核兵器廃絶と多国間交渉

2006.11.04

*10月22日に長崎で開催された「核兵器廃絶−地球市民集会ナガサキ」の分科会③「核兵器廃絶と多国間交渉」で行った冒頭発言の内容を紹介します。当日は、10分間という時間の制約があったので、かなり省きましたが、ここでは用意した全文を掲載します(2006年11月4日記)。

1.「核兵器廃絶と多国間交渉」というテーマに即して考える場合、私たちがまず再確認することが求められているのは、さまざまな問題に通底している真の問題が何であるか、ということである。つまり、核兵器廃絶が一歩も前進しないという問題にせよ、多国間交渉の進展がみられない問題にせよ、なぜ前進・進展が見られないかというとき、そこに横たわる真の問題とは、核問題に関して二重基準を積み重ねるアメリカの核政策の存在がある。

NPT体制は、核兵器国と非核兵器国とを固定化する最初の二重基準の産物であった。その後のアメリカは、同盟・友好国(イスラエル、インド、パキスタン)の核兵器保有は認め、アメリカに「楯突く」国々(「ならず者国家」)の核兵器保有は許さないという二重基準を臆面もなく追求してきた。二重基準を極める政策は、特にブッシュ政権の下で露骨なまでに自己主張している。

その二重基準の政策は、最近では、ウラン濃縮に代表される、NPTですべての国家に認められているはずの原子力平和利用の権利についてすら、「ならず者国家」に対しては認めないという形でますます露骨になっている。こういうアメリカ主導の二重基準の政策を正面から問い直さない限り、そしてその二重基準を押し付けるアメリカの核政策そのものを厳しく問いたださない限り、私たちの間の如何なる議論も不毛を免れないと考える。つまり、核兵器廃絶多国間交渉を主題とするこの分科会の最大のテーマは、アメリカの核政策に対して、国際社会が如何にして毅然とした態度を取りうるかについて議論する場でなければならないと、私は強く考える。

2.特に当面私たちが緊急課題として取り上げる必要があるのは、朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)の核実験問題及びイランのいわゆる核開発問題である。

すでに北朝鮮の核実験については、国連安全保障理事会が北朝鮮に対して憲章第41条に基づく経済制裁を発動する決議を全会一致で採択した。私も北朝鮮の核実験に対しては反対であり、北朝鮮が速やかに非核化に向けた多国間交渉(具体的には6者協議)の場に戻ること、更にはNPT体制に復帰することを強く要求する気持ちにおいて、人後に落ちない立場に立っていることを明らかにしたい。

しかし、以上のことを述べた上で、私は更に次のことを強調しなければならないと考えている。それは、北朝鮮をして核実験強行せざるを得ない状況にまで追い込んだアメリカの北朝鮮に対する政策について、私たちが厳しく批判する必要があるということである。

この点については、主に二つの観点から論じる必要がある。

第一は、北朝鮮が核実験を強行せざるを得なくなるまでの経緯におけるアメリカの演じた役割について、私たちは明確な認識を持つことが求められているということである。

まずブッシュ政権は、クリントン政権が北朝鮮との間で進めてきた対話・外交による問題解決に対して極めて批判的であった。クリントン政権の対北朝鮮政策の主要な成果であるKEDOを崩壊させるため、ブッシュ政権は2002年に北朝鮮のウラン濃縮疑惑問題を持ち出し、これによってKEDOを崩壊させることに成功した。これによって、北朝鮮は、国際協調のもとにおける原子力の平和利用(原子力発電)の道を閉ざされることになり、再び独力で核開発をせざるを得ない状況に追い込まれた。

朝鮮半島の非核化を目指す6者協議についても、アメリカの政策によって頓挫に追い込まれたことを確認する必要がある。すなわち、2005年9月に6者間の合意が成立し、朝鮮半島の非核化に向けたロード・マップが生まれて、期待を抱かせた。ところがこのときにブッシュ政権は、北朝鮮に対する金融制裁をふっかけ、これに反発した北朝鮮が6者協議に復帰することを拒否する事態を招いたのである。

もちろん、ウラン濃縮疑惑が事実であるとすれば、秘密裏にそれに乗り出した北朝鮮の責任は問われなければならない。また、北朝鮮がマネー・ローンダリングなどの不正を行っているのであれば、北朝鮮は中止しなければならないことは当然である。しかし、それらの問題故にKEDOを崩壊させ、あるいは北朝鮮が6者協議に対して非協力的姿勢を取らざるを得ないように仕向けるというアメリカの政策について、私たちは厳しく批判しなければならないはずである。なぜならば、朝鮮半島における長期にわたって安定的な非核化を実現することこそが国際の平和と安全にもっとも根本的に資する道であることは明らかだからである。

第二の、そしてより深刻な問題は、北朝鮮を自暴自棄に追い込むことは、アメリカの先制攻撃による北朝鮮の体制交代(レジーム・チェインジ)に口実を与える可能性を増し、そのことは、絶望的な北朝鮮の反撃によって、近隣諸国に到底耐えることのできない惨害を引き起こす可能性があるということである。仮に北朝鮮がノドン搭載可能な程度までに核兵器の小型化に成功したとするならば、アメリカの先制攻撃の戦争に対して、北朝鮮は核ミサイルをアメリカに全面協力する日本に向けて発射する可能性は大きい。その可能性がないとしても、北朝鮮が決死的なゲリラ部隊を日本各地に送り込み、原子力発電所をはじめとする日本の安全にとって死活的な意味を持つ重要施設を破壊する行動に出ることは間違いない(韓国に対する北朝鮮の攻撃により、ソウルが火の海になることも避けられないであろう)。つまり、レジーム・チェインジを狙うアメリカの一方的な行動によって、日本に再び耐えられない核被害が襲うのである。皮肉なことに、日本政府が推し進めている国民保護計画が想定している核ミサイル被害、ゲリラ部隊による襲撃という最悪の事態が現実のものになるということだ。

私たちは、すでに核被害を体験した国民として、地球上のいずれの地においても、二度とそのような事態を招いてはならないという決意に立って、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」を国際的に訴えてきた。ブッシュ政権が追求する北朝鮮の体制交代の政策は、この訴えを根底から否定する結果を招きかねない。私たちは、「二度と核戦争を起こさせてはならない」という認識を出発点にして、北朝鮮の核開発問題に対する適切な対応のあり方を考えなければならない。つまり、北朝鮮の核実験に反対し、非核化への道に復帰することを促すと共に、アメリカに対して、北朝鮮が熱望してやまない直接対話に応じることを強力に働きかけなければならない。そういう働きかけを行うための国際世論を盛り上げることこそが、今もっとも求められていることであり、この分科会はそのための出発点となるべきであると確信する。

イラン問題については、ブッシュ政権の強硬政策によって、イランが北朝鮮と同じ道を選択せざるを得なくなることを防ぐためには、私たちとして何を為すべきか、ということが、私たちの議論の出発点として据えられるべきである。この場合にも、成りゆき如何によっては、アメリカが強引にイランに対する制裁を発動することを狙っており、さらには先制攻撃(核兵器使用の可能性も排除できない)の戦争を発動する可能性を秘めていることを私たちは深刻に受け止める必要がある。仮にそのような事態になれば、中東及び東北アジアだけでなく、国際の平和と安定が重大な危機に直面することになることは明らかだからである。

現在の緊張した局面において真剣に考える必要があることは、先入主を抜きにして、北朝鮮、イランの主張・立場を検証することであると考える。そうした基礎の上でのみ、私たちは両国の核開発問題に対して公正な判断を行うことができるだろうし、事態の平和的打開に向けての道筋を示す可能性を模索することもできることになると考える。

3.NPT体制に関しては、私たちの当面の目標は、2000年の再検討会議での到達点を再確認し、2010年の再検討会議がその到達点を出発点にして、核兵器国をして核兵器廃絶への一層のコミットメントを行わしめるようにすることでなくてはならない。わけても国際社会は、核兵器廃絶の最大の障害となってきたアメリカが自らの核政策の見直しをせざるを得ない状況をつくるために何をなすべきか、という明確な問題意識にあくまでこだわる必要があると考える。

確かに核抑止力更新期を迎えているイギリスに着目した取り組みを指向する向きもあるし、イギリスが非核化に応じるとすれば、核抑止力神話に対して風穴を開けるという重要な意義があることは間違いないので、そのことにも真剣に取り組む意義はあると考える。しかし、核抑止力神話を打ち破るためには、なんといってもアメリカを攻略するための展望を切り開かなければ真の前進はあり得ないであろう。

4.日本の矛盾を極める核政策についても、私たちは鋭い批判を行わなければならない。被爆国でありながらアメリカの核抑止力に依存する政策をとり、その矛盾を覆い隠すために「究極的核廃絶」という造語を編み出した日本の欺瞞を極める核政策を根本的に批判し尽くさない限り、日本が世界的核廃絶そしてそのための多国間交渉に対して有意な役割を担うことはできない。そもそも、アメリカの核抑止力に対する依存を止めない限り、日本がアメリカの核政策に対して原則的な立場を持って臨むなどということは望むべくもないであろう。この点についても、この分科会が明確な態度を明らかにすることが求められていることを強調しておきたい。

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