「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」について考えること

2006.07.31

*広島の被爆者7団体主催の集会で標記の題でお話しをする機会が与えられました。ずいぶん大それた内容の話をしたものだ、と冷や汗ものですが、記録として残しておこうと思います。時間の制限もあったので、所々はしょったのですが、ここには用意した原文を掲載します(2006年7月31日)。

広島被爆者7団体の主催による「核兵器廃絶と平和を求める集い」が、このように盛大に、しかも沢山の生徒さんの参加も得て開かれたことに、心からお祝い申し上げます。また、このような意義ある集会にお招きいただき、お話しする機会を得ましたことに、深くお礼申し上げます。まだ広島市民になってから1年4ヶ月しか経っていない私がこのように大切な集会で皆様にお話しさせていただくということは、身に余る光栄であるというより、大変厚かましいこと、身の程をわきまえないことであることをよく承知しております。

しかし、被爆地・広島から内外に向けて平和について発信することを重要な仕事としている広島平和研究所に身を置く者といたしまして、せっかくいただきましたこの機会を大切にし、この集いの意義を、皆様と一緒に考えさせていただきたいと願っております。特に生徒さんたちの若い世代の皆さんが、この集いを生きた平和学習の機会として、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」に込められた深い意味をじっくり考えるための材料を提供できるようなお話しを一所懸命にさせていただきたいと思います。

「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」は、改めて申し上げるまでもなく、世界で最初に原子爆弾を落とされた広島と長崎の悲惨な体験を人類が二度と繰り返してはならないという決意に立った、核兵器の廃絶を求め、戦争のない平和な世界の実現を呼びかける訴えです。何故この訴えを60年以上も経った今日もなお繰り返さなければならないのでしょうか。それは、そうしなければならない事情があるからです。その事情とは何か、そして若い皆さんが今日この貴重な集会に参加している意味は何であるのか、ということからお話しをしていきたいと思います。

1945年8月6日及び9日の原爆投下を境に、戦争そして世界のありようは大きく変わりました。人類は「核の時代」に突入したのです。若い皆さんはとても想像も理解もできないでしょうが、私たち人類は何十年もの長い間、戦争特に核戦争の恐怖で息がつまるような中で生活することを強いられてきました。朝鮮戦争、キューバ・ミサイル危機、中ソ対立、ヴェトナム戦争、中東危機など、20世紀後半に起こった重大な戦争や出来事の度に、核戦争が起こってしまう危機が何度も起こりました。また、アメリカを中心とする国々とソ連を中心とする国々との間では、何万発もの核ミサイルが相手にいつ襲いかかるか分からない状況、つまり米ソ冷戦が、若い皆さんが生まれるほんの少し前の約20年前まで、一日として気の休まる間もなく続いていたのです。

米ソ冷戦は終わりましたが、世界には今もなお約27000発の核兵器が存在していると言われます。核兵器がある限り、核戦争の危険は常にあります。「核の時代」とは、人類全体の生き死にそのものが問われる時代なのです。私たちは今もなお、その時代の中にいます。

私たちが、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」だけを訴えるのではなく、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」を訴えてきたのは、核時代の戦争が核戦争と直結する危険性に対する私たちの危機感を踏まえたものだからです。もっと言えば、核戦争はもちろん、どんな戦争もこの世界からなくさなければならないからです。戦争は、私たちの人間としての尊厳そして命を奪い、傷つけます。戦争は、私たちの生活、人間としての営みを破壊します。戦争は、最大の環境破壊を引き起こします。だからこそ、「ノー・モア・ウォー」なのです。

残念ながら、この数十年間、世界から戦争がなくなることはありませんでした。しかし、核兵器を使った戦争は起こりませんでした。様々な研究によって、人類が広島・長崎の悲劇を繰り返さないですんできたのは、本当に奇跡的であることが分かってきています。そのような奇跡を可能にしたものは何だったのでしょうか? どのような力が核戦争を押しとどめてきたのでしょうか?

私はためらわず、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」で結びついた国際世論の力を真っ先に挙げます。生まれて以来、核戦争の恐怖を肌で感じないで過ごしてきた若い皆さんにはピンと来ないかも知れませんが、核戦争の恐怖が身近であればあるほど、核戦争を起こさせてはならないという訴えは切実でしたし、多くの国々の多くの人々が大きな声を上げてきたのです。そして、ヒロシマ・ナガサキこそ、核戦争反対の国際世論の拠りどころでした。

そして、その国際的な訴えの中心であり続けてきたのが日本の核廃絶運動であり、中でも広島・長崎であり、その重要な部分を担ってこられたのが広島の被爆者の方々であったのです。広島平和文化センターが被爆50周年記念事業として行った「ヒロシマ・地球市民フォーラム」に参加したアメリカのロバート・リフトン教授は、次のように発言しました。

「数十年間にわたってヒロシマの方々は一貫して自らの体験を語り継ぎ、世界中で様々な体験を語り、そして今でも語っておられます。被爆者の方たちは、いまだに核兵器廃絶という目標に到達できないことに大きな不満を感じていらっしゃるものと察しますが、実際は、みなさんの予想以上に世論への影響は大きいのではないかと思います。その意味で、再生、あるいは苦痛を社会活動へとつなげたということは彼ら(注:被爆者)にとって非常に価値のあることであり、また世界にとってもそうであると言えます。」

この広島に住んでいる若い皆さんには、自分が広島の人間であることがどんなに大切なことであるか、また、広島の人間としてどんなに重い責任を負っているのかということについて、しっかりと胸に刻んでほしいと思います。

核戦争を押しとどめてきたのは国際世論の力だとお話ししました。それに加え、核戦争を起こさせなかったのは広島・長崎そのものだ、という理解・考え方があります。私もそう思います。ということは、核戦争の瀬戸際に立つ度に、核兵器を持つ国々の指導者が具体的に広島・長崎のことを思い起こして踏みとどまった、ということでは必ずしもありません。しかし、広島・長崎の悲劇は、核実験を経て広島原爆、長崎原爆の何倍、何十倍、何百倍さらには何千倍もの途方もない破壊力・殺傷力・放射能を持つようになった核兵器の恐ろしさを実感させる、いわば「生き証人」として、各国の指導者の暴走を押しとどめる歯止めになってきたことは確かだと思うのです。

最近読んだある英語の報告書に、こんなことが書いてありました。

「ある者の手の中にある核兵器は脅威ではないが、他のある者の手の中に核兵器がある場合には世界はただならないことになる、という考え方は受け入れられない。核兵器を持っている政府は、責任感を持って行動するときもあれば、向こう見ずに行動するときもある。政府はまた、時間につれて変わっていく。…広島と長崎の原爆は、それぞれ爆発力がTNT火薬の20キロトン(2万トン)以下だったが、約20万人の人々を殺した。アメリカのトライデント型原子力潜水艦に積み込まれている弾道ミサイルの標準の核弾頭の爆発力は100キロトン(10万トン)程度だ。冷戦時代にソ連は、TNT火薬で50メガトン(5000万トン)以上の核爆弾を製造し、実験した。」

少し専門的なので、分からないと感じた人がいるかも知れません。

私がこの文章から皆さんに分かっていただきたいポイントは、世界にある核兵器の破壊力・恐ろしさを考えるときに、誰にも分かりやすい比較をするときに挙げられるのは、今日でもこのように広島、長崎に落とされた原爆の破壊力であり、広島、長崎の受けた被害の大きさということなのです。私が「広島・長崎の悲劇は、核実験を経て広島原爆、長崎原爆の何倍、何十倍、何百倍さらには何千倍もの途方もない破壊力・殺傷力・放射能を持つようになった核兵器の恐ろしさを実感させる、いわば「生き証人」として、各国の指導者の暴走を押しとどめる歯止めになってきた」と申し上げたことの意味が、若い皆さんにも分かっていただけたと思います。

ついでに申し上げておくと、この報告が「ある者の手の中にある核兵器は脅威ではないが、他のある者の手の中に核兵器がある場合には世界はただならないことになる、という考え方は受け入れられない」、そして「核兵器を持っている政府は、責任感を持って行動するときもあれば、向こう見ずに行動するときもある。政府はまた、時間につれて変わっていく」と言っていることの意味は、たとえば「アメリカが核兵器を持っていれば安心で、北朝鮮が核兵器を持っていると危険だ、ということではない。どの国が持っても危険だ」、「核兵器保有国である限り、例えばアメリカだって核兵器を使う可能性はある」ということです。もっと簡単に言えば、核兵器は誰の手の中にあっても危険だ、ということです。だから、その危険をなくすには、核兵器をなくすしかないということなのです。

話を元に戻しましょう。このように、ヒロシマ・ナガサキは、核戦争を押しとどめる大きな力であったことは間違いありません。しかし、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えにもかかわらず、世界から核兵器はなくなっていないし、戦争も至る所で起こっている、という厳しい現実があることを、私たちはしっかり見つめる必要があると思います。ですから、私たちはこれからも声を大にして、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」を世界に向けて訴えていかなければならないのです。若い皆さんには、これからの時代に「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の継承者になっていただかなければなりません。

戦争を知らない若い世代、とよく言われます。広島でも長崎でも、被爆体験の継承の難しさが問題にされています。沖縄では沖縄戦の継承がやはり問題とされています。でも、私は少しちがう考えを持っています。

昔と違い、今日の戦争は普通の市民をも巻き込まずにはおかない残酷を極めるものであることは、皆さんも、例えばイラク戦争に関するテレビの報道を通じて知っていると思います。被爆者の方の被爆体験そのものを忠実に継承することはむずかしいかも知れません。でも、チェルノブイリ原子力発電所の事故や劣化ウラン弾によって被ばくした人たちの悲惨な姿・境遇については、私たちはやはり映像を通じて生々しく見ています。

つまり、私たちに少しの想像力さえあれば、そして相手の立場で物事を考えること(これを他者感覚といいます)さえできれば、私たちが戦争体験、被ばく体験を我がものとし、核戦争を含めた今日の戦争をやめさせなければならないという実感と決意を我がものにすることは、決してむずかしいことではないはずです。「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えを若い皆さんが自分のものにするカギは、想像力と他者感覚だということをよく分かってほしいと思います。

核兵器廃絶、戦争廃絶の問題にお話しを進める前に、もうひとつお話ししておかなければならないことがあります。

私は、今日の状況においては、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」をこれまで以上に切実に訴えなければならない事情が生まれていると考えます。それは、ヒロシマ・ナガサキを無視して核兵器を使おうとする危険な動きが現れているからであります。

そういう動きの一つとして、国際テロリズムが挙げられます。テロリズムとは何かということですが、「相手に恐怖を与えることによって自分たちの政治的な目的を実現するために、無差別に殺人や破壊行為を行うことを正当化する考え方・主張」と理解してください。若い皆さんの中にも、ビン・ラディンとかアル・カイダという名前は聞いた人はいるでしょう。そういう考え方・主張を持つ彼らにとって、人を殺し、ものを破壊する能力が大きいものであればあるほど、相手に恐怖を与えることによって自分たちの政治的な目的を実現するのにより効果的である、という考え方になると理解されています。したがってテロリストは、核兵器が入手できるのであれば、それを使うことをためらう気持ちがなく、ヒロシマ・ナガサキに対するこだわりもないだろう、と考えられています。したがって、国際的にはテロリストが核兵器に手を伸ばすことをなんとしてでも食い止めようとする取り組みが進んでいます。

ただ、私は、国際テロリズムと力ずくで対決する取り組みだけでは十分ではないと考えています。何故ビン・ラディンのような人物やアル・カイダのような組織が現れたのでしょうか。詳しいことをお話しする余裕はないのですが、イスラエルをひいきし、アラブ諸国の石油資源を支配しようとするアメリカの間違った中東政策、途上国に貧困を押しつけるアメリカの国際経済政策が国際テロリズムの温床になっていることは、多くの人が認めていることです。

アメリカがその中東政策、国際経済政策を根本的に改めない限り、国際テロリズムの活動がやむことは期待できず、彼らが核兵器に手を伸ばす野心を思いとどまらせることもできないでしょう。逆に言えば、私たちは、アメリカの中東政策、国際経済政策を改めさせることに本気で取り組むことによって、はじめて核テロリズムの恐怖から解放される可能性を手に入れることができるのです。

ヒロシマ・ナガサキを無視して核兵器を使おうとする動きとして、もっと恐ろしいのはアメリカです。皆さんは「エッ」と感じられるかも知れませんが、私は、核テロリズムよりはるかに現実的に核兵器を使う危険性を持っているのがブッシュ政権のアメリカだと理解しています。先ほど紹介した英語の報告書も同じ判断です。というのは、テロリストたちが核兵器を手に入れることは、実は簡単ではありません。しかし、アメリカは1万発以上の核兵器を現実に持っています。特にブッシュ大統領のアメリカは、核兵器を使う先制攻撃の戦争を行うつもりがあることを、おおっぴらに言っているのです。

アメリカ政府の国防省が発表した文書には、「アメリカは、…必要であれば軍事力を行使する。このため、国家や非国家主体の大量破壊兵器の能力や計画について、その所在を突き止め、…破壊する大量破壊兵器絶滅作戦が重要となる。」と、おおっぴらに書かれています。そのおおよその意味は、こういうことです。「アメリカは、必要と判断すれば戦争する。イランや北朝鮮、テロリストが核兵器などの開発計画を進めるのであれば、それを破壊する軍事作戦をやる。」ここではあからさまに核兵器とは言っていませんが、「大量破壊兵器絶滅作戦」ということばの中に核兵器が含まれることは、他の文書から分かるのです。

この作戦とのかかわりで、アメリカは、核兵器の小型化とか地中貫徹型核兵器の開発を目指しています。核兵器を小型にすれば戦場で使いやすくなると、アメリカは考えています。地中貫徹型核兵器とは、地下深く潜んでいる相手の所まで潜っていって、そこで核爆発をおこして相手を破壊する兵器のことです。しかし、そんな核兵器が使われれば、相手を破壊するだけにとどまらず、火山の噴火が引き起こす火砕流と同じように、放射能に汚染された濁流が地表を覆い、大変なことになることが予想されています。

私は、以上のようなことを平然と考える今のアメリカには、広島・長崎の教訓を汲んで核戦争を思いとどまる気持ちが非常に薄くなっているのではないかと思います。

だからこそ私たちは、今さらに「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」を国際社会に向けて声高く訴えていく必要があります。アメリカや国際テロ組織が核兵器を使うことを食い止めなければなりません。私たちの「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えを、なんとしてでも彼らに届け、聞き入れさせなければならないのです。

一度核兵器を使う戦争・暴力が行われてしまったならば、本当に取り返しのつかないことになってしまいます。「目には目を」「歯には歯を」の世界になってしまっては遅いのです。そのためには、私たちは声の限りで「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」を訴えるほかありません。

私は、若い皆さんを含めた会場の方々に是非真剣に考えていただきたいことがあります。「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えがアメリカの指導者やテロリストの心をゆさぶるようにするためにはどうすればいいのか、それを一所懸命考えてください。特に若い皆さんにとっては、この問題を真剣に考え、みんなで話し合い、知恵を絞りあうことがまたとない平和学習・平和実践の機会になると思います。若い皆さんが「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えに新しい命を吹き込むことができれば、それこそが被爆体験の生きた継承となるのではないでしょうか。

次に、核兵器廃絶・戦争廃絶を目指す「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えをどのようにしたら世界に届けていくことができるか、という問題についてお話しさせていただきます。

私は、世界に対して「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えが力強く届くようにするためには、はっきりさせておかなければならないことが二つあると思います。

一つは、私たち自身が正しい歴史を学ぶことです。つまり、広島・長崎に対する原爆投下は、日本がアジア諸国に対して侵略戦争をし、アメリカに対して太平洋戦争を行ったことの最終段階で行われたという歴史を、私たちは正しく受けとめる必要があります。

日本の侵略や植民地支配を受けたアジア諸国の人々の多くは、「原爆投下のおかげで自分たちが日本の支配から自由になるのが早まった」と、原爆投下を肯定的に受けとめています。そういうアジアの人々に対して、私たちが侵略戦争をしたことに対する反省を抜きにして、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」をいくら訴えても、彼らはむしろ反発します。「日本は、自分がアジアに対して行ったことには反省もしないで、自分たちの受けた原爆の被害のことばかり強調する」、「日本は、被害者である以前に、アジア諸国に対する加害者だった事実を認めるべきだ」と、アジアの人々は言うのです。

私は、アジアの人々のそういった反応には、私たちが深く考える必要があることが込められていると思います。

日本は8月6日を境に被害者意識だけの国になった、とよく言われます。つまり、広島そして長崎の原爆被害があまりにも大きかったので、それ以前に日本が他の国々に対して行った戦争の大変な加害者だったことを一気に忘れてしまった、ということです。その被害者意識が「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えの中にも忍び込んできたことは、残念なことですが認めないわけにはいかないと思います。

アジアの人々は、自らが日本の侵略戦争の被害者ですから、そのことを敏感に感じ取るのです。これでは、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」が誰にでも共感できる訴えになることはできないことが分かるでしょう。アジアの人々も心から共感できる「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えになるためには、日本の侵略戦争、広島・長崎に対する原爆投下を含めた歴史についての共通の理解が大前提になると思います。

若い皆さんの場合、正しい歴史を学ぶことには更に難しい問題があると、私は常々感じています。若い皆さんは、昔の日本が行った侵略戦争の歴史については、ほとんど学んでいないのではないでしょうか。私は、広島に来る前の13年間、明治学院大学という大学で学生と接していたのですが、彼らが日本の侵略戦争の歴史を知らないことを、イヤと言うほど思い知らされました。ですから私は、若い皆さんには、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」を口にする前に、日本の侵略戦争の歴史を真剣に学習してほしいと思います。皆さんが「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の継承者となるためには、歴史の学習が絶対に必要です。

特に若い皆さんは、これからますますアジアの人たちと接する機会が増えると思います。私自身の体験を踏まえていうのですが、日本の侵略戦争の歴史を知らなかったら、彼らと本当の意味での友人となることはできません。「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えを彼らに伝えることもできるはずがありません。

若い皆さんへのお願いですが、明治維新以来の日本の歴史を学んでください。高文研という出版社から出ている『未来を開く歴史』は特にお勧めです。日本、中国、韓国の研究者が共同してつくったものです。夏休みの間の平和学習として、是非気合いを入れてみんなで読んでみてください。

以上が一つめのポイントについてのお話です。

世界に対して「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えが力強く届くための二つめのポイントは、アメリカの核兵器そして戦争に関する考え方を変えさせるという、とても難しい問題です。この点についてもいくつかのことをお話しする必要があります。

アメリカにも沢山いいところ、学ぶべき所があることはいうまでもありません。しかし、核兵器、戦争については、アメリカは頑固な考え方に凝り固まっています。

まず核兵器の問題について考えましょう。アメリカは、世界で最初の原子爆弾を広島と長崎に落としました。そして第二次世界大戦が終わってから、核兵器の開発にますます力を入れました。アメリカと対抗したソ連も核兵器の開発に乗り出し、イギリス、フランス、中国も後を追って、1950年代から1980年代中頃までは、核戦争がいつ起こるか分からない時代が続きました。この緊張の時代に生まれたのが、核抑止力という考え方です。

核抑止力とは、相手が自分を破壊しつくす核攻撃をしようとしても、反撃で相手に対しても堪えられない破壊を与えるだけの核兵器を自分が持つことによって、相手に核攻撃を思いとどまらせることができるという考え方です。米ソをはじめ世界で核戦争が起こらなかったのは核抑止力が働いていたためだ、とアメリカなどの核兵器保有国は考えるのです。

しかし、核抑止力の考え方の根本にあるのは、「いざとなったら核兵器を使う」決意です。その決意がないことが相手に読まれてしまったら、相手は核攻撃を仕掛けてくるでしょう。互いの意思の読み違いによっても、あるいは核兵器発射のボタンを握っている人間の過ちによっても、核戦争はいつ何時起こるか分からないのです。前にも申し上げたように、人類はこれまでにも何度となく核戦争が起こる危機を経験しているのです。広島、長崎が繰り返されなかったのは奇跡的だったのです。だから、「いざとなったら核兵器を使う」決意を根本に据える核抑止力の考え方は、非常に危険であることが分かると思います。これまで核戦争が起こらなかったことは、将来にわたって核戦争は起こらないという保証にはなりません。

やはり、核兵器がある限り核戦争は起こる、と考えなければなりません。しかも、アメリカが核兵器にしがみつくから、アメリカを警戒するロシアや中国も核兵器を手放そうとしないし、アメリカの軍事的な脅威を感じる国々も核兵器を持ちたくなるのです。ですから、私たちとしては、なんとしてでもアメリカが核兵器にしがみつく政策を改めさせることに力を入れる必要があります。

そのためには、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えに、もっともっと説得力を持つようにすることが大切です。核兵器の反人道性、反国際法性、環境破壊性、さらには人類の存続そのものと相容れない犯罪性について、人々の認識を高め、反核兵器の圧倒的な国際世論をつくり出し、その国際世論の中にアメリカ国内の世論も巻き込んで、アメリカの核兵器に固執する勢力を包囲するしかありません。

ここでも、広島の若い皆さんに宿題です。皆さんは、どのようにしたら、この反核兵器の国際世論を高めることに自分自身が加わり、さらにはその世論をリードする力になれるか、そのことを真剣に考えてほしいのです。被爆者の方たちが安心して、「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」の訴えの継承者として皆さんに力を託すことができるように、精一杯の努力をしてください。

最後に、戦争の問題について考えます。

アメリカは、国際社会を支配しているのは基本的に力であり、国際的な力関係が保たれれば国際平和は保たれるし、その力関係が崩れるとさまざまな紛争や戦争が起こると考えます。だから、そういう紛争や戦争を解決して平和を回復・維持するには軍事力が必要だ、とアメリカは考えるのです。アメリカが何故このように考えるかといいますと、国際社会には国家の上に立つ世界政府のようなものはないので、国家の間で紛争や戦争が起きた場合、最終的には自分のことは自分の手で解決を図るしかない、という醒めた見方を持っているからです。私は、こういう考え方・見方のことを「力による」平和観と名づけています。

アメリカはまた、自分の国を守るのも基本的に軍事力であると考えています。特にアメリカは世界最強の軍事力を持っており、その実力で世界ににらみを利かせる傾向が強いのです。アメリカの利益を犯すもの、脅かすものがあると考えると、アメリカは軍事力を使ってでも、つまり戦争に訴えてでも、それを退け、打ち破ることは当然の権利であると考えています。

これに対して私たち日本の憲法の立場は、「力によらない」平和観です。力に頼るのでは本当の平和は得られない。日本は、過去においてアメリカと同じような考え方だったために、侵略戦争をし、アジア諸国や国際社会に大きな被害を与えてしまった。そしてその結果広島、長崎に原爆を投下されて、敗戦した。そういう過ちは二度と繰り返さない。原爆慰霊碑の碑文の精神は、そのまま憲法の精神であります。

そのためには、自らの手を堅く縛っていく。それが戦争放棄であり、戦力を持たないという国際社会に対する約束である憲法第9条なのです。その日本は、何もしないというのではありません。憲法の前文を読んでくださればすぐ分かるように、日本は非軍事に徹して国際の平和と繁栄のために力を尽くすことを明らかにしています。私は、憲法のこの「力によらない」平和観を国際的に広めることこそが、アメリカの「力による」平和観を考え直させる根本の道だと考えています。

皆さんは、アメリカの考え方を変えさせるのはむずかしい、と思われるかも知れません。日本がいくら頑張ってもたいしたことはできないだろう、と思う人も少なくないでしょう。しかし私はそうは思いません。日本は、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国です。その日本が憲法を活かしきる「力によらない」平和の立場・外交を貫くならば、国際社会はそんな日本に目を見張るにちがいありませんし、強い支持を寄せることになるでしょう。そのように国際社会の考え方が変わることによって、アメリカも自分の考え方を見直すことを迫られることになるのです。

日本の生き方が国際社会を動かし、アメリカの考え方を改めさせる原動力になる。若い皆さんは、こんな胸のわくわくするような可能性を実現するために、自分も参加したいと思いませんか。若い皆さんには広々とした前途が待っています。今必要なのは、その可能性を現実のものにする若い皆さんの決意とエネルギーです。もちろん、可能性を現実に変えるためには、皆さんの創意と工夫が求められます。そのことについて積極的に考えてください。若い皆さんの奮起を心から願いたいと思います。

最後に次のことを強く申し上げます。「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」「ノー・モア・ウォー」は、一体のものです。核廃絶の訴えを代表する「ノー・モア・ヒロシマ」「ノー・モア・ナガサキ」と平和憲法の思想を代表する「ノー・モア・ウォー」とを結びつけるとき、はじめて広島・長崎の訴えは生き生きとした力を発揮することができるでしょう。

これで私のお話を終わらせていただきます。

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