日本国憲法の国際的・歴史的意義

2006.08.05

*8月3日の原水爆禁止世界大会で「平和の国際ルールと日本国憲法9条」をテーマとしたセッションが持たれ、そこで発言した文章を紹介します。内容的には、私がこのコラムで述べてきたことですが、世界大会が日本国憲法をテーマとしたセッションを設けたことは、広島に来て以来、核時代の日本国憲法という点について認識を深めつつある私にとって、極めて意義のあることだと思われますし、その大会の場で私が述べたことを記録に残しておく意味があると思うからです。ただし、発言時間が5分と制限されたため、用意した原稿をすべて読み上げることは出来ませんでしたが、ここではその全文を紹介します(2006年8月5日記)。

(1)ポツダム宣言の約束履行としての日本国憲法

最初に確認しておきたいことがあります。それは、日本国憲法は、原爆を投下され、第二次世界大戦で敗北した日本が、ポツダム宣言を受諾して降伏した際に、国際社会に対して約束したことを具体化したものであるということです。その約束とは三つありました。

第一は、侵略戦争を行った軍国主義の過去を徹底的に反省し、二度と再び国際社会に対して脅威とならないことを確保するべく、徹底した非軍事化を実現することであります。そのことを体現したのが、徹底した「力によらない」平和観を体した憲法第9条の規定でありました。

第二は、軍国主義を生み出した全体主義を清算し、徹底した人権・民主主義国家に生まれ変わることを約束したことです。この点については、日本国憲法の基本的人権に関する諸規定や三権分立、議会制民主主義、地方自治などの規定において確保されています。国家観との関わりでいいますと、全体主義・日本を支配した国家観が「国家を個人の上に置く」国家観であったのに対し、日本国憲法においては「個人を国家の上に置く」国家観が貫徹しているということが重要です。

原爆を投下され、ポツダム宣言を受諾することによって、日本が国際社会に約束した第三の点は、戦争犯罪人の処罰ということでありました。この点に関しては、かつての侵略戦争に対して最大の責任を負うべき昭和天皇の戦争責任が、アメリカの対日占領政策上の考慮から早々と免責されるなど、きわめて不徹底な処理に終わりました。極東裁判で絞首刑にされた数人のA級戦犯をのぞけば、ほとんどの戦争指導者の責任追及は行われることがありませんでした。

今日、小泉首相の毎年の参拝でクローズ・アップされた靖国神社の歴史観に象徴されるように、過去の歴史を美化・肯定し、第二次世界大戦によって実現された国際社会秩序に真っ向から挑戦する流れが日本国内において勢いを得ていますが、その根本的原因は、昭和天皇以下の戦争指導者の戦争責任の追及が曖昧にされたことにあります。この歴史認識の問題を国民的にはっきりさせない限り、日本が国際社会の責任ある一員として認められる存在になることはいつまでたっても不可能であることを指摘しておきたいと思います。その意味からも、全体主義・軍国主義の過去を徹底的に清算するという決意に立脚した日本国憲法の重要性を認識することが重要であります。

ところが、その日本国憲法が今試練に立たされる状況が日本に現れています。直接的には、アメリカの世界戦略に呼応し、日米軍事一体化を推進しようとする日本の保守勢力によって、日本を再び「戦争する国」にするために、憲法第9条を変えようとする動きが活発化しています。しかし、問題は第9条だけにとどまりません。日本全土をアメリカの基地にし、日本国民を米日支配勢力の思いどおりに戦争に動員できる体制を作るためには、「個人を国家の上に置く」国家観に立つ日本国憲法そのものがじゃまであり、「国家を個人の上に置く」国家観を復活するための憲法の全面的「改正」が必要になるのです。これからの日本政治においては、憲法「改正」問題が最大の争点となることが予想されます。

(2)「核時代」の日本国憲法

日本国憲法については、もう一点強調しなければならないポイントがあります。それは、憲法が原爆投下をふまえたものであること、「核時代」の憲法であるということです。核時代の戦争は、もはや「政治の延長」として位置づけることをまったく無意味なものにしました。憲法第9条は、そういう認識をふまえた絶対不戦の思想、「力によらない」平和観を体現したものだと私は認識しています。

そういう理解が決して私の独断でないことを示すために、ここでは1946年3月27日に当時の保守政治家の重鎮であった幣原喜重郎の発言を紹介したいと思います。

「斯の如き憲法の規定(注:第9条)は、現在世界各国いずれの憲法にもその例を見ないのでありまして、今尚原子爆弾その他強力なる武器に関する研究が依然続行せられておる今日において、戦争を放棄するということは、夢の理想であると考える人があるかもしれませぬ。併し、将来学術の進歩発達によりまして、原子爆弾の幾十倍、幾百倍にも当る、破壊的新兵器の発見せられないことを何人が保障することができましょう。若し左様なものが発見せられたる暁におきましては、…短時間に交戦国の大小都市は悉く灰燼に帰し、数百万の住民は一朝皆殺しになることも想像せられます。今日われわれは戦争放棄の宣言を掲ぐる大旆(だいはい)を翳(かざ)して、国際政局の広漠たる野原を単独に進み行くのでありますけれども、世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚し、結局私共と同じ旗を翳して、遥か後方に踵いて来る時代が現れるでありましょう」

この文章を引用した日本政治思想史研究の大家であった丸山眞男は、「熱核兵器時代における第9条の新しい意味を予見し、むしろ国際社会におけるヴァンガードの使命を日本に託したもの」と評価しておりますが、私はまったく同感であります。

(3)国際的スタンダードの日本国憲法:国際平和を考える場合の座標軸

この憲法を守り抜き、活かし切ることは、ひとり日本のために必要であるだけではなく、国際社会の将来を展望する上でもきわめて重要な意義を持っていることを指摘したいと思います。

第二次世界大戦における民主主義陣営の全体主義陣営に対する最終的勝利の結果、人権・民主主義は今や人類にとっての普遍的価値として最終的に承認されました。そのことにより、国家観についても、「国家を個人の上に置く」国家観は最終的に歴史のゴミ箱に捨て去られ、すべての国家において「国家を個人の上に置く」国家観に基づく人権・民主主義を実現することが要求されることになりました。今日においては、人権・民主主義を標榜しないいかなる国家の政治的主張も国際的に厳しい批判の対象になっています。

その点に関連して付言すれば、今再び「国家を個人の上に置く」国家観によって日本を作り替えようとする日本の保守勢力の動きは、人類の歴史に弓を引く絶対に許されてはならない動きであることを確認することができます。

話を元に戻して、国家単位の次元から目を転じて国際政治の次元に目を移しますと、ここでは今日においても相変わらず、超大国、大国による権力政治が横行している現実があります。権力政治を特徴づけるのは、超大国・大国が力に任せて自国の利益本位に国際政治を牛耳ろうとする姿勢・アプローチです。それは、「力による」平和観ということもできます。

しかし、このような権力政治は、国連憲章が展望している国際民主主義とは根本的に相容れないものであります。国際民主主義とは、人権・民主主義という普遍的価値観を国際社会においても実現することを目指す立場であります。国連憲章においては、人民の自決権の尊重、独立国家の主権尊重、主権国家の対等平等の承認、内政の相互不干渉、国際問題の平和的解決、武力行使の禁止といった諸原則として体現されています。つまり、国家規模で実現・承認された人権・民主主義を国際規模で実現することが国際民主主義の趣旨なのであり、その実現を妨げてきたのが「力による」平和観(権力政治)の発想であります。

日本国憲法の前文は、かつての全体主義・軍国主義の日本が「力による」平和観・権力政治によって国際社会の平和と安全を蹂躙したことに対する徹底した反省に立って、国際民主主義の思想に堅くコミットし、日本自らが国際社会の民主化に対して積極的にかかわる立場を鮮明に打ち出しています。その点において日本国憲法は、国連憲章と全く同じ方向性を目指すものであり、その立場・思想の徹底さにおいて、世界各国の憲法と比較しても最も際だっています。

国際民主主義の立場と権力政治・「力による」平和観の立場とは、根本的に両立しません。国際民主主義の立場に立つ限り、権力政治・「力による」平和観が支配することを容認する余地はないのです。今日的状況に即していえば、国際民主主義の実現を目指す日本国憲法の立場は、超大国・アメリカが支配する国際社会のあり方を根本的に変えることを目指すものであります。「力によらない」平和観、国際民主主義の立場に確固として立つ日本国憲法の立場を貫くことは、アメリカによって代表される権力政治・「力による」平和観と最も鮮明な対抗軸を明らかにするという巨大な歴史的意義を持つものであります。私は、m核廃絶を含む国際平和を考える場合の座標軸として、第9条を含む日本国憲法の世界史的、人類的意義を強調したいと思います。

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