有事法制、在日米軍の再編強化そして改憲

2005.01.10

*以下は、2005年1月5日に私が所属している全国民主主義教育研究会(全民研)の中間研修会で発言したものの大要です。これまでに、このコラムで紹介してきたことのダイジェスト版という位置付けでしょうか。全民研の機関紙編集部が「話し言葉」で訴えた内容を活字にしてくれましたので、私が考えていることが読んでくださる方によりリアルに伝わるか、と思い、このコラムにも掲載することにしました。全民研は、学校の先生が主な会員ですので、文中には、そのことを意識した発言もありますが、このコラムを読んでくださる方には、そのことを踏まえて読んでいただければ、それほど違和感はないと思います(2005年1月10日記)。

私に与えられた課題は、「ここが聞きたい、イラク戦争・安保・有事法制」ということでしたが、二日目にイラクの問題を集中的に議論されることになっていますので、私が屋上屋を架するお話をすることもないと思い、安保・有事法制・憲法の話に集中したいと思います。

ただ、イラクの問題は後でお話するアメリカの世界戦略との関わりで非常に重視すべき問題であることは言うまでもないことで、一言だけ申し上げておけば、アメリカのブッシュ第二期政権運営はこのイラク情勢の帰趨如何に関わるところが大きいだろうと思います。そういう意味でこの一月末に何としてもブッシュ政権が実現したいと思っている選挙が行われるかどうか、また行われて果たして安定的な政府ができるかどうかというところが今後のアメリカの世界政策に大きな影響を与えるだろうと考えます。おそらくうまくいかないだろうと私は思っているのですが、仮にうまくいけば中国問題や北朝鮮問題に対するアメリカのより攻撃的な政策が出てくる余地が生まれてくるでしょうし、逆に私が予想するようにイラク情勢がさらに混迷を深め、アメリカが泥沼に陥っていくということになれば、アメリカとしてはますます余力がなくなりますから、台湾問題とか北朝鮮問題に対して力をふり向ける余裕がなくなるだろうと思います。

ただし、日米軍事同盟に関しては、おそらくイラク情勢の推移如何とはかかわりなく、その再編強化の方向にむけて物事はさらに進んでいくだろうということだけを申し上げておきたいと思います。

最初にお話ししたいのは「国民の保護に関する基本指針」についてです。これは何かというと、後で申し上げるいわゆる「国民保護法制」を受けて政府がこれからどういうことをするかという方針です。新聞報道によると翌日の二〇〇四年一二月一五日付朝日新聞の社会面で、発表と同時に政府は都道府県の担当者に説明会を行ったと報道されております。

いろいろな愕然とする内容がありますが、そのひとつは、指針が想定するゲリラ・特殊部隊による攻撃の態様ということです。攻撃の態様に関しては「事前にその活動を予測あるいは察知できず、突発的に被害が生ずることも考えられる。そのため、都市部の政治経済の中枢、鉄道、橋りょう、ダム、原子力関連施設などに対する注意が必要である」、そして「攻撃目標となる施設の種類によっては、二次被害の発生も想定され、例えば原子力事業所が攻撃された場合には被害の範囲が拡大する恐れがある。また、汚い爆弾が使用される場合がある」というようなことが書いてあります。それに関する留意点として「ゲリラや特殊部隊の危害が住民に及ぶ恐れがある地域においては、市町村と都道府県、都道府県警察、海上保安庁及び自衛隊が連携し、武力攻撃の態様に応じて、攻撃当初は住民を屋内に一時避難させ、その後、適当な避難地に移動させる等適切な対応を行う」というようなことをきわめてドライな表現で書いています。このゲリラ・特殊部隊による攻撃というのは後で申し上げますが、北朝鮮による日本に対する反撃としての活動と想定しているのは明らかです。

次に、指針が想定する弾道ミサイルによる攻撃の態様として(弾道ミサイルが飛んでくるというのは中国と北朝鮮ですが)、その攻撃の態様は「発射の徴候を事前に察知した場合でも、発射された段階で攻撃目標を特定することは極めて困難である。さらに、極めて短時間でわが国に着弾することが予想され、弾頭の種類(通常弾頭であるか、NBC弾頭であるのか)を着弾前に特定することは困難であるとともに、弾頭の種類に応じて、被害の様相及び対応が大きく異なる」としています。NBCとは核・生物・化学兵器のことです。その際の留意点としては「屋内への避難や消火活動が中心となる」、「当初は屋内避難を指示するものとし、弾道ミサイル着弾後に、被害状況を迅速に把握した上で、弾頭の種類に応じた避難措置の指示を行う」と書いてある。

要するに、ゲリラ・特殊部隊による攻撃、弾道ミサイルによる攻撃があることを当然のごとく想定していること、しかし、それに対する国民保護といわれるものの中身については、屋内に一時避難させてその後適当な場所に避難させるというようなお粗末な内容しか書いていないということです。国民を見殺しにするということがありありと分かる内容になっています。

「指針がNBC攻撃の場合に想定する事態」という箇所では、核兵器、生物兵器、化学兵器のそれぞれについて詳細な記述があります。

核兵器については、非常に詳細にどういうことが起こるかをリアルに書いています。私がここで言葉を失ったのは次のことです。広島・長崎の原爆の被害を受けたわが国は被爆国家として核廃絶を訴える立場にある。政府も公式の立場としてはそれを言っている。その政府がこういう公の文書の中で、公然と広島・長崎のケースを明らかに念頭において、第二の広島・第二の長崎を当然あり得るものとして書いているというその感覚です。これには恐れ入るしかありません。

生物兵器についても「生物剤は、人に知られることなく散布することが可能であり、また発症するまでの潜伏期間に感染者が移動することにより、生物剤が散布されたと判明したときには、すでに被害が拡大している可能性がある」、「ヒトを媒体とする生物剤による攻撃が行われた場合には、二次感染により被害が拡大することが考えられる」、「したがって、厚生労働省を中心とした一元的情報収集、データ解析等サーベイランスにより、感染源及び汚染地域を特定し、感染源となった病原体の特性に応じた、医療活動、まん延防止を行うことが重要である」と書いている。

同じように化学兵器については、化学兵器の特性を記した上で、風上の高台に誘導するという対策が書いてある。

生物化学兵器攻撃の際の住民避難の内容も、ほんとうに子供だましという以外のなにものでもない。例えば「避難住民を誘導する際には、風下方向を避けるとともに、皮膚の露出を極力抑えるため手袋、帽子、ゴーグル、雨ガッパ等を着用させること、マスクや折りたたんだハンカチ等を口に当てさせることなどに留意する」と平然と書いているのです。

こんな付け焼刃の対応しか書けないということは、要するに、こうしたNBC攻撃があった場合、国は私たち国民を完全に放置するということを、この政府の文書は間接的ながら認めているのです。しかし、それでも戦争をやるという結論が先にあるところに彼らの考え方の恐ろしさがあります。

もうひとつ加えておきたいことは、武力攻撃による原子力災害の事態が書いてあることです。それは、先ほど申しましたゲリラ攻撃などによって原発などに攻撃があった場合を特に取り上げているのです。原子力事業所というのは、たとえば原発などを考えていただければいいのですが、「原子力事業所周辺地域における住民の避難については、次のような措置を講ずるものとすること」として、発生するおそれがある場合は屋内避難を指示する。発生した場合はコンクリート屋内等への屋内避難を指示する。あるいは他の地域への避難を指示する」と、都道府県の担当者たちは聞いていてあきれ返ったのではないかということしか書いていないのです。

このように、ゲリラやミサイルによる攻撃と関連して、特に核物質だとか化学剤、生物剤を伴った攻撃が行われた場合どうなるかということにこれだけ関心が払われているということは、まさにこういう攻撃を政府として一番警戒していると、端無くも表したものだろうと思います。

その他にもこの基本指針はいろいろ問題点があります。

ひとつは基本的人権との衝突ということです。基本的人権との衝突という問題は、武力攻撃事態対処法と「国民保護法制」の内容を受けています。すなわち指針は、基本的人権を尊重すると一応書いているのですが、基本的人権の尊重の中身として書いてあるのは、「救援のための物資の収用及び保管命令、救援のための土地、家屋及び物資の使用、警戒区域の設定による退去命令等の実施に当たって、国民の自由と権利に制限を加える場合には、・・・公用令書の交付等公正かつ適正な手続きの下に行うよう努めるものとする」ということです。「努める」のであって「やらねばならぬ」とは書いていないのです。有事に際しては、基本的人権を蹂躙することが浮き上がっています。

さらに、そういうことに対して、当然国民から損失補償や不服申立てや訴訟が起きることが考えられます。一言付け加えれば、そこにこそ私たちが憲法違反である武力攻撃事態対処法と国民保護法制と基本指針に対して、国民的な規模で違憲訴訟の大波をひき起こす手がかりがあるということを確認しておきたいと思います。そういう事態を政権も予知した上で「国民保護計画等により、これらの手続きについて迅速な処理が可能となるよう、担当部署を定め、具体的な状況に応じて必要な処理体制を確保するよう努めるものとする」により、彼らも対応を今から意識していることが見て取れるというのがここでのポイントです。

次に、地方公共団体にとっての試練という問題です。「国民保護」といわれるものの担い手となるのは、主に国ではなくて都道府県・市町村といった地方公共団体であることは、武力攻撃事態対処法と「国民保護法制」の段階で分かっていたのですが、この基本指針ではさらにその点を露骨に具体化しています。そのことを示す内容はいっぱいありますが、たとえば「地方公共団体と自衛隊は、防災のための連携体制を活用しつつ、NBC攻撃による災害への対処その他武力攻撃事態等において特有の事項を含め、平素から連携体制を構築しておくものとする」といっております。この「平素から」というのは、いわゆる新ガイドラインの時から使われている特殊な表現ですが、要するに“戦時”に対応する“平時”というとことです。つまり地方自治体は、これから平時においても自衛隊と機密な連携体制を構築しておく、ということが明確に記されているのです。

さらに「相互の情報連絡体制の充実、共同の訓練の実施等に努めるものとする」とあります。地方自治体と自衛隊は共同訓練することが平時から予定されている、というところが重大なポイントだと思います。私たちはとかく、ゲリラあるいはミサイルの攻撃を受けたときに私たちへの影響が出てくると思いがちですが、有事になってから付け焼刃で動いても物事はどうにもなるものではなく、彼らの意図としては、平時での訓練が大事であるということが大きなポイントになっているのです。

次に、国民の動員という点に関しては、皆さんも巻き込まれる教育の場をも利用する動員ということが考えられていることが浮かび上がってきます。具体的には「国は、地方公共団体の協力を得つつ、パンフレット等防災に関する啓発の手段等も活用しながら、国民保護措置の重要性について平素から、教育や学習の場も含め、様々な機会を通じて広く啓発に努める」とあります。したがって、おそらく防災その他についてのパンフレットが教室に配られ、皆さんが子どもたちに「啓発」あるいは知識を教え込むことが強要されることになると思います。

住民の動員も考えられており、「国及び地方公共団体は、国民保護措置についての訓練を行う場合は、住民に対して、訓練への参加を要請するなどにより、国民の自発的な協力が得られるよう努める」とあります。「国民の自発的な協力が得られるよう努める」と書いてありますが、実は、「国民保護法制」の国会審議のときに、協力しない国民がいたらどうするかという質問をした民主党の議員に対し、政府の閣僚は、そういうときには国民は協力してくれるものだと私たちは期待しておりますと言って、要するに否応なく協力させる意思を明らかにしています。これからは防災訓練とか避難訓練とかが地方自治体によって行われると、自治会等を活用して住民の協力を確保するということになってくる。皆さんは日の丸・君が代で試練に遭われているわけですが、私たち一般の国民もそういう避難訓練に参加するかどうかということで踏絵を踏まされることになる。私たち一人ひとりが、「戦争する国」になる日本に対してどういう姿勢をとるかということが、現実の避難訓練への参加に対する態度決定という形をとって問われる日も遠くないことを考えていかなければいけないと思います。

基本指針の記述でさらに驚いたのは、「大都市における住民の避難に当たっては、その人口規模に見合った避難のための交通手段及び受入施設の確保の観点から、多数の住民を遠方に短期間で避難させることは極めて困難である」と正直に書いてあることです。確かにゲリラやミサイルの攻撃があったときには避難の仕様がないということで、見殺しということになるはずです。

さらに、「大規模な武力攻撃災害の発生に伴って多くの死者が発生した場合など、埋葬又は火葬を円滑に行うことが困難となった場合」ということを想定して、普通の火葬によることができなくなるので特例を設けるとあります。今回のスマトラ島沖大地震で緊急避難的に大量埋葬や大量火葬が行われているそうですが、そういうことを想定した規定も設けられているのです。

ざっとご説明しましたが、このように「国民の保護に関する基本指針」においては、これほどの内容が書いてあるにもかかわらず、これほど恐ろしい、再び日本が核攻撃の対象となることを公然の前提とした発想で物事がとり進められているということについて、はっきり認識している日本人はほとんどいないと思います。このままでいいのか、このまま押し流されていいのか、ということを是非とも考えていただきたいので最初に取り上げました。

次に、在日米軍の再編強化の原動力となるアメリカの世界戦略という問題ですが、私の判断として、保守勢力の改憲策動の根源、震源地となっているのは、ブッシュ政権が進めている日米軍事同盟体制強化を目指す動きと、それへの日本の積極的な参画のためには今の平和憲法が邪魔になるという彼らの判断があると思います。その点を理解するためにはブッシュ政権の先制攻撃戦略はどういうものか考えておく必要があります。

先制攻撃戦略そのものについては、きわめて大ざっぱな言い方を許していただければ、イラク戦争を見ていただければわかるように、根拠無くして勝手にアメリカが悪と決め付けた国・地域に対して、先制攻撃による戦争を仕掛けることを正当化する戦略と考えていただければいいと思います。国連憲章によって確立された国際法秩序においては、集団安全保障という国連が許可する武力行使及び一時的な緊急避難措置としての自衛権行使としての武力行使以外は、一般的に戦争・武力行使は禁止され、違法化されたわけですが、ブッシュ政権の先制攻撃戦略は、国連憲章に具体化された戦争違法化という国際法における発展を大きく逆戻りさせようとする意味を持っています。

問題は、そのアメリカの戦略に日本が無批判的に従っていこうというところにあるわけです。私たちは、イラク戦争だけを見ていると、しょせん対岸の火事と見がちですが、実はこの先制攻撃戦略は、イラクだけに適用されるものではなく、日本の安全保障とのかかわりでいえば、朝鮮半島問題、台湾問題においても適用されうるもので、非常に重大な意味を持っていることをご説明しておきたいと思います。

朝鮮半島については、最近アメリカが在韓米軍配置転換計画を考えていることについては、新聞報道等で皆さんもご承知かと思いますが、このことがアメリカの先制攻撃戦略と深い関わりがあることについてはほとんど言及されることがありません。確かに在韓米軍を数量的に縮小するということはありますし、そのことは在韓米軍の一部をイラクに派遣する必要上止むに止まれずとられた措置であるという面もありますが、先制攻撃戦略上の意味も確実にあると考えなければならないと思います。

今の在韓米軍は、首都・ソウルと北緯三八度線の間に配置されており、したがって一旦第二次朝鮮戦争がはじまれば、三万五千の在韓米軍は生贄になる。生贄になった場合、アメリカは北に対して必ず報復することを北朝鮮としても考えるがゆえに、先制攻撃することを控えざるを得ない。そういう意味で在韓米軍は抑止力として意味があると、アメリカ自身もこれまで説明してきたし、広く国際的にもそのように理解されてきました。

ところが今度の在韓米軍縮小計画によりますと、在韓米軍は全てソウル以南に配置換えすることになります。アメリカ側にすれば、アメリカが北朝鮮に先制攻撃をかけ、それに対して北朝鮮が報復攻撃をしても、それによって在韓米軍が直ちに被害を受けることはない。ということは、アメリカは安心して北朝鮮に先制攻撃をかけることができるという意味合いを持つことになります。したがって在韓米軍縮小計画は決してアメリカの軍事力縮小という観点で捉えるべきものではなく、むしろいざというとき、アメリカは後顧の憂いなく北朝鮮に先制攻撃をかけられるようにするための布石である、と見なければならない性格を持っています。

米中関係において先制攻撃戦略の占める位置をどう考えるのか、という問題も考えておく必要があります。一般に九・一一以降、米中関係は対テロ戦略における立場の共通性ということで関係が改善したといわれていますが、実は台湾問題という大きな棘があることはまったく変化はないわけです。むしろこの前行われた台湾の立法院の選挙で懸念されたように、台湾の独立を推進しようとする陳水扁の与党が勝利を収めていたならば、台湾は独立に向かって暴走するという現実的な可能性がありました。台湾が独立宣言をすれば、親台派が多数を占めるアメリカの議会、日本の国会が台湾独立を承認すべしと動くのは火を見るより明らかです。それに対して中国は軍事的な対抗処置をとることも必然視されることで、そこから米中戦争が勃発することが考えられる。そういう場合、アメリカが恐れているのは、中国の陸海空軍ではなくてミサイル戦力である。中国がミサイルの使用に踏み切った場合に有効に対抗する手立てがないのが最大の悩みである。だからこそ、日本とアメリカの間でミサイル防衛の共同研究開発計画が鋭意進められているのです。

したがってミサイル「防衛」という一見防衛的な性格をもった日米協力も、中国のミサイルを封じ込めることができるようになれば、アメリカは中国に対して圧倒的に軍事的な優位に立つ、したがって中国に対して先制攻撃をかけることも可能になるということで進められているのです。ミサイル防衛は技術的に非常に難しいので、私は簡単に実現するものではないし、むしろ夢物語だろうと思っていますが、しかし、日米政府がこのミサイル防衛計画に本気で取り組んでいることが台湾海峡情勢を危うくしていることは間違いないし、少なくともその意図がある限り、中国としては、アメリカから中国に対する先制攻撃の可能性を常に考えざるを得ない状況がある、ということを考えておかなければいけないと思います。

以上が中国関連で私たちが考えておかなければならない問題だろうと思います。ちなみに日本政府は李登輝訪日を認める行動をとりましたが、このことは、新防衛計画大綱の発表と相まって、非常に中国側を刺激していまです。中国としては、台湾の立法院の選挙で陳水扁与党が敗北し、一安心したわけですが、その直後に日本政府が李登輝という台湾独立派の巨頭の訪日ビザを発給するという、中国を挑発する行動をとったのです。しかも、そのことが新防衛計画大綱の発表を背景にして行われた。その新防衛計画大綱は、後で申し上げますが、非常に中国を意識したものになっており、日本がアメリカの対中対決的軍事戦略に積極的にのめり込んでいることを反映したものになっていることを理解しておいていただきたいと思います。

以上がブッシュ政権の先制攻撃戦略とアジア太平洋地域とのかかわりですが、その点をふまえた上で、先制攻撃戦略を推進する上でアメリカは日本をどのように位置付けているかという問題を考えたいと思います。その点については、在外米軍再編計画を見ることによって具体的な考え方を知ることができます。二〇〇四年八月一六日のブッシュ演説、同年九月二三日にアメリカ上院で行われたラムズフェルドの証言が材料を提供しています。

まず、八月一六日のブッシュ演説では「来るべき一〇年の間に、われわれはより機敏で弾力的な軍事力を展開する。すなわち、より多くの軍隊は国内に駐留展開する」と述べた後、「われわれは、軍隊及び能力の一定の部分については新しい地域に移転することにより、予想外の脅威(これにはテロだとかならず者国家とか、間接的には中国も入るわけですが)に迅速に対処するために殺到できるようにする」と一般的な方向性を出しました。

それをさらに具体化したのが、九月二三日のラムズフェルドの上院証言です。そこには日本という言葉は一度も出てきませんが、私たち日本のことを考えながら彼の発言を読むと、在日米軍再編強化と符合する認識が示されています。「われわれは、軽々にまた急激に防衛戦略の変更をすることを提案するものではない。これらの変更はこれからの六ないし八年をかけてつくられていく広範な戦略の一環である。仰々しい発表は行われないだろう。政府は、新旧の同盟国と様々なレベルで鋭意協議してきた・・・」。「新旧の同盟国」に日本が含まれているのは当然ですし、非常に長いスパンをかけて在日米軍再編強化が行われていく、あるいは日米軍事同盟の再編強化が行われていく方向性が出ているわけです。

特に次の発言は、私たちが日本の政府の対米従属姿勢ゆえにアメリカが日本を重視することになっていることが分かる発言になります。「われわれの軍隊は、望まれ、歓迎され、必要とされる地域に配置されるべきだ・・・」。まさに小泉政権がやっていることです。「第二のポイントは、米軍はその移動に対して好意的な環境のある場所に配置されるべきだ。・・・したがって、われわれが米軍を配置し、展開し、作戦することを選ぶ同盟国・友好国との間により弾力的な法的及び支援の取り決めを行うことを重視することが意味を持ってくる。・・・この取り決めによって、アメリカ及び同盟国の軍隊が、危機に際して、世界規模で迅速に展開できるようにしなければならないし、パートナーとわれわれとの間で責任と役割分担ができるようにしなければならない」。これはまさに、在日米軍の再編強化がこういう方向で進められていることを裏付けています。「第三のポイントは、米軍が活動でき、弾力的であることを許すような場所にいる必要があるということだ。」さらに「われわれは、ローテーション的に配備する戦力と前もって配備しておく資材を備えた前方作戦基地に依拠すること、及び米国の恒久的プレゼンスを伴わないより広範な施設にアクセスできることを希望する」というようなことが書いてあります。

たとえば米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移動はまさに、「ローテーション的に配備する戦力と前もって配備しておく資材を備えた前方作戦基地に依拠する」ということの具体化であることが分かります。「米国の恒久的プレゼンスを伴わないより広範な施設にアクセスできることを希望する」というくだりについては、去年の「国民保護法制」の中で取り上げられた、米軍支援法とか特定公共施設の使用に関する法律にかかわってきます。後者は、アメリカが使いたいとする空港、港湾、道路、電波などについて、全て日本側がアメリカに提供するとする法律です。つまり、恒久的プレゼンスの基地はないけれども、たとえば仮にアメリカが横須賀港だけでは足りないから、横浜港や東京港も軍事的に利用したいといえば、臨時的プレゼンスを可能にするということになります。ですからこれらの発言は、武力攻撃事態対処法だとか「国民保護法制」の重要な法律の内容を念頭におけば、その意味が分かってきます。

さらにラムズフェルドは、「日本及び韓国における施設及び指令部を強化し、特殊作戦部隊用の接続ポイント及び有事作戦の多角的なアクセスの経路を作り上げることを考えている」と言っており、ここでも韓国、日本が重視されていることがわかります。

以上のラムズフェルド発言を踏まえますと、要するにアジア・太平洋地域を重視する姿勢、対テロ戦略と言いながらも地域的にはアジア・太平洋地域が重視されることが分かってまいりますし、その中でも軍事的ハブとしての日本を重視する姿勢が明らかになってきます。それはつまり、在日米軍が世界戦略に対応して世界的な軍事作戦を行えるようにする、その拠点としての日本の位置付けということであり、従来の日米安保条約で想定されているアメリカ軍の役割とは完全に矛盾します。それは皆さんもご承知のように、日米安保条約は日本を防衛する第五条に主旨があったわけです。その見返りとして、条約の第六条でアメリカ軍が極東において行動することについて日本が基地を提供するということまでは書いてありますが、それ以上のことは言っていません。しかしラムズフェルト発言やブッシュ発言を見る限り、アメリカの政策における日本の軍事基地は、もはや日本防衛ではなくて、世界的に軍事作戦を展開する上での基地として考えているということです。

このような変質は日米安保体制の枠組みを逸脱しますし、日米安保条約では説明がつかないことになるのです。実はあまり気がつかれていませんが、二〇〇四年一一月一二日付朝日新聞の記事があります。そこには米軍再編をめぐる外務省見解全文が載っています。それによると、その問題について外務省としてどのように公的に説明するかについて苦慮したということがあって、「在日米軍基地を使用して米軍がわが国、極東の安全に寄与しているという実態を実質損なわない限り域外のための活動も差し支えない」という苦し紛れの見解を出している。要するに日米安保条約はいじらない、いじりだしたらたいへんなことになる。国内が大騒ぎになって全てが吹っ飛んでしまう可能性がある。だから日米安保条約はそのままにしておいて、日米軍事同盟体制は日米安保条約を離れた領域(具体的には、日本が国内法制を整備する方式)において営んでいくという方向性が出てきているのです。

以上のことを背景にして、これまでに浮上している在日米軍再編案があり、米陸軍第一軍団司令部のキャンプ座間への移動、在日米軍司令部(横田)のキャンプ座間への機能移転、厚木基地での夜間発着訓練(NLP)の岩国基地への移転、在沖縄基地の本土移転の可能性などが浮上していると見ることができます。単純な言い方をすれば、日本全土が沖縄化するという問題がこれからの私たちが直面しなければならない事態と思います。

次に、改憲問題を取り上げます。国会で改憲勢力が三分の二の壁をクリアしている状態の下で、国民世論の動向が大変重要になってくるのですが、二〇〇四年五月一日付で出された朝日新聞の調査を手がかりに考えます。

九条改憲に賛成か否かという問いに対しては、まだ六〇%以上の人が反対という答えを出す。しかし、憲法をパッケージで全体として変えるか変えないかと質問に対しては、改憲賛成派が五三%を超える状況が出てきている。どうしてこういう数字の差が出てくるかを諸々の世論調査などで推察してみると、「新しい人権」といわれる環境権やプライバシー権などを重視する人たちの動向を注目すべきことが浮かび上がってきます。

環境権やプライバシー権を重視する点では、第九条を守ろうとしている人たちも率先して動いている。しかし、多くのNGOやNPOがそうであるように、プライバシー権や環境権には関心があるけれども、第九条には関心がないという人がたくさんいるという現実を考えれば、同じくプライバシー権や環境権を大事に思うわれわれとしては、なぜ第九条を守らなければならないと思っているかを、そういう人たちに分かってもらう働きかけをする余地が大きいのではないか。

新しい人権を重視する人たちの支持を取り込むべく、自民党の改憲草案大綱では「新しい人権」を積極的に取り込んでいます。しかし、「新しい人権」を含めた全ての人権は、「公共の価値」(公共の福祉という言葉を彼らは公共の価値と言い換えました。それは「国の安全」・「国益」を含む概念です)に服従するということがはっきり書いてあります。したがって「新しい人権」が書き込まれても、全部「国益」には服従させられるということになって、権利としての意味がなくなるわけです。「新しい人権」が入るならそれでいいと思うのではいけないのであって、「新しい人権」が仮に入ってもそれはまったく中身のないものにさせられてしまうのであるから、今の憲法の下で、新しい人権の憲法判例による蓄積ということの方がはるかに実質的な意味があるのではないかということを、私たちがそういう人々に対して積極的に話しかけていく余地があるのではないか。要するに改憲を阻止するために働きかける対象が私たちの周りにいっぱいいる、ということです。改憲賛成派が五三%で、九条改憲反対が六〇%ということを考えると、「新しい人権」賛成派の数%に私たちの考え方に納得してもらえれば、憲法改憲阻止に必要な国民の過半数を実現する大きな手がかりになる。これがひとつのポイントです。

もうひとつの可能性としては、核廃絶運動のエネルギーを改憲反対の闘いに結びつける課題があります。これは二〇〇五年が敗戦六〇周年であり被爆六〇周年でもあり、核問題をめぐって大きな行動が予定されているだけに、重要な意味をもってきます。

私がここ二、三年来実感することですが、核廃絶に反対する日本人はまずいない。しかし、これから私が赴任する広島が端的な例ですが、核廃絶をあれだけ強烈に主張する広島に、県全体としては革新系あるいは護憲派の国会議員はいない。問題はそこです。核廃絶と言いながら憲法改正に賛成をする人を国会に送り出すという意識です。一九五五年以来なぜこれまでの日本が国際社会において核廃絶運動のリーダー的役割であり続け得たかを考えれば、多くの国際社会の人たちにとって、日本は平和憲法を持ち、戦争しない国である国柄に徹していると思うからこそ、その国が訴える核廃絶の主張には説得力があると考えていることは明らかです。

それが、戦争する国になってなお、その日本が核廃絶の旗手になれるかといったらお笑いだと思います。そういうことを考えると、二〇〇五年という、まさに核廃絶に関して、いろいろな場面で私たちの態度を見直すきっかけになるときに、なぜわれわれは核廃絶を主張するのか、それが憲法とどういう関わりを持つのかということをもっと考えることによって、その核廃絶の意識をもっと高めることによって、憲法を変えさせてはならないという意識と結びつけることができれば、憲法改悪阻止のエネルギーは格段に高まるのではないか、という展望を持つことができると私は思うのです。

三つ目の可能性は、国際世論に対して働きかける必要性ということです。日本の侵略を受けたアジア諸国は、日本で進んでいる改憲の動きに非常に警戒的ですが、欧米諸国はほとんど問題意識がない。それを端的に現しているのは、東京都の知事に石原慎太郎という人間が選ばれても、国際社会は何も反応を示さないことです。これが仮にベルリンやパリの市長に極右がなったら、国際社会はてんやわんやの大騒ぎになると思うのです。それくらい世界第二の経済大国といいながら、日本の国際的・政治的な地位、注目度は極めて低いという厳しい現実がある。したがって、私たちは国際社会、特に欧米に対して今日本が向かおうとしている方向がいかに危険に満ちたものであるかを理解させる切実な課題があるということです。ひとつの皮肉は、保守勢力は欧米の世論に非常に弱いということがありますので、私たちはこういう力をも引きつけていくという課題にもっと積極的に取り組んでいくべきではないかと思います。

もうひとつだけ付け加えれば、九条改憲反対の人々にもさらに働きかける必要があります。というのは、今九条改憲反対の立場をとる人たちも、有体に言えば、自衛隊は合憲、軍事的国際貢献もいいじゃないかと、考える人が多い。そう考えていまさら九条を改める必要はないと思い、九条改悪に反対と答えている人が、反対六割のかなりの部分を占めていると思います。自民党は、そういう人たちを改憲に反対させないように手を打っています。自民党の改憲草案大綱をみても、彼らは平和主義は結構、九条一項は結構、と言っている。しかし、自衛隊は合憲と認めてくださいと言っている。国際貢献もやりましょうと言っている。それは、現状維持の立場から九条改憲反対と答えているかなりの人々にとっても、受け入れられない内容ではないのです。つまり私たちは九条改憲反対が六割を占めているという数字に安住しているわけにはいかない。もっと彼らの問題意識を高めてもらうために、積極的に働きかけていく必要があるのではないか。逆に言うと、自民党をはじめとする改憲派勢力はそういう九条改憲反対派の内実を知っている。知っているが故にそういう人々を取り込む提案を投げようとしている現実がある。そういうことを見ると、国民投票における過半数という敷居は、私たちが思うほど高いものではない。彼らにとっては易々と超えられる敷居なのかもしれない、ということは考えておいた方がいいのではないかと思います。

次に改憲勢力の側の動きを簡単に見ておきたいと思います。

一番の問題は、彼らの狙いはとにかく九条改憲、戦争する国になれるよう、アメリカに全面協力できるようにするための九条改憲にあることは明確ですが、それだけでは国民の支持を確保することができないという認識があるために、その九条改憲をカモフラージュする、あるいはそれを争点にさせないために全面改正という形で改憲を進めようとしているというところにあります。

政府・保守政治が改憲を急ぐ理由は先ほど申しましたように、要するに武力攻撃事態対処法、「国民保護法制」、基本指針などは平和憲法に対する赤裸々な違反の産物ですから、平和憲法に基づく限り私たちはそれに対して服従する義務はないわけで、国が強制措置をとってきた場合、それに対して違憲訴訟を起こして対抗する根拠(平和憲法)が今のところあるわけです。そうなれば、彼らとしてはやっかいなことになるので、改憲を急がなければならないという事情にもなってきます。

同時に第九条がある限り、アメリカの対日軍事要求を完全に満たしきれないことは、今のイラクにいる自衛隊の無能ぶりで国際的に周知の事実で、あの程度の対米協力では到底アメリカとしては納得できない。せめて米英同盟並みの日米同盟にしたいというのがアメリカの意図です。

今後改憲勢力が描いている予定では、二〇〇七年に改憲という日程が公然と打ち出されており、今年中には国会の憲法調査会での議論のまとめがでますし、政府・与党は通常国会の期間中に憲法改正についての国民投票法を通す構えですし、二〇〇五年一一月は自民党結成五〇周年で、自民党の改憲案が公表されることになっています。平和憲法改定の危機が指呼の間にあり、という状況ができつつあるということです。

改憲勢力は、九条改憲だけを争点にしてでは闘えないことを認識しているがゆえに、あの手この手を打っている。今の国民の憲法意識、憲法に対する関心の低さを考えると、あの手この手を打った改憲勢力の改憲案の前に、果たして国民の過半数が改憲反対という声をまとめあげることができるかどうかが非常に問われる情勢になっています。私は、非常な危機感をもって日本の政治情勢を見ておりまして、このままいくと二〇〇七年は危ういかなという感じを持っていることを付け加えたいのです。

ただ、私自身の個人的な考え方としては、二〇〇七年に仮に改憲が行われたとしても、それですべてが終わりということではなくて、私たちは改悪された憲法をさらに元に戻す、あるいはより正しい憲法に改正するための闘いのエネルギーを今から鍛えていく必要があるのではないかと考えています。

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