被爆60年にむけた私たちの運動上の課題

2004.10.24

*ここに載せる文章は、「被爆60年に向けた私たちの問題と運動上の課題」と題してこのコラムに載せたレジュメの趣旨を要約したものです。お話しした内容の要旨を2000字程度にまとめて欲しい、という依頼があったので、簡単にポイントを文章にしました。なんらかのさんこうになればと思い、掲載します(2004年10月24日記)。

なお、私事ですが、10月27日から11月9日まで、ゼミ生を伴って中国に校外実習に行きますので、11月2日のアメリカの大統領選挙の結果に対する私の感想・分析を適時に載せることができないことを、あらかじめお断りしておきます。

1.核兵器廃絶運動が直面している試練

被爆60年を明年に迎える核廃絶運動が直視しなければならない課題はきわめて重い。大きく言って三つの問題があることを確認しておきたい。

一つは、アメリカ・ブッシュ政権が推し進めようとしている、これまで国際的に細々ながらも形成されてきた核兵器管理体制すら押しつぶそうとする、先制攻撃戦略の一環をなす核兵器開発政策である。具体的には、「使える」戦術核兵器(実戦用小型化核兵器委及び地中貫徹型核兵器)の開発とそのために必要となる地下核実験再開に向けた動きがある。

二つめは、核兵器の国際的な拡散という問題である。具体的には、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核兵器開発を公言する状況がある。また、アメリカ(及び欧州諸国)が警戒感を高めているイランの核兵器開発の可能性という問題がある(イラン自身は、あくまでも平和開発であると主張している)。また、核兵器開発に成功したパキスタンから、核兵器製造技術が流出していたという深刻な問題も明るみにでた。核不拡散体制(NPT)では、核兵器国をアメリカ以下の5大国に限っているが、NPTはイスラエル、インド、パキスタンの核兵器保有に対する歯止めにならなかった、ということが今や諦めをもって受け入れられる状況もある。

第三は、アジアにおける核戦争の危険性である。つまり、朝鮮半島、台湾海峡、インド・パキスタン紛争と、アジアは三つの核戦争の震源地を抱え込んでいるという現実がある。

2.核兵器廃絶運動にとっての課題

核兵器廃絶運動が直面している最大の課題は、最大の核兵器国であるアメリカの暴走そして二重基準の政策をどのようにして抑え込むか、という問題である。核兵器廃絶運動が直面している試練(上記1参照)のいずれをとっても、すべてアメリカがらみである。

アメリカの核兵器保有は正当化し、同盟国・友好国の核兵器保有についても黙認しつつ、アメリカの言うことを聞かない国々・勢力が、アメリカから来る軍事的脅威に対抗する手段として核兵器を開発する動きを取ることに対しては、これを力づくによって抑え込もうとするアメリカの二重基準の政策を根本的に正さない限り、核兵器廃絶を如何に唱えても画餅に終わらざるを得ないだろう。

3 核廃絶運動のあり方に関する意見

核廃絶運動を取り巻く環境は、率直に言ってきわめて厳しい。しかも日本国内の政治情勢を見ると、さらに厳しい状況があることを直視することが必要であると、私は痛感する。

核廃絶運動は、今憲法「改正」を目指す保守勢力の攻勢という試練に立たされている。言い換えれば、核廃絶運動を憲法「改正」阻止の闘いとどのように結びつけていくことが求められているのか、という問題である。私自身の願いとしては、言うまでもなく、憲法「改正」を阻止する闘いと不可分に結びつけた核廃絶運動にしていって欲しいという思いがある。

しかし現実を直視すれば、憲法「改正」阻止の運動と核兵器廃絶を目指す運動が完全には重なっていない状況が厳然として存在することから、目をそむけるわけにはいかない。

なぜ、そのような状況が存在するのかについて原因を考えるとき、私は次のことを考えないわけにはいかない。つまり、「武力によらない」平和観に立った国家のあり方を指し示す平和憲法が、核廃絶運動の指導理念になりきれてこなかった、ということだ。もっと具体的に言えば、核廃絶の主張の中に忍び込んできた「ホンネ」と「タテマエ」の棲み分けを図る動き−たとえば「武力による」平和観を前提とする日米安保肯定派を中心とする「究極的核廃絶」論−が、多くの善意の国民の平和観を曇らせ、曖昧にしてきたのではないか、ということである。

被爆60年に向けて、「武力によらない」平和観に立つ憲法「改正」阻止の闘いが、「究極的廃絶」論などのごまかしを見破り、真の核廃絶を目指す国内の様々な運動の理念とエネルギーを活性化することを希望してやまない。

同時にまた、日本の核廃絶運動が、被爆60年の来年に開催されるNPT再検討会議をも視野に入れて、国際的な核廃絶を目指す運動で主動力・リーダーシップを発揮することを期待する。そこでの中心的な課題の一つは、国際人道法の発展の流れの中で、反人道的本質を持つ核兵器を国際的に違法化するという方向性を日本から積極的に発信していくことにあると思う。また、「力による」平和観に立つ側の中にも、核兵器には反対という立場を取る人々がおり、そういう立場に立つ内外の人々とどのような関係を構築していくか、ということも重要な課題であると思う。

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