日本と日韓朝関係

2006.09.18

以下の文章は、ある雑誌に寄稿したものです。日本と韓国、北朝鮮との関係についてまとめてみました。安倍政権になった場合、日本と朝鮮半島の関係は極めて微妙な(危うくさえある)ものになることが十分予想されます。この時点で、この関係について振り返り、整理しておくことは意味のあることだと思います(2006年9月18日記)。

1.「負の遺産」の重み

(1)日本の侵略・植民地支配の歴史

日韓関係及び日朝関係を振り返り、また、将来に向けた関係のあり方を考えるとき、私たちは、日本と朝鮮半島との間の関係において起こった歴史という「負の遺産」の重みという問題を考えることから始めなければならない。この問題は、日本とアジアとの関係を考える場合に共通するものであるが、明治維新以来の日本がまずその侵略・植民地支配の矛先を向けたのが朝鮮半島であり、強引を極める手法で植民地化を実現し、植民地化後は苛烈な支配統治を行った事実を踏まえるとき、特にその重要性が確認されるのである。

日本は、明治維新によって開国した直後から、朝鮮半島に対する野心を暖めていたことは、明治元年(1868)12月14日(旧暦)に、木戸孝允が岩倉具視に寄せた建言に早くも明らかだった。木戸孝允日記によれば、「速に天下の方向を一定し、使節を朝鮮に遣し、彼の無礼を問ひ、彼若し不服の時は罪を鳴して其の(国土)を攻撃し、大に神州(日本)の威を伸長せんことを願ふ」としていた。征韓論は木戸だけのものではなく、広く当時の支配者に共有されていた。

日本は、江華島事件(1875)を受けた日朝修好条規(1876)、壬午軍乱を受けた済物浦条約(1882)、日露戦争を受けた日韓議定書(1904)、第1次日韓協約(同)、さらに第二次日韓協約(乙巳条約。1905)、そして韓国併合条約(1910)という事実を積み重ねることにより、最終的に朝鮮半島を日本の植民地にした。

その後日本は、乙巳条約から40年間、韓国併合から数えても35年間、朝鮮半島に対する苛酷を極める植民地支配を行い、日本と朝鮮半島の関係を考える上で、もっとも深刻な問題をつくり出した(朝鮮人の土地収奪、多くの朝鮮人の日本への移住・強制連行、創氏改名、旧日本軍への徴用、従軍慰安婦問題等々はこの時代が生み出したものである)。この加害責任を日本が真摯に受けとめない限り、日本と朝鮮半島が長期にわたる平和で友好的な関係を築き上げることは至難であることをしっかり確認しておかなければならない。

(2)「負の遺産」は清算されたか

(イ)日韓関係の場合

日韓国交正常化は、1965年6月の日韓基本関係条約において実現した。この条約では、「千九百十年八月二十二日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は,もはや無効であることが確認される」とする第2条と、「大韓民国政府は,…朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される」とする第3条が核心である。

第2条に関しては、前述の諸条約が有効かつ合法であるとする日本政府に対し、強圧の下で押しつけられた諸条約は無効かつ不法であるとした韓国政府の立場の違いを、「もはや無効であることが確認される」という表現の工夫で外交的・玉虫色の決着が図られた。また第3条に関しては、当時の朝鮮半島における厳しい南北対決を背景に、韓国の立場を尊重することを日本側が受け入れたものとなっている。

また、問題の植民地時代の韓国及び韓国人が被った被害に関する対日請求権に関し、同時に締結された日韓請求権並びに経済協力協定において、「両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産,権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が,千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて,完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」(第2条1)という表現で決着した。日本側は、この規定により、韓国人が個別に持つ対日請求権(軍人・軍属、強制連行、従軍慰安婦、樺太抑留、広島・長崎での被爆等にかかわるもの)も放棄されたという立場をとり、朴正煕政権もこの解釈を受け入れた。

また日本政府は、韓国政府が対日請求権を放棄する見返りとして、経済協力を行うことに応じ、その結果無償3億ドル、有償2億ドル、合計5億ドルの経済協力を行うこととなった(第1条)。この約束も、韓国側の対日請求権そのものを認めない日本政府と、その権利を主張する韓国政府との妥協の産物であった。

後述する日朝関係の問題を考える上で、以上の日韓間の取り決めに対して、当時の朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)政府が如何なる態度表明を行ったかを振り返っておきたい。条約締結直後に出された声明において、北朝鮮側は、上記の条約及び協定が無効であると宣言した上で、「日本帝国主義者が朝鮮人民に及ぼしたあらゆる人的・物的被害に対し賠償を要求する堂々たる権利を持っており,日本政府はこれを履行する法的義務がある」、「「協定」を通じて日本当局と朴正煕徒党の間にやりとりされるものは,私的金銭取引に過ぎず,決して賠償金の支払いとなりえない」と明言している。

本論に戻って、今日ますます重みを増している韓国人の対日請求権に関する日本政府の主張は一貫している。それは、①上記請求権協定によって、個人の分をも含め最終的に解決済み、また②旧憲法下で起こった国の不法行為による被害に対して、国家は責任を負わない(国家無答責)、とするものである。日本政府がこのような主張に固執するのは、根本的にいって、日本が過去の侵略戦争・植民地支配の加害責任を承認せず、朝鮮半島に対する「負の遺産」を直視し、清算することに対して激しく抵抗していることにある。

しかし、韓国が民主化するに伴い、個人の対日請求権は放棄されていないという主張が強まり、盧武鉉政権は、2005年に日韓交渉にかかわる外交文書を公開した際に、この主張を認める立場を明らかにした。この問題は、日本が北朝鮮との間でも解決することが迫られる問題であり、日韓関係と連動する可能性が極めて大きいものとして、引き続き注目していく必要がある。その意味でも、日朝間では「負の遺産」の問題に関して、どのような方向が模索されているのかを検証することが重要になる。

(ロ)日朝関係の場合

日朝関係を正常化することに向けての動きは、1990年に始まった。1990年9月の「日朝関係に関する日本の自由民主党、日本社会党、朝鮮労働党の共同宣言」では、自民党及び社会党(当時)を含めた3党が、「過去に日本が36年間朝鮮人民に与えた大きな不幸と災難、戦後45年間朝鮮人民が受けた損失について、朝鮮民主主義人民共和国に対し、公式的に謝罪を行い十分に償うべきであると認める」、「日本政府が国交関係を樹立すると同時に、かつて朝鮮民主主義人民共和国の人民に被らせた損害に対して十分に償うべきであると認める」(第1項)として、日本政府が北朝鮮に対して公式謝罪し、国家及び個人に対して「償い」をするべきことを明確に打ち出した。このように、日朝国交正常化の前提条件は日本側による「負の遺産」の清算であることが明確にされている。

この点については、小泉首相が訪朝して金正日国防委員長との間で出された2002年9月の日朝平壌宣言では、次のような表現がとられた。「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」が、「国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議すること」とし、「日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした」(以上、第2項)のである。

前述した1965年当時の北朝鮮政府の声明と比較して、また、1990年の文書と比較しても明らかなことは、北朝鮮側の日本側の主張に対する譲歩が顕著だということである。つまり、北朝鮮側は国及び個人の請求権の問題について、日韓方式による解決を受け入れる用意があり、日本による賠償の代わりに経済協力方式でもいいとしている。

平壌宣言から浮かび上がるのは、日本政府が韓国との間で固執している立場が、北朝鮮との間でも貫かれているということだ。日朝関係は後述する北朝鮮の核開発問題や拉致問題をめぐって膠着しているが、仮にこれらの問題が解決して、日朝国交正常化交渉が本格化するとしても、日本政府が「負の遺産」問題において誠意ある対応をすると楽観できない状況があることが分かる。むしろ日朝間の合意を根拠に、韓国側からの個人の請求権問題に対して頑なな姿勢を続ける可能性がむしろ大きいと見なければならない。ということは、日本と朝鮮半島(のみならずアジア)との関係が共通の歴史認識の上に健全に発展すると楽観することはむずかしいということになるだろう。

2.北朝鮮の核開発問題

南北関係においても、また日朝関係においても、北朝鮮の核開発問題はもともと重大視されていなかった。南北関係を改善し、祖国統一を目指す上での基本文献ともいうべき1972年の南北共同声明(作られた日付によって「7.4南北共同声明」とも呼ばれる)では、当時まだ北朝鮮による核開発が日程に上っていなかったこともあるが、核問題に対する言及はない。1991年の「南北間の和解と不可侵及び交流・協力に関する合意書」においては、「大量殺傷兵器と攻撃能力の除去をはじめとする段階的軍縮実現問題…を協議推進する」という文言が見られるが、核に対する直接の言及はない。日朝間の1990年の文書(前述)においても、核問題に関する言及はなかった。

南北関係において核問題が浮上したのは、韓国の廬泰愚大統領が1991年11月に「韓半島の非核化と平和構築のための宣言」を出してからである。この中で廬大統領は、「我々は、南北韓が成し遂げた合意を全民族の願い通りに具現して行くに先立ち、一日も早く解決しなければならない重要な課題を抱えています。それは韓半島の核問題を解決することです」と述べ、南北関係改善の前提は北朝鮮の核兵器開発問題を解決すること、との認識を表明した。これを受けて翌1992年1月には「朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言」が出され、南北が「核兵器の実験、製造、生産、搬入、保有、貯蔵、配備、使用をしない」、「核エネルギーを平和的目的にだけ利用する」、「核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」ことを宣言した。

その後、1993年の北朝鮮の核疑惑問題で第二の朝鮮戦争の危機が勃発し、その危機を乗りこえたクリントン政権のアメリカと金正日が指導する北朝鮮との間で、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)設立を含む、交渉による核問題解決を目指す努力が続けられるのだが、ここでは詳述しない。というのも、クリントン政権の対北朝鮮アプローチに対して徹底的に批判的なブッシュ政権が登場して、北朝鮮を「ならず者国家」(第1期)あるいは「圧政国家」(第2期)と決めつける対決路線を採用し、それまで米朝間で積み上げられた蓄積を放り投げてしまったからである。

しかし南北関係そのものは、2000年6月に行われた韓国の金大中大統領の北朝鮮訪問を契機に、劇的に改善の方向に向かっている。注目されるのは、この時出された南北共同宣言には核問題への言及がないことだ。つまり、廬大統領によって、核問題を南北関係改善の前提とした位置づけを退けることによって、金大中大統領は南北関係の改善に踏み出したと言える。

日朝間に目を転ずれば、2002年の日朝平壌宣言における核問題の扱いは、過去の清算問題が第2項であったのに対し、最後の第4項になっている。そして、その記述ぶりは、「双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した」とある。(ちなみに拉致問題に関しては、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」(第3項)とあり、「拉致」という表現は使われていない。)

しかしその後の日本政府は、アメリカと同調して核問題を前面に押し出し、また拉致問題にもこだわって、日朝関係改善の可能性を自ら封じ込めてしまった。南北関係の進展及び日朝関係の停滞という対比から、私たちが考えるべき材料は少なくない。

ちなみに、北朝鮮のミサイル発射(7月5日)に対し、日本政府は、平壌宣言に違反する行為と批判したのは、上記第4項の最後の文章を受けたものである。しかし、北朝鮮は無条件でモラトリアムを表明したのではなく、「この宣言の精神に従い」と条件を付けている。北朝鮮側によれば、日本側が拉致問題で騒ぎ立てることによって、平壌宣言履行の前提条件が崩されたということであり、したがってモラトリアムにはもはや拘束されないという立場なのだ。

また、米朝間でも2000年10月の米朝共同コミュニケで、「朝鮮民主主義人民共和国側は新しい関係構築のための、もう一つの努力として、ミサイル問題と関連した会談が続く間には、あらゆる長距離ミサイルを発射しない、ということについて米国側に通報した」と述べており、アメリカはこれを根拠にして、北朝鮮の約束違反を批判した。だが、ここでも北朝鮮は、「ミサイル問題と関連した会談が続く間には」という条件を付しており、アメリカ側の原因によってその条件が満たされなくなった今、この約束を守る基礎が失われたと反論している。

また北朝鮮は、1992年の南北共同宣言(前述)で、確かに核兵器開発、核再処理施設やウラン濃縮施設の保有をしないことを約束している。2003年1月にNPT脱退宣言の臨時停止を撤回した段階でも、「米国が我々に対する敵対視・圧殺政策を放棄し、核脅威を止めれば、我々は核兵器を作らないことを米朝間に別途の検証を通じて証明することもできる」と述べている。しかし、2005年2月の核兵器保有公式宣言の声明では、アメリカ政府が「「暴圧政治の終息」を最終目標として宣布して、我が国を「暴圧政治の前哨基地」と規定し、必要であれば武力使用も排除しないと、公然と暴言を吐いた」ことで、「第二期ブッシュ政権の本心は、第一期の時の対朝鮮孤立・圧殺政策をそのまま踏襲するばかりでなく、さらに強化するということである」と判断して、「米国が核の棍棒を振りかざして、我々の制度を何としてもなくそうという企図を明白に露呈した以上、…核兵器庫を増やすための対策を講じる」という主張によって、自らの政策転換の根拠にしている。

正直に言って、今の私には、核問題に関する関係当事者の主張・立場のいずれが正しいかについて、明確な判断を下すに足る材料が決定的に不足している。しかし、日本国内で圧倒的な「すべてにおいて北朝鮮が悪い」という感情的で短絡的な受け止め方に対しては、極めて危ういものを感じる。特に北朝鮮を軍事的脅威とみなす主張に至っては、それが直ちに日米同盟の変質強化を正当化し、対北朝鮮先制攻撃論に直結させられているだけに、私たちは、そういう主張に対しては警戒感を持って臨むべきだと考える。

ましてや、上記の通り、ミサイル発射にしても、核兵器保有にしても、日本やアメリカの主張に対して、北朝鮮には北朝鮮なりの主張、論理がある。ライオン(アメリカ)、トラ(日本)、オオカミ(韓国)に対して必死に身構えざるを得ないハリネズミ(北朝鮮)の言い分を先入主なしに聞く耳を持つことが、今私たちに何よりも求められているのではないだろうか。

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本稿では、「負の遺産」と核の問題に絞って日韓朝関係を検証してきたが、日韓朝関係を長期にわたって改善し、安定した基盤の上に発展させるためには、日本の側においてなすべきこと、改善すべきことが多々あることだけは間違いない、という結論は免れないと思われる。

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