国際社会の動向と戦争違法化の歩み

2006.09.01

*日本国憲法の存在理由を、戦争の違法化の歴史という角度から文章を書くことを依頼されて記したものを紹介します。内容的には目新しいわけではありませんが、前のコラムの文章と一体をなすという位置づけになると思います(2006年9月1日記)。

1.21世紀国際社会の展望

2度にわたる世界大戦を経験した20世紀の人類は、国家レベルでは、人間の尊厳を承認し、基本的人権を保障し、民主主義を実現することを普遍的価値として受け入れるまでになった。基本的人権を抑圧し、民主主義に逆行するような国家に対しては、今や厳しい国際的批判が向けられる。

しかし、国際レベルでは、人間の尊厳・基本的人権・民主主義に対する表面きっての挑戦はさすがに見られなくなってきたとはいえ、現実の国際関係を圧倒的に支配しているのはなお権力政治的発想である。その結果、国家レベルでは実現した(あるいは、少なくとも実現されるべきことが普遍的に承認されている)人間の尊厳の承認・基本的人権の尊重・民主主義の実践が、国際レベルでは21世紀に入った今日でも当然の規範として受け入れられるにはほど遠い現実がある。特に国際関係においては、相変わらず国家が自己主張し、人間の尊厳をないがしろにする状況があっても、これを有効にチェックする仕組みが生まれるには至っていない。この状況を根本的に覆し、個人の国家に対する優位性を確立することこそが、優れて21世紀の人類社会が自らに課すべき目標でなければならない。そのためには、国際関係において国際民主主義を貫徹することが求められる。

国際民主主義には二つの含意がある。一つは、人間の尊厳・基本的人権という基本原理を国家の枠組み・制約を超えて国際的に実現するという課題である。この課題実現のカギは、各国において、個人の国家に対する優位性を承認する、21世紀にふさわしい国家観が定着することにある。この点で、欧州人権裁判所あるいは国際刑事裁判所(2002年7月に根拠となる規程が発効)の事例は、国際民主主義の今後のあるべき方向性について示唆に富む材料を提供していることを付け加えておきたい。

国際民主主義の今ひとつの含意は、国家関係の民主化という課題である。21世紀の国際社会は、引き続き国家を主要な構成員として成り立つ社会であるという基本的性格に変化はない以上、大小、強弱、貧富において実に様々な国家からなる国際社会において、人権・民主主義の基本的担い手である国家が他の国家との関係において対等平等であり、互いの内政に干渉しあわないことが確保されなければならない。この点については、国連憲章が国家の主権尊重、主権国家の対等平等、内政不干渉、紛争の平和的処理からなる国家関係民主化の基本原則を明確に定めている。21世紀の国際社会にとっての課題は、これらの基本原則を国際的に徹底すること、つまり国連憲章に則り国際関係を規律することをルール化するということである。

2.戦争違法化の歩み

戦争はかつて、「政治の延長」として当然視されていた。しかし、人間の尊厳を承認し、基本的人権を尊重する歴史的流れの中で、科学技術の進歩が戦争遂行に利用されることに伴う戦争の残虐性、非人道性に対する関心が高まり、戦争を規制・ルール化し、さらには違法化することを目指すことの重要性が認識されることとなった。戦争を規制・ルール化する点においては国際法における戦争法の蓄積があるが、戦争の違法化においても人類は着実な成果を収めてきた。

戦争の違法化の歴史における最初の具体的試みは、1920年に設立された国際連盟規約であるが、そこでは戦争を明確に違法化するものではなかった。戦争の違法化の歴史における巨歩を記したのは、1929年の不戦条約(戦争放棄に関する条約)である。そこでは、「締約國ハ國際紛争解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳肅ニ宣言ス」(第1条)、「締約國ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハズ平和的手段ニ依ルノ外之ガ處理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス」(第2条)と規定された。しかし、不戦条約は第二次世界大戦の勃発を防ぐことはできなかった。

その反省に立って作られた国際連合憲章は、「われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し」(前文)て、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(第2条第4項)と定め、戦争を含む武力の威嚇・行使を違法化した。しかし、国連憲章は広島、長崎に対する原爆投下以前に作成されたものとして、「核時代」の戦争のすさまじさに対する認識を欠いたものとしての制約を持っている(自衛権の行使としての武力行使などを認めている)。

これに対して日本国憲法は、正に「核時代」における戦争がもはや如何なる理由を持っても正当化できないことに対する正確な認識を、第9条という規定において明確にしたという点で、国際的な戦争違法化の歩みの頂点に立っている。つまり、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」(第1項)と、不戦条約の精神を再確認するとともに、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」(第2項)として、一切の戦力不保持・交戦権否認を宣明することによって、日本が戦争違法化の歩みの先端を歩むことを明らかにしているのである。ちなみに、「正義と秩序を基調とする国際平和」とは、前に述べた国際民主主義の下においてのみ実現されることは明らかであり、日本は、自ら戦争放棄にコミットすることを通じて、国際民主主義の実現に全力で立ち向かう決意を明らかにしたと理解するべきである。

残念ながら、21世紀に入った国際社会は、アメリカのブッシュ政権が推し進める戦争政策によって、戦争違法化の歩みにおいて重大な試練に直面している。ブッシュ政権の戦争政策においては、核兵器使用を含めた先制攻撃戦略が公然と採用され、日本国憲法の精神に真っ向から対立するのみならず、自衛権行使に限って武力行使を認めるという国連憲章の原則にさえ挑戦している。戦争を違法化する人類の歩みを前に進めるためには、ブッシュ政権の戦争政策を押しとどめることが緊要な課題となっている。

しかし、私たちは決して悲観することはない。ブッシュ政権の危険を極める戦争政策に対しては、国際世論は早くから反対の声を上げている。9.11事件の衝撃から一時はブッシュ政権を支持したアメリカ国民の間からも、ブッシュ政権に対する批判・反対の声が確実に盛り上がっている。私たちは、人間の尊厳の承認、基本的人権の尊重及び国際民主主義の実践という普遍的価値尺度に基づいて、戦争違法化の歩みを再び前進させることができると確信する。

RSS