日本の若者には希望が持てる!
(最終講義に対する学生のリアクションを読んだ感想)

2005.01.23

*1月18日は、明治学院大学国際学部での最終講義でした。私自身は正直いって余り深い感情的になることもなく、しかし、明学での最後の授業なので、私の話を聞いてきてくれた明学生にお礼の気持ちを込めた話しをしました。私が予想もしなかったことは、学生の方が、私の最終講義をそれなりに重く受けとめて、たくさん出席してくれたことでした。しかも、リアクション・ペーパー(私は長年、毎回の授業の終わりに学生たちの感想や疑問を書いてもらうことにし、次の講義の時間の冒頭に、いい感想を書いた人や、考えさせられる問題提起や質問をしてくれた人に再度リアクションすることにしてきました)も、いつもの倍以上の人が書いて提出してくれ、しかも心のこもった所感を残してくれたのです。

帰りの電車の中でリアクション・ペーパーを読んだときに、胸に熱いものがこみ上げてくる気分を味わいました。もちろん去りゆく私への彼らの暖かい思いやりがこもったものであることはわかっているつもりの私でしたが、拙いながらも一所懸命に話しかけようとしてきた私の姿勢・思いを、正面から受けとめてくれる学生が少なからずいてくれた、ということがしっかり伝わってきて、13年間の明学での時間は決して無駄ではなかったと感じることができたからです。残念ながら、もはやその気持ちを学生たちに伝える機会がありません。

そこで、そんな素晴らしい学生に出会えたことに感謝し、その気持ちを大切にしたくて、学生たちが書き残してくれたリアクション・ペーパーのホンのいくつかだけなのですが、このコラムで紹介したいと思います。これまでやってきた講義の延長のようなものでありますが、読んでくださる皆さんが、「今時の学生は素晴らしい」「日本の若者には希望が持てる」と実感していただければ幸いです(2005年1月23日記)。

〇「先生が、現在は『三度目の開国の時期』とおっしゃった言葉にドキッとしました。今、日本は、これからの姿がどうあるべきか、岐路に立たされている状況にあり、その行く先は、決して国任せにしてはいけない、自分たちの手で作っていかなくては、という実感を抱きました。明学の国際学部にいると、比較的考え方が同じ方向を向いていたり、私の両親もそうであったりと、たまたま私の周りには私と似たような考えをしている人が多かったのですが、この先、社会に出てから、自分が少数派に回ったとき、そのときこそ、周りに流されず、あきらめずに積極的に政治に参加していきたいと思いました。」(2年生 A.Aさん)

〇「『日本はいま、三度目の開国の時期を迎えているかも知れない』という言葉を聞いて、一瞬身が引き締まる思いがしました。この大事な時期をなんとなく過ごすのではなく、『私もこの日本を変える一人なんだ!(少し大げさかも知れませんが)』という自覚を持ちながら、気合いを入れて生きていこうと思いました。また、常に周りの意見に流され続けていた私にとって、『“個”を持つ強い人間になって欲しい』という先生のお言葉は、特に強く響きました。これから始まる就職活動では、『自分』というものを積極的に出して挑んでいこうと思っています。」(3年生 T.Aさん)
(注)以上の二つのリアクションは、私が話しの中で、現在の日本の政治状況は確かに厳しいけれども、私たちの意思によって憲法改悪を許さないことに成功するならば、そのときの日本は、本当の意味での民主国家を作り出すという意味で、失敗に終わった第一の開国(明治維新)、第二の開国(1945年の敗戦後の民主化)の轍を繰り返さない「第三の開国」というものすごい歴史的チャンスを迎えていると言うことができる、という趣旨のことを発言したことを踏まえてのリアクションです。また、後で紹介するリアクションにも何度も出てきますが、私は常々「個」を持つことの大切さを力説してきたことに対して、最初の人は間接的表現で、後の人は直接的表現で反応してくれているのです。

〇「先生が配布してくださった数々の資料はどれもはじめて見るものばかりで、いかに自分の生活と自国の政治がかけ離れていたかを強く実感した。また、いかに自分の政治認識がメディアに強く影響を受けているかに気づいた。そして更にいえば、先生の話やメディアに流されているばかりで、自分の考えをしっかり持てない自分がとても嫌になった。何が正しくて間違っているのかを自分で判断できるくらい、しっかりと社会に関わっていきたい。」(2年生 I.Jさん)

〇「政治に関心を持つこと、それが本当に基本だと思います。私は20才になってから、市議選、衆・参議院選と全て投票してきました。それが当たり前だと思うし、自ら『選ぶ』という行為を放棄してしまう人が多いことが理解できません。政治に関心がないからそういう行動がとれるのだと思います。私は、自分が選挙権を持ったことで勉強し、何がよいのか見極められるようになりました。政治というのは、私たちの生活に深く関わっているということ、投票をやめればどのような方向に行ってしまっても文句は言えません。それを自覚し、深く政治について考えるべきだと思います。」(3年生 K.Mさん)

〇「先生の講義を受けて学んだことは沢山あります。日本人は、民主主義という大切さを分かっていません。私自身もまったく社会に対して動こうとはしませんでした。しかし、春と秋一年を通して、少しずつ変わりました。受け身ではなく、少しでも行動することを心がけました。政治に対して関心を持つようにもなったし、自分の意見を持って選挙にも行きました。また、辺野古基地建設反対運動をゼミで行っています。ゼミで作った廃油石けんを売り、全て全額を寄付しています。…待っていても何も変わらないし、少しでも行動して、日本の政治社会を変えていきたいです。…先生の講義を受けて、考え方が変わった人は大勢いると思います。…」(3年生 H.Sさん)
(注)H.Sさんと同じゼミのM.Hさんもほとんど同じ趣旨のリアクションを書いてくれました。

〇「どう政治に関わっていけばいいか分からなかったり、どうにもならないよといった気持ちもあったけれど、今日いただいた『皆さんはこれからどう生きるつもりですか』を手にして、選挙など身近なところから参加していく非政治的市民でありたいと思いました。1年前には無関心な私でしたが、先生のパワーに動かされました。」(3年生 N.Tさん)
(注)『皆さんはこれからどう生きるつもりですか』とは、最終講義に際して配ったペーパーのタイトルです。また、「非政治的市民でありたい」という言葉は、私が丸山真男の「非政治的市民の政治的行動こそが民主主義の生命力」という趣旨の発言を紹介したことを念頭においたものです。ほかにも、この点について言及した学生が何人もいたことを付け加えておきます。

〇「基本的なことから民主主義のことまで、中国について結構学んだな、という印象がありますが、実は中国のことを学んだつもりで、日本の政治の問題点やこれからすべきことを学んだ気がします。連日、中国を批判的な目で見るマスコミを恥ずかしいと思う視点で見られるようになった。確かに『小日本』と叫ぶ若者は少なからずいるのかも知れないが、その背景にある日本の犯した歴史を見直すことが先決であるに違いない。石原都知事などが差別的な発言をすることを耳にするが、もっと前の実際に戦争を体験した人たちは違う意見を持っていると思う。私たち若者が正に歴史から学ぶという意識を持つことが必要だ。」(2年生 M.Kさん)
(注)私はこの2年間、春学期では国際政治を、秋学期には日本と中国の民主主義比較ということをテーマにした比較政治を担当してきました。この最終学期では、前年度の反省(多くの学生が中国についての基本知識を備えていないという発見)に立って、中国側の公式文献で日本語訳が出ているものを資料として配付して、中国の当面する諸問題について、中国政府がどういう現状認識をもっているか(基本的に極めて冷静に物事を見ている、というのが私の判断です)について話しをすることを中心にやってきました。しかし、この学生が「実は中国のことを学んだつもりで、日本の政治の問題点やこれからすべきことを学んだ気がします」と感想を書いてくれたことは、私にとって、正にわが意を得たり、というところです。そこまで深く、私の話を理解してくれた学生がいるということは、本当に「教師冥利」に尽きるというものです。同じような感想を書いてくれた人が他にも何人かいたことを付け加えておきたいと思います。

〇「今日の先生の言葉を聞いて、自分は自分自身の物事に対する決定の責任というものを持っていないのだということを認識しました。知らず知らずのうちに“現代の若者”になっていたのかと思うと、とても情けなく思えてきました。この先、就職活動を行い、自分の将来を決めるときが来ると思いますが、『自己責任による意思決定能力』を磨いていかなければと思います。」(3年生 H.Kさん)
(注)『自己責任による意思決定能力』というのは、やはり丸山真男が「自由」の本義について定義した言葉です。私がこのことに言及したことに対する反応です。ちなみにこの学生は、「広島に行ったときは、先生に会いに行ってもいいですか?」と書き足してくれました。本当に嬉しい言葉です。この学生には、「広島に来たときは、是非広島平和研究所にいる私を訪れてください」と伝えたいです。

〇「私は正直、今の若者は政治に無関心だ、と言われるうちの1人でありました。政治について、自分の意見を言えないのです。それは高校時代から情勢を本気で考えない姿勢の積み重ねによる無知識によるもので…。だからいざ本気で考えても情報を持っていなかったのです。反省しています。しかし、この講義を通じて政治と向き合う一歩を心で学びました。浅井教授の講義に出会えたことを無駄にしないよう、これから成長していきます。」(3年生 Y.Kさん)

〇「比較政治の講義を聞いて、いかに今まで自国の情勢を含めた事柄やそれに付随する事象や歴史に対する重要性の認識が希薄だったかを痛感しました。それとともに、現在の日本に対する失望と反比例するように、自らの希望を強く持てることができました。今後も路頭に迷わず生きていこうと思います。」(2年生 S.Tさん)
(注)この学生も、中国を中心に話した私から、日本の問題についてのメッセージを受けとめてくれたことが分かる、とても嬉しい内容です。しかも、「現在の日本に対する失望と反比例するように、自らの希望を強く持てることができました」という言葉! 「頑張ってね!」とエールを送りたい気持ちでいっぱいです。

〇「私はこれから、自分に責任を持ち、しっかり真剣に生きようと思います。人生は一度しかないのだから、後悔したくありません。今の世の中は、曖昧なことが多く、善悪さえもハッキリしないことが多いと思います。しかし、それを受け入れて流されて生きたくありません。もっと自分自身に、そして日本社会、世界へ目を向け、物事を考えていきたいです。先生の講義は、本当に得ることが多いものでした。先生のお話を聞かなかったら、いつまでも政治に無関心だったのではないかと思います。」(3年生 Y.Mさん)

〇「この授業を受けるようになって、今の『日本』に危機感を持つようになりました。初回のゼミの時、『今の日本は平和ですか??』という質問に、私は自信を持って『日本は平和である』と言いきっていました。しかし、本当に平和であるとは言い切れない日本の状態、現実を認識しはじめました。国民一人一人が政治を変えるんだという意識、真の民主主義において大切なのは『個』であり、一人一人が考えなければいけないのだと、毎回思い知らされました。この危機的状況の民主主義を変えるのも、やはり私たちであると思います。折角の“大国”(真のではないが)である日本にいるのだから、その大国を良い意味で行使できる状況を作り上げることが必要だと思います。大国でなければ、出来ないことは沢山あると思うし、それが、世界に求められている日本の姿だと思います。先生の授業を受けて、私は、日本という国に関心を持つきっかけを作ることができました。やはり、自分の生きている日本という国に積極的にかかわっていきたいです。」(3年生 O.Yさん)
(注)「日本は客観的に大国であり、大国として分別ある行動を心がけることが国際的に望まれている」という大国論は、私が常に強調することでした。このリアクションは、「大国・日本」というと、とかく眉をひそめる傾向がある大人の世代とは違う柔軟な頭の構造を持っている若者のすばらしさを感じさせてくれます。

〇「先生の講義は生徒とキャッチボールができてると思います。毎回、リアクションに対してのリアクションに生徒が理解するまで時間を割いたり、生徒が理解しやすい言葉を選んだり、プリントを1人で束ねてきたり、本当にありがとうございます。3度目の開国の時期かも知れないってスゴイことですね。私は少数派で、皆に知って欲しくて説明するんですけど、うまく出来ないんですよねー。それはやっぱ自分でもチャント理解してナイからですね。コレからはそこをチャント言えるように努力します。私もそうで、底辺に落とされたコトがナイから、そこまでの危機感を持てナイんですよねー。起こってからでは遅いのに、ソレがいけないんですね。弱い国に対して、アジアに対しては、本当に横柄だと思う。アジア全体で仲よく昇っていかなくてはいけないのに。あー課題が多スギだけど、1コ1コ考えて片付けていきたい。」(3年生 T.Yさん)

〇「今日の授業で先生があげていた中国の長所に『弱者の立場の観点』というのがあったが、これは重要だと思った。日本の長所にそのポイントがないことを残念に思う。日本では、自分の身に何か不利なことが起こらない限り、私たちは政治に立ち向かっていく習性がない。例えば沖縄では米軍基地建設反対運動が起こっているが、本土ではそれほど騒がれていない。神奈川の一部でも基地に対する運動があるが、周辺では起こっていない。しかし、自分の住む地に基地が建設されるとなれば、誰でも運動を起こすだろう。日本では一部に活発に民主主義を求めて政治を変えようとする人々がいるが、皆が他人のために立ち上がることが少ないのではないか。…」(3年生 K.Mさん)
(注)以上の二つのリアクションは、日本と中国の民主主義の可能性を考える場合の視座として、世界の底辺に落とされた苦い体験を持つ中国と、その底辺を生半可にしか味わわないですんでしまった日本との違いという要素を考える必要がある、と私が指摘したことに対するものです。
 つまり、「私もそうで、底辺に落とされたコトがナイから、そこまでの危機感を持てナイんですよねー」というのは、私の講義での次の発言に対するリアクションです。私は、日本に民主主義が根付かない一つの重要な原因として、第一の開国の時も、第二の開国の時も、日本は奈落の底を味わうことなく抜け出すことが出来てしまったことがあるのではないか、という仮説的な考えを述べ、それに対して、奈落の底を味わい尽くした中国の場合は、弱者の立場の観点を身につけ、しかももともと中国人には「個」が備わっているから、将来的には、民主主義を我がものにする可能性が大きいと思う、という趣旨のことを述べたのです。弱者の立場の観点も身につけておらず、「個」も極めて希薄な多くの日本人を前提にするとき、日本における民主主義の実現には多くの課題が横たわっている、ということにもなります。

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