新防衛計画の大綱についてのコメント

2004.12.11

*2004年12月10日に、「平成17年度以降に係る防衛計画の大綱について」(以下「大綱」)が閣議決定を経て発表されました。その内容は、いくつかの重要な点で私たちが注目しておかなければならない点が含まれています。私のコメントを紹介しておきます(2004年12月11日記)。

1.大綱は日本に対する本格的侵略の可能性がないことを承認したという重大な事実が含まれていること

大綱について最初に指摘する必要があることは、「我が国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下」していることを明確に認めている点です。したがって、防衛力のあり方について、「本格的な侵略事態に備えた装備・要因について抜本的な見直しを行い、縮減を図る」とまで言わざるを得なくなっていることも、要注目です。

つまり、日本が外国から侵略される可能性は「低下」(筆者注:正確には、「なくなった」と書くべきところです)したのですから、日本が自衛権を行使しなければならない(自衛隊が出動する)事態はなくなっている、ということなのです。ということは、日本の防衛を主眼として成り立っている日米安保条約の存在正当化の根本的理由そのものが失われたということです。

以上の議論に対してはすぐさま、日米安保条約は、極東の平和と安全のために存在しているという反論が行われると思います。大綱自身、「日米安全保障体制を基調とする日米両国間の緊密な協力関係は、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために重要な役割を果たしている」と主張しているところです。

しかし、歴代日本政府・保守政治が日米安保条約を正当化する最大の根拠としてきたのは、「日米安保は日本を防衛するためのもの」ということであったことはまぎれもない事実です。大綱は、その根拠が崩れ去ったことを認めたのです。国民に対して責任を全うすることを旨とする(つまり民主主義を尊重する)政府・政党であるならば、最低限、日米安保条約の根本的な存在理由が失われた以上、それでもなおかつこの条約を存続したいという方針であるのであれば、その理由を正直に明らかにし、日本防衛とは違う理由によって日米安保条約を存続することの可否について、主権者である国民の信を問うのが筋であるはずです。そういうことをまったくする気もない時点において、日本政府・保守政治は反民主主義の本質を明らかにしているということを、国民はハッキリ認識するだけの政治意識を持つことが求められています。

2.大綱は日米安保条約の枠組みを外れた日米軍事同盟にしようとしていること

大綱は、9.11事件以後のアメリカ・ブッシュ政権の国際情勢認識をそのまま受け入れ、「国際テロ組織などの非国家主体が重大な脅威となっている」、「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下「新たな脅威や多様な事態」という)への対応」の必要性を全面に押し出しています。しかし、いわゆる「新たな脅威や多様な事態」は、日米安保条約が想定する事態ではありません。もっとハッキリ言えば、日米安保条約は、これらの「新たな脅威や多様な事態」とは無関係なのです。

大綱も、その点を間接的な表現ではありますが、認めざるを得ません。「米国との安全保障体制は、我が国の安全確保にとって必要不可欠なものであり、また、米国の軍事的プレゼンスは、依然として不透明・不確実な要素が存在するアジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠である」という記述がそれです。注意して読めば分かるように、「米国との安全保障体制」という主語を受ける述語の部分は「我が国の安全確保にとって必要不可欠」であり、「アジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠」という述語の部分に対応する主語は「米国の軍事プレゼンス」です。うっかり読むと、「米国との安全保障体制は…アジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠」と誤解してしまいがちですが、日米安保体制(その基になる日米安保条約)はそういうものではないのですから、大綱としてもトリックじみた記述をしてごまかすしかないのです。

このようなトリックを弄した上で、大綱は、「さらに、このような日米安全保障体制を基調とする日米両国間の緊密な協力関係は、テロや弾道ミサイル等の新たな脅威や多様な事態の予防や対応のための国際的取組を効果的に進める上でも重要な役割を果たしている」と続けています。

この記述については注意するべき点があります。それは、主語が「日米安保体制」ではなく「日米安全保障体制を基調とする日米両国間の緊密な協力関係」となっている点です。以上に述べたことから明らかなように、「新たな脅威や多様な事態」に対応することは日米安保体制の枠組みから説明することは不可能です。だからこそ、「日米安全保障体制を基調とする」という形容詞を伴った「日米両国の緊密な協力関係」が主語になっているのです。ズバリと言えば、「新たな脅威や多様な事態」に対応することは、日米安保体制の枠外であり、わけの分からない「日米両国の緊密な協力関係」ということをもってしか、説明できないということなのです。日米軍事同盟は、もはや日米安保条約・日米安保体制の枠組みでは説明できない領域にまで入り込んでいることを、大綱は間接的に認めているということです。

こういうトリックとなし崩しの手法で、日本の平和と安全のあり方を根底から突き崩していく日本政府・保守政治は本当に危険きわまるものです。一人でも多くの国民が一刻も早くそのことを認識し、それを押しとどめるエネルギーを発揮しないと、日本は、アメリカが命じるままに、とんでもない方向に突き進んでいってしまうことになるでしょう。

3.大綱は中国に狙いを定めていること

「新たな脅威や多様な事態」とは具体的に何でしょうか。すでに引用した大綱の「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動を含む新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下「新たな脅威や多様な事態」という)」という文言に注意してください。「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動」を含む「新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態(以下「新たな脅威や多様な事態」という)」としている点です。つまり、「新たな脅威や多様な事態」には、「大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散の進展、国際テロ組織等の活動」以外の脅威・事態が含まれているということです。それとは何でしょうか。

大綱は、「我が国をとりまく安全保障環境」の項で、「この地域(我が国の周辺)においては、…台湾海峡をめぐる問題など不透明・不確実な要素が残されている」として、台湾海峡に言及しています。そして、「この地域の安全保障に大きな影響力を有する中国は、核・ミサイル戦力や海・空軍戦力の近代化を推進するとともに、海洋における活動範囲の拡大などを図っており、このような動向には今後も注目していく必要がある」と続けています(ちなみに、2.で述べた、「米国との安全保障体制は、我が国の安全確保にとって必要不可欠なものであり、また、米国の軍事的プレゼンスは、依然として不透明・不確実な要素が存在するアジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠である」という記述と重ね合わせれば、米国の軍事的プレゼンスは台湾海峡危機に対処するためのものでもある、ということが直ちに理解されます)。

1.で述べたことから明らかなように、大綱は、中国が日本に対して「本格的侵略」をするとは考えていません。しかし、2.で述べた「新たな脅威や多様な事態」には中国が含まれるのです。そして大綱は、日本の「今後の防衛力」に関しては、「新たな脅威や多様な事態に実効的に対応しうるものとする必要がある」としています。

その「実効的な対応」としてあげられる事項の中で注目を要するのは、「弾道ミサイル攻撃への対応」であり、「島嶼部に対する侵略への対応」でしょう。もう一度、「この地域の安全保障に大きな影響力を有する中国は、核・ミサイル戦力や海・空軍戦力の近代化を推進するとともに、海洋における活動範囲の拡大などを図っており、このような動向には今後も注目していく必要がある」と述べている大綱の部分を思い出してください。見事に重なっていることが分かるはずです。

私はもう3年前に書いた『集団的自衛権と日本国憲法』(集英社新書、入手先については、HPのカバーのところに載せてあります)という本の中で、アメリカが台湾海峡危機をきっかけにして起こる米中戦争のシナリオを真剣に考えていることを詳しく紹介したことがあります(24~77頁)。これまでに説明したように、大綱に示された情勢認識及びその認識に基づく防衛力整備の方向は、気持ちが悪くなるほど、アメリカのそれと一致しているのです。大綱(日本政府・保守政治)が米中軍事対決を念頭において、しかも日米軍事同盟の一員として、米中戦争の際には、アメリカ側に立って中国と戦争する体制作りに乗り出す構えを打ち出したのは明らかです。

「弾道ミサイル攻撃への対応」というのは、米中戦争がエスカレートしていく場合、戦力的に圧倒的に劣る中国がミサイル攻撃に訴える可能性があることを念頭においていることは明らかです(上掲拙著70~71頁参照)。また、「島嶼部に対する侵略への対応」というのは、米中戦争がエスカレートする過程で、中国が、日本の本土に対する反撃は到底無理であることはハッキリしていますが、南西諸島の一部の島嶼に上陸作戦を試みる可能性はあり得ることを念頭においたものと考えられます。

私たちは、日本に対する「脅威」として北朝鮮のことを思い浮かべる傾向が強いのが現実です(この問題についてはすぐ後で述べます)。しかし、「拉致」問題やノドン・テポドン問題などで、日本のマスコミが、北朝鮮脅威論を煽る政府・保守政治の手法にまんまと乗せられて国民の関心を北朝鮮に集中させている陰で、政府・保守政治は、アメリカとともに、中国との戦争の可能性を本気で考え、そのための布石を着々と進めようとしているのです。そのことを深刻に認識しないと、本当にとんでもないことになりかねません。

確かにアメリカといえども、中国との戦争を本気で望んでいるわけではないでしょう。しかし、台湾が独立に向けて暴走するようなことになれば、親台ロビーが圧倒的に多いアメリカ及び日本の議会の構成からいって、米中が軍事激突に向かってしまう危険性はかなり高いと見なければなりません(米日の親台派の人々は、中国が泣き寝入りするだろうと高をくくっているのでしょうが、中国のナショナリズムは本物ですから、そんな幻想は確実に打ち砕かれます)。そのときには、米軍基地を抱え、アメリカに協力する日本が無傷にすむはずはないのです。だからこそ、大綱は以上に述べたような布石を打とうとしているのです。

米中戦争を起こさないようにするためには、台湾が独立に突っ走ることを止めることが最大にして最も効果のある予防策になります。私たちが考えなければならないことは、「米中戦争が起こってしまったらどうするか」ではなく、「アメリカをして中国との戦争を考えさせないようにするために、日本は何をなすべきか」ということでなければなりません。大綱は、出発点において致命的な誤りを犯しているのです。

米中戦争が現実になってしまったら、日本の平和と安全はもちろんのこと、アジア太平洋ひいては国際の平和と安全が崩壊することは避けられません。そういうことが万が一にでも起こらないようにするためには、大綱の危険性を直視し、日本が道を誤らないようにするため、主権者である私たちが一刻も早く目覚め、行動を起こすことが求められています(自民党の憲法改正草案大綱−自民党の内部事情で、この改憲案自体の帰趨は若干不明瞭になりましたが、そのことは、この改憲案に盛り込まれた自民党の本音を覆すものではありません−に見事に反映しているように、保守政治はそういう覚醒した国民が邪魔になりますから、「国家を個人の上におく」国家観を押しつけようとしています)。

4.大綱は北朝鮮の脅威性についても扱っていること

大綱にいう「新たな脅威や多様な事態」には、朝鮮半島も含まれています。大綱は、「北朝鮮は大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発、配備、拡散等を行うとともに、大規模な特殊部隊を保持している。北朝鮮のこのような軍事的な動きは、地域の安全保障における重大な不安定要因であるとともに、国際的な拡散防止の努力に対する深刻な課題となっている」と、中国に対するより不信感をより露わにした記述をしています。先に紹介した「米国の軍事的プレゼンスは、依然として不透明・不確実な要素が存在するアジア太平洋地域の平和と安定を維持するために不可欠である」というくだりは、北朝鮮に対しても向けられていることはいうまでもありません。

この北朝鮮に対する「実効的な対応」策として、大綱は、「ゲリラや特殊部隊による攻撃等への対応」や「武装工作船等への対応」をあげています。ノドン・テポドンのことを考えれば、「弾道ミサイル攻撃への対応」も含まれるとは言えるでしょう(ただし、大綱を作成した軍事専門家たちの最大の関心は、精度が高く、破壊力も大きい中国の核弾頭運搬可能なミサイルにあることは間違いありません)。

北朝鮮についても、1.で述べたことが当てはまることを忘れてはなりません。つまり、北朝鮮が先手を取って日本に対して侵略戦争を行うことはないことを、大綱自身が認めているということです。大綱が「ゲリラや特殊部隊による攻撃等への対応」をあげるのは、アメリカが先制攻撃で北朝鮮に戦争を仕掛ける場合に、北朝鮮が反撃として、アメリカと一心同体で行動する日本にゲリラや特殊部隊を送り込んで反撃を試みる可能性を想定しているからです。そしてその場合の最悪のシナリオとして政府・保守政治が描いているのは、原子力発電所に向けた攻撃です。アメリカが北朝鮮に先制攻撃の戦争を仕掛けたら、北朝鮮ゲリラによる原発攻撃の可能性は極めて高い、といわなければなりません。

ここでも私たちが考えなければならないのは、「北朝鮮が攻めてきたらどうするか」ということではなく、「そんな事態を引き起こす元凶であるアメリカの先制攻撃を如何にして阻止するか」ということであるはずです。アメリカさえ血迷わなければ、チェルノブイリが日本において現実になることはないからです。ここでも私たちがするべきことは、大綱の出発点における致命的な発想の誤りを正し、日本をアメリカの同盟者にさせないことでなければならないことが分かると思います。

5.大綱は日本を本格的に「戦争する国」に変えようとしていること

大綱は、「国際社会における軍事力の役割は多様化しており、武力紛争の抑止・対処に加え、紛争の予防から復興支援に至るまで多様な場面で積極的に活用されている」、「我が国の繁栄と発展には、海上交通の安全確保等が不可欠であることといった我が国の置かれた諸条件を考慮する必要がある」という認識を示しています。そして、「国際社会の平和と安定が我が国の平和と安全に密接に結びついているという認識の下、我が国の平和と安全をより確固たるものとすることを目的として、国際的な安全保障環境を改善するために国際社会が協力して行う活動(以下「国際平和協力活動」という。)に主体的かつ積極的にとり組みうるものとする必要がある」とし、「国際平和協力活動を外交と一体のものとして主体的・積極的に行っていく」と位置づけています。

そのために大綱は、「教育訓練体制、所要の部隊の待機態勢、輸送能力等を整備し、迅速に部隊を派遣し、継続的に活動するための各種基盤を確立する」としています。是非は別とすれば、いわんとすることは分かります。

問題は、すぐその後に、「自衛隊の任務における同活動の適切な位置付けを含め所要の体制を整える」という意味不明な文章が盛り込まれていることです。しかし私は直ちに、自民党の出した「憲法改正のポイント」(2004年6月)の次のくだりを思い出しました。

「ポイント」は、<憲法9条の虚構性と「現実の平和」創造への努力>という項目で、「(自衛隊)派遣要員が自己や同僚を守る目的なら武器は使えるが、同じ任務のために離れた場所で活動する外国軍隊や国際機関の要員のためには使えない、といった憲法解釈上の不備が指摘されています。これでは、軍隊としてはおかしな話です」と本音を漏らしつつ、「9条により集団的自衛権が行使できないと解釈されていることについても、「日米同盟の『抑止力』を減退させる危険性をはらんでいるのみならず、アジアにおける集団的な安全保障協力を効果的に推進する上での障害となる」との批判も出ています」、「現在は国際テロリズムや北朝鮮の拉致事件などがあり…国及び国民の安全を確保できるような憲法9条の改正をする必要がある」と指摘しているのです。

大綱は、自民党が考えている2007年の憲法「改正」をも当然に織り込んだ上でつくられています(大綱自身は、改憲問題にはまったく触れていません)から、上記の意味不明なくだりを「ポイント」の上記指摘と関連づけて理解することは、決して的はずれではないでしょう。というよりも、殊更に「改憲」問題を避けて通っている大綱が、思わず本音を漏らした唯一の箇所が、「自衛隊の任務における同活動の適切な位置付けを含め所要の体制を整える」というくだりであるとも読めるのです。

最後に

大綱は、改憲勢力が進めようとしている憲法「改正」によっても影響を受けない(改憲の暁には改めて書き直される、というような代物ではない)ことを念頭において練り上げられているはずです。というより、「戦争する国」にするための改憲を待って全面的に推進されるべき「防衛計画の大綱」として位置づけられているに違いありません。だからこそ、以上の5点にわたって指摘した内容が含まれている、ということです。

私たちは、大綱に盛り込まれた以上の危険な要素をしっかり認識し、憲法が「改正」されてしまえば、もはや大綱の危険な内容に対する歯止めがなくなってしまうということをしっかり認識することが求められています。改憲を許さないためには、国民の多数派を作り上げることが焦眉の課題(国会は改憲勢力によって占められてしまっている)です。私は、大綱の以上の危険な内容を一人でも多くの国民に理解してもらうようにする努力が、改憲阻止の多数派形成にとって、一つの重要かつ有効な語り口・切り口になると思います。

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