「やはり伝わってこない沖縄」に思うこと

2005.07.16

*7月から半年間、沖縄の琉球新報に月に1回随想を寄せることになりました。その第1回目として書いたのが、ここに紹介する文章です。私は、今日の「戦争する国」を目指す反動攻勢を食い止める上では、地方がイニシアティヴを発揮することが非常に重要なのではないか、と思います。特に、原爆体験を持つ広島と長崎、在日米軍基地が集中する沖縄、そして日米軍事同盟再編強化の焦点となりつつある神奈川という4地域の連帯と協働が大きな鍵を握っていると思うのです。ところが、4県の間の連帯と協働は、私が見る限り、ほとんど見えてきません(わずかに、沖縄タイムスと神奈川新聞が「戦後60年共同企画」として、「米軍再編を追う 安保の現場から」シリーズを組んでいるのが目につく程度です)。これでは、とうてい中央に対抗して国民世論を盛り上げる力は生まれてこない、と感じています。そのような気持ちの一端を下記の文章で表したつもりです(2005年7月16日記)。

私が東京から広島に赴任するとき(今年4月)に期待したことの一つに、広島では東京にいるときよりも沖縄についての情報がもっと伝わってくるのではないか、ということがあった。原爆で多大な犠牲を強いられた広島は、地上戦でやはり多大な犠牲を強いられ、今日なお集中する在日米軍基地に起因する犠牲を強いられ続けている沖縄に対して、東京(というよりも本土一般)よりも関心が高いのではないか、という思いがあったからだ。

広島に移るときには、もう一つの思いもあった。原爆が投下された広島と長崎、米軍基地が集中する沖縄、在日米軍再編強化の焦点となりつつある神奈川、この4県が連帯と協働を強めれば、「戦争する国」を目指してまっしぐらの中央の政治に対して「待った」をかけ、平和憲法の下で「戦争しない国」に徹する日本という国家のあり方を目指すべきことについて強力な発信ができるのではないか。私が勤めることになる広島平和研究所が、研究機関として、その発信の一翼を担えるようになったらいいな。そんな思いである(私が広島平和研究所で最初に取った行動の一つは、4県を基盤とする地方紙を定期購読し、4県からの情報の収集を確保することだった)。

広島に来て認識を新たにしたことは、山口県の岩国基地というけれども、岩国は地理的に広島県に近接しており、したがって神奈川県・厚木の基地機能の岩国移転は優れて広島自身の問題として意識されており、現に反対の声が大きく広がっているということだった。このことは、ますます広島と沖縄との間の連帯と協働を強める客観的要素になりうる。

しかし、私の期待は見事に空振りに終わっている。沖縄の情報に関する限り、広島にいても、東京にいるときと何も変わらないのである。例えば、6月23日についての報道については、中央のメディアと広島のメディアは、ほとんど取り上げないということで共通していた。高校入試の出題問題(語り部を揶揄した取り扱いをしたこと)に関しても、被爆体験の継承という同質の問題を持つ広島のメディアが「我がこと」として扱うことはなかった(長崎の新聞は少し大きく取り上げていたが)。要するに、沖縄は、広島にいてもやはり伝わってこないのだ。重い歴史的体験という共通項を通じた広島と沖縄の連帯感の存在を期待していた私にとって、この現実は厳しい。

この厳しい現実をふまえるとき、私のもう一つの思いを実現することはさらに厳しいものがあることを覚悟しなければならない、と冷水を浴びせかけられた気持ちにおそわれる。4県がそろい踏みで全国に対して平和を発信できるようになるための前提条件である連帯感がそもそも欠けており、まずはその連帯感が生み出されるようにするための働きかけから始めなければならないからだ。

ところが、広島平和研究所と他の3県における平和研究機関との正規の組織的な交流関係すらできていないのが現実だ。日本が「戦争する国」になるか、「戦争しない国」に徹するかが厳しく問われている(その帰結如何によって日本だけでなく、アジアそして世界の平和が大きく左右される)現在の情勢に対する平和を守る側の立ち後れは明らかだ。

だが、諦めたらなにも始まらない。とにかく、4県の連帯と協働を実現するという方向に向かって一歩を踏み出すことが大事だろう。緊迫した問題意識を持って、しかし焦らずじっくりと取り組んでいきたいと考えている。

追記

この文章に対して、早速感想を寄せてくださった方がいました。その内容もとても元気が出るものなので、私一人が味わうのではもったいないですから、以下に紹介して、皆さんにも「お裾分け」させていただきます(2005年7月17日記)。

「やはり伝わってこない沖縄」を読ませていただきました。

特に印象に残ったのは、「4地域の連帯と協働が大きな鍵を握っている」という点です。地域間の共同の模索は、攻勢的な世論をつくるために、これからますます大切と思います。

思い出話ですが。1999年5月、周辺事態法が衆院を通過したとき、私は組合の書記長でした。みんなと相談して、自治体労働組合として初めて「戦争非協力宣言」を出しました。ささやかな取り組みですが、照会は70件ほどありました。

このような取り組みを広げたいと思いました。特に、自治労系の組合と一緒に何かをしたいという思いが前からありましたので、自治労・Y市職労に電話を入れました。(ちなみに、私の組合は、自治労連・M市職労です)自治労連の組合が、自治労の組合に連絡をしても、普通ですと、電話もつないでもらえません。ただ、M、Y、S、Kは行政的にはつながりがあります。ですから、「何かとっかかりが、できないかなあ」という思いがあったのです。

いろいろな経過があったのですが、2000年5月に「軍転法50周年」を記念して、Y・S・Mの3市でアピールを出しました.(Kは、「自治労連の組合とは一緒にやれない」とのことでした)。

この経験から思ったのは次の3点です。

  1. 共同行動は、世論に対するアピール度が大きい。
  2. 他の団体と共同で何かを準備すると、お互いに刺激と新鮮味があって、運動への責任感と真剣さが増加する。運動に希望を感じる。
  3. 人と人とのつながりが広がる。

今回のシンポも、近況を書きつつY市職労におたよりを送ろうと思っていたところです。

そんなときだったので、浅井先生の言われたことは心に響きました。

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