憲法「改正」をめぐる情勢:改憲派の論点

2004.10.02

*最近、あるところで改憲派の主張についてまとめてお話しする機会がありました。

改憲派の攻勢を食い止める手だては、今や国会(改憲派が圧倒的多数を占めている)にはなく、2007年にも予想される国民投票において、国民の過半数が改憲に「No」という審判を下す状況を生み出すことができるかどうかにすべてが掛かっているといっても過言ではない事態になっているというのが、私の偽りのない実感です。

しかも、改憲派が2004年6月に次々と明らかにした現時点での改憲に向けた論点整理案(名称はそれぞれに異なる)を見ますと、多くの国民に受け入れられやすいようにするための巧妙な工夫や仕掛けが仕組まれていることが分かります。彼らの目標が9条改憲にあることは明らかですが、そのことを目立たせないようにするために、「国民主権」、「基本的人権」、「平和主義」という現行憲法の3大原則は変えないとか、環境権やプライバシー権などの新しい人権に関する規定を盛り込むことに積極的な姿勢を示すとかの手法を凝らすことで、国民の警戒心を高めないようにしているのです。

したがって、改憲阻止のための闘いをやり遂げなければならない私たちにとっては、「9条改憲反対」だけを言っているだけでは、国民の過半数が改憲反対の立場を明確にすることを期待できない厳しい状況にあることを認識しなければならないし、改憲阻止の世論を多数派にするためには、改憲派の議論をも十分に踏まえた上で、その議論を論破するだけの説得力のある主張を行えるだけの力量を早急に身につける必要があるということを、私はヒシヒシと感じています。

「己を知り、敵を知れば百選戦うも危うからず」といいます。まずは、改憲派の主張・議論を正確に踏まえることが必要なのです。以下の文章は、自民党、民主党、公明党の現時点における主張のポイントを整理したものです。この文章を手がかりにして、皆さんが改憲派の主張を正確に理解し、彼らの主張を打ち破るに足る力量を身につけることを願ってやみません。(2004年10月2日記)。

1.改憲派の最近の動き

(1)自民党:「改憲」

−「憲法改正のポイント」(2004年6月)

*位置づけ・性格:「党内のこれまでの議論を踏まえ、新しい憲法についての基本的な考え方と方向性を示し、憲法に関する国民的議論が活発に展開されることを願って作成したもの」

−憲法改正プロジェクトチーム「論点整理(案)」(2004年6月10日)

*位置づけ・性格:2003年12月22日から2004年6月4日までの18回の会合で「憲法103ヶ条の全条文(前文を含む)に関して、各条章ごとに審議・検討」、5月13日からは論点整理を行い、「わが党が志向するあるべき新憲法の全体像を示すことは、公党としての国民に対する責務であると考え、これまでの議論を取りまとめ、この「論点整理(案)」を作成した。」

「わが党のたゆまぬ努力により、憲法改正のための国民投票は、もはや絵空事ではなくなった。(中略)一国の基本法である憲法が正反対の意味に解釈されることがあってはならない。新憲法は、その解釈に疑義を生じさせるようなものであってはならない。」

−(参考)自由民主党憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム議論の整理(案)(2004年4月15日)

*位置づけ・性格:2003年12月22日の第1回会合から、2004年4月15日の第13回会合までの出席者の発言骨子を項目ごとにまとめたもの。出席議員の考え方を個別に理解する上で参考となる資料

(2)公明党:「加憲」(注:「憲法第9条を堅持した上で、時代の大きな変貌のなかで新しく提起された環境権や、プライバシー権等の新しい人権を加えるという「加憲」という立場」)

−公明党憲法調査会による「論点整理」(公明新聞2004年6月17〜19日)

*位置づけ・性格:「これまで党憲法調査会において行われてきた論議を基にして、党憲法調査会として論点を整理した。あくまで、自由な意見を述べて頂いたものをまとめたものであり、今後の憲法論議の参考としたいと思う。今後、秋にも想定している党大会において、見解をまとめたいと考えている。」

(3)民主党:「創憲」(「その場凌ぎの対応を繰り返す政府によって憲法の「空洞化」が進み、いわゆる条文上の文言を守ることに汲々として憲法の「形骸化」を放置する状況に直面し、私達は、21世紀の新しい時代に応える創造的な憲法論議が必要だとの思いを強くしている。」)

−「創憲に向けて、憲法提言中間報告」(2004年6月22日)

*位置づけ・性格:「憲法をめぐる論議が盛んになるにつれて、私たちは何を議論しなくてはいけないのか、どのような検討を行うべきなのか、次第に明瞭になってきた。それは、21世紀の新しい時代を迎えて、現在の日本国憲法をいかにして深化・発展させていくかというものであり、未来志向の憲法構想を、勇気を持って打ち立てると言うことである。」

−(参考)岡田克也「新しい日本と21世紀の日米関係」(2004年7月29日)

*位置づけ・性格:安全保障問題に関して、上記「中間報告」より、若干なりとも具体的に発言したもの。

(4)経団連

−「国の基本問題検討委員会の設置について」(2004年7月)

*位置づけ・性格:「検討が進められている憲法改正に対し産業界意見を取りまとめていく」ために、「新たに「国の基本問題検討委員会」を設置し、国の基本的な重要課題を体系的に整理し、国益、国家戦略の観点から、憲法改正のあり方も含めた検討を進め、意見の集約を図り、必要に応じて提言を行う。」

2.改憲論における特徴

(1)論点の酷似性

−2000年1月に設置され、活動してきた国会(衆参両院)の憲法調査会における議論が、客観的に、「改正」されるべき憲法の内容に関する改憲派各党の論点を集約することに貢献している:こうなることは始めから分かっていた(それにもかかわらず、まともな反対運動を起こすこともできなかったことに対する疑問)

−「21世紀の新しい日本にふさわしい」憲法(自民党)、「21世紀の新しい時代に応える創造的な憲法論議」(民主党)、「特に21世紀日本をどうするかという未来志向の憲法論議」(公明党)とあるように、平和憲法は21世紀という新しい時代に合わなくなった古くさい代物、という認識が共通の出発点になっている:平和憲法の先駆性・先見性を頭から否定してかかる議論の横行

−しかし、現行憲法の3原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」を「人類普遍の価値」(自民党!)として「今後ますます維持・発展させていく必要」(同)があるとしている点で、3党は歩調を合わせている:国民に対する「目くらまし」効果を狙っていることについて、国民的自覚が求められる点

−特に自民党の「憲法改正のポイント」「論点整理(案)」と公明党の「論点整理」との間には、扱っている論点に関して、極めて高い一致性が見られる:公明党の本質的欺瞞性を浮かび上がらせている(公明党の害毒!)

(2)主要論点に関する3党の立場の比較

(イ)国家に関する位置づけ

−自民党の「論点整理(案)」は、「新憲法が目指すべき国家像とは、国民誰もが自ら誇りにし、国際社会から尊敬される「品格ある国家」である」とし、「現憲法の制定時に占領政策を優先した結果置き去りにされた歴史、伝統、文化に根ざした我が国固有の価値(すなわち「国柄」)や、日本人が元来有してきた道徳心など健全な常識に基づいたものでなければならない。同時に、日本国、日本人のアイデンティティを憲法の中に見いだすことができるものでなければならない」とし、「ポイント」は以上を受けて更に、「憲法を通じて国民の中に自然と「愛国心」が芽生えてくるような、そんな新しい憲法にしなければならない」と主張する。そして、「国柄」という意味不明な言葉については、「連綿と続く長い歴史を有するわが国において、天皇はわが国の文化・伝統と密接不可分な存在となっているが、現憲法の規定は、そうした点を見過ごし、結果的にわが国の「国柄」を十分に規定していないのではないか、また、天皇の地位の本来的な根拠は、そのような「国柄」にあることを明文規定をもって確認すべきかどうか、天皇を元首として明記すべきかどうかなど、様々な観点から、現憲法を見直す必要がある」と指摘している:後述するように、自民党も象徴天皇制については現状維持の姿勢を示しているが、その本音は限りなく過去への復帰を志向する意図があからさまになっている

また「ポイント」では、<非常事態に備えて>という項目で、「非常事態における包括的な憲法原則を明確にする必要があります。具体的には、非常事態においてやむを得ず行われる権利・自由の制限など、国家権力の行使の代替措置をあらかじめ決めておくことです」と主張し、<他人を尊重することからはじまる「公共」>という項目で、「人間は社会的な存在であり、人間としての尊厳をもっとお互いに大切にすべきです。他人への配慮や思いやり、社会に対する積極的な貢献を果たすことによって、自己の存在、尊厳もまた大事にされるのではないでしょうか」、「各人が他人を思いやり、相互に尊重し合えば、個人の関係からなるネットワークができます。これが「公共」です。「独りよがり」の人権主張ではなく、他人を尊重する責務からはじまる「公共」の概念を、私達は大切にしていきたい」と議論を進めた上で、<国家は、みんなで支える「大きな公共」>という項目で、「自立し、互いに他を尊重し合う個人のネットワークである「公共」の一番大きな形態は国家」「国家とは、…ひとりひとりの国民の「他者の権利・自由を尊重しなければならない」という「責務」が集まってできたもの」とし、「国家の構成員としての国民の責務や日本古来の伝統・文化を尊重する責務を憲法に明記すべきではないか」と議論を運んでいる:ここには「国家を個人の上におく」国家観が赤裸々に自己主張している

−民主党の「中間報告」が示す国家観は、一見する限り、以上の自民党のそれとはまったく異質であるかのように見えるが、「自然と人間の共生」「異質な価値観に対する寛容」という具体論になると、突然自民党顔負けの復古主義が顔をのぞかせる

すなわち「中間報告」は、「紛争形態の変化、大きな価値転換や構造変動に伴って、これまで絶対的な存在と見られてきた国家主権や国民概念も着実に変容し始めている」、「21世紀の新しいタイプの憲法は、この主権の縮減、主権の抑制と共有化という、「主権の相対化」の歴史の流れをさらに確実なものとし、これに向けて邁進する国家の基本法として構想されるべきである」と主張する。

そこから「私たちが試みなければならない憲法論議の質が、懐古的な改憲論や守旧的な護憲論にとどまるものではない」という方向はずれの憲法論も出てくるし、「日本が国際社会の先陣を切る決意で、21世紀の新時代のモデルになる、新たなタイプの憲法を構想する<地球市民的想像力>である」という国民なき「地球市民」的発想へと飛躍することにもつながっている

ところが、「自然と人間の共生」にかかわる環境権の問題となると一転して、「私達は、日本が培ってきた「和の文化」と「自然に対する畏怖」の感情を大切にするべきであると考えている。「和」とは、調和のことであり、社会の「平和」を指すものである。21世紀のキーワードはいまや、「環境」「自然と人間の共生」、そして「平和」であり、日本の伝統的価値観の中にその可能性を見出し、それを憲法規範中に生かす知恵がいま必要である」とか、異質な価値観への対応に関しても、「人間と人間の多様で自由な結びつきを重視し、さまざまなコミュニティの存在に基礎を据えた社会は、異質な価値観に対しても寛容な「多文化社会」をめざすものでなくてはいけない。これもまた、<一神教的な>唯一の正義を振りかざすのではなく、多様性を受容する文化という点においては、日本社会に根付いた<多神教的な>価値観を大いに生かすことができる」と論じている:その議論の支離滅裂性は余りにも明らかであり、民主党という政党の本質を窺うに足る

−ちなみに、公明党の「論点整理」には、国家観にかかわる主張は抜け落ちている:宗教政党である公明党の本質的弱点を反映するもの

(ロ)平和観(安全保障観)

−自民党は、まず「論点整理(案)」で、「新憲法には、国際情勢の冷徹な分析に基づき、わが国の独立と安全をどのように確保するかという明確なビジョンがなければならない。同時に、新憲法は、わが国が、自由と民主主義という価値観を同じくする諸国家と協働して、国際平和に積極的能動的に貢献する国家であることを内外に宣言するようなものでなければならない」と抽象的に原則論を展開した上で、「自衛のための戦力の保持を明記する」「個別的・集団的自衛権の行使に関する規定を盛り込む」と明言する:アメリカの要求に全面的に応える決意表明

「ポイント」では、<憲法9条の虚構性と「現実の平和」創造への努力>という項目で、「(自衛隊)派遣要員が自己や同僚を守る目的なら武器は使えるが、同じ任務のために離れた場所で活動する外国軍隊や国際機関の要員のためには使えない、といった憲法解釈上の不備が指摘されています。これでは、軍隊としてはおかしな話です」と正直に本音を漏らしつつ、「9条により集団的自衛権が行使できないと解釈されていることについても、「日米同盟の『抑止力』を減退させる危険性をはらんでいるのみならず、アジアにおける集団的な安全保障協力を効果的に推進する上での障害となる」との批判も出ています」、「現在は国際テロリズムや北朝鮮の拉致事件などがあり…国及び国民の安全を確保できるような憲法9条の改正をする必要がある」と、国民の関心をほかに向け(前者)、恐怖心・不安感を利用する(後者)ことも忘れていない。

−公明党は歯切れが悪い。「論点整理」は、第9条について、「現行規定を堅持すべきだとの党のこれまでの姿勢を覆す議論には至っていない」、集団的自衛権の行使については「認めるべきではないとの意見が大勢である」とする。しかし、「専守防衛、個別的自衛権の行使主体としての自衛隊の存在を認める記述をおくべきではないか、との意見がある」、「国連による国際公共の価値を追求するための集団安全保障は認められるべきではないか、との指摘がある。ただ、その場合でも武力の行使は認められず、あくまで後方からの人道復興支援に徹すべきだとの意見がある。それゆえ、憲法上あえて書き込む必要はなく、法律対応でいいとの主張である」、「ミサイル防衛、国際テロなどの緊急事態についての対処規定がないことから、新たに盛り込むべしとの指摘がある」とも書いている。

−民主党の「中間報告」に示された立論は、「憲法は現実政治に生かされるものでなければならないと考えているので、憲法の条文…の形骸化・空洞化を放置する立場はとらない」ということと、「古いタイプの脅威と国家間紛争に代わって、新しいタイプの脅威が地球規模で覆いつつあり、これに対応しうる新たな安全保障と国際協調主義の確立が求められている」ということの2点だ。したがって、「日米関係一辺倒の外交と安全保障政策を脱して、21世紀の新時代にふさわしい、「アジアの中の日本」の実現に向かって歩み出すべき時を迎えている」し、「国際協調主義の立場に立ち、国連中心の国際秩序の形成に向け積極的な役割を果たしていくべきである」ということになる

9条に関する「中間報告」の立場は強引だ。「日本国憲法は、国連憲章とそれに基づく集団安全保障体制を前提としている」、「前文に謳われている国際協調主義は、国連憲章の基本精神を受けたものであり、第9条の文言は国連憲章の条文をほぼ忠実に反映したものである」、「日本は、憲章が掲げる…集団安全保障が十分に機能することを願い、その実現のために常に努力することを希求し、決意した」、「日本は、憲法9条を介して、一国による武力の行使を原則禁止した国連憲章の精神に照らし、徹底した平和主義を宣明している」などは、歴史的事実と乖離している。したがって、「中間報告」がとってつけたように、「以上の原則的立場については、日本国憲法又は9条の「平和主義」を国民及び海外に表明するものとして今後も引き継ぐべきである」といっても、まったく説得力がない

しかし「中間報告」の「9条問題の解決」に向けた提案はきわめて具体的だ。一つは「憲法の中に、国連の集団安全保障活動を明確に位置づけること」、すなわち「国連安保理もしくは国連総会の決議による正統性を有する集団安全保障活動には、これに関与できることを明確にし、地球規模の脅威と国際人権保障のために、日本が責任をもってその役割を果たすことを鮮明にすること」であり、もう一つは「国連憲章上の「制約された自衛権」について明記する」ことだ

岡田発言は、以上の主張に潜む曖昧さについてある程度説明している。「日本には集団的自衛権の行使を広く認め、自衛隊が米軍との共同した軍事力行使を世界中で行えるようにすべきとの意見もあるが私は反対である。しかし、…憲法を改正して国連安保理の明確な決議がある場合に、日本の海外における武力行使を可能にし、世界の平和維持に日本も積極的に貢献すべきとの立場に立つ。…私は国連決議がない場合には日本は海外で武力行使すべきではないと考えている」というのだ:岡田が指摘するように、「この二つの考え…が、明確に違いが出るのは米国が国連安保理の決議なく、単独で武力行使をしたときに、日本がともに武力行使に参加することを認めるか否かという点である」ことはそのとおりだが、そもそも、安保理決議が万能薬(常に絶対的に正しい)という認識に立っている点で幼稚きわまる主張というほかない。

(ハ)人権・民主主義(人間の尊厳の承認という普遍的価値)

−自民党のこの問題に関する立場は、「論点整理(案)」がいうように、「新しい時代に対応する新しい権利をしっかり書き込む」ことと、「同時に、権利・自由と表裏一体をなす義務・責任や国の責務についても、共生社会の実現に向けての公と私の役割分担という観点から、新憲法にしっかりと位置づける」ことの二つであり、明らかに後者に力点がおかれている。そのことは、「本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず、「利己主義」に変質させられた結果、家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である」という認識表明に端的に反映されている

具体的には、「国民の健全な常識感覚から乖離した規定を見直すべきである」とし、「政教分離規定(現行憲法20条3項)をわが国の歴史と伝統を踏まえたものにすべき」、「「公共の福祉」(現憲法12条、13条、22条、29条)を「公共の利益」あるいは「公益」とすべき」、「婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直す」「社会権規定(現憲法25条)において、社会連帯、共助の観点から社会保障制度を支える義務・責務のような規定を置く」とする:自民党の反動的体質のあからさまな表明

ただし、新しい権利についても高度情報化時代に対応した人権規定(プライバシー権、知る権利)、生殖医療・遺伝子技術、移植医療の発達と生命倫理、犯罪被害者の権利、環境権・環境保全義務、知的財産権の保護などを網羅:「善意」の改憲賛成派を誘惑する内容

民主主義の重要な要素である地方自治に関しては、「ポイント」で、「住民に身近な行政はできる限り市町村といった基礎自治体に分担させることとし、国は国としてどうしてもやらなければならない事務に専念するという「補完性の原則」の考え方と、その裏づけとなる自主財源を基礎自治体に保障していくという方針が決定的に重要になっています」という技術論に徹した記述が、自民党の民主主義とは無縁の体質をかえって浮かび上がらせる

−公明党の「加憲」論は、人権に新しい権利を加えるという意味での造語であることが示すことから考えれば、人権・民主主義に関して積極的な主張が展開されていても良いはずだが、実際に「論点整理」に示された内容は、ほとんど自民党の新しい権利に関する内容と変わらない

民主主義に関する言及としては、「地方自治こそ民主主義の原動力」とし、「その重要性から見て、地方自治の章がわずか4条しかないことはきわめて抽象的で脆弱な規定であり、…具体的な内容が曖昧であるとの意見が多くあった」とする点が、自民党の立場との対比では目立つが、しかし抽象論の域を脱していない

−民主党の「中間報告」は、総論の最後に「憲法を国民の手に取り戻すために」という項目を設けているが、そこで言われていることは、「日本ではこれまで、憲法制定や改正において、日本国民の意思がそのまま反映される国民投票を一度も経験したことがない。私たちは、憲法を国民の手に取り戻すためにも、やはり直接的な意思の表明と選択が大事であると強く受けとめている」というだけのことで、人権・民主主義の本質論からはほど遠い

また「中間報告」では、「国民主権に基づく確かな統治を目指して」及び「国際人権法と人権保障の確立を目指して」と題して多くのページを割いていることは確かだが、その内容は技術論に走っており、民主党が人権・民主主義(人間の尊厳の承認という普遍的価値)の本質についていかなる認識をもっているかという点がほとんど窺えない

ただし、人権保障に関する第三者機関設置の提案、外国人の人権、子どもの権利、信教の自由と政教分離ルールのあり方(「政治的解決策として、新しい国家追悼施設の建設・整備を進め、靖国神社参拝問題を事実上終演させるべきである」)などについては、それなりに突っ込んだ議論を行っている

しかし、憲法改正手続では、自民党とまったく立場を同じくしている(「各議院の総議員数の過半数によって改正の発議を可能にする」、「改正事項によっては、各議院の3分の2以上の賛成があれば、国民投票を経ずとも憲法改正を可能にする」)点で、公明党の「論点整理」(「総議員の3分の2以上の賛成の規定については、…憲法改正の重さから妥当であるとの意見が大勢であった」)よりも、主権者無視の姿勢が顕著である

(ニ)天皇制

−自民党の天皇制に対する思い入れの深さについては、すでに「国柄」にかかわって指摘した。「象徴天皇制については、今後ともこれを維持すべきものであることについては異論がなかった」(「論点整理(案)」)としつつ、「天皇の祭祀等の行為を「公的行為」として位置づける明文の規定を置くべきである」としている点にも、自民党のこだわりが透けて見える(ただし、「ポイント」では、なぜか天皇制問題に関する言及が抜け落ちている)

−公明党の「論点整理」では、「象徴天皇制は定着しているし、的確であり、維持していくべきだ」としつつ、「象徴天皇制と国民主権をよりクリアにした方がよいとの意見もあり、今後の検討課題といえる」とあくまで当たらず障らずの姿勢に終始している

−民主党の「中間報告」は、天皇制に一切触れていない

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