of Denial:Bush at War、by Bob Woodward)やコルリンパウウェルの伝記(Soldier:The Life of Colin Powell、by Karen Deyoung)を購入して読んでみてほしい。ブッシュ大統領とチェイニー副大統領、そしてライス国務長官とラムスフェルド国防長官などブッシュ行政部の核心人物が、いつからどうしてイラクを侵略して占領しようとする計画を立て、いつから北韓政権を崩壊させようとして来たか、どれほど6者会談を欺いて来たのか分ることになるだろう。

そして米国の対北政策をある程度理解した後に、北韓と立場を代えて考えてみる機会を一度くらい持ってみよう。北韓が核試験をしたら私達の頭上にすぐにでも核爆弾が落ちるように脅威を感じることができれば、韓国に核兵器が無数に入って来た時、北韓の人々はどれくらいの脅威を感じただろうか?さらに北韓を囲っている中国、ロシア、韓国、そして海を隔てた日本と米国まで、すべての国々が自身たちのモノであれアメリカが作ったものであれ核兵器を持っているところに北韓だけ持っていなかった約30年くらい北韓の人々はどんな心境を抱いただろうか?ブッシュ政府が出帆した以後米国が、北韓体制の崩壊を目的にして絶え間なく経済制裁を加えて核兵器で先制攻撃をすることができると脅かして来ているのに、北韓が核試験を一度したからと言って安心して寝ることができるだろうか?さらに韓国には、1991年以後からは核兵器がないと言っても北韓が核兵器で攻撃すれば、アメリカが核兵器で報復するという「核の傘」を持続的に持ち続けているから「防御用米国製核兵器」は持っているという点を参考にしてほしい。

北韓は、米国が先に安全保障をしてくれれば核兵器を無くそうと言っており、米国は北韓が先に核兵器を放棄すれば協商をすると言う。これに私達は、均衡のとれた視角で両方の立場を考慮して、望ましい対策を探さなければならないだろう。

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