鹿児島のおやこ劇場の活動に触れて

2005.08.28

8月26日に、鹿児島県の大口市を訪れました。劇団「道化」の方に誘われて、11月に有料公演すると意気込む子どもたち(中高校生)と座談会をしようという企画でした。子どもたちは、3月21日の会合以来、の何回もの議論を重ね、『世界がもし100人の村だったら』を中心のテーマにして演劇、ダンス、コント、音楽等のパフォーマンスを行う企画を作り、自分たちが中心になって創作活動を行ってきたそうです。劇団「道化」は、子どもたちの創作活動に助言を与えるという立場でかかわっているようです。

当初こそ、『世界がもし100人の村だったら』の記憶が新鮮だった子どもたちも、実際のシナリオ作成、ダンスの振り付け、コント作成、音楽の練習に夢中になるにつけ、初心を忘れてしまったらしいことを劇団「道化」の人が感じとり、私との座談会を通じて、もう一度初心に戻る機会にしたいということで、そのような配慮が私の伺う背景にあったようでした。

広い会場に円になって椅子が並べられ、あどけない表情の中高校生20人強と一緒に座ったときは、どういう展開になるか私にも見当もつきませんでした。「道化」の人の意図は、座談といいつつも、私に何か話をさせて、それで子どもたちに考える材料を与えるという思惑が先行していたので、子どもたちの発言を踏まえて、私が適宜コメントするという形で進めるという事前の「道化」との打ち合わせを前提に考えていた私とは齟齬があり、軌道修正することから始めなければならなかったのです。その点からもまったく筋書きのないドラマでした。しかし、以上のことはこれから紹介することの前置きであり、本筋とは関係がありません。

私がこのコラムでこの訪問を取り上げようと思ったのは、鹿児島の県北(熊本県に近い)の交通も不便な地域(鹿児島空港から車で1時間)でおやこ劇場が活き活きと活動しており、子どもたちが世の中をいい方向に変えるために自分たちが何をできるかを一所懸命に考えていることに正直とても感動したからです。八王子に住んでいたとき、よく川崎、横須賀などのおやこ劇場を訪問し、お話ししていたのですが、鹿児島にもおやこ劇場が根づいているとは知りませんでした(もっとも、「道化」の人や、帰りに飛行場まで送って下さったお母さんのお話を聞くと、広島はもちろん、九州の全県、更には全国各地でおやこ劇場が活動しているとのこと)。

子どもたちとの座談会は素晴らしいものでした。司会をした女子高生の見事なリードには舌を巻きました。『世界がもし100人の村だったら』を冒頭で読み直したのを受けて、創作活動に没頭するあまり初心を忘れていたという発言が相次ぎました。口が重いかな、と危惧していましたが、川崎、神奈川の子どもたちと比べてもむしろ活発でした。「道化」の人の「他の世界の不幸な人の姿を映像で見ると、日本人でよかったなと思う」という発言に、私が「日本人でよかった」と思うのにとどまらないで、「自分が相手の立場だったらどう思うだろう、という発想が必要なのではないか」と発言したところから、議論は深まって行きました。「道化」の人のきわどい発言(「僕は日本人だから、(相手の立場は)分からないよ」)に「ウン?」と思わず声を発する中学生の女の子。私が問い返すと、「日本人だから」というとこになんか引っかかったとのこと。「日本人である前に人間(としての立場で考えるべき)でしょう」という私のつっこみにうなずく子どもたちも何人か。いつの間にか話は、「自分のやりたいことをやるためには、他人を犠牲にしてもいいのか」というテーマに移り、ここでも悪人役を担った「道化」の人が「自分のやりたいことをやるためには、あらゆる手を尽くして実現しようと思う(売り言葉に買い言葉で、「人を殺すということも仕方ない」とまで)と挑発し、子どもたちが自分の思いを口にする。私は、「自分の愛おしく思っている人も犠牲にできますか」「愛おしいと思う対象を理性で広げるのが人間の人間であることではないですか」という発言で、子どもたちに考える材料を提供しようと必死になる。座談会が終わった後、悪役を勤めた「道化」の人が、「これからの公演に向けたテーマとして、本能と理性ということだと思います」とまとめていたのも、子どもたちにとってはスッキリした指針となるだろうな、と思いました。

以上はほんの断片的な描写ですが、7時から9時過ぎまで、濃厚な時間を過ごすことができました。終わってから、何人かの子どもたちが寄ってきて、「いっぱい考えました」と口々に印象を語ってくれたのがとても素敵でした。

前のコラムで書きましたが、舞鶴での体験は非常に貴重でした。そして、鹿児島県大口市でのおやこ劇場の子どもたちとの体験もとても貴重なものでした。何か私がこれまで知らなかった世界を体験できたというそんな印象です。しかも、「日本という国もまだ捨てたものではないな」って気持ちを持つことができたのです。舞鶴でも、大口でも。

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