「中間報告」の本質

2005.11.27

*琉球新報のコラムに寄せた原稿です。小泉政治はどうしてここまで国民をだまそうとするのか、本当にやりきれない気持ちがつのります。もちろん、国民をだます手法は何も小泉政権に始まったことではないのですが、それにしても、という感じです(2005年11月27日記)。

11月23日付の本紙(2面)に掲載された在沖米総領事インタビューを読んで、思わず「アッ」と声が出た。「米国は中間報告とは認識していないのではないか」という質問に対する、ライク総領事の次の発言だ。「中間報告という表現が一体、どこから、なぜ出てきたのか分からない。二国間で決められた合意だ。来年三月の最終報告ではいかに実行するかについて、具体的で詳細な措置が記される。」

政府が「中間報告」と言い張る英文の文書(日本語は仮訳)のタイトルに改めて注意すれば、「安全保障協議委員会文書」とあり、その下に「日米同盟:未来のための変革と再編」とある。文中のどこにも「中間報告」という位置づけはない。ちなみに本文でも、重要な箇所で英語と日本語との間に微妙な違いがあるのだが、紙幅の関係で立ち入れない。

2月19日の「2+2」の共同記者会見で町村外相(当時)は、在日米軍の兵力構成見直しについて3つの段階があるとし、第一段階が共通の戦略目標(2月の「2+2」で確認)、第二段階が自衛隊及び米軍の役割・任務・能力に関する協議、第三段階が個別の米軍施設・区域に関する見直しとした上で、「今後数ヶ月間、さらに第二段階、第三段階の議論を集中的に深め、加速化したい」と述べていた。そして、10月29日の「2+2」の意義について、同外相は、「当初予定した三部作が完結をする」と、上記第二、第三段階が終了することを明言した(10月26日の記者会見)。

ではどうして「中間報告」なのか。どうして「中間報告」でなければならなかったのか。

外務省のホームページに載っている町村外相の記者会見での発言を追ってみた。すると、6月28日の記者会見で、記者が「「2+2」というか中間まとめの見通しはどう考えているか」と聞いているのにぶつかる。6月の段階で既に、「中間」的という意図的な情報操作が外務省側から行われていたことが窺われる。町村外相自身が「中間報告書」と明言したのは、8月10日の記者会見が最初である。

そして10月26日の記者会見(前出)では、「当初予定した三部作が完結をする」と述べた上で、次のように続けている。最終報告は一定の期間を経た後、日米両政府間で正式な合意をするということであり、今回の取りまとめはそういう意味では最終段階ではない。(中略)この中間報告の詳細ですが、まだ表現ぶり、あるいはその翻訳ぶり等について、最終的な事務的な詰めが要るので、詳細の発表はワシントンで「2+2」の後に発表する(強調は筆者)」。

つまり、「表現ぶり」「翻訳ぶり」など「最終的な事務的な詰め」が残っているために正式合意になっていないだけで、重大な変更はないと言わんとしていることがありありと分かる。

確かにこの記者会見では、「今後…地元の意見を取り入れて中間報告と変わった形で最終報告をとりまとめる可能性はあるか」と質問が出され、町村外相は、「そうでなければ「中間報告イコール最終報告」ということになってしまうから」と答えてはいる。しかしこれは、地元外しで対米交渉を強行してきた日本政府の、米側のあずかり知らぬ苦し紛れの二枚舌発言にすぎないことは明らかだ。

「中間報告」とは、地元外しではないと言い張るための悪あがきから出てきた名称だった。地元の関係自治体・住民は結束して、日本政府の非を明らかにし、理不尽な日米合意を白紙に戻させるエネルギーを発揮してほしい。

RSS