自民党憲法改正草案大綱についてのコメント

2004.11.28

*2004年11月17日付で、自民党憲法調査会は、事務局案(未定稿)として、「自民党・憲法改正草案大綱(たたき台)〜己も他もしあわせになるための「共生憲法」を目指して〜」(以下「大綱」と略します)を明らかにしました(「共生」という言葉は曖昧な感じを与えますが、以下から分かるように、「国家を国民の上におく」国家観の代名詞と使われているものです)。「自民党は、12月に大綱を決定したうえで、党内論議を経て結党50年に当たる2005年11月に、党としての憲法改正草案を発表する方針だ」(11月17日付読売新聞)ということです。

 昨日(27日)にやっと全文を手に入れることができたので、早速読んでみましたが、まさに「国家を個人の上におく」国家観と「力による」平和観を全面に押し出した最悪の改憲案であることが一目瞭然の代物でした。私の新著である『戦争する国しない国』(青木書店。入手については、カバーのメール・アドレスを参照ください)を併せて読んで頂くと、「国家を個人の上におく」国家観と「力による」平和観が如何に危険な思想であるかが、よりよくお分かりいただけると思いますので、この文章に関心を持たれた方は、是非上記新著を読んで頂きたいと思います。

皆さんに自民党の改憲意図をしっかり分かって頂きたい思いから、この大綱について読み取っておくべきであると私が理解するポイントを明らかにしておきます。

天皇制、教育、参議院、政党活動、憲法裁判所、地方自治、憲法改正手続などについても様々な問題がありますが、また機会があったら取り上げることにします(2004年11月28日記)。

(1)「個人を国家の上におく」国家観に貫かれている平和憲法を、「国家を個人の上におく」国家観で塗り固めた憲法に変えようとするものであること

大綱は、冒頭に当たる「はじめに〜基本的考え方〜」で、まず彼らの考える「新しい国家像(憲法象)の理念」を明らかにすることから始めています。そのことからだけでも、平和憲法の国家観を突き崩そうという彼らの意図が明確に読み取れます。国家と個人の関係のあり方に関しては、第一章(総則)、第三章(基本的な権利・自由及び責務)の第一節(総論的事項)及び第八章(国家緊急事態及び自衛軍)でも記述がありますので、関連する事項はここで扱います。

①「国柄(国家>個人)を踏まえた憲法」

「第一に新しい憲法は、日本国憲法の三つの基本的原理(注:国民主権、基本的人権の尊重及び平和主義)を、人類普遍の価値として発展させつつも、我が国のこれまでの歴史、伝統及び文化に根ざした固有の価値、すなわち、人の和を大切にし、相互に助け合い、平和を愛し命を慈しむとともに、美しい国土を含めた自然との共生を大事にする国民性(一言で言えば、それらすべてを包含するという意味での「国柄」)を踏まえたものでなければならない」(1頁。太字、下線は筆者。以下同じ)という主張には、早くも国家と国民の関係のあり方(主従関係)についての、彼らの意図が忍び込んでいます。大綱の説明においても、「本憲法草案の第一のポイントは、我が国の「国柄」を体現した憲法でなければならないことを明記している点である」と、その意図を隠していません。

「国柄」という言葉自体、すでに異様なにおいを感じさせますが、大綱では、「国柄」とは何かについて、「平和を愛し命を慈しむとともに、草木一本にも神が宿るとして自然との共生をも大事にするような平和愛好国家・国民」(2頁)、「我が国の国柄を象徴する「天皇制」」(3頁)としています。「草木一本にも神が宿る」などという表現には恐ろしく自然信仰的な大時代的な雰囲気を感じさせますが、自然(権威・権力。それを象徴するのが天皇制)の前には無力であるという日本人特有の傾向を「国柄」として私たちに受け入れさせようとする狙いを読み取る必要があります。

また、上記にいう「歴史には、第二次世界大戦における敗北の歴史も含めたものである。すなわち、戦争から得た貴重な教訓とは、「和の精神」「平和を愛する国民性」を改めて再確認したこと」(2頁)という説明もついています。侵略戦争であったことを率直に認めないで「第二次世界大戦における敗北」といい、そこから学ぶべき教訓として、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(平和憲法前文)するのではなく、脈絡もなしに「和の精神」「平和を愛する国民性」を強引に持ってくるところにも、彼らの救いがたい歴史認識の姿が透けてきます。

②権力制限規範ではなく、国民制限規範としての憲法

大綱は、「第二に、国民の誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」を目指すということである」と続けています。

大綱は、つぎのようにいいます。「二一世紀における現代憲法は、国家と国民を対峙させた権力制限規範というにとどまらず、「国民の利益ひいては国益を護り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と地域社会・国民とがそれぞれに協働しながら共生する社会をつくっていくための、透明性のあるルールの束」としての側面を有することに注目するべきである。そう言う実質を伴った国家・社会を構築してはじめて「品格ある国家」となることができ」る、と。この点に関してさらに大綱の説明があり、「本憲法草案の第二のポイントは、誤った個人偏重主義を正すために、「公共(国家や社会)の正しい意味を再確認させること…である」としています。

民主主義国家における憲法の最も基本的な性格は、権力が暴走することを抑えるための「権力制限規範」であるということにあります。憲法のその性格は、様々な国で人民が権力と戦い、権力をして人間の尊厳を承認させ、人間としての尊厳を全うするために人権・民主主義を勝ち取ってきた貴重な歴史的蓄積として確立したものです。

ところが大綱は、その点についての反論もしないまま(もちろん、できないからしないのでしょう)、憲法の性格を「国益を護…るために、…国家と…国民とが…共生する社会をつくっていくための、透明性のあるルールの束」と決めつけているのです。ここでも再び顔をのぞかせるのが「共生」という言葉ですが、「国益を護るため」とあることから直ちに分かるように、この「共生」とは、国家のいうことを国民が聞き入れる形での「共生」であることはハッキリしています。その点をさらに明確な形で押し出しているのが、第一章(総則)の6(「最高法規・憲法尊重擁護義務」)で盛り込まれている、「国民は、この憲法を制定した主権者として、不断の努力によってこれを保持しなければならないものであって、これを尊重し擁護する責務を有するものとする」という部分です。

このままの内容で改憲が成立してしまえば、「国家>個人」という人間の尊厳を尊重する立場と真っ向から対立する改悪憲法に対して不服従の立場を取ることは許されない、ということになるのです。

③「共生の原理」をねじ込まれた基本的人権

大綱の第一章(総則)では、「2 基本的人権尊重の原理」を扱っています。そこでは、「我が国は、…法秩序の至高の価値である「個人の尊厳」を基本として、自立と共生の理念にのっとり、すべての人々の生命、自由及び幸福追求の権利を最大限に尊重することを定める」としています。そしてその説明として、「ここにいう基本的人権の尊重は、…他人の権利の尊重と両立しなければならないという「共生の原理」が含まれている」としているのです。

基本的人権が他者の権利・自由を侵すものであってはならない、ということは、それこそ「イロハ」の「イ」です。ところがそういう基本的人権に内在する制約を、わざわざ「共生の原理」とすることにより、「他者(社会・国家)」に対する服従を当然のこととする考え方を押し込んでいるのです。

④「公共の価値」による基本的人権の制約

大綱は、第三章第一節で、「基本的な権利・自由は、…国家の安全と社会の健全な発展を図る「公共の価値」がある場合…制限される」と明記します。そしてその説明として、「公共の価値」による「人権制約は、学会における通説的な理解である「人権調整の場面」だけではなくて、「国家…の安全」のためにも許容されることを明確にしている」と踏み込んでいます。

平和憲法では「公共の福祉」による人権制約の問題として扱われてきたものですが、大綱の説明は、「公共の価値」という用語を用いた理由として、「公共の福祉」という概念は「やや手あかが付いたものになっているので、敢えてこれを避けた」と放言しています。

いずれにせよ、「共生の原理」などによって「国家>個人」の考え方を展開してきた大綱が、ここでは歯をむき出しにして、「国家の安全」のためには基本的人権を制約することをあからさまにしているのです。

⑤国家緊急事態における基本的人権の制限

大綱は、第八章第一節2(国家緊急事態における措置)で、「国家緊急事態における布告が発せられた場合には、…基本的な権利・自由は、その布告が発せられている期間、特にこれを制限することができる」としています。確かに、「その制限に係る措置は必要最小限のものでなければならない」と付け加えてはいますが、この文言は、武力攻撃事態対処法以来、政府が常套文句としているもので、国会審議における政府答弁から見ても(拙著『戦争する国しない国』で詳述)、まったく歯止めにはならないことが分かっています。

「新しい人権」を重視し、それらの権利が盛り込まれれば、憲法「改正」に賛成すると考える人たちに、是非とも考えて欲しいことがあります。つまり、仮に「改正」憲法に「新しい人権」が盛り込まれたとしても、国家緊急事態になれば、すべては吹っ飛ぶということです。「新しい権利」は、平和憲法の下で、判例の積み重ねで権利として確立してきています。平和憲法の下であればこそ、「新しい権利」が権利として確立してきているのです。「戦争する国」になったら、「新しい権利」は常に不安定なものになってしまいます。そういう点をしっかり認識し、改憲派が示す「誘惑」に惑わされないことを、私は心から願いたい気持ちです。

(2)「力によらない」平和観に貫かれている平和憲法を、「力による」平和観で塗り固めた憲法に変えようとするものであること

大綱は、平和主義の問題に関して、第一章(総則)と第四章(平和主義及び国際協調)、さらに第八章(国家緊急事態及び自衛軍)で扱っています。

①平和憲法の「力によらない」平和観を換骨奪胎するトリック

総則は、「象徴天皇制と国民主権の原理」、「基本的人権の尊重」(既述)とともに、「発展・拡充された新たな平和主義の原理(環境保全主義を含む)」(さらに「領土」「国旗及び国家」、そして「最高法規・憲法尊重擁護義務」(既述)が取り上げられています)を扱っています。この部分のポイントは二つあります。

一つは、「戦争放棄の思想を堅持しつつ、国際社会と協働して、積極的に国際平和の実現に寄与することを宣言する」としていることです。しかし、「戦争放棄」の意味や、「国際社会と協働して、積極的に国際平和の実現に寄与」の内容については、第四章、第八章で明らかにされる形を取っています。

もう一つは、「人類生存の基盤としての自然(地球環境)の保全の必要性を認識」して、「国際社会と協力しながら、その保全に努め、人間と自然との共生に積極的に寄与することを宣言する」としていることです。自民党が環境問題に対して冷淡であることを知るものにとって、ここには明らかに、環境保全を重視する人たちを改憲支持に取り込もうとする意図が透けて見えます。

できる限り多くの人々を改憲賛成に取り込もうとする意図は、第四章(平和主義及び国際協調)第一節(平和主義)1(国際平和への寄与)の、次の記述にも見て取ることができます。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、全世界の国民が、ひとしく貧困、環境破壊、薬物、国際組織犯罪、感染症、紛争、難民流出、対人地雷等の社会構造的な災禍から免れ、尊厳を維持した人間として創造的で価値ある人生を生きる権利を有することを確認する」としているのです。この点に関する説明として、「現行憲法の定める平和主義をさらに発展させて、…国際的にも定着しつつある「人間の安全保障」の基本的な考え方を規定したもの」という既述まで盛り込んでいます。平和憲法の「平和主義」に対する換骨奪胎以外の何ものでもありませんが、改憲派は、そのことを多くの人々に正確に理解し、認識してもらうことを難しくする癖玉を盛り込んでいるのです。

②「戦争放棄」条項のわい曲

大綱は、第1節2(「戦争の放棄と武力行使の謙抑性」)の冒頭に、平和憲法第9条第1項の規定をそのまま持ってきています。しかしその点に関する説明の部分で、「現行憲法9条1項の「侵略戦争の放棄」を定めたもの」とし、「したがって、…「自衛(これには、当然に、個別的・集団的自衛権の両者が含まれる)」や「国際貢献(国際平和の維持・創出)」のための武力の行使は、禁止されておらず、容認されることになる」としているのです。「平和主義」について行われた換骨奪胎の手法が、ここでも臆面もなく、もっと厚かましい形で行われていることを見て取ることが必要です。

平和憲法においては、戦争放棄の決意を規定した(1項)上で、その点について国際社会の確信を得るために、戦力不保持(2項)を定めています。しかし、大綱は、集団的自衛権の行使や国際貢献としての武力行使は「国際紛争を解決する手段」には当たらない、として正当化しようとしているのです。この主張を受け入れてしまえば、国連安保理決議に基づく国際的な武力の行使に加わることやアメリカに対する戦争協力としての武力の行使はすべて認められるということになってしまうでしょう。まさに「戦争する国」に変質することを可能にしようとする内容なのです。

③個別的・集団的自衛権行使の組織としての自衛軍の設置

大綱は、第八章第二節(自衛軍)で、「個別的又は集団的自衛権を行使するための必要最小限度の戦力を保持する組織として、…自衛軍を設置する」と明記します。その任務については、自国の防衛に加え、「自衛軍は、…治安緊急事態、災害緊急事態その他の公共の秩序の維持に当たること及び国際貢献のための活動(武力の行使を伴う活動を含む。)を行うことをも任務とする」ということをも明記しています。

戦力不保持を定めている平和憲法第9条2項を明確に否定しているだけでも重大きわまりないことですが、「公共の秩序の維持」及び「国際貢献のための活動」をも任務とするとしていることは、戦争放棄条項のわい曲について正面から居直ったというところでしょうか。

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