米軍再編と憲法改悪

2006.03.01

*ある雑誌に寄稿した原稿です。字数をかなりオーバーしているので、このままでは掲載されないと思いますが、このコラムに寄稿したままの形で載せておきます。在日米軍再編計画がアメリカの世界戦略における不可分の一環であることについてはこれまでにも言及してきたことですが、そのことを日本国内において流布されている北朝鮮脅威論、中国脅威論の虚構性と関連づけて論じている点に注目していただけたら幸いです。また、簡単に政府による「解釈改憲」の系譜についてもまとめておきましたので、この点についても目をとめていただけたらと思います(2006年3月1日記)。

1.ブッシュ政権の先制攻撃戦略と米軍再編

米軍再編問題の本質を認識するためには、ブッシュ政権の先制攻撃戦略を理解することから始めなければならない。

米ソ冷戦終結後のアメリカにとっての最大の課題の一つは、アメリカの擁する圧倒的な軍事力をどうするかということにあった。「平和の配当」論などもあったが、クリントン政権はなんら手を付けないまま、宿題をブッシュ政権に引き継ぐ結果になった。

2006年2月に出された「4年ごとの防衛見直し」(以下「QDR」)の序文には、ブッシュ政権がこの問題に早くから取り組もうとしていたとする内容がある。ブッシュ政権までのアメリカは冷戦の勝利にまだ浸っていたが、政権についたブッシュは早くから、21世紀の時代状況を「思いもよらずどうなるか分からない時代」、「不意打ちと不確実な時代」と極めて疑い深い目で見ていた、とQDRは紹介する。ここには既に、世界を恐怖と不安に巻き込まないではすまない認識がのぞいている。そしてブッシュは、米軍のあり方について見直しを行うよう国防省に指示し、9.11事件は、その見直しの急務であることを思い知らせたと、QDRは指摘しているのである。

米ソ冷戦時代のソ連という目に見える具体的脅威に変わって、2001年のQDRが打ち出したのは、「恐怖という目に見えない脅威」だった。今回のQDRでは「新しいとらえどころのない敵」とも表現している。簡単に言ってしまえば、アメリカがこれから立ち向かう脅威・敵とは「お化け」である。いつ、どこで何を仕掛けてくるか分からないお化けに対しては、ありとあらゆる可能性に対して軍事的に備えなければならない、という発想が出てくる。この発想は、際限のない軍事力拡大を正当化する主張につながる。つまり、将来にわたりアメリカは世界最強の軍事力を維持しなければならないという結論である。

今回のQDRの冒頭の文章は、「アメリカは長期戦に入った国家である」で始まっている。世界最強の軍事力を持つ国家がお化けに対して長期戦の構え、ということは、21世紀は戦争の世紀と言い放っているに等しい。

「恐怖」というお化けには、国際テロリズムだけでなく、テロリストとつながる(とアメリカが決めつける)「ならず者国家」(「圧政国家」とも。イラン、北朝鮮など)が含まれる。さらにアメリカは、名指しこそ控えているが、急速に実力を付けつつあり、将来的にアメリカに立ちはだかる可能性をもつ(とアメリカが警戒する)中国をお化けの中に含めていることは、QDRの記述を丁寧に読めばすぐに理解できる。

ちなみに、本来犯罪として警察的に対処すべきであって武力行使の対象でないテロリズムまで一括りにして、軍事的対応しか考えられなくなっているところに、アメリカの異常性があることを知っておく必要がある。

このようにいつ、どこで、何を仕掛けてくるか分からないお化けに対決する上で、相手の攻撃を待って受け身で戦うのでは被害が大きくなってしまう。それよりも、相手を見つけ次第、機先を制して攻撃を掛けて始末する、という先制攻撃戦略が重視されることになる。

ちなみに、先制攻撃はブッシュの専売特許ではない。例えば、1981年にイスラエルがイラクの原子力発電所を破壊する先制攻撃を行ったことはよく知られている。また、クリントン政権の時代にアフガニスタンのアルカイダの基地に対して巡航ミサイル攻撃を行ったケースも、ケニアのアメリカ大使館に対する攻撃(アルカイダによるものとされる)への報復としてはいたものの、やはり先制攻撃の部類に入るとされる。ただし、上記のケースにおいては、イスラエルもアメリカも自衛権の行使と自らを正当化する主張を行った。

ブッシュ政権の先制攻撃戦略を特徴づけるのは、自衛権の行使という国際法的合法性にこだわる姿勢が欠落している点にある。ブッシュが好んで使う「善玉」か「悪玉」という基準で区別し、悪玉に対してはアメリカがどんなことをしてもいいのだという発想が特徴である(アブグレイブやグアンタナモなどにおける容疑者に対する拷問、虐待にも、悪玉には人権を認めないとする発想がある)。

それでは、この先制攻撃戦略と地球規模の米軍再編とはいかなるかかわりがあるのか。これまでの議論を踏まえていえば、次のようにまとめることが出来る。すなわち、いつどこで何を仕掛けてくるか分からないお化けに対して、世界のあらゆる地域に迅速に戦力を投入して相手の機先を制した戦争を行うことを可能にしなければならない、ということである。QDRでは、米ソ冷戦時代の守備的な「静」の軍事力配置から、敏捷性を最大限に発揮する「動」を重視した再編を行うとしている。

この再編のための見直しは、2003年11月25日にブッシュ大統領が出した「アメリカの軍事態勢の見直しに関する声明」で開始された。声明では、「本日より、米国は、米議会、我々の海外の友好国、同盟国、そして協力国と、海外における米軍の態勢についての見直しに関する協議を強化する」と述べた。そして2004年8月16日の同大統領演説は、「米国政府は同盟国及び米国議会と軍事態勢見直しにつき協議を進めてきた」とし、「本日、米軍の海外への展開に関する新たな計画を発表したい。今後10年間で、より迅速でより柔軟な部隊を展開する考え」とした。

容易に分かることだが、日米安全保障協議委員会(以下、「2+2」)の2005年2月19日及び10月29日の会合は、以上のアメリカ側の動きを受けた在日米軍再編計画にかかわるものである。2001年のQDRでは、中東から朝鮮半島に及ぶユーラシア大陸の南部を「不安定の弧」と位置づけ、米軍の関与を強めることが必要な地域としたが、日本は不安定の弧の東端に位置する軍事的要衝である。世界規模の米軍再編は日本の全面的協力なしでは成り立たない、といっても決して過言ではない。

在日米軍再編に密接にかかわるのは、不安定の弧にすっぽり収まっている朝鮮半島及び中国の問題である。というのは、在日米軍再編計画は、朝鮮民主主義共和国(以下「北朝鮮」)及び台湾海峡をめぐる中国との間の有事(戦争)を強く意識しているからである。

北朝鮮に対するブッシュ政権特にネオ・コンと呼ばれる勢力の狙いは、金正日体制の転覆(「レジーム・チェインジ」)にある。つまり、先制攻撃戦略遂行の対象という位置づけである。在韓米軍についても再編計画が進行中であるが、その狙いは、世界規模での再編としての一面に加え、先制攻撃の戦争をしやすくする一面をも忘れてはならないと思う。

従来の在韓米軍は38度線に沿って展開しており、北朝鮮からの侵攻に対する抑止力と位置づけられてきた。北朝鮮が戦争に訴えた場合、在韓米軍は犠牲になる。その犠牲をアメリカが見逃すわけはなく、北朝鮮に対する徹底した報復攻撃が行われる。その事態が確実である以上、北朝鮮は攻撃そのものを思いとどまらざるを得ない。

しかし、在韓米軍が韓国南西部に集中することにより、対北朝鮮抑止力としての意味はなくなる。むしろアメリカとしては後顧の憂いなく(つまり米軍に犠牲を生むことなく)、北朝鮮に対して先制攻撃の戦争を仕掛けることが可能になる。今回のQDRでも、「アメリカは、…必要であれば軍事力を行使する。このため、国家(筆者注:北朝鮮に読み換えよ)の大量破壊兵器の能力や計画について、その所在を突き止め、…破壊する大量破壊兵器絶滅作戦が重要となる」と露骨である。

ここで補足する必要があるのは、日本で盛んに流布されている「北朝鮮脅威」論についてである。上記QDRの記述にも明らかなように、アメリカは北朝鮮が侵略戦争に訴えた場合に対抗して始まる戦争シナリオなど考えてもいない。あくまで先手をとるのはアメリカだ。ところが日本国内では、拉致問題、不審船問題などを引き起こす訳の分からない不気味な北朝鮮というイメージばかりが増幅され、北朝鮮に対する備えは必要だ、そのためにはアメリカとの軍事的協力も必要だ、という主張が説得力を持っている。在日米軍再編に協力するのは当然だ、憲法第9条が妨げになるなら変えるのもやむを得ない、などという主張の正当化材料に使われるわけだ。

しかし、北朝鮮が先手をとって戦争を起こすという前提そのものが虚構だ。あり得るのは、アメリカの先制攻撃に対して北朝鮮が精一杯の反撃(自衛権行使)をし、そのあおりが日本に及ぶ場合だけである。「2+2」の2005年10月29日の報告にいう「周辺事態が日本に対する攻撃に波及する可能性のある場合」だ。アメリカをして北朝鮮攻撃を思いとどまらせさえすれば、「日本に対する攻撃に波及する可能性」などあり得ない。私たちは、「北朝鮮脅威」論の虚構性を見抜き、それを口実に在日米軍再編、日米軍事同盟の強化さらには改憲に走ろうとする政治の流れを押しとどめなければならないことを知る。

「中国脅威」論についても同じである。アメリカが想定している事態は、台湾海峡の緊張を原因とする米中戦争である。今回のQDRには次の記述がある。「中国の軍現代化は、台湾有事シナリオに対する軍事的な選択肢の幅を広げるという中国指導部の要求に応じて、1990年代中頃以後加速している。中国の軍事力増強は、既に地域の軍事バランスを危うくしている。」つまり、アメリカが念頭に置いているのは、台湾が独立に走る場合(アメリカと日本は台湾の側に立つ)に、それを認めない中国との間でエスカレートする軍事的緊張であり、米中戦争のシナリオだ。

ここでも日本国内で盛んに喧伝されている「中国脅威」論との比較的検証が必要になる。

日本国内では、大国化する中国の日本に対する軍事的脅威が盛んに強調される。しかし、アメリカが重視しているのは台湾海峡の軍事バランスという限定的視点である。ここでも、台湾を中国から切り離すことに最大の関心があるアメリカ(及び日本)の政策(中国からすれば、これこそ内政干渉に他ならない)さえなければ、台湾が暴走する可能性はなく、したがって米中軍事衝突も起こりえない。

日本に対する攻撃があり得るのは、アメリカが台湾問題に軍事干渉し、米中軍事衝突がエスカレートして、中国が米軍基地のある日本をも反撃の対象にする場合だけである。再び「2+2」の2005年10月29日の報告にいう「周辺事態が日本に対する攻撃に波及する可能性のある場合」だ。しかし、そのことが国民に明らかになれば、在日米軍再編、日米軍事同盟強化を進めることも改憲もむずかしくなるから、盛んに「中国脅威」論を煽るということになっているのだ。

要するに、「北朝鮮脅威」論も「中国脅威」論も、改憲を視野に納めた日米軍事同盟強化路線(在日米軍再編はその重要な一部)を正当化するための虚構である。私たちは、その虚構性を正確に認識し、その虚構の上にのみ成り立っている在日米軍再編計画を含めた日米軍事同盟の変質強化に反対しなければならず、日米同盟を米英同盟並みにする(日本を「戦争する国」にする)ための改憲に強く反対しなければならないのである。

2.憲法改悪問題への補足的視点

以上に述べたことからだけでも、米軍再編問題と憲法改悪問題との間に密接な関連性があることは理解されると思うが、もう少し第9条に即して改憲問題の危険性に関する問題意識を深めておきたい。

日本の戦後政治において、対米軍事協力を進めるために、自民党を中心とする日本の保守勢力は、第9条の「解釈改憲」の手法を繰り返してきた。

1946年の憲法制定議会では、「近年の戦争は多く自衛権の名に於いて戦われた」とし、そういう権利を認めることが「戦争を誘発する所以」と言い切っていた吉田首相が「自衛力を他力本願で考えるようなことがあっては相ならぬ」と態度を翻したのは、早くも1951年だった。そして、憲法が禁じる「戦力」とは「自衛のための必要最小限度を超えるもの」との理屈で、自衛隊を合憲としたのは1954年だった。

在日米軍については、憲法第9条第2項にいう「保持」とは「我が国が保持の主体たることを示す」のであって、在日米軍は、「我が国を守るために米国の保持する軍隊であるから憲法第9条の関するところではない」としたのは、早くも1952年だった。また日米安保条約の合憲性が争われたいわゆる砂川事件では、1969年の最高裁判決が「その内容が違憲か否かの法的判断は、その条約を締結した国会の高度の政治的・自由裁量的判断」によるものとして、憲法判断を回避した。

解釈改憲はさらに続く。1980年には、「武力行使を目的で自衛隊を海外に派遣する」か否かによって、武力行使を目的とする違憲の「海外派兵」と武力行使を目的としない合憲の「海外派遣」とを区別した。この解釈によって、1992年の自衛隊のカンボジアへのPKO派遣が合憲とされた。

また、集団的自衛権の行使は政府の解釈でも違憲とせざるを得ないのだが、「武力行使と一体化するかしないか」という理屈を持ち込んで、一体化するものは集団的自衛権の行使に当たるから違憲だが、一体化しない場合には憲法違反には当たらないとして、アフガニスタンでの戦争において、多国籍軍に対する海上自衛隊の洋上支援を正当化したのは2001年のテロ対策特措法においてである。

そして解釈改憲が最後に行きついたのは、「戦闘地域か非戦闘地域か」という区別により、非戦闘地域での活動では武力行使しないから憲法違反とならない、として強行された2003年のイラクへの自衛隊派遣であったことは、今なお記憶に新しい。

しかし、以上の解釈改憲によってもどうしても越えられない制約がある。政府の憲法解釈でも、海外派兵、集団的自衛権行使そして武力行使は現行憲法の下では違憲とせざるをえないことがそれである。そして、そこにこそ第9条改憲を実現しなければならない改憲派の本当の理由がある。

自民党の新憲法草案では、「自衛軍は、…法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」とする規定を置いている。

「国際協調」は、アメリカによるイラク戦争に対して協力することを正当化する際に盛んに使われた。集団的自衛権よりはるかに広義の意味で使われていることは明らかで、このような規定が盛り込むことで、アメリカが行う先制攻撃の戦争に日本が参戦することを可能とさせる魂胆が透けて見える。そこには、海外派兵、集団的自衛権行使そして武力行使という制約をすべて取り除くことに狙いがあることは明らかだ。

改憲案の文言・表現は、今後も変化する可能性がある。しかし、日本を正真正銘の「戦争する国」に変える決意は変わるはずはない。私たちは、平和憲法の国際的・歴史的存在理由を明らかにして、改憲派の狙いを阻止することに全力をあげなければならないことを改めて確認しておきたい。

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