米軍基地反対運動における視点転換を

2005.10.31

*2005年10月29日に日米安保協議委員会(2+2)で合意された中間報告「日米同盟 未来のための変革と再編」が発表されました。その内容は、日米軍事同盟を明確に世界規模のものとして位置づけ、日本の民間の空港・港湾を軍事使用することを明らかにするなど正に日本全土の米軍基地かを推し進めるものであり、沖縄への加重負担の固定化とあわせ、到底容認することのできるものではありません。

しかし、日本各地の反対闘争はバラバラです。反対闘争のエネルギーを一体化しなければ、各個撃破で押し切られることは目に見えています。琉球新報のコラムに私の問題意識を書きました。それをここに転載します(2005年10月31日記)。

普天間基地の代替地として、日米両政府は、名護市辺野古に建設することで合意した。沖縄県民の声を完全に無視して。沖縄2紙を見れば、県民の失望、怒りが手に取るように伝わってくる。私の住む広島の近くにある岩国でも、厚木基地の機能移転が、これまた関係自治体の猛烈な反対を無視して強行される。沖縄との違いは、反対の声を上げているのが直接被害を受ける山口、広島両県の関係自治体に限られ、県を挙げての動きはまったくないことだ。このほか、米軍再編計画の対象とされる地域でも、沖縄、岩国におけるのと同じような反対運動が行われているが、神奈川県を除けば、反対運動の広がりはさらに狭い範囲でしか起こっていない。

このように各地の反対運動が互いに切り離され、バラバラな形でしか行われていないという現状は、日本政府にとってはもっとも好都合であろう。各個撃破作戦がとりやすいからだ。このような事態を生み出している私たちの側に、重大な問題があるのではないだろうか。各地の反対運動が連帯できないことには重大な問題があるのではないか。

私は、各地の運動の連帯を妨げている根本原因は、日米軍事同盟に対する私たちの認識が曖昧であることにあると思う。今日の日米軍事同盟の実態は、とっくの昔に日米安保条約の枠組みを突破して、攻撃的侵略的なものに変質している。ところが多くの国民が抱いているのは、相変わらず「日米安保は日本を外敵から守るためのもので、それが故に必要」とする従来からの安保肯定論の認識の次元に留まっている。したがって、米軍の日本駐留は必要、日本が在日米軍に基地を提供するのもやむを得ないという総論的判断に傾くのだ。

このような「総論賛成」が前提になると、「しかし、自分の住んでいるところに基地機能が移転したり、機能強化が持ちこまれたりすることには反対」という主張に対しては、日本政府が「地域エゴ」という烙印を押すし、基地問題に悩まされない幸運な立場にある日本のほかの地域も、各地の反対運動に無関心を決め込むことになるのだ。これでは、活路はいつまでたっても開けない。

私は、今日の日米軍事同盟はひたすらアメリカの先制攻撃戦略に奉仕することを目的にしており、アメリカが仕掛ける戦争に日本を巻き込む危険きわまるものであるという本質を国民が正確に認識することが、在日米軍基地問題を根本的かつ抜本的に解決する出発点だと確信する。アメリカが仕掛ける先制攻撃の戦争は国際法違反の不法なものであり、それに加担する日本も国際法違反の片割れとなる。しかもアメリカの攻撃に反撃する側は、米軍基地が密集する日本に対しても反撃の手を伸ばすに違いない。それが正に国民保護法、国民保護計画が想定する事態なのだ。日本がアメリカに基地を提供しなければ、アメリカは戦争を仕掛けられない。そうすれば、日本が外からの反撃の事態を心配する必要もない。つまり日米軍事同盟をなくすことによって、日本の安全が確保されるのだ。

バラバラな形で進めることを余儀なくされてきた私たちの基地反対闘争は、日米軍事同盟解消、日米安保条約終了、在日米軍基地の全面撤去を共通の目的として据えることによって、求心力を持った、全国民的運動へと次元を高めることが可能になるし、日米両政府の各個撃破政策に有効に対抗できるエネルギーを持つことが可能となると確信する。

RSS