新年のご挨拶

2005.01.01

皆様、よい年明けを迎えられましたでしょうか?

私は、去年母を亡くしましたので、日本の風習に従い、年賀状も書かずに過ごした年末でした。母が生きている間に最後に会った時の母の表情を私は一生思い続けるだろうと思っています。そして、数年前、亡くなる直前に私に笑顔を向けた父の表情も。

新年といっても、形式や儀礼的な要素にこだわりがない私にとっては、特に改まった個人的な感慨があるわけではありません。しかし、残念ながら、2005年という年は、私個人の希望にかかわりなく、日本政治はこの国をますます悪い方向に向かわせる年になるでしょうし、国際情勢もイラクという不確定要素を抱えている(その帰趨如何は覇権国家・アメリカの動向に大きな影響をもたらす)という点で、少しも目を離すことができない年になるでしょう。

東北アジアだけに目を限っても、小泉首相の靖国参拝問題如何で日中関係は引き続き「政冷経熱」の状態で推移するでしょう。また、台湾の立法院の選挙で折角与党(台湾独立派)が敗北したのに、日本政府が李登輝に訪日ビザを発給するという中国を刺激しないではすまない愚挙を犯すことによって、台湾との関係をなし崩し的に深めることをやめないアメリカと相まって、台湾海峡問題は2005年も目を離せない状態を続けることになると思います。そしてもちろん、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発問題をめぐる朝鮮半島情勢も予断を許しません。イラク問題にアメリカのエネルギーが吸い取られている間は、基本的に膠着状態を続けるのではないかと一応は予想されますが、いわゆる「拉致問題」をめぐる日本の過激にして軽率な対北朝鮮政策如何によっては、折角の6者協議という枠組み自体が崩壊するということにもなりかねません。

2005年はまた、日本敗戦60周年でもあり、原爆投下60周年でもあります。日本が本当にアジアの一員としてアジア諸国に受け入れられるためには、何よりもまず「過去の清算」という課題に私たちすべての日本人が正面から取り組み、負の歴史の遺産を清算するということが、ますます緊要な課題として私たちに迫ってきている、という客観的状況があります。というのは、アジアにおいては、中国及びインドの台頭、ASEAN諸国の独自性の主張の強まりという新しい要素が生まれ、アジアとしての一体性を模索する動きがこれからますます強まることが考えられるからです。日米軍事同盟だけにすがりついて、アジアに対する「過去の清算」を怠ることについて自己を美化し、正当化してきた日本に対しては、これまで以上にアジアとの係わり方についての厳しい視線が注がれることになるでしょう。そういう状況に目も向けず、ひたすら日米軍事同盟の強化、憲法改悪路線に走る日本の保守政治、そしてその危険性に気がつかない多くの国民の存在を考えると、その危険性に気がついている私たちに課せられた課題(日本の内外路線の転換実現)は極めて大きなものがあるといわなければなりません。

原爆投下60周年である今年は、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開催される年にも当たり、国の内外で核廃絶問題に関する様々な催しが予定されている年でもあります。核廃絶を願う私たちの強い気持ちに反して、世界はむしろ核拡散に向かっての勢いを強めつつあります。いわゆる5大国のほか、イスラエル、インド、パキスタンが核兵器を保有するに至り、北朝鮮とイランが核兵器保有国家の仲間入りすることが現実味をもって語られる状況があります。パキスタンのカーン博士を震源地とする核拡散のネットワークが国際的に存在することがわかった今、核拡散の危険性はますます高まっています。しかも、核拡散の最大の震源地であるアメリカは、実戦用核兵器(地中貫徹型核兵器、実戦用小型化)の開発をめざす動きを強めており、そのために必要とされる地下核実験再開を目指しています。ロシアも新型ICBMの配備を行ったことが伝えられていますし、フランスも核兵器の絶えない更新に意欲を燃やしています。中国は、台湾海峡危機(台湾の独立をめざす動きに対する危機感)を念頭において核ミサイルの配備に余念がありません。国際テロリズムと核兵器(をはじめとする大量破壊兵器)との結びつきという問題にも目が離せません。

こういう厳しい状況に対して、日本の核廃絶運動は、率直に言って、情勢に対応しきれる力・エネルギーを我がものにしていないという実感が私にはあります。NPT再検討会議に向けて運動を盛り上げようという努力は行われていますが、被爆国・日本が全国民のエネルギーを傾けて、世界に向けて核廃絶の緊要性を発信することができるにはほど遠い実情があることに、目をそむけるわけにはいきません。

私は、日本国内における核廃絶を目指すエネルギーの衰え(敢えて「衰え」という表現を使います)の一つの大きな原因として、日本人の間で進行する平和感覚の曖昧化という深刻な現実に目を向けないわけにはいきません。核廃絶の必要性を否定する日本人はまずいないでしょう。しかし、そういう日本人の多くが「戦争する国」に向けた憲法改悪の動きに対してはほとんど無関心である現実があります。それは、日本の核廃絶を訴える声がこれまで国際的な説得力を持ってきたのは平和憲法を持つ「戦争しない国」・日本であったからこそのことである、という事実に対する認識が、多くの日本人の間で欠落しつつあるからにほかなりません。核廃絶を求める力・エネルギーと憲法改悪を阻止する力・エネルギーとが合体することによってのみ、はじめて核廃絶運動が自らを再活性化することができるし、その再活性化する核廃絶運動が、厳しい状況におかれている憲法改悪阻止運動を引っ張る力を生み出すことが可能になるのだ、と私は確信します。

私事ですが、私は、本年3月末をもって明治学院大学を辞職し、4月からは広島市立大学広島平和研究所所長として新しい仕事環境に自分の身をおくことになっています。最後の仕事人生の場として、広島平和研究所という大きな可能性をもつ職場を選んだのは、以上に述べたような問題意識の裏づけがあるからである、という実感があります。2007年にも予定されている憲法改悪を阻止するために全力を尽くすことが、最初の数年間の私の重要な課題だと認識しています。核廃絶問題については、まず状況を正確に認識することが当面の課題であると自覚しています。そして状況を認識した上は、憲法改悪阻止を明確に視野に納めて、広島平和研究所としての核廃絶問題についての取り組みのあり方を考えていきたいとひそかに熱い気持ちを燃やしています。もちろん、広島平和研究所の平和問題に関する取り組みは、以上の二つの分野に限られるものではありません。日本もその一員である国際社会は、本当に多くの困難、難題を抱えています。人類が等しく、真に平和な環境の中で、人間としての尊厳を実現できるようになるまでには、気の遠くなるほどの距離があると覚悟しなければなりません。しかし、私たちはとにかく一歩一歩歩んでいくしかないのです。広島平和研究所が、そういう人類あげての一歩一歩の歩みの一翼を担いうるよう、私としては微力を尽くしたいと念願しております。皆様のご支援を心からお願いいたします(2005年1月1日記)。