大量破壊兵器委員会報告:「恐怖の兵器」

2006.06.20

*新聞でも報道されましたが、5月にハンス・ブリックスを委員長とする大量破壊兵器委員会(WMDC)が「恐怖の兵器」と題する報告を国連のアナン事務総長に対して提出しました。この報告は、1982年のパルメ委員会、1996年のキャンベラ委員会、1998年の東京フォーラムによる三つの報告に次ぐものであると自らの位置づけを行っていますが、その内容は、厳しい対米批判と核兵器違法化という課題を提起している点で、画期的なものです。

報告は、核兵器のみならず生物兵器及び化学兵器についても扱っていますが、ここでは核兵器にかかわる部分に限定して、注目すべき内容を紹介しておきます。この報告は、個別的には、私としては必ずしも同意できない主張、判断の部分もありますが、アメリカが核兵器廃絶に対する最大の障害であること、アメリカの核兵器固執の政策を改めさせることに正面から向きあわないいかなる核廃絶論の試みも無意味であることの2点を認識させることにおいて、非常に勇気ある提言であると思います(2006年6月20日記)。

1.ブリックスの問題意識

報告は、ブリックスによる序文において、この報告の前提になっている問題意識を次のように述べています。

「キャンベラ委員会の報告が発表されてからの10年間、地球上の経済的相互依存は加速した。世界のすべての国々は、同じ環境的脅威と伝染病の危険に見舞われるようになった。主要な軍事大国の間では領土的、イデオロギー的な深刻な紛争はない。ところが驚くべきことに、軍備管理及び軍縮に関する協定をめぐる環境は現実に悪化している。

NPTや生物兵器条約のような世界的条約を強化しようとする努力は停滞しているし、CTBTの批准は進んでいないし、兵器用核分裂物質生産停止条約に至っては交渉も始まっていない。

新たな軍備の波さえ起こっている。すなわち、アメリカのミサイル防衛は、核兵器分野で中国及びロシアによる対抗措置の引き金になろうとしている。アメリカをはじめとする国々では新しい任務を帯びた核兵器が開発されようとしている。宇宙及び人工衛星の平和利用は、目もくらむ勢いで進んで、世界的な情報通信を容易にしているが、最先進を行く軍事大国は、この環境の下でいかに効果的に戦争を遂行できるかを考えている。

こうした状況であるにもかかわらず、各国政府及び世界世論は、軍備管理・軍縮のための世界的レジームに対する関心を失っている。その一つの理由は、対テロリズム戦争及び現実的・潜在的核拡散の個別のケースの扱いに関する関心が高まっていることである。もうひとつの理由としては、諸々の条約が2001年9月11日のテロリストによるアメリカに対する攻撃を防ぐことに役立たず、イラク、北朝鮮及びリビアによる核兵器取得努力とイランによる核濃縮計画に対して十分な防壁となっていないということがある。

条約違反に対する多くの国々の対応は、現存する条約及び制度を強化し、発展させるということだが、唯一の超大国であるアメリカは、その対策として自らの軍事力に頼ろうとしている。2002年のアメリカ国家安全保障戦略は、大量破壊兵器を含む現実のまたは切迫した攻撃に対してだけではなく、時間及び場所に関して不確実な大量破壊兵器の脅威に対して対抗するためにも、国連安全保障理事会の承認なしに軍事力を行使することを明らかにした。2006年3月に出された同文書でも再確認されたこのアメリカの政策は、私の見る限り、国連憲章の自衛に関する規定と決別するものである。…

世界的な軍備管理・軍縮分野における現在の停滞は、時代遅れのブロック政治システムと結びついたコンセンサス要件による機能マヒ(浅井注:国連軍縮会議の機能不全の問題)の結果という一面はある。しかしより重要な理由は、核兵器国が自らの核軍縮の約束を真剣に考えようとしなくなったことにある。この約束は、…NPTにおける取引の枢要な部分であったにもかかわらず、である。(後略)」

以上からも明らかなように、ブリックスは、今日における軍備管理・軍縮の停滞の大きな責任がアメリカの政策にあると判断している。したがって彼は序文の最後に、「アメリカがリードすれば、世界は従うだろう。アメリカがリードしなければ、もっと核実験が起こり、新たな核兵器競争が始まるだろう」と結んでいるのである。

ちなみにブリックスは、かつてイラクの大量破壊兵器に関する査察を担当した際、対イラク開戦を急ぐアメリカ・ブッシュ政権によってその仕事を妨害され、挫折させられた経験の持ち主である。アメリカの傲慢な政策運営の本質に関して妥協ない分析を行う決意をもって、ブリックスがこの報告の作成に当たったことが、この序文からも窺える。

2.核関連の要注目事項

報告は、本文が183頁に及ぶものであり、生物兵器及び化学兵器に関する章も含まれているが、以下においては、第2章「恐怖の兵器:脅威と対応」と第3章「核兵器」の中の注目すべき内容に限って紹介する。

〇アメリカの独善的アプローチに対する批判的見解:報告は、軍備管理・軍縮に関する伝統的な協調的アプローチに対して、特にアメリカが懐疑的になっており、アメリカは特定の国家にかかわる問題やテロリストによる脅威に焦点を当てる傾向があり、ケースごとの有志連合やより強圧的措置の使用など、新しいアプローチを強調するようになっていると指摘して、特に二つのケースに言及している。

<2003年拡散安全イニシアティヴ(PSI)>

これは、アメリカがイニシアティヴをとったもので、大量破壊兵器計画に使用するべく違法に搬送されていると信じられる貨物の国際的輸送を止め、捕獲するために、軍事力を含めた自国の資源を使用することに同意した国々の有志連合を集めて創られたものである。PSIは、公表されない「拡散のおそれのある国家または非国家主体」に対して向けられている。報告は、「2003年以来、PSIに参加する国家の数は相当に増えたが、PSIについては国際法との整合性、透明性の欠如などの問題について批判も生んでいる」と述べている。

<国連安保理決議1540(2004年4月)>

この決議は、非国家主体が大量破壊兵器を入手することを助けることを控えることをすべての国家に強制するもので、かつ、その義務を実施するために国内的立法措置を講じることをも義務づけている。更に重要なことに、この決議は、加盟国に対し、大量破壊兵器及びその運搬手段の拡散防止のための国家としての管理手段を確立することを求めている。

報告は、テロリズム及び大量破壊兵器の拡散を防止するための国際的な義務を各国が実施する上での実績が芳しくないとの判断に立って、「決議1540は、国連安保理が国際社会すべてを縛るルールを作る可能性を示すもの」として、この決議を基本的に歓迎している(浅井注:このような肯定的評価といい、ここでは紹介しないが、報告が国連安保理による軍事措置に対して肯定的であることといい、私としては報告の国連評価に関しては素直に同調できない)。しかし同時に報告は、「安保理のこのような責任が世界の諸国によって受け入れられるようにするためには、その責任が5大国によって支配される少数のグループによってではなく、十分な協議により、かつ、国連全加盟国の利益のために担われるようにしなければならない」とも付け加えることを忘れていない。

ちなみに私は、この決議の存在について迂闊ながら報告を読んではじめて知り、早速全文を読んでみたが、率直に言って、非常に重大な問題があると感じた。

一つには、安保理がこのように包括的に加盟国の国内措置を義務づける決議を作る権限を憲章によって与えられているか、極めて疑問である。安保理が個別の紛争に即して加盟国を縛る決議を行うことは憲章上認められるが、テロリズムとの対決という大義名分によって、個別のケースにとどまらず、包括的一般的な拘束力ある決議を作ることまで無条件で認めることは危険である。もっと厳密に国連憲章との関係で安保理の権限の限界を明確にする必要があるように思われる。

今ひとつは、安保理決議の拘束力は、非軍事にかかわることについては全加盟国に及ぶことは第25条の規定で読めることになっているが、軍事にかかわる措置については最終的に各加盟国の判断に委ねられているはずである(第43条3項参照)。この決議が各加盟国に軍事措置も含めた義務づけを行っているとしたら(浅井注:この点は要確認)、それは憲章上も認められないはずだ。

更に、報告も示唆しているように、5大国が牛耳る安保理によって全加盟国を縛る立法的権限を無制限に行使することの危険性である。

決議1540を含めた安保理の立法的権限の問題については、他の関連決議なども詳しく検証して、改めて考察する必要があると思う。

〇アメリカの拡散対抗に関する単独措置に対する批判

報告は、アメリカの拡散対抗措置の中に潜む危険性についても指摘することをためらわない。特に、アメリカに対して「増大する脅威」を構成するとみなされる場合には、アメリカは、大量破壊兵器の拡散を防止しまたは妨害するために軍事力を行使する用意があるとし、国連憲章第51条で認められている自衛権とみなされない行動についても安保理の承認は不可欠ではない、としている点を報告は鋭く問題にしている。報告は、次のようにいう。

「十分な軍事力を持つ国家は、脅威を構成すると信じられる他国あるいは大量破壊兵器計画に対して単独で軍事行動をとる決定を行うことは可能だろう。しかしそのことは、他の国々がその行動を合法的または正統なものとして承認するかどうかということとはまったく別な事柄である。イラクのケースが証明しているように、アメリカの同盟国を含め、多数の国連加盟国は、進行中または急迫している軍事攻撃に対してのみ、自衛としての単独の軍事行動が合法であると認めている。急迫性がない場合は、多くの国家は、その脅威を安保理に提起し、安保理がその証拠について判断し、軍事行動を承認するかしないか、あるいは他の措置を決定するかについての時間がある、と考えている。委員会はこの見解を共有する。」

〇核兵器抑止論批判

報告は、2006年1月のフランス・シラク大統領の発言を紹介しつつ、いくつかの核兵器国家が、テロリストの攻撃、核兵器以外の大量破壊兵器の使用、さらには通常兵器による一定の攻撃に対して核兵器で報復することがあり得るとする声明を行っていることは、安全保障政策における核兵器の役割を減らすこと及び大幅かつ前進的に核兵器の数を減らすことの緊要性を示していると指摘する。

そして報告は、核抑止論について、「相互抑止が冷戦時代における両超大国間の戦略的関係を安定化させたとしても、核抑止の有効性は、冷戦後の時代にはますます疑問視されるようになった。抑止によっては核兵器の更なる拡散を防ぐことはできず、向こう見ずに行動する政権やテロリストが核兵器を使用することを防ぐこともできない」、「抑止は、もはや存在しない核二極世界において戦争の危険を回避する努力の中で生まれたものだが、その主張を非常に変化した世界で持ち出すことは、不信感を助長し、核拡散及び破局的テロリズムの脅威を含む共通の問題に対処する上で必要な国際協力を妨げる」と指摘する。

〇核兵器の先制的予防的使用論批判

報告は、かつての核抑止論のポイントは核攻撃に対する報復力を証明することにあったとしつつ、フランス、ロシア、イギリス及びアメリカは、いまや地域的ないし限定された戦争におけるあるいは選択的方法(地下深く潜む対象の破壊)による核兵器の先制使用について言うようになったこと、また、インド、ロシア、イギリス、フランス及びアメリカは、核兵器以外の大量破壊兵器による攻撃に対する報復としての核兵器の使用について言っていることを指摘する(中国のみが核兵器の先制使用を公式に否定しているとも指摘する)。

報告の解釈は、国連憲章の下で認められる武力行使は、軍事攻撃に直面した国家による自衛としての武力行使及び急迫した軍事攻撃に対する先制攻撃であるとするものだが、報告は、2002年にアメリカが以上の「先制」概念を超えて、大量破壊兵器による攻撃が時間、場所、規模に関して不確実であり、急迫していない場合でも核兵器を含む軍事力行使の権利を留保すると発表したと指摘し、次のように述べる。

「委員会は、核兵器の先制または予防的使用あるいは核兵器以外の攻撃に対する反撃としての核兵器使用を定める軍事ドクトリンは、核抑止ドクトリンの範囲を広げて実際上核戦争に道を開くものであると認める。そういうドクトリンは、核兵器使用の敷居を低くする危険性があり、核兵器の軍事的使用のシナリオの幅を広くし、新型核兵器開発を刺激するものであり、核軍縮に向けて努力するというコミットメントに矛盾し、国際的安全保障にとって有害である。」

〇核兵器違法化

報告は、「核兵器は、国家によってもテロリストによっても、二度と使用されてはならず、そのための唯一の道は誰かがどこかで使用しようという気持ちになる前に核兵器をなくすことである」とするとともに、「核兵器は冷戦の遺物であり、化学兵器及び生物兵器についてそうしたように、核兵器を違法化する時である」と主張している。報告によれば、「カギとなる課題は、核兵器を違法化することはユートピア的目標であるとする考え方を退けることである。」

〇NPT:

報告は、非核兵器国の条約遵守を強調すると同時に、次のように核兵器国の条約遵守の重要性を強調している。

「核兵器国は、条約の延長を決めた1995年のNPT再検討延長会議で行った約束及び1995年の諸合意を実行するために2000年のNPT再検討会議で合意した13の措置を守る必要がある。」

〇核兵器問題に関する二重基準の拒否

報告は、「ある者の手にある核兵器は脅威ではないが、他の者の手にあるときは世界を致命的な危険におくという見解を拒否する」と明確に指摘している。

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