憲法に関する所感

2006.03.12

*以下の文章は、ある雑誌からの寄稿を依頼されて書いたものです。「憲法と私」という表題のもとで自由に所感を述べるということでしたので、最近感じていることを簡単にとりまとめました。最初の「私にとっての憲法」と題する部分は私事にかかわることで、はじめて記すことですが、「国際スタンダードの日本国憲法」、「私たちの課題」と題する部分は最近伺う集会で私が強調してお話しすることのエッセンスをまとめたものです(2006年2月16日)。

*原稿を送ったところ、かなりの書き足しの依頼を受けましたので、いろいろなところを見直しました。その書き直したもので置き換えることにします(2006年3月12日記)。

1.私の憲法とのかかわり

私にとっての日本国憲法ということですぐ頭に浮かぶことは、時間的に三つの区切りがあったということである。幼いながらに物事に対して問題意識を持ち出した中学生時代から大学時代までの約10年、外務省にいた25年、そして大学の世界に身を置いてから現在に至るまでの20年弱である。

大学時代までの私は、深く憲法について考えるということはなかったが、自民党政府の下で憲法の空洞化を進めようとする力が働いていることは意識したし、それを許してはならないという気持ちは強かった。1960年に大学に入ってすぐ反安保闘争を支持し、連日のデモに参加したのは、そういう私にとってごく自然なことだった。日米安保は平和憲法とは両立し得ない存在であり、従って認めてはならないという素朴な確信は高校時代からのものだった。

私が外務省を目指したのは、宗旨替えして権力にあこがれたからではない。東大での学生生活にまったく魅力を感じなかったこと、お金儲けの仕事は性に合わず、アジアにかかわる仕事をしてみたいという気持ちがあったらしいこと(定かではない)、何よりも兄が外務省を志望して何度も失敗していたので、そんなにむずかしい試験なら一度挑戦してみるかという気持ちになったことなどの複合作用の結果だった。

私の平和憲法に対する思いは、外務省時代に確実に高まっていった。私は職場にも上司にも恵まれたが、私のいた頃でも既に外務省の中には、日米友好が日本外交の出発点・前提であり、日本外交の選択肢の一つとして議論しようとすることすらはばかられる雰囲気が支配していた。私はこの雰囲気にはどうしてもなじめなかった。私は条約関係の仕事をしていた関係もあって、外務省時代は、衆議院外務委員会の野党筆頭理事であり、護憲派の代表的存在だった社会党(当時)の土井たか子氏と公私にわたりよく接する機会があったが、この頃から平和憲法に基づく日本外交のあり方を真剣に考えるようになっていった。

いわゆるチャイナ・スクールに属していた私には、日米関係を担当する部署で働く機会などあろうはずもなく、私が外務省時代に暖めた日本外交についての考えをはじめて世に問うたのは、文部省(当時)に出向して東大教養学部教員の立場で書いた岩波新書『日本外交 −反省と転換−』(1989年)であった。直接には憲法にかかわるものではなかったが、私の問題意識の基礎には憲法に基づく平和外交はどうあるべきかという視点が明確にあった。幸いにして私にとって処女作であったこの本は、13刷りまで版を伸ばした。この記録は、私が出した本の中で今もなお最高である。

1990年の湾岸危機・戦争以後、日本は「軍事的国際貢献」論を皮切りに、国際紛争に軍事的に足を踏み込む動きが急速に強まり、それとともに憲法第9条に対する「解釈改憲」が矢継ぎ早に行われ、さらには憲法「改正」の声も強まってきた。私は、湾岸危機・戦争からPKO法までの約2年間、ある民放テレビ局のニュース解説を務める機会(週1回)があり、厳しい政府批判を行ったが、私の発言にはかなりの反響があった。同時にこの機会は、私自身が憲法問題について本格的に考えることにもつながった。もちろん私は憲法学者でもなんでもないのだが、今日まで、上記新書を含め23冊の本(ブックレットを含む)を出している(私のHPから)なかで、憲法問題とかかわりがないものはない、といっても誇張ではない(1冊だけ中国に関するものがあるが、それとても、私の問題意識では、深いところで憲法問題につながっている)。

2.国際スタンダードの日本国憲法

私は最近、伺う集会で必ずといっていいほど「国際スタンダードの日本国憲法」ということについて話すことにしている。これはもちろん、改憲論者が「平和憲法はもはや古くさい、時代遅れだ」という主張を念頭に置いて、その主張はまったくの的外れであることを明らかにするための私なりの切り口である。

二つの論点がある。一つは人権・民主主義及びそれとの関係での国家観にかかわるものであり、もう一つは平和観にかかわるものである。

第二次世界大戦は、全体主義と民主主義との雌雄を決する闘いという性格を帯びており、民主主義陣営が勝利を収めることにより、人権・民主主義は普遍的価値として各国が実現すべきものとして受け入れられることになった。このことは、国家観とのかかわりでいえば、全体主義が代表する「国家を個人の上に置く」国家観が最終的に破産し、民主主義が代表する「個人を国家の上に置く」国家観が国家のあり方を基礎づける見方としての地位を確立したことを意味する。

日本国憲法は、日本に対して徹底した人権・民主主義国家に生まれ変わることを要求したポツダム宣言における国際的約束を履行する産物としての本質を有する。そういう意味において、日本国憲法は徹底して人権・民主主義の実現にこだわり、国家観とのかかわりにおいても、徹底した「個人を国家の上に置く」国家観の立場に立っている。この憲法を守ることは、ポツダム宣言に基づく戦後国際秩序を尊重するということである(逆に言えば、自民党新憲法草案に代表されるような「国家を個人の上に置く」国家観の復権を目指す動きは、第二次世界大戦後に成立した国際秩序を覆すものに他ならない)。

21世紀の国際社会は引き続き国家を主要構成員とする社会である、という本質には変化はないであろう。そういう歴史的展望に立てば、全体主義国家から民主主義国家に生まれ変わることの見本を示しているという点で、日本国憲法は、多くの途上国を含めた国際社会にとっての有力な指針としての地位を占めている、という意義も忘れてはならないと思う。

次に、日本国憲法なかんずく第9条が拠って立つ「力によらない」平和観は、21世紀の国際社会が目指すべき方向性を示す指針である。21世紀国際社会の課題は、国家単位では今や普遍的価値として認められるに至った人権・民主主義の国際化、つまり国際民主主義の実現にある。日本国憲法前文は、そういう方向を目指す国際社会において、日本が名誉ある地位を占める強い決意を表明した画期的なものである。人権・民主主義の国際化、国際民主主義の実現にかかわる基本原則(独立国家の主権尊重、主権国家の対等平等、内政不干渉、戦争禁止・紛争の平和的解決)は国連憲章に盛り込まれているが、ここで認識すべき重要なポイントは、「力による」平和観を代表する権力政治の立場と国際民主主義とは根本的に相容れないということである。人権・民主主義の国際化、国際民主主義の実現は、「力によらない」平和観が支配する国際関係の下においてのみ可能となる。

自ら「力による」平和観に基づく侵略戦争・植民地支配によって国際社会に多大な被害を与えたことに対する真摯な反省に立って、二度と加害者にならないことを誓ったのが、「力によらない」平和観の第9条である。この第9条こそが、21世紀国際社会のよって立つべき平和観をも指し示している。「力によらない」平和観を徹底して貫く大国・日本は、「力による」平和観に固執して21世紀国際社会に深刻な混迷と不安を持ち込んでいるアメリカに対する有力な対抗軸として国際関係をリードするべき崇高な役割を担っているということにまで、私たち日本人の憲法意識を高める必要がある、と私は確信する。

3.私たちの課題

以上のように、日本国憲法は、国家観及び平和観のいずれについても、非常に明確かつ重要な21世紀の国際社会にふさわしい内容を提起している。しかし、そのメッセージを私たちは明確に認識しているとは言えない。近年の改憲攻勢に対して私たちがともすれば受け身に追い込まれる根本原因は、私たちに国家観が欠如しており、また、平和観が曖昧になっていることにあると私は思う。

日本は、ドイツと異なり、アメリカの対日占領政策(昭和天皇の戦争責任免除、多くの戦犯の追放解除を含む)もあって、全体主義国家との絶縁、真の人権・民主主義国家としての再生が阻まれた。その結果、多くの国民には、国家の戦争政策によって被害を被ったという被害者意識、過去を引きずる戦後保守政治が独占してきた国家に対する違和感・嫌悪感のみが増幅される結果になった。日本国憲法の「個人を国家の上に置く」国家観は、敗戦によって人権・民主主義をいわば「上から」与えられたとしか受け止められない多くの日本人にとって、今日なお無縁のままである。しかし、この国家観を備えることなしには、いかなる憲法論の展開も不可能である。なぜならば、憲法こそは権力規制規範としての本質からいって優れて「個人を国家の上に置く」国家観を身につけた主権者・国民の存在を前提にしており、そうであるが故に私たちは早急にこの国家観を身につける必要があるからである。

平和観については事情が異なる。ここでの問題は、解釈改憲で積み重ねられてきた第9条の空洞化、既成事実の積み重ねによって第9条の中身がなし崩し的に損なわれることに対して私たちが強力な反撃・抵抗ができないできたのみならず、いつの間にか既成事実化された諸現実(自衛隊合憲、在日米軍の違憲性否定、自衛隊の海外派兵合憲化、日米軍事同盟の偏執狂か等々)に第9条を「合わせる」考え方に染めさせられてきたことにある。その点について重大な責任がある社民党が憲法についての立場を再び明確にしたことは、私たちの曖昧な平和観を立ち直らせる重要な刺激の一つとなるかも知れない。「力によらない」平和観に対する確信を取り戻すことが、私たちにとって緊急な課題になっている。

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