障害者自立支援法について考えること

2006.06.16-17

*先日、憲法と教育基本法の「改正」問題について考える集会があって福山に伺った縁もあって、参加された方から、広島県東部幼児通園療育機関協議会(幼通協)主催で行われた「障害者自立支援法案を学ぶ」講演会の報告集を送っていただくことができました。

私は孫娘のミクとの関わりということもあって、この法律については他人事ではない関心もあり、ごくごくおおざっぱな点については、新聞『赤旗』などの記事・解説などを通じて理解することに努めてきましたし、インターネットでも関連のサイトを見たり、広島市内で開かれた集会にも参加して学習する機会もありました。しかし、この報告集に収められている講師・白石正久教授(大阪電気通信大学)のお話及びその時の会場からの発言、さらには「みんなの声」(参加者の感想・意見)を読ませていただいて、この法律の恐ろしい本質が私の理解を遙かに超えた途方もないものであることをひしひしと思い知らされました。

この講演会は法律(案)の段階であった2005年5月24日に行われたものですが、その段階でも多くの問題点が鋭く指摘されています。私は、この法律の成立を許してしまった暁に、多くの人々を襲う、人間を人間でなくさせるこの法律の本質を改めて学んだ思いをしています。

一人でも多くの人々にこの法律の恐ろしさについて考えていただきたいので、この報告集から学んだことをまとめておきたいと思います(2006年6月16-17日記)。

1.この法律は基本的人権を定める憲法に違反するものであること

憲法第13条は、「すべて国民は、法の下に平等である。すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由、および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」と定めています。改めて確認するまでもないことですが、この規定は、「みな幸福に生きる権利があるということ」(白石教授)を定めたものです。この憲法の規定の下で、「障害をもっている子どもや親が、当たり前の生活を送れるために何が必要なのかということをみんなも考えてきたし、考えあう中で、いろいろな取り組みが行われて、今日の障害児の福祉体系がつくられてきた」(同教授)といういわば当たり前のことを、私は改めてずっしりと認識した思いがしました。

そういう国民的な努力の中で、たとえば通園施設という制度・取り組みも生まれ、発展してきたことを、白石教授の指摘で初めて知ることができました。日本の社会福祉の多くの制度・取り組みは、このように長い年月を経た関係者の努力の成果であり、蓄積であるということです。ところがこの法律は、それらの成果・蓄積を一気に根底から崩すものなのです。そうすることによって、憲法第13条に真っ向から挑戦しているのです。

私たちは、憲法「改正」問題というと、とかく第9条の問題に目が奪われがちですが、自民党新憲法草案第13条は、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と置き換えています。「公益及び公の秩序」とは、「国益」「国家の安全」のことであることは、自民党の文書などから明らかです。つまり、政治の権力を握るものが「国益」「国家の安全」に反すると判断しさえすれば、国民の幸福を追求する権利も制限し、奪いあげることができるということになるのです。この法律は、憲法改悪を先取りしたものであり、基本的人権を否定するものとして、絶対に認めてはならないものであることが分かります。

2.この法律は、「子供の権利条約」で日本が国際的に負っている義務に違反していると思われること

白石教授は、この法律が「子どもの権利条約」に違反するものであると指摘しています。日本は、この条約を批准しています。そして政府自身も、条約は法律の上に来るものとしています。白石教授によれば、条約第23条は、「障害児は、特別のケアへの権利を持っている」と規定しており、「特別のケアへの権利」として条約が定めているのが「無償原則」であるということです。

私は、この条約の重要性については認識していながら、これまで本格的に目を通すことを怠ってきていました。恥ずかしいですが、この条約が障害児の権利について第23条という規定を設けていることも知りませんでした。この機会に条約を勉強しなければ、と思っています。ここでは、白石教授の指摘に従って考えれば、市場原理の「応益負担」を障害児・者に押しつけるこの法律が障害児の権利を定めた条約第23条の趣旨に大きくもとことはきわめて明らかです。

確かに条約第23条の規定は、決して歯切れのいい規定ぶりにはなっていません。第23条は、次のように定めています(太線は浅井)。

  1. 締約国は、精神的又は身体的な障害を有する児童が、その尊厳を確保し、自立を促進し及び社会への積極的な参加を容易にする条件の下で十分かつ相応な生活を享受すべきであることを認める。
  2. 締約国は、障害を有する児童が特別の養護についての権利を有することを認めるものとし、利用可能な手段の下で、申込みに応じた、かつ、当該児童の状況及び父母又は当該児童を養護している他の者の事情に適した援助を、これを受ける資格を有する児童及びこのような児童の養護について責任を有する者に与えることを奨励し、かつ、確保する。
  3. 障害を有する児童の特別な必要を認めて、2の規定に従って与えられる援助は、父母又は当該児童を養護している他の者の資力を考慮して可能な限り無償で与えられるものとし、かつ、障害を有する児童が可能な限り社会への統合及び個人の発達(文化的及び精神的な発達を含む。)を達成することに資する方法で当該児童が教育、訓練、保健サービス、リハビリテーション・サービス、雇用のための準備及びレクリエーションの機会を実質的に利用し及び享受することができるように行われるものとする。
  4. 締約国は、国際協力の精神により、予防的な保健並びに障害を有する児童の医学的、心理学的及び機能的治療の分野における適当な情報の交換(リハビリテーション、教育及び職業サービスの方法に関する情報の普及及び利用を含む。)であってこれらの分野における自国の能力及び技術を向上させ並びに自国の経験を広げることができるようにすることを目的とするものを促進する。これに関しては、特に、開発途上国の必要を考慮する。

私は、外務省にいたときに、国際条約に関する仕事をする課にいたことがありますので、多数の国が参加する条約の規定が往々にして曖昧な内容になることを知っています。無償原則もハッキリ規定されているわけではないようです。このような規定は、財政的に無理がある途上国の都合も考えたためだと思われます。

しかし、押しも押されもせぬ先進国である日本が、第23条の規定の曖昧なことにつけこんで(?)無償原則に背を向けることは本当に許されないことだと思います。

3.この法律は、障害児を児童福祉法の適用から切り離すことをはかった許すことのできないものであること

白石教授の指摘で学んだのですが、児童福祉法は、教育における教育基本法と同じように、児童福祉のあり方の根本を定めています。

第1条:「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。」
第2条:「国及び地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う。」
第3条:「第2条に規定するところは、児童の福祉を保障するための原理であり、この原理は、すべて児童に関する法令の施行にあたって、常に尊重されなければならない。」

第2条で国及び地方公共団体の「責任」と規定しているところが重要だと、白石教授は指摘します。白石教授は、「国の法律で、少し責任をごまかしたいときには…「責務」」、つまり「努力目標」、「到達しなかったら勘弁してね」というのが「責務」であり、児童福祉法は「責任」という言葉を使っているから、国及び地方公共団体は「児童を心身ともに健やかに育成する」法的責任を負っていることを明らかにしている、と指摘しています。

そして第3条も非常に重要だと、私は思いました。「児童を心身ともに健やかに育成する」ことが「児童の福祉を保障するための原理」であり、「すべて児童に関する法令の施行にあたって」この原理を尊重しなければならない、としているのです。つまり、児童福祉法の原理に違反する法令を作ることを、第3条は禁じる趣旨だということだと思います。つまり、教育基本法が教育に関する基本法であると同じように、児童福祉法は児童福祉に関する基本法としての地位を占めるということだと思います。障害児に関する問題は、憲法第13条及び児童福祉法第2条の原理に従って制度・取り組みを行うことが求められているはずです。児童福祉法の下にある限り、障害児に関する制度・取り組みに市場原理を持ち込むことなどが許されるはずがありません。

障害児をねらい打ちして児童福祉法から引きはがし、障害者自立支援法の適用対象とした政府・与党のねらいは、市場原理(応益負担)を持ち込むことが違法ではないというためであることは明らかです。しかし、そのような法律は、児童福祉法第3条の規定に照らして許されるのでしょうか。私は、障害者自立支援法によって深刻な打撃・被害を受ける通園施設、障害児、親たちが裁判に訴えて法律的に争うべきではないかと、素人ながら考えます。

4.この法律は、障害児・者の人間としての尊厳を奪いあげるものとして決して許してはならない法律であること

私は、保護者や関係者の方の発言や感想・意見からも、胸をうたれる様々なことを学びました。そのいくつかを紹介します。

〇「幼児期は、親も子もケアが必要です。心の負担、経済的負担など、二重、三重の負担を強いる制度、早期療育を後退させてしまうこの制度(障害者自立支援法のこと)の導入を許してはなりません。…この子を育てる中で、20歳になったら社会が責任を負うことになるんだ、それまでをがんばれば、親も子も将来それぞれが自立した人生を歩めるんだと、思いをもって夢をもって育ててきました。しかし、この障害者自立支援法案になるとどうなるんでしょうか。…今まで積み重ねてきた「福祉」ってどうなるんでしょう、これって「福祉」と呼べるのだろうか」

〇「通園施設の療育部分と食事の部分について言われていました。肢体不自由通園の場合には、機能訓練という医療行為が入ってきて3本立てになります。…車いすの場合でありますと、現在の標準評定価格で5万円、重症児になりますといろんな機能をつけていきますから20万円くらいまでは跳ね上がります。20万円になるとその1割でいきなり2万円です。」

〇「「受け止めきれない」「受け止めたくない」という時期の親御さんにとって、発達の遅れ、障害を前提とした利用契約制度・利用料負担というハードルは越えがたいものがあると現場の中で痛切に感じています。…利用契約制度・利用料負担というものが早期発見・早期療育を阻む要因になっている…。利用料の応益負担が導入されれば、ますますハードルが高くなっていく」

〇「この日本という国、今まではそんなに嫌いじゃなかったけど、なんとなく今、大嫌いになってきました。悲しいことだけど、福祉の貧しい国、子供が生まれてきて幸せになれない国、結局少子化していくのは当然なのかもしれない」

〇「我が子が障害を持って生まれて7年がたちましたが、…措置制度や補装具の応能負担という制度があったおかげで、我が家でも十分な療育を受けさせていただくことができました。もし、障害が分かったとき、この障害者自立支援法の制度だったら、この6年間と同じ療育を受けさせてあげられたかどうか分かりません。それに、そこまで負担しても療育を、と思えたかどうかも自信がありません。」

〇「障害が身近なものというのを全く考えてなく、また障害に関わる人たちを無視しているとしか思えませんでした。10年20年先でなく、目先のことしか考えられていないこの法案、また、この法案を作ったり通したりしたのが自分の住んでいる国にいることが残念でなりません。」

〇「お金がない人は生きていけない=死ねと言うことにつながってくる世の中では悲しい。」

〇「障害というのは、一生つきあっていかなくてはならないこと、…できることはしてあげたいと思ってきた。だけど、この法案が通ってしまったら、こんな親の思いも無視されていくように思う。」

〇「補聴器も買えなくなったら、どうなってしまうのでしょう?私たちは普通に生きていたいだけなのに、それもできないのはどういうことなんでしょう?」

〇「障害者はいらない、と言っているようなもので、本当に悲しいです。この法案を考えた人に直接話を聞いてみたいです。」

〇「障害があることは、単に施設を利用すれば足りるということでなく、生活の様々な面での支援が必要です。その一つ一つに1割の負担がかかることになります。1つの事柄だけではそうでもない負担であっても、それが生活のあらゆるところについて回るということになるのです。これが「障害」ということです。」

〇「当法人が運営している障害児通園(デイサービス)事業が、すでに支援費制度に移行して今年で3年目になりますので、1日現員払いが如何に運営を窮するか、身をもって知っています。」

〇「利用契約制度、応益負担、現員払い、障害程度区分のことなどどう考えても障害者本人やその家族が安心して暮らせる法律の内容ではありません。…これから自立していこうと本人や家族が一生懸命がんばっている状況を後ろ押しどころか、基盤となっている社会での保障の部分をひっくり返されたような今回の法律の内容に怒りを感じました。」

〇「私はこの社会が、難聴に限らず、体や発達に障害を持つ子どもたちやその親たちが、一人一人の人間として大切にされ、「生まれてきてよかった」と実感できる社会であってほしい。そして、自分も母親になるかもしれない一人の大人として、生まれてくる子の障害のことや経済的なことを心配せずに、安心して出産できる世の中であってほしいと願う。」

〇「生活が脅かされる、さらには生命までも脅かされる事態が起きるのかと思うと、ただごとではないと思います。特に、児童期においては、障害というくくりで、子どもたちをとらえることはとても難しく、精神的な重さがのしかかってきます。…子どもたちの支援、子どもを取り巻く方への支援が丁寧にされるべきだと感じます。その支援があることで、将来、子どもたちが障害を持ちながら生活していくための自立を促せると思いますし、それを支えていく方々の基盤をも作っていくことができると思っています。」

〇「人を不安にさせるような法律が法律といえるのでしょうか。誰がいつ障害者になるか分かりません。援助の必要な人たちが当たり前に生活できることが、すべての人が安心して暮らせる社会を作ることにつながると思います。」

〇「障害者自立支援法案で目指す社会は、なんと冷たい社会でしょうか。あたかも、たまたま障害を持って生まれてきた子どもたちが、障害をもっていることは親の責任だ、本人の責任だ、だから、自己責任でサービスを自分で選び、自分で負担せよといっているように聞こえます。…この子らは、どこで生きていけというのでしょうか。」

5.この法律の本質は、新自由主義を社会福祉の分野にまで押しつける悪法であること

私は、利潤を唯一最大の価値と見なし、その実現のためには市場原理をあらゆる分野に持ち込むことを主張する新自由主義は、人間の尊厳をもっとも大切な価値とする人権・民主主義とは根本的に相容れないものだと考えています。確かに経済生活を効率的に運営していく上で市場メカニズムを利用する場合があることは、私も認めます。しかし、福祉や教育の分野では、人間の尊厳を実現することを最大最重要な基準にしなければなりません。

私は、障害者自立支援法なるものは、福祉の分野に新自由主義を全面的に押しつけようとするものとして、教育基本法「改正」と同じ根っこのものとしての本質をもっていると思います。そもそも小泉「改革」とは、日本の社会生活の隅々まで新自由主義で作り替えようとすることに本質があります。障害者自立支援法はその原理を障害者の福祉の分野に当てはめようとする試みなのです。ですから、4.で紹介したような、とんでもない悪法なのです。

白石教授は、200億円の財源問題のためにこの法律があると言われるけれども、「200億円は国の予算の中の0.025%です。障害者は(国民の)5%以上いるのです」と指摘しました。障害者の家族を含めたら、もっともっと多くの国民が関係してくるはずです。それなのに、ろくな議論もしないで、数を頼んで法律にしてしまった政府・与党のやり方は、絶対に許すことができません。

在日米軍再編計画のために3兆円かけることが言われています。200億円対3兆円!!なんという不合理でしょうか。このようなでたらめに泣き寝入りすることなど、絶対にあってはならないことであると思います。

私たちは、あらゆる方法で、先にも提案したように裁判に訴えてでも、この法律を打ち破らなければなりません。みんなが「日本に生まれてよかったな」と心から思える国にするためには、障害者自立支援法を廃止させなければなりません。

RSS