「終戦・被爆60年の地点にたって
 − 私たちは世界とアジアの流れにどう向き合うべきか」

2005.06.11

*ある雑誌の8月号特集の一環として載せるということで、2005年5月22日に、横浜市立大学の中西新太郎先生とタイトルのテーマで対談しました。編集者のご好意でテープ起こしをしたものを送っていただいたので、掲載します(後半の部分は、テープ起こしの関係でつながらない内容になっているので削除しました)。私の発言部分については、表現的におかしい部分は手直ししましたが、中西先生がお話になった部分についてはテープ起こしされたままになっていることをお断りします。私の発言内容のほとんどは、コラムの他のところで述べていることの繰り返しですので、前からのものを読んでいてくださる方には、拾い読みしていただければ、と思います(2005年6月11日記)。

司会:
お二人から、自己紹介をお願いします。
浅井:
 私は、この4月から、広島平和研究所の所長ということになりました。どうしてそういうことになったのかということを簡単にお話しますと、東大、日大、明学と17年間、教員ということで学生たちと接してきたし、そして余裕のある時間には、いろいろなところへ出向いて発言するということをしてきましたが、やはり9.11以降、非常に内外情勢が危険な方向へ向かって突き進みはじめています。そういうなかで、自分がこのまま明学で教え、求められたら発言していく、という生活でいいのかというモヤモヤした疑問が生じはじめました。私も60歳を越したわけで、最後の仕事人生として、何かもう少し、自分が納得のいく生き方がないものかと考えているときに、広島平和研究所に来ないかというお誘いがありました。
 いろいろ考えました。結論的には、まさに自分がモヤモヤしていたことへの一つの回答として、いいチャンスかもしれないと思ったのです。要するに、これからは国内に対して発信するだけでなくて、国際社会に対しても積極的に発信していかなければいけない。そういったときに、率直に言って、明学の教員という肩書きと広島平和研究所の所長という肩書きとでは、国際的なメディアで発言するチャンスは大きくなるだろう思いました。ですから、なるべく精一杯、内外の危険な状況について大いに発信していきたいと思っています。
 もう一つは、これは今、勉強中ですけれども、広島平和研究所自体が国際的に本当の平和研究の拠点として認められるような地位をしめ、そういう研究所をもつことを広島の市民が一つの誇りにできるようなことに貢献できたらいいなという気持ちをもっています。
中西:
 先ほど申し上げましたが、90年代のはじめのころだったと思いますけれども、浅井先生に十数人の小さな会に来ていただいて(笑)、お話を伺いました。どの会だったか、もう覚えていませんが、若い頃の中国での経験とか、国際政治の話を伺って、今日はとくに、春から中国との関係、日中関係ということで、今の学生の興味のもち方の中身が実際、非常に問題だと思うのですが、そういうことがありましたので、そのお話を伺うのを楽しみにしていました。
 私は、90年代に青少年問題や青少年文化のことを少しやってきたのですが、ただ90年代の終わりに、先ほど9.11のお話がありましたけれども、日本の社会全体が非常に急激にあまりいいとはいえないような方向転換をしていくということで、友人といいますか、たまたま知り合った徐京植さんという方や、高橋哲哉さん、岡本有佳さんという非常に優秀な編集をされる方なのですが、その方たちと毎年平和にかかわる集会をしていました。ちょうど国旗国歌法案が国会で出たときから、ずっとつづけてやってきました。そういう流れのなかで、『前夜』という雑誌を自分たちで出していこうということで、今、創刊三号まできております。運動体の雑誌ではないのですけれども、反戦、反差別をきちっと前面に出した文化の雑誌で出しつづけようということでやっています。どうしてなのかということは、先ほどの浅井先生のお話とまさに重なるのです。90年代の後半に、9.11もそうですが、非常に国際的な枠組みのなかでも日本の政府なり、外交政策も含めて、極めて危険な方向へすすんでいるということで、戦争をしていくようなシステム、体制が非常に広くつくられて、それを支えるような意識の部分も広まってきています。もちろん、あとで出てくると思いますけれども、憲法にはそういう非戦条項がありますので、私たちの国は平和主義を国是としていると言われてきたわけです。そういう意識はまだあるとは思いますが、ただ黙って難を避けるということだけでは平和を獲得することができない状態です。何らかの格好で声をあげていかなければいけない。これは専門分野にかかわらず、日本社会に生きていれば、少なくともそういう声をあげる条件がある人にとっては義務、責任だと感じています。徐京植さんのような在日朝鮮人の方からみれば、「自分たちは、憲法というのは非常に大切なものだと思うけれども、しかしあれは日本国民ということで限定をしていて、その憲法を自分たちが守れというのに複雑な気持ちを抱くが、日本国民といわれている人たちはいったいどうするのか」という問いかけをされているのです。その通りということで受けとめて、政治的なアクションとしては大きなことができないかもしれませんが、少なくともこの国に生きていて、現在のこの国の状況に対してきちっと声をあげていかなければいけない。そういう気持ちでいます。
 ただ、先ほどちょっと言いましたが、意識としては9.11に限らず、いわゆる北朝鮮の拉致問題もそうですけれども、反日といわれる中国の最近の状況に対して「あれは、何だ。中国はおかしいじゃないか」という小泉さんの非常に不思議な発言が通ってしまう意識といいますか、支持されかねないところが現実には相当あるような気がします。その点では、非常に危惧というか、それはいったいどういうことなんだろうといいますかノ、ある意味では90年代後半から国際環境自体が非常に変化をしているということの反映だと思います。とくに、日中の問題については、浅井先生がどう現状をみていて、何が問題になっているのかということをぜひ伺いたいなと思っています。
浅井:
 中国のみならず韓国もそうなのですけれども、いわゆる反日運動と定義付けされ、非常に偏った方向に世論の流れが押されているということに対して、私は非常な不安と「あきらかにこれは間違いである」という意識をもっています。やはり、暴力はたしかにいけない。これはもう、言うまでもないことなのですが、そこにすべての議論を矮小化させてしまって、それでは何が「反日」運動で私たちに問われているのかということについて、何もみようとしないという状況ができています。しかも、そういうなかで、小泉首相の靖国参拝を国民の、むしろ相対的にせよ、多くの人が支持するという状況があります。そういうことは、もはや一部の保守政治家が歴史をゆがめようとしているだけではなく、かなり相当な国民を巻き込んで歴史を修正するとか、そういう動きがすすみだしているということだと思います。そういうところが、まさに中国、韓国が非常に警戒しているところだと思います。
 実は、私が最近、集会で必ずふれることにしているのですけれども、各国からは、例えば今年の3月1日、いわゆる「3.1独立運動」記念日に際して、盧武鉉大統領は記念演説をしています。それから2週間後、3月17日には、韓国国家安全保障会議常任委員会声明文を出しています。さらに1週間後、3月23日には、また盧武鉉大統領が反日関係に関する対国民談話をしています。こういうなかで、新聞報道をみているだけでは想像もつかないような、日本に対する真剣な問題提起をしており、これから日本はどこへ向かおうとしているのかという、ものすごく厳しい問いかけが行われています。それから中国からも、例えば3月14日に温家宝首相が中日関係を改善する3つの原則というものを提起しました。それから4月12日には、唐家セン国務委員が共同通信の社長に面会したときに、非常に長い日中関係に関する話をし、4月23日は胡錦濤主席がインドネシアで小泉首相に会って、5点の主張というのを言っています。こういうものがズラーッと並んでいるわけですね。
 ところがメディアの報道をみると、本当に肝心な部分がまったく報道されていないのです。私も、在日韓国大使館のホームページで盧武鉉の発言文章の全文を日本語で読んで驚愕したわけですし、温家宝、唐家セン、胡錦濤の発言にしても、中国側のネットで全文を承知して愕然としたのです。結局、そこで問われているのが何かというと、それぞれ特徴のある内容になっていますが、例えば韓国については竹島問題、それから中国については昔からある問題で歴史問題、台湾問題、小泉氏の靖国参拝、それから安保理常任理事問題が全部絡んでいます。しかし集約すれば全部、歴史認識の問題に帰着するのです。そこで、結局問われていることは、本当に今、日本ですすんでいることが歴史を揺り戻す、過去の歴史問題に向き合うのではなくて、否定する方向に進んでいるのではないのか。そういう日本として突き進むと、結局、戦前の日本の歴史の二の舞になるのではないか。そういうことを非常に厳しく問いかけているのです。
 その問いかけというのは、私は非常に正しいと思うのであって、日本はまさにそういう方向にすすんでいるわけです。したがって、韓国や中国の指導者たちが発言ないしは声明したという中身をもう一度しっかりと私たちが受けとめないと、本当に大変なことになると思うのです。しかも非常に遺憾なことは、私の外務省時代に培った経験から言いましても、これほど率直な対日批判は異例です。とくに盧武鉉大統領は「小泉首相」と名指ししています。そういうかたちで「靖国参拝をやめろ」ということを言っているわけです。それは、外交の限度を超えた、本当の危機感があふれるメッセージであるということなのです。そこを私たちは真剣に受けとめて、日本はどこへすすむかということについて、国民的に主体的な決断をするようにしないと、本当にアジアにおいて日本は孤立を深めていくでしょう。このままでは、日米さえよければいいということの反動として、アジアの一員としての日本というのはますます立場がなくなっていくということではないかと思っています。
 とくに、盧武鉉とか韓国国家安全保障会議は、その発言・声明のなかで、明確に日本の国民に対して言っています。これは本当にすごいことで、例えば盧武鉉の3.1発言では、「日本の知性にもう一度訴えます。真実なる自己反省の土台の上に韓日間の感情的なしこりを取りのけノ」云々と言い、「それこそが、先進国であると自負する日本の知性的な姿です」ということを言っています。あるいは3月23日の発言でも、「何よりも重要なのは、日本の国民を説得することです」と言い、「問題を究極的に解決するならば、日本国民が歴史を正しく知り、日本が韓日両国と東北アジアの未来のために何をなすべきか、正しく理解しなければなりません。それでこそ、日本政府の政策が、正しい方向を捉えられるのです」と言っています。韓国では、主権者である国民によって本当の民主政治が実現しているという自信が感じられますが、盧武鉉としては、民主国家であると自慢げに言う日本だったら、主権者である日本国民が日本政治を変えなければ嘘じゃないかというメッセージなのです。こういうすごいメッセージが寄せられているということを私たちが受けとめなかったならば、アジア諸国に対しても本当に申し訳ないことだし、さらに言えば、日本がアジアの一員として本当に認められる地位に立つことはできないということだと思うのです。ところが、そういうもっとも肝心な部分がまったくメディアを通じて伝わっていない。ほとんどの人が知らないというところが、私は今の日本の非常に危機的な状況ではないかなと思います。ですから、「反日運動はけしからん」「生意気だ」と感情的になって対応するというのは、まったく的をはずれたことであり、本当に彼らの真摯な呼びかけに応えている所以ではないと感じています。
中西:
 当の小泉首相は「罪を憎んで、人を憎まず」と言っていて、もう唖然とするというか、言葉もないような…。国家のリーダーとは思えないですよね。しかも、日本という国家の首相とはとても思えないような発言ができるということ自身が、今の日本の国内状況ともいえるような、本当に深刻なことだと思います。
 歴史認識が何でそうなるのかということなのですが、私は2つの問題があると思います。歴史認識の問題で、おそらく多くの日本の若い人たちが、戦前の日本の侵略戦争・侵略行為が侵略ではなかったのだとか、別にあれでかまわないんだとは言わないし、思っていない、と。おそらく歴史認識を問われれば、たしかに侵略戦争とその加害の行為、これは反省しなければいけないし、意識調査をみても現在も多数の人がそう思っています。だから、一部の人たち…、歴史教科書をつくる会の人たちが主張するような歴史認識が共有されているわけではないと思います。にもかかわらず、こういう事態になると、「中国はけしからん」とか、「何度も繰り返して謝ったのに、何で韓国の大統領はいまだにそういうことを言っているのか」という反応がかえってくるのは、歴史認識の問題は、村山談話も含めて、あるところである程度は自分たちもわるかったと思っているし、決着がついているというような認識のもち方といいましょうか。つまり、歴史認識のなかで戦後の私たちがアジアとの関係でもってきた態度であるとか、戦後補償の問題も含めてですが、こういったところの認識が非常に欠けているのです。だから、戦後認識の欠落といいましょうか。歴史認識のなかで、中国にしても、韓国の盧武鉉大統領にしても、「何でいまだに私たちがこれを言わなければいけないのか」という問いかけをしています。「いまだに」というところを、「半世紀を経て、少なくともそのなかで、歴史認識の問題を戦後の日本の社会のなかできちっと扱ってくれば、こんなことを私たちは言わなくてもすんだんだ」という問いかけだと思うのです。
浅井:
そうですね。
中西:
 その、こんな半世紀の部分のところの認識がほとんど存在していない。過去の問題はたしかにわるかったと言っているじゃないかと、これで済ませてしまう。そういう問題があります。ごく自然な感情としても、そういうふうに思ってしまうということが一つ、問題としてあるのです。
 それから中国との関係で、報道も含めてそうなのですが、最近のメディアの伝え方が本当に問題があるということは、まったくその通りだと思います。暴動が起きるのではないか、不安だということで、中国にいる人たち「日本人はこんなに不安になっている」というようなメディアの報じ方です。80年代以降、中国もそうですけれども、アジアに経済進出をしていって、そのなかで経済の上では非常に深い関係になって、今や抜き差しならない関係になっています。そのなかでの安全といいますか、その上でセキュリティを確保してくれないと困るというような意識がものすごく強く、今回の事態のなかでは感じざるを得ないと思います。まるでアメリカの政府のようです。海外での自分たちの経済活動を含めた部分のところをセキュリティを含めて守っていかんか、というかたちで、アメリカに近づいているのではないかなという気もします。そういう点でも非常に変化をしています。盧武鉉の話も、私も断片的ですが聴いています。あの訴え、中身には心打たれるというか、本当に真摯な問いかけで、それにどう応えていくか。それがなかなか通じる状況にない。その関係が非常に深刻ではないかと思います。これでこの先いけば、何を言っても小泉政権を支えている国民ということになるのです。これだけ身をつくして述べていることに対して、それに対する応答がかえってこないという結論はなぜかということが非常に重大な結果だと思います。
浅井:
 中西先生がおっしゃった2つのことで、最初のほうですが、「謝っているのに何だ」ということについては、結局、盧武鉉大統領にしても、胡錦濤主席にしても、口先だけではダメだということです。本当にわるいと思っているなら、それを行為で表せ、行動に移せ、ということなのですね。例えば3.1談話でも、盧武鉉大統領は、これはある新聞でチラッと裏話的に載っていたのですけれども、「本当に謝罪するなら謝罪しなさい」という原文だったところへ、盧武鉉大統領が「謝罪するならば謝罪し、賠償するならば賠償する」という、賠償という言葉を入れたというのです。それはまさに言葉だけではダメだということをはっきり言ったということです。胡錦濤主席も、小泉首相に会った後、わざわざ自分から即席の記者会見をやって、自分は「言葉より行動だ」ということを小泉首相に言ったんだ、とその内容を紹介しているのです。これまた外交的には異例中の異例です。
 そこで一番のポイントは何かといいますと、要するに「言葉だけではなく、実践を」というところに最大のメッセージがあるわけです。ところが日本は全く逆なことをしている。最近でも小泉首相がまた靖国神社参拝に行くかというような状況でしょう。そして、教科書の検定でも、一番問題になっている扶桑社の教科書に、しかもよりにもよって竹島問題について、政府見解に即して直せとなっているわけです。これは、韓国国民にしても、中国国民にしても、本当に横っ面をひっぱたかれるような思いでしょう。これでは、日本政府の真摯な、本当の意味での反省のかけらをも窺いたくても窺えないというところでしょう。そこが本当に問題になっているということを、やはり中西先生がおっしゃったように、国民が気がつかなければ事は変わっていかない。ところがその国民は、ほとんど新聞・テレビ以外に知るすべをもたない。インターネットがこれだけ普及しているのに、ほとんどの人は、相手側が何を言おうとしているのか、何を訴えようとしているかについて、見ようともしない。そういう状況の下で、日本と韓国、中国の間の溝といいますか、不審が広がっていくというか、このままでいくと日本はとんでもないことになるのではないかと私は思います。
 そう言いながら、中西先生の2番目のポイントですけれども、しかし他方で経済関係は親密であり、「だから、今の状況は何とかしてほしい」というところがあるのですけれども、その発想が、「アジアとの関係のあり方を真剣に考え直さなければいけない」ということには結びつかないで、「海外に拡大した日本の経済権益を守るためには、軍事力の裏付けが必要だ」という考え方に結びついてしまう。日本もアメリカと一緒になって世界の警察官の一翼を担わなければいけないという、そういう発想になってしまうのです。
 しかし、これは本当にアジア諸国民からすれば、とんでもない見当違いの方向性です。しかも、東アジア自体が遠からず日本なしでもやっていける経済力を身につけることになると私は思うのです。そういう状況になっていくにつれて、アメリカ自体が対日政策を見直すことを強いられる状況になることも考えておかなければならないはずです。そういうことになれば、アジアには信頼されない日本、しかもその日本はアメリカ外交にとってお荷物になってしまう。そうなった場合、アメリカは手のひらを返すように、日本に平手打ちをかますということだって、私たちは考えていかなければいけないような事態に向かっているのではないか。日本が今とっているアメリカ一辺倒の政策をそのままつづけていたら、世界の孤児になると思うのです。国民の無意識というか、国民の意識の欠落というか、そういうなかで政治だけが暴走していってしまって、とんでもない事態になるということをものすごく心配しています。
 そういう日本の国家としてのあり方・方向性を考える脈絡において、憲法問題のことを考えないわけにはいきません。今の保守政治は、憲法を変えるという方向を見定めて、現実にその道をすすみはじめています。ただ、それは簡単にはいかないとも思います。この間の世論調査では、改憲支持の方がやや増えていることはたしかです。しかしこと9条に関して言えば、やはりまだ「それは維持すべき」という方が相対的には多数であると思います。ただ、今、伺ったお話のなかでいえば、それも非常に変動する可能性がある。そこで、9条を守るということはもちろんなのですけれども、その場合にその中身、いわゆる平和主義といいますか、守るべき平和の中身というものを考える必要があります。
 9条を維持すべきだという人が多数であるという問題と、平和主義をどのように捉えるかという2つの問題なのですけれども、9条を維持する人が相対的多数というのは中西先生がおっしゃった通り、5月3日付の朝日新聞の世論調査をみても、なお51%の人が9条改憲に反対と言っています。しかし、去年の5月1日付の朝日新聞の調査なのですけれども、実はそのときには60%でした。減っているのですね。去年の朝日新聞では9条改憲に関する世論の動向をグラフにして載せているのですが、たしか90年の12月には80%ぐらいが9条改憲に反対していてピークなのですね。それからはほぼ右肩下がりで下がっているのです。それに対して9条改憲賛成派は83年に最低を記録してからは、その後はほぼ右肩上がりで増えているのです。そういうことをみても、国民世論の動向も必ずしも予断を許さない状況があるということが一つあります。
 もう一つは、9条改憲反対という人がどういう気持ちでいるのかというと、「9条があったおかげでこれまで日本は平和であった、戦争しないで済んできた」という意識なのですね。しかし、最近私がよく指摘しているのは、これはとんでもない理解違いであるということです。実は、日本は9条があるにもかかわらず、アメリカの戦争に基地を提供する形を中心にして、朝鮮戦争をやり、ベトナム戦争をやり、イラク戦争、湾岸戦争をやってきているのです。だから、今ある9条を支持するということだったら、もう実際上は手を血にまみれさせている状況なのです。そういう意味では、9条改憲反対の人が51%といっても、その中身は本当の意味での9条を理解している人とは限らないのです。
 それで非常に危険なことは、まさにそういう人たちを改憲賛成に引き寄せるために、改憲派の人たちは9条改憲について手の込んだことをやろうとしていることです。一つは、9条1項は維持する。だから、戦争放棄は維持する、というのですね。ただし、そこで放棄する戦争は侵略戦争だということによって、平和主義の意味を換骨奪胎してしまおうということなのです。9条2項については、もう、自衛隊の貢献について国民の70%以上が認めている状況があるわけだから、その現状を確認する意味で9条2項は変える、と持ちかけようとしています。それから軍事的国際貢献についても、国民の多くはもう賛成にまわっているから、それを反映した規定を盛り込むという論法なのです。ですから、改憲派の人たちは巧みに、現状維持の立場で9条改憲反対派の人も「これならいいか」という気持ちにさせるようにし、反対が過半数の壁を割り込むような手だてを講じています。そこに私たちは本当に危機感をもたなければいけないと思います。
 ただしその場合に、9条改憲反対が51%という状況を維持するため、あるいはさらに反対派の数をふくらませるためにどうするかということになってきますが、ここには非常に私たちにとっても悩ましい問題があります。つまり、現状肯定の立場で9条改憲に反対する人たちに対して、「9条の本旨はあなたたちが理解してきたものではないのだ」と言って迫ったら、その人たちを改憲賛成に追いやってしまう結果になってしまう可能性があります。そこにおいては、「現状維持の9条ならいい、しかしそれ以上の日本になってしまうような改憲には賛成できない」と考えている多くの人たちが改憲派の側に立たないことを確保するための運動論上の工夫が必要である、ということも申し上げておく必要があると思います。
 それから、平和主義の意味なのですが、私も最近よく言うことなのですけれども、平和憲法というのはポツダム宣言から直接由来するものです。そのポツダム宣言では、軍国主義の清算と人権・民主主義の回復ということを日本に求めたわけです。それを日本は無条件降伏で受け入れたわけです。ということは、法的に言えば、軍国主義の源であり、人権・民主主義とは無縁の明治憲法はもう維持できない、ということです。新しい憲法をつくらなければならない、ということがポツダム宣言受諾の当然の帰結です。それが平和憲法というかたちをとったということです。その平和憲法は、どんなことがあっても戦争には訴えないという、力によらない平和観を宣言したものです。9条改憲反対という具体的な運動のなかでは、現状維持で、自衛隊を合憲と認める人たちをも取り込む努力をしながら、しかし9条が指し示す本来の平和主義とは何かといったときには、そういう自衛隊という軍事力を行使することも一切排除し、「力によらない平和」の立場で国際社会とかかわっていく考え方であるということをわかってもらう。
 先ほどお話に出た韓国・中国からの呼びかけ、戦争責任にどう向かい合うかという必死な訴えというのは、まさに平和憲法の原点に立ち戻って欲しいという訴えだと思うのです。そういうところで、国際的な動きと私たちの主体的課題との方向性が見事に一致しているというところを私たちは認識としてもちながら、具体的な運動論としてはどういうふうにやっていくかという問題があります。あまり今までの私たちの護憲運動、平和運動の側では慣れていないのですが、思想・理論における原則堅持と運動における柔軟性発揮という課題を結びつけていく「したたかさ」を早急に我がものにしていかなければならないと思っています。
中西:
 今の問題は、なかなか全体の運動を考えると言いづらいこともあるのですけれども、ただ、9条を守るということだけでは、今の改憲に対して守りきることはできないでしょう。中曽根氏が90年代はじめに日米関係で現行憲法の下でも集団自衛権まで行使できるということを言っていて、たしかに実質的にはそういうことになっているわけです。だから、今のままだっていいんだ、と。ただ、国民の意識を変えるためには憲法を変えるという議論をしなければいけない、ということを90年代のはじめに、かなりそういうことを言っていて、現状はまさにそういうことになっています。そうすると、9条の条文ということでいえば、あれがあってもそのまま戦争が当然できますよ、ということを既に解釈としてはやっています。その状態を変えていくためには、変えていくなかで9条なり、憲法という問題をもう一度現時点での国際的なプレゼンスも含めてきちっと確認をしていく。そういう作業を考えなければいけないと思います。
 9条を守るという人数が右肩下がりになっている現状は、いろいろな調査を見てもまさしくそのようになっているので、その動向でいうと平和を守るために今の9条を変えて新しい仕組みをつくろうというロジックの方へいってしまう状況にもきています。それを「そうではないんだ」というような、グローバルな市場のなかでそういう方向性が見えてくるような、そういう運動をしていかないといけないということを非常に強く感じています。とくに、若い人たちのなかでは、自分たちは積極的に平和というのを考えるからこそ9条を変えていく、仕組みをつくりなおさなければいけないという、そもそも自分たちが主体的にかかわった憲法ではない、というようなことを言われれば、それが非常にまた支持をうける状態にあります。
浅井:
 結局、「平和を守るためには憲法を変えなければいけない」という側の議論の起点になっているのは国連の存在だと思うのです。湾岸危機、湾岸戦争以来、国連が認める戦争は成立する、と。国連中心主義をいってきた日本じゃないか、と。その2つの帰結は、国連中心主義の日本は国連が認める軍事力行使には協力すべきだ、となります。まさにそれこそが本来の平和だということによって、日本国憲法における力によらない平和という考え方をひん曲げようということだと思うのです。しかし、ひん曲げるという印象を与えないで、国連に協力するのだから…ということで正当化するという議論が90年代からずっとすすめられてくるということだと思うし、現在の憲法改正論でも、とくに民主党を中心にして、国連の安保理決議のある武力行使には参加できるように、集団的自衛権の提案をしているわけです。
 しかし、ここで私たちが立ち止まらなければいけないのは、たしかに恒久平和を念願する、あるいは戦争を禁止するという理念の上では国連憲章と平和憲法は一致していますけれども、現実の国際紛争あるいは国際問題が起こったときにどう対応するのかというときに、実は国連憲章と平和憲法では、180度考え方が違うということです。それは何かというと、私がよく言うことなのですが、加害者であった日本は、そういう国際紛争があった場合にも、自分は絶対手を縛って軍事力を行使することはしない、ということを言ったのが平和憲法の平和主義なのです。戦争がこりごりだから戦争をしない、ではなくて、わるいことをやった自分を反省するから自分を厳しく縛るということなのです。ところが、国連が代表する国際社会というのは、いわば日本・ドイツ・イタリアという加害の側から被害をうけた立場です。したがって、ふたたび日本・ドイツ・イタリアのような存在があらわれないとは限らないということで、それが現れた場合には武力で対抗せざるを得ないのではないかということで、憲章の第7章の武力行使に関する規定を設けたのです。ですから、武力行使を是認する力による平和の立場をとるか、あくまで武力行使は否定する力によらない平和という立場を貫くかという点で、国連憲章と平和憲法はある意味水と油の関係になっている。そこを私たちは取り違えてはいけない。
 しかも、私は機会あることに紹介をするのですが、国連憲章の43条3項という規定があって、国連安保理が決める武力行使でも、それに参加するか否かは各国が決める、と明確に書いてあるのです。ですから、安保理が決めたら参加しなくてはいけない、という議論はまったく成り立たないのです。日本では、その点に関する議論がすっぽりと抜け落ちてしまっており、安保理を決めたら何かやらなくてはいけない、これが国際協力、国際貢献だ、と保守政治の側が強弁したのがまかり通ってしまい、それに対して私たちの側から有効な反論ができなかったところに、中西先生もおっしゃったように「平和を守るためには武力行使だ。そのためには憲法改正だ」という議論が出てきてしまった源があると思います。ですから、やはり国連憲章と平和憲法との理想における一致と、現実紛争に対する対応における違いという2つの性格をはっきり見分けることが大事であり、かつ、戦争責任をまったく反省していない日本は、力によらない平和というものを、今こそ実践することがアジア諸国の期待に応える所以なのだということを強調しなければいけないと思います。
中西:
 またしても戦後の問題に戻るのですが、平和国家として出発をする、国是とする、という言い方もしてきましたけれども、平和国家たりうるためには、そういう憲法の条項をもっているだけでは決して十分ではないわけで、今おっしゃられたように、国連との性格の違いというか、日本の国家なり、日本の社会がそういうかたちで国際的秩序に戦後入っている。そのなかで平和国家でありうるためにはどういう実践といいますか、具体的にどういうかたちが必要なのか。それの探求について、具体的な行動も含めて、そういうしたことがあってしかるべき。それがなければ、決して支えることができない。そういう意味では、軍事力、軍事プレゼンスを通じて平和を守るというよりは遙かに大きなことだと思います。そのためにはさまざまなプログラムや理念も必要でしょう。それを追求していくなかで、アメリカの傘下、治安体制のなかで、自分たちは軍事力はもちませんという方向へ少しシフトして、それで代替させてきた問題もありますよね。そういう意味で、子どもたちのことを考えれば、非暴力の実践であるとか、例えばガンジーのような極めて直接的で具体的なプロテストを平和のためにコミットするというような、強烈な行動主義が存在しています。ところが、そういったものが実感として、現実の日本の社会のなかで感じられない。これまで平和な国家であった代償というのは、そういう実践のことを具体的に感じ取れないまま生きてきたという部分があります。これをやはり克服しないとダメなんでしょうね。もちろん、広島であるとか、基地問題を抱えている沖縄のところでは、非暴力でかつどういうふうに自分たちが平和を構築していくのかという文化もあるし、意識もあります。でも、日本全体がなかなかそうなっていない。そういう現状のなかで、平和主義を本当に主張するのであれば、それを具体的な実践の問題としても、どうしたかたちで生きていくのかということですよね。日本の国民がそれなりに決意をもちなおさなければいけませんし、そういうかたちを運動としてもつくり出していかなければいけない。若い人たちに「信じられない」と言われれば、当然のことかなと思います。
浅井:
 私が広島に移ってから、原爆の落ちた広島・長崎、それから沖縄戦のあった沖縄、それから在日米軍基地が集中しようとしている神奈川県の地方紙4紙は定期購読をしているのです。その4紙でも非常に温度差があって、「沖縄タイムス」の問題意識の高さには私も感心しています。例えば今、有事法制、国民保護法制が出てきて、都道府県レベルでは具体的なマニュアルを今年度中につくらなければならない。市町村レベルでも来年度中につくらなければならないということになっているのですけれども、その内容たるや本当におそろしいものなのですね。そういうことに対して、「沖縄タイムス」は精力的に特集記事を組んで県民に注意を呼びかけているのです。そのような問題意識は、残念ながら「中国新聞」「長崎新聞」「神奈川新聞」にはまったく見受けられません。
 今、中西先生がおっしゃったように、本当の平和というのはどういうことなのか、いかに今の日本がそれと乖離する方向、正反対の方向へすすもうとしているかということを、全国民的なレベルで議論しなければならないときにきています。そういう意味では、今の戦後60周年というのは、非常にいい節目だと思うのです。ただ、漫然と時が流れるというのではなくて、戦後民主主義が何だったのか、平和主義は何だったのかと、今こそ日本が問われている。
 私は広島へ行ってまだ1ヶ月半ですけれども、広島における核廃絶に関する取り組み、問題意識は、沖縄における基地・戦争問題に関する取り組みに比べると、正直言って弱いなという感じがしています。よく広島の人が言うのを聞くのですが、「60周年は50周年に比べて燃えてないね」と。しかも60周年は行事化しているのではないか、という言葉を土地の人が言っています。そういうところにも私は非常に危険な兆候を感じます。私は外務省にいるときから非核三原則と日米安保の矛盾を痛感していたのですけれども、核廃絶、平和憲法に則した平和の発信地の拠点であるはずの広島が、どうもその矛盾を踏まえた核廃絶の声をあげるまでになっていない、という印象を強く感じています。具体的には、広島県選出の国会議員は、党として改憲賛成派の自民党と民主党で占められているのです。もし、改憲になってしまって日本が戦争をする国になったときに、広島は核廃絶をそれでも訴えていくのでしょうが、国際社会からみたらおかしな話です。
 そういうことを考えると、本当に今、私は平和の発信地としての広島、長崎、沖縄、神奈川という4県が性根を据えて協力して、日本国民へ向けて、国民的な平和学習というものを意識的に働きかけなければいけないところへきているのではないかと思います。広島にいて、本当に私には何ができるのか、と自分でも心許ないのですが、少なくてもそういう方向へ議論を向けていくということに微力は尽くしたいなと思っています。
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