長崎新聞戦後60年企画(第1部)「温度差」を読んで

2005.09.06

*長崎新聞は、8月12日から19日にかけて、戦後60年企画第1部として「理解深まるか 被爆地⇔軍商都市」と題し、長崎と佐世保を比較するシリーズ記事を出しました。出色の企画であり、内容的にも読み応えがあり、深く考え込まされる作品に仕上がっています。それは、正に日本の縮図(核廃絶を言いながらアメリカの核抑止力に依存することの矛盾について自問することを放棄している日本)を示すものであると言えるでしょう。

今度の総選挙でも、広島では憲法問題がほとんどまったく、と言っていいほど争点として浮上していないし、意識もされていない感じを受けます。「ヒロシマと平和憲法」をタイトルに広島平和研究所のシンポジウムを行った当事者として、こんなに歯がゆいことはありません。どうして核廃絶を願う気持ちが平和憲法を大切にしようという決意と結びつかないのでしょうか。

そのことを考え込まされている私にとって、長崎新聞のこの企画記事は、題材こそ違いますが、被爆地においてすら潜む日本人の「既成事実への屈服」(丸山真男)の傾向がいかに深く日本人の思考停止にかかわっているかを示す重い材料であると感じないわけにはいきません(2005年9月6日記)。

「県内の二大都市、長崎市と佐世保市。長崎は悲惨な被爆体験から『核兵器廃絶』『世界平和』を掲げて戦後を歩んだ。佐世保は明治時代に旧海軍鎮守府が置かれ、戦後は米海軍基地、自衛隊と共存してきた町。南北の中核だが、歴史、都市像、市民意識の違い、地理的な隔たりから『つながりが希薄』と言われ、『県勢停滞を招いている』とさえ指摘される。戦後60年を機に、この温度差は何なのか、どこからきたのかを検証し、理解が深まるか探りたい。」というのが問題意識として示される(第1回)。

「眼前の基地との共存。かなたにある核廃絶の希求。県内二大都市は、目指す道をますます隔てているかに見える。」(第1回の結び)

「『核兵器』『軍事』を完全否定する長崎。そこには平和運動という『形』があり、主張がある。だが、佐世保の世論は沈黙したまま、戦後の歳月は流れた。」(第2回の結び)

「米国への肯定的イメージが基地の軍事色を覆う佐世保。核兵器が許せないのと同じ感情を米国に向ける長崎。『二つのアメリカ』が存在する。」(第3回の結び)

このように、長崎と佐世保との対比を示した後、第5回では「無念」という表題で、佐世保での軍事機能強化への動きに対するある平和運動家(松永照正氏)の言動を紹介する。その運動家の心を悩ませたのは、昨年末佐世保商工会議所が打ち出した佐世保港の防衛機能強化提言(佐世保港の防衛関連施設を増強することで地域経済の振興を図ることを目指す、「佐世保の事実上の軍港一本化を目指す」内容)であり、原子力空母の母港化を求めるものだった。松永氏は、3月の集まり(平和推進協会評議員会)で、「こうした提言自体、平和の訴えの風化の表れ。長崎からはっきり『ノー』の姿勢を打ち出すべき」と問いかけたが、深い議論はなかった。そして、佐世保市長が「軍民の住み分け」を目指す立場から提言を拒否する姿勢を示したのを受けて、5月の集まりでは「抗議など必要ない」との結論が示されたという。佐世保商工会議所の提言に対しては、佐世保の外からもその是非を正す声が起こることはなかった(注)。

松永氏は、「被爆国は米国にも胸を張り、核兵器廃絶を訴えるべき。そのために国民が核の脅威を知らなければならない。」「日本全体が核廃絶を叫ぶべきなのに…。」と言う。松永氏にとって、古里佐世保と被爆地長崎への思い入れが深い分、無念さが覆っているというのである。

しかし、長崎の中にも佐世保の中にも悩みがあることを第8回「もう一つの顔」は指摘する。

三菱重工長崎造船所では海上自衛隊の新型イージス艦2隻が建造されており、「被爆地長崎での兵器生産という『もう一つの顔』を際立たせている」。三菱長崎造船労組の新郷副委員長は、「三菱の兵器生産を無視して平和を唱えられるのか」「三菱があったから、原爆が落とされたともいえる。なのに、今も最新兵器を製造しながら核兵器廃絶が言えるのか」と、被爆地の矛盾を問いかける。そのことに対して長崎市民の間では「問題」にはならない。なぜならば、「仮に防衛庁の仕事がなくなれば、多数の解雇が待つ。影響が大き過ぎる」(同副委員長)からだというのだ。

佐世保ではどうか。市が3年前に始めた原子力艦防災訓練に米軍は参加のそぶりを見せない。そして市側の対米協調路線も変わらない。米中同時テロ以降は米原潜の出入港情報の事前公表を取りやめた。2002年度の基地の経済波及効果は、陸海自衛隊が約700億円、米海軍基地が約190億円。さらに基地交付金も入る。「『共存』の前にまず『依存』がある」というのだ。

こうして、第8回の結びはこうある。「都市像は対照的な長崎と佐世保だが、ともに矛盾を抱える。経済依存の下、自問の声がわき上がらないのも両者に通じている。」

(注)厚木基地からの米海軍空母艦載機部隊と夜間離着陸訓練(NLP)の移転先候補として揺れる岩国市でも、同市の商工会議所が6月28日に、沖合移設事業で建設中の2本目の滑走路の数・沖にNLPの専用滑走路をもう1本造ることなどを条件に、NLP受け入れ容認を決議した(8月16日付沖縄タイムス)。その狙いは、「岩国から見ていて沖縄の状況はうらやましい。沖縄振興特別措置法をモデルにしたい」(商工会議所の笹川会頭)ということである。しかし、この動きはむしろ移転受け入れ反対派の危機感を強め、井原岩国市長は、「市も市議会も自治会も周辺自治体も含め、ほぼ一致して反対し、米軍再編の中間報告に含まれないよう国に対して運動している。そうした中で別の行動をとられるのはいかがなものかと思う」と商工会議所の動きを批判した(8月18日付沖縄タイムス)。佐世保と同じようなことが起こっていること、とくに両市で商工会議所が対米軍事協力推進の旗手になっていることは、不気味な事実である。

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