戦争放棄の日本国憲法のメッセージ
−被爆地・ヒロシマに期待する平和発信拠点としての役割−

2004.09

*ここに掲載するのは、2004年9月2日に、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部が主催した9.2集会(日本が降伏調印した記念日)でお話しした原稿です。お話しする時間は1時間半でしたので、すべてについて言及する時間はありませんでしたが、ここでは全文を掲載します。

 一応レジュメの形を取っていますので、読みにくいかもしれませんが、①平和憲法の積極的な意味を歴史的な視点からふりかえり、その今日的な意義を明らかにする、②改憲を阻止する上での私たちが向き合うべき課題及び私が来年からお邪魔する広島という、日本における最重要な平和発信拠点に何が求められているのかという問題に関する私なりの認識を示す、という二つの問題意識に関する私なりの考え方は反映されていると思いますので、関心のある方には見て頂きたいと思います。

(はじめに)

鄯 私が素朴に疑問に感じていること

〇毎年ヒロシマ・ナガサキで核廃絶を訴え、戦争放棄の日本国憲法の精神に即した平和宣言が出され、時の首相が出席するというのに、いわば年中行事化し、日本という国家としての実際の政策はますます核廃絶から遠のいていく状況を、どう理解し、認識するべきか

〇核廃絶要求には賛成する(反対を公言できない保守層を含む)日本人が、戦争放棄の日本国憲法に素直に立脚する限り、どう見ても容認することができないはずの日本の軍事的国際貢献(最近の事例が自衛隊のイラク派遣)については、賛成が過半数を超える事態を、どう理解し、認識するべきか

〇核廃絶を願う気持ちが強い日本人(広島の人々を含む)の多くが、同時に、(かつてはソ連、そして近年では北朝鮮の核の脅威を持ち出して)アメリカの核抑止力に依存することを公言し、戦争放棄の日本国憲法とは根本的に矛盾する日米軍事同盟を推進する保守政治の支持層でもあるという事実を、どう理解し、認識するべきか

〇9条(戦争放棄の日本国憲法の核心)改憲には反対がなお60%(減りつつはあるが)を占めるのに、憲法全体としての改正には賛成が53%を占める(朝日新聞2004年5月1日付)という世論の動向をどう理解し、認識するべきか

〇戦争放棄の日本国憲法をめぐって、以上のような矛盾を極める事態が近年ますます顕著になっている傾向を前にしても、沖縄に住む人々を除けば、圧倒的に多くの人々が強い疑問を抱くことなく過ごしており、「世の中」に押し流されていく現実をどう理解し、認識するべきか

鄱 私が以上の疑問に答え、これからの日本の進路のあり方を考えるに当たっての努力の方向性

〇以上の諸々の矛盾を生み出した原因を探る一つの手がかりは、歴史に学ぶことによって得られるのではないか(私のこれまでの、歴史をことのほか重視する中国とのかかわり及びささやかな個人的研究体験に基づく実感)

〇丸山眞男の1950〜60年代の文章を私なりに咀嚼したことを通じて得られた(私が外務省に実務体験を通じて得ていた実感であって、丸山の文章を読むことによって確認を得た)、今日に通じる日本政治に関するいくつかの基本的要素(普遍の欠如、既成事実への屈服、権力の偏重、権威信仰)を踏まえて、以上の矛盾を解明できるのではないか

〇鎖国を経た日本人の国際観(対外観)・平和観・国家観は、戦前までの期間においては権力によって大きく支配され、敗戦後は今日に至るまでアメリカの圧倒的支配による強い影響の下にあり、国際的普遍性と日本的特殊性を兼ね備えた強靱な見方を養うまでに至っていないことを自覚することから出発するべきではないか(こういう認識に至った背景には、外務省時代に身につけた国際的常識ともいえると思う私の国際観・平和観・国家観が、日本国内で常識化しているいわば日本的常識の次元に属する国際観・平和観・国家観との間に大きなギャップがあり、大国・日本が国際社会のなかで健全な生存を全うするためには、国際的常識に属する国際観・平和観・国家観を我がものにしなければ始まらない、という私なりの危機感がある)

1.被爆地・ヒロシマについて改めて考えること

(1)なぜ広島に原爆が投下されたのか

−昭和天皇(及び戦争遂行者たち)の責任 cf.『昭和天皇独白録』

*中国侵略と太平洋戦争

(注)中国侵略のきっかけとなった張作霖爆死事件についての天皇の反応はpp.26-27に、又、リットン報告書に対する天皇の反応はp.30に、それぞれ記述があり、それらによる限り、彼が必ずしも積極的に中国侵略を支持したわけではないとのニュアンスを出している。しかし、上海事変になると、不拡大方針を主張した近衛に対し、天皇は戦争拡大防止が困難と判断し、むしろ兵力増加を督促したことを述べている(p.44)。

太平洋戦争に関しては、天皇は、「支那事変処理に関する前途の見透しは全く立たぬ、国内与論はそろそろ倦怠の兆しを示してきた。そこで国内人心転換策として新に日独伊三国同盟を締結し国民の敵愾心を英米に振り向け、支那の方はうやむやにして終おうという面白からぬ空気が陸軍部内に起こった」(p.47)という認識を示しつつ、米英と対決する三国同盟には反対の立場を取り、1941年9月6日の御前会議では、明治天皇の和歌を読み上げて、「故大帝の平和愛好の御精神を紹述せんと努めておるものである」と対米開戦方針に異議を唱えた(近衛日記。P.77)が、積極的にその主張を押し通すことはしなかった。

*避けることができた沖縄戦と広島・長崎に対する原爆投下

(注)天皇は、「ニューギニアのスタンレー山脈を突破されてから(18年9月)勝利の見込みを失った」と言いつつ、「一度何処かで敵を叩いて速やかに講和の機会を得たいと思った」(p.119)と述べており、沖縄戦については、「私は陸海軍が沖縄決戦に乗り気だから、今闘いをやめるのは適当でないと答えた」(p.120)と言いながら、しかし沖縄戦そのものについては「全く馬鹿馬鹿しい戦闘であった」(p.133)とし、「これが最後の決戦で、これに敗れたら、無条件降伏も亦やむを得ぬと思った」(同)としている。しかしその天皇はなお、「沖縄で敗れた後は、…唯一縷の望みは、ビルマ作戦と呼応して、雲南を叩けば、英米に対して、相当打撃を与えうるのではないかと思って」(p.134)と、相変わらず戦争継続にこだわったのである。

しかし雲南作戦が「望みなしということになったので、私は講和を申し込むよりほかに道はないと肚を決めた」(p.135)と、天皇は述べているのだが、独白録には沖縄戦の悲惨な結末に対する言及もない。しかも、その講和の方針は、ソ連に仲介を依頼するという虫の良いものであり(対ソ和平工作は6月22日から)、そうこうしているうちに、「空襲は日々激しくなり、加うるに8月6日には原子爆弾が出現して、国民は非常な困苦に陥り、ソビエトは已に満州に火蓋を切った(8月8日)。これでどうしてもポツダム宣言を受諾せねばならぬことになった」(p.143)、としている。

*国体護持・3種の神器に最後までこだわった昭和天皇

(注)ポツダム宣言受諾に関する御前会議は8月9日(翌日未明2時まで続く。この間に長崎に原爆投下があったわけだが、独白録は全く触れていない)に行われたが、国体護持(そのための3種の神器の確保)の条件を付することについては全員一致というという有様で、その申し入れはアメリカから拒否され、14日に改めて天皇直々の命令で御前会議を招集し、国体護持はできるという一方的解釈に立って、宣言受諾を決めた。

ただし、広島、長崎に対する原爆投下が敗戦受け入れに大きな影響があったことは、「終戦の詔書」の中で、「敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所真に測るべからざるに至る」とし、「尚交戦を継続せんか、終に我が民族の滅亡を招来する」という表現で言及している所から明らかである。

−アメリカにおける原爆投下を促進した要因

*原爆使用は対独戦争以来の既定路線 (注)アラン・M・ウィンクラー『アメリカ人の核意識』(ミネルヴァ書房 1999年)が紹介する1939年8月2日付ルーズベルト大統領宛書簡:ドイツの科学者たちが核反応による強力な新型爆弾の領域の研究をしていることに注目し、その上で、政府がアメリカ側の実権努力を援助するよう提言(p.14)。pp.26-27も参照。

*民間人を巻き込む大量無差別攻撃を当然視する状況

(注)拙著『非核の日本無核の世界』pp.118-121

*日本・日本人・裕仁に対する憎悪

(注)スミソニアン航空宇宙博物館が計画した原爆展の展示計画書の初稿(五月書房『葬られた原爆展』所収 拙著pp.125-126で引用)

*原爆開発を急いだ発想:瞬間的破壊力への圧倒的関心(放射能への過小評価)

(注)拙著pp.122-123

*トルーマン個人の「正しい決定」という確信

(注)ウィンクラー、p.26、pp.30-31

*科学者レベルにとどまった原爆使用に対する慎重論

(注)ウィンクラー、p.23

(2)軍国主義・日本の戦争政策と原爆投下との因果関係

−第一次世界大戦の歴史的教訓を我がものにしなかった軍国主義・日本

*人民自決原則(レーニン・ウィルソン)・アジアにおけるナショナリズムの台頭を無視した対アジア政策

(補足)日本の中国侵略を批判すると、「欧米諸国もやっていた」という反論がなされるが、そういう議論は、第一次世界大戦の結果国際的に認められた民族自決原則という歴史的成果を無視したものである。確かに植民地支配が無くなったわけではないが、欧米列強が新たな植民地獲得を目指す侵略政策をとることを控えるようになったのは、民族自決原則を受け入れた結果であったと言うべきであり、その人類史上の歴史的発展という成果を正確に認識しなかった日本(イタリア、ドイツ)は、歴史の流れに反する行動を取った点において、客観的に誤った道に踏み込んだと批判されるべきである。

cf.人民自決闘争を切り捨て、アラブ・ナショナリズムを踏みにじるアメリカ・ブッシュ政権の対テロ戦争政策

*国際連盟を無力化させた日本の脱退

cf.国連憲章を無視したアメリカ・ブッシュ政権の先制攻撃戦争の発動

*〔留意点〕昭和天皇以下の戦争指導者たちは、さらなる原爆投下による全面的破壊というトルーマンの警告(後述)に直面して戦争継続を断念せざるを得なかったにすぎない(軍国主義イデオロギーの誤りそのものを承認したわけではない!) cf.戦後保守政治は、自らの過去を美化する(歴史に学ぼうとしない)軍国主義イデオロギーの本質部分を継承した。小泉首相の靖国参拝問題を、小泉個人の跳ね上がった、孤立した行動と捉えるのは正しくない。「終戦の詔書」においても天皇は、「米英2国に宣戦せる所以も亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し領土を侵すが如きは固より朕が志に非ず」として、侵略主義的意図に出るものではなかったことを強調している。まさに「歴史教科書をつくる会」的歴史観なのである。

その全面的なツケを、今私たちは改憲を目指す動きとして突きつけられている。私たちは、歴史に逆行するこういう動きに無関心であり得るのだろうか?

−自らも原爆開発の可能性を模索し、無差別攻撃を積極的に行った日本軍国主義

*条件さえ満たされていたならば、日本も原爆使用をためらわない国家だった

*中国・重慶などに対する無差別爆撃;南京大虐殺;731部隊………

*〔留意点〕ヒロシマは、「アメリカの問題(原爆投下の是非)」・核廃絶問題とのかかわりで重要であるだけではなく、現代の戦争が行き着く終着点(人間の尊厳の承認という人類の歴史におけるもっとも重要な到達点の無差別かつ全面的な否定)を指し示しているが故にこそ、人間の尊厳の承認に基礎をおく、もっとも重要な平和発信拠点としての意味を持っている

cf.アメリカは今、いわゆる核テロリズムの恐怖という形で、自ら種をまいた現代の戦争の終着点に如何に対処するかという問題に直面している

−原爆投下に関する米・目標選定委員会の筆頭に選ばれていたヒロシマ

*日本軍国主義有数の軍事拠点だったヒロシマ

*原爆の威力をより効果的に実証するために、他の諸都市を破壊した空襲の対象から周到に外されていたヒロシマ

(注)ウィンクラー、p.27:「広島は、他の諸都市を破壊した空襲の対象から外されていた。アメリカ当局者は新型爆弾の威力をより効果的に実証するため、同市を無傷の状態にしておきたかったのである。」

*〔留意点〕改憲によって「戦争する国」(新しい装いを凝らす軍国主義)に変質しようとしている日本の政治状況に対して、かつての軍国主義の最大の犠牲者であるヒロシマは無関心であり得るのか

2.ポツダム宣言受諾と戦争放棄の平和憲法の制定

(1)ポツダム宣言(1945.7.26 日本受諾1945.8.14)

−ポツダム宣言は、原爆保有を背景にして日本に敗戦受諾を迫る宣言だった

*原爆の使用の可能性を示唆(アメリカの最初の原爆実験は、1945.7.16)。トルーマンは、7月25日にポツダム会談が終了する8月3日以降の原爆投下を命令し、ソ連の参戦なしに日本に降伏させようと図った

8月6日の原爆投下声明の中で、トルーマンは、「7月26日付最後通告がポツダムで出されたのは、全面的破滅から日本国民を救うためであった。彼らの指導者はたちどころにその通告を拒否した。もし彼らが今われわれの条件を受け容れなければ、空から破滅の弾雨が降り注ぐものと覚悟すべきであり、それは、この地上でかつて経験したことのないものとなろう」と述べて、さらなる原爆使用の可能性を示唆した

−(抜粋)

三 蹶起セル世界ノ自由ナル人民ノ力ニ対スル「ドイツ」国ノ無益且無意義ナル抵抗ノ結果ハ日本国国民ニ対スル先例ヲ極メテ明白ニ示スモノナリ現在日本国ニ対シ集結シツツアル力ハ抵抗スル「ナチス」ニ対シ適用セラレタル場合ニ於テ全「ドイツ」国人民ノ土地、産業及生活様式ヲ必然的ニ荒廃ニ帰セシメタル力ニ比シ測リ知レザル程度ニ強大ナルモノナリ吾等ノ決意ニ支持セラルル吾等ノ軍事力ノ最高度ノ使用ハ日本国軍隊ノ不可避且完全ナル壊滅ヲ意味スベク又同様必然的ニ日本国本土ノ完全ナル破滅ヲ意味スベシ

四 無分別ナル打算ニ依リ日本帝国ヲ滅亡ノ淵ニ陥レタル我儘ナル軍国主義的助言者ニ依リ日本国ガ引続キ統御セラルベキカ又ハ理性ノ経路ヲ日本国ガ履ムベキカヲ日本国ガ決定スベキ時期ハ到来セリ(*)

*軍国主義の清算を明確に要求

五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ

吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ右ニ代ル条件存在セズ吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ

六 吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐サラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ(*)

*国体護持(天皇制維持及び昭和天皇の戦争責任追及)が含まれるかどうかが、支配者の最大の関心事だった。ポツダム宣言において、平和憲法における徹底した民主化の実現を阻む手がかりを残した部分(天皇の問題については殊更に言及を避けている)

七 右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ且日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的ノ達成ヲ確保スル為占領セラルベシ

八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ(*)

*無条件降伏の中には、沖縄の本土からの切り離し・米軍による直接統治が含まれることを意味していた

九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除(*)セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ

*平和憲法の戦争放棄条項につながる重要な条項

十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ(*)

*日本が基本的人権・民主主義を根底に据える国家として生まれ変わる方向を明確に示したものであり、平和憲法の不可欠な構成要素として盛り込まれることになる

十一 日本国ハ其ノ経済ヲ支持シ且公正ナル実物賠償ノ取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業ヲ維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国ハ将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ

十二 前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ

十三 吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ニ対ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

−ポツダム宣言受諾の意味

*客観的意味

①軍国主義の清算(6項、7項、9項、11項):「力による」平和観から「力によらない」平和観に転換する客観的契機を内包していた

②天皇(国家)主権の清算(10項):「国家を個人の上におく」国家観から「個人を国家の上におく」国家観への転換の受け入れを迫るものであった

*支配層の主観的受けとめ方

①1945.7.26の宣言発出から8.14の宣言受諾までの間にヒロシマ・ナガサキがあったことにより、昭和天皇以下は宣言(3項及び13項)の警告が本物であることを認識せざるを得なかった 前掲「終戦の詔書」参照

②「国体護持」への執拗なこだわり:古い国家観(「国家>個人」の発想)

③(②が確保されることのみを念願した)勝者・アメリカに対する、勝者自身が驚くほどの従順さを示した:後の対米追随姿勢の原型

*被支配層であった国民の受けとめ方

①天皇の臣民として隷従根性をたたき込まれていた国民は、ポツダム宣言受諾を国民主権・徹底した非軍事化の新国家樹立の契機として受けとめて、積極的に行動する主体性を備えていなかった

②その国民の圧倒的多数は、ポツダム宣言とは両立しない「1億総懺悔」に代表される、支配層による責任転嫁の試みの欺瞞性を見抜いて、天皇以下の戦争責任を追及するだけの自覚も備えていなかった

③「戦争懲り懲り」感:感覚的・消極的な「力によらない」平和観の基礎

④「ひどい目を遭わせた」国家に対する違和感:アメリカの意図により天皇の戦争責任追及が未然に防止されたため、嫌悪の矛先が国家そのものに向けられ、健全な国家観を育む条件を奪われることにつながった

cf.ドイツとの比較

(2)第二次世界大戦終了(日本敗戦)後の複雑化した国際環境:国連問題と核問題

−国連憲章の複雑な性格

*「戦争と平和」の問題に対する取り組み

cf.(前文)「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、 国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、 共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し」

①「力によらない」平和観と「力による」平和観の共存

②「力によらない」平和観の具体化:戦争の違法化

cf.(2条4)「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

②「力による」平和観の具体化:集団安全保障体制と集団的自衛権の仕組み

*「国際民主主義」の問題に対する取り組み

cf.(前文)「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し」

①「個人を国家の上におく」国家観と「国家を個人の上におく」国家観の共存

すなわち、

**「個人を国家の上におく」国家観:世界人権宣言以後の国際人道法の発展

**「国家を個人の上におく」国家観

cf.(2条7)「この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7章に基く強制措置の適用を妨げるものではない」

②国際関係の民主化に関する憲章事態に内在する矛盾した認識:国家の対等平等性(総会)と大国の優越的地位(安保理)

*〔留意点〕国連憲章は、日本が敗戦する前に作成されており、したがって、「戦争と平和」「国際民主主義」に関して憲章が本来的に有する折衷的性格について、国際社会への復帰の証として国連の一員になるとの一念から1956年に加盟を果たした日本国内では、そういう国連の本質的性格について正確な理解・認識が育まれることはなかった

そのため、米ソ冷戦時代には、「力によらない」平和を追求する活動をするしかなかった国連に着目して、革新側が国連中心主義を唱え、米ソ冷戦終結後は、「力による」平和をも追求するようになった国連に着目して、保守側が国連中心主義を唱えるという混乱した事態が生まれることになった

cf.国際民主主義に関する国連の複雑な性格については、日本国内でも、最近ようやく「国連による人道的介入」という問題にかかわって議論される状況が生まれている

−核問題

*原爆が暗示した不吉な意味

①アメリカに対して核兵器が使用されるという懸念

②ジョン・ハーシーのヒロシマに関するルポルタージュの衝撃

③新時代幕開けの予感

*国際的管理という構想の夭折

①冷戦進行を背景とした米ソの相互不信がネック

②アメリカが早くから独自に核開発を進めるという政策を選択したこと

*米ソ冷戦の激化と並行して進行した核軍拡競争とその競争を「正当化」するための理論の発展

①ソ連の核開発に対する公然とした意欲(1949年9月に原爆実験)

②バーナード・ブローディによる、有効な対抗防御策はないという認識に立った、「抑止」という概念の提唱(1946年)

③水爆計画発表(1950年1月31日 ソ連原爆実験の4ヶ月後。アメリカの水爆実験は1952年11月、ソ連は1955年11月)

④大量報復戦略の採用(1954年1月)

⑤キッシンジャー、限定核戦争を提唱(1957年『核兵器と外交政策』)

*放射能汚染問題に対する国際的関心

①19世紀末〜20世紀初には、放射能の危険性について正確な認識を備えるに至っていた国際社会

②ハーシーのルポルタージュの衝撃(前述)にもかかわらず、封印されたヒロシマ:ヒロシマを、現代の戦争が行き着く終着点として人類的に共有するべき遺産としての認識の立ち遅れを生み出した

*〔留意点〕日本における核廃絶運動は、1954年のビキニ事件(後述)を直接的契機にした国内的運動を原点とし、核問題に関する国際的動向とは接点を持たない形で発展してきた。今後、国際的説得力を備えるものに発展させていくという運動のあり方を展望する上では、現代の戦争の行き着く終着点を示すヒロシマの占める客観的地位、核問題に関する国際的動向という要素を如何に踏まえ、咀嚼するか、という点が重要な要素になるのではないか。

より本質的には、現代の戦争の終着点を示すものであるというとらえ方に立脚する、核廃絶にとどまらない戦争そのものの廃絶(戦争反対)という問題提起、運動論に如何に結びつけていくかという問題にも直面している。

(3)憲法制定と外的環境の変化(米ソ冷戦激化)によるアメリカの対日政策の転換

−1946年に憲法が制定された当時の歴史的背景

*米ソ冷戦が本格化する前の段階で、アメリカの対アジア政策は中国を中心に考えられており(朝鮮半島の南北分断・緊張もまだ固定化していなかった)、したがって、アメリカの対日政策は、日本の非武装化・民主化を主内容とするポツダム宣言を指針として立案実行する条件・環境があった

*アメリカの当時における圧倒的軍事力(核兵器の独占的保有を含む)という前提の下で、日本が「力によらない」平和観に立脚する憲法を制定する現実的条件が存在することを、日本の支配層も含めて、納得しうる環境があった

*ポツダム宣言に中国が加わっていたことが示すように、日本が再度「力による」平和観に立ち戻ること(軍国主義再興)を許容しない国際的環境があった

−憲法制定におけるアメリカの主導権とその問題点

*最重要問題の当初からの非争点化:天皇の戦犯追及を、“Destroy him and the nation will disintegrate”と結論づけて拒否した、マッカーサーのアイゼンハワー陸軍参謀総長宛書簡(1946.1.29)

*憲法作成に関するマッカーサー3原則(1946.2.3)

①国民主権原則と天皇制存続との折衷という根本問題

②「力による」平和観のアメリカによって担保される「力によらない」平和観の憲法という、出発点で内在した矛盾

cf.マッカーサー3原則(要旨)

①天皇は国家元首であり、その権限は憲法に従い、及び国民の基本的意思に応じて行使される。

②国家の主権としての戦争を廃止し、紛争解決手段さらには安全保障の保全手段としても否認。その防衛及び保全については、世界を揺るがしているより高い理想に依拠する。

陸海空軍は認められず、如何なる交戦権も付与されない。

③封建制度は廃止する。

*GHQ案(1946.2.13)と日本政府の3月6日案による実質的確定

①第9条:帝国議会審議における政府側答弁

②基本的人権:「公共の福祉」という後顧の憂いを残した表現統一

*〔留意点〕憲法制定に際して考慮された痕跡を窺うことができないヒロシマ:9条の趣旨が戦争放棄という観点からのみ議論され、現代戦争が行き着く終着点を2度とくり返すことになってはならないという確信の裏付けを伴わなかったために、後の解釈改憲への道を開くことにつながった

−アメリカの対日政策の転換と憲法空洞化過程の始まり:ここでもアメリカに加え英仏ソの4カ国によって占領されたドイツとの比較が有意である

*米ソ冷戦の深まり(アジア情勢の急転回)と対日政策の転換:民主化重視から反共重視へ(ドイツでは、対ソ対決考慮とともに、ドイツを民主化すること(軍事的脅威にさせないこと)にも大きな関心を持つ英仏の意向が、アメリカの意向を牽制する力となって働いた

*第9条と再軍備:憲法vs.日米安保

*〔留意点〕もともと「力による」平和観に立つアメリカが、日本を無害化するために「力によらない」平和観に立つ戦争放棄の憲法を作ることを積極的に認めたのだが、冷戦とともに対日政策が変化するのは必然だった。問題は、そのときに日本が、現代の戦争の行き着く終着点としてのヒロシマを想起し、「力によらない」平和観を確固と築いていたならば、簡単にアメリカの政策に従うことには強く抵抗したのではないか、ということにある(もっとも、広島、長崎に関する報道は、占領中厳しく管制されていたし、日本政府はそういう占領当局に対して全く抵抗もしなかったので、上記の可能性は現実的には存在しなかった)

−アメリカにおけるヒロシマに関する反省は、ハーシーのルポルタージュの衝撃、スミソニアン論争で萌芽はあったにせよ、対日政策とのかかわりにおいてはほとんど見あたらない

*1954年3月1日のビキニ環礁での水爆実験:ロンゲラップ住民と第5福竜丸・久保山愛吉の被爆は、「核時代における最初の犠牲者」としての全世界的関心を引き起こし、日本では「力によらない」平和観に立つ国民的な原水爆禁止運動を生み出す原動力になったが、すでにアメリカとの「力による」平和観の立場に立っていた日本政府は、200万ドルの補償金で「解決」した

*非核三原則と対米核抑止力依存政策

①国民の反核感情に押されて作られた非核三原則

②アメリカの核政策によって実質的に骨抜きにされている非核三原則

*スミソニアン論争

cf.斉藤道雄『原爆神話の五〇年』(中公新書)

*〔留意点〕スミソニアン論争の内容及び結末(そして今日においては核テロリズムに関する議論のあり方)が示唆するように、アメリカ国内においては、現代戦争の終着点としての核兵器に関する根本的な捉え直しの機運は生まれていない。国内的には、銃所有を憲法(第2修正)上の権利として認めることが大統領選の行方を左右しかねない国柄であるアメリカでは、国際的には、核兵器所有を根本から否定する主張は圧倒的な少数派であり、ましてやヒロシマに係わって対日政策が調整されるということは、まったくない

3.戦争放棄の日本国憲法の今日的存在理由と被爆地・広島の平和発信拠点としての役割

(1)日本国憲法の今日的存在理由と私たちの課題

−「押しつけ」憲法論の根本的誤り:ポツダム宣言受諾は、「力によらない」平和観、人権・民主主義(国民主権)を根底におく新しい国作りをすることへの承諾を意味していた

*「押しつけ」憲法の形を取らざるをえなかったのは、日本の支配層がポツダム宣言受諾の意味することを正確に認識しなかった(より正しくは、正確に認識することを拒否した)ことによるものである

(注)ポツダム宣言受諾の意味を日本の支配層が真摯に捉えていたなら、そこから出てくる新憲法の内容はまさに今の平和憲法に行き着かざるを得なかったはずである

*軍国主義・日本の戦争政策による加害と被害に対する反省に立って作られた日本国憲法:「力によらない」平和観が根底に座っている

①平和観には、「力によらない」ものと「力による」ものとがある

(注)先進国では、国内的に「力によらない」平和観に基づく(人権・民主主義を承認すれば、銃社会のアメリカを除けば、「力による」平和観が支配する余地はなくなる)国家が成立している。国内的に「力による」平和観がなお支配しているのは、独裁国家・途上国に限られる。つまり、「力によらない」平和観は、人権・民主主義が確立するのに伴って自らの地歩を確立する。

しかし、国際関係においてはなお、国家が主体であり、国家の上に立つものが存在しないこともあって、「力による」平和観が支配的である現実がある。しかし、その国際社会においても、「力による」平和観が真の平和をもたらす所以ではないことが次第に認識されるに至っており、また、国際人道法の発展に反映されるように、人権・民主主義を重視する傾向は大きな歴史的な流れとして確実に成長している。従って、私たちとしては、平和憲法の掲げる「力によらない」平和観が、二一世紀の国際社会においても主流になっていくことに歴史的な確信を持つことが重要である。

②保守勢力(改憲勢力)の唱える「平和主義」とは、「力による」平和観であり、日本国憲法の指し示す「力によらない」平和観に基づく「平和主義」とは、まったく異質なものである

(注)自民党の改憲案として示唆されている三項からなる案文は、第一項については現行憲法の条文をそのまま残しても良いというものであり、きわめて欺瞞性が強い(多くの善良な国民に対しては「強力な目くらまし」的効果を持つ恐れが十分にある)ことについて、私たちは今から警戒を怠らない必要がある

*ポツダム宣言受諾は、天皇主権の国家であることをやめ、国民主権の国家になることを意味し、日本国憲法は国民主権の国家を作るための基本法である

①国家観には、「個人を国家の上におく」ものと「国家を個人の上におく」ものとがある

(注)ルネッサンス以後の欧米の歴史は、人間の解放(人間の尊厳の承認)を目指す歴史だった。人間の解放とは、優れて人間を抑圧する、つまり「国家を個人の上におく」国家観に立つ国家権力からの解放であり、さらには国家権力そのものを人民主権の下におくことによって、「個人を国家の上におく」国家観に基づいて国家を運営する歴史的な流れを生んだ。この二つの国家観をめぐる最大の決戦と位置づけることができるのが第二次世界大戦であり、民主主義陣営が勝利を収めることによって、「個人を国家の上におく」国家観は、今や国際的に普遍的な国家観としての地位を占めるに至っている。

②今日の改憲論は、天皇主権の代わりに、「公共の福祉」の優先という主張で、「国家を個人の上におく」国家観を押しつけるところに特徴がある

(注)さすがに保守勢力といえども、今更天皇主権への回帰ということまでは考えていない。しかし、戦前の反動思想・イデオロギーを人的・組織的に受け継いだ(そういう意味では、戦後ドイツの保守政治のように、戦前との断絶がない)戦後保守政治は、人権・民主主義(その根底に座る人間の尊厳の承認)とは本質的に対立する「国家を個人の上におく」国家観をいまだに固執している。そのことは、武力攻撃事態対処法及び国民保護法制に関する国会の委員会審議における与党・民主党・政府の発言からも明確に確認された。そのことをもっとも集中的に表したのは、「こうした権利(つまり憲法の保障する人権)の制限は、国及び国民の安全という高度な公共の福祉のため、…憲法第一三条などの趣旨に沿ったものと理解されております」(福田官房長官 二〇〇二年五月八日)という発言である。

*憲法問題の根幹にあるものとして本格的に取り上げなければならないものは、日本の徹底した民主化(「個人を国家の上におく」国家観の確立)を妨げ、日本の戦争責任を曖昧にした最大の原因である天皇制の是非を問うことで中得ればならないことを、私たちは常に忘れてはならない。

しかし、今日の現実の政治課題として憲法問題を考えるとき、最大の争点は第9条にあることもまた、私たちは正確に認識する必要がある。つまり、今日における憲法問題として、天皇制の問題を私たちの側から取り上げ、争点化することは、争点をいたずらに拡散させ、第9条改憲阻止という当面する最大の課題を実現する上で有害な結果をもたらすだけであるという認識をハッキリもっておく必要がある。

−私たちの課題

*アメリカ(国際社会)に根強い「力による」平和観を見据え、克服する必要性

①「力によらない」平和観に立つ日本国憲法に依拠する日本こそが、国際の平和と繁栄に大きな役割を担うことができることを、説得力ある政策体系で立証する努力が緊要である

(注)私自身はすでに、一九九二年に出版した『「国際貢献」と日本』(岩波ジュニア新書)において、「力によらない」平和観に立つ日本が国際的にどれほど役に立ちうる存在として行動することができるかについて、書いたことがある。

②大国である日本であればこそ、「力による」平和観に固執するアメリカの政策を批判し、「力によらない」平和観に基づく政策で代置する能力と可能性を持っている

(注)私たちが直視しなければならないことは、日本がまぎれもない大国であり、その事実から目をそむけることは許されない、ということだ。確かに、歴史的に存在してきた大国の多くは、その意思を小国に押しつける「力による」平和観の実践者であったケースがすべてであることは認める必要がある。

しかし、私たちが目指さなければならないのは、「力によらない」平和観に立った大国としての存在理由である。事の是非は別として、大国の言動は、国際関係に対して重大な影響を及ぼさざるを得ない。それは、中小国から大国を区別する最大のポイントでもある(繁華街の交差点に立つ巨象と蟻の例)。そうであればこそ、「力によらない」平和観に立つ大国・日本が、「力による」平和観に立って国際政治を壟断してきたアメリカを正面から批判し、それに代わる国際社会、国際関係のあり方の可能性を自らの行動をもって示すことになれば、二一世紀の国際社会にきわめて大きな希望と可能性を与えることができるはずである。

③大国・日本が超大国・アメリカの代替軸となることを国際社会に示すためには、日本国憲法を堅持することが不可欠の前提になる:改憲を阻止することが当面の最重要課題となる所以

④主体的課題として、私たち自身の感情的な次元に留まっている「力によらない」平和観を鍛え直す必要性がある

(注)「力によらない」平和観は、九〇年代以後の保守政治が揶揄するような「一国平和主義」では決してない(「一国平和主義」は、実は八〇年代までの戦後保守政治の本質を表すものとして理解することがもっともふさわしい)。憲法(前文と第九条)は、侵略戦争を起こした日本が二度とその過ちをくり返さないことを国際社会に対して誓約した、きわめて積極的な内容を持っている(もちろん、国内的には、戦争を引き起こす原動力となった軍国主義の再起を許さないという意味あいを持っていることは言うまでもない)。

しかし現実問題として、多くの国民が国家を忌避し、国家について考えること自体を「疎ましい」と感じるようになったことは否定できない(そのこと自体、国民の目を国家に向かわせないように政治運営を行った保守政治に責任の一端があることも忘れてはならない)。確かに多くの国民は、湾岸危機・戦争が起こり、この国際的危機に対して、日本という国家としてどう係わるのか、という逃れることができない課題に直面したとき、いかなる国家観も持ち合わせていなかったために、積極的に日本のとるべき進路・方向に関して説得力ある提言を行うこともできなかった。

保守政治はまさにその国民的空白状態を埋めるべく、古い国家観を持ち出してきて、「軍事的国際貢献論」を提起し、国民が「一国平和主義」的心情に執着することに対して「活を入れた」。当初こそ、懐疑的な目を向けた国民ではあったが、私たちの側から、積極的な「力によらない」平和観に立った、「軍事的国際貢献論」を批判し尽くし、それに有効に代わるだけの政策を提起できなかったために、その後も受け身的な議論に終始することを余儀なくされた。

今、保守政治が改憲を現実の課題として政治日程に上らせているこのときに、私たちの側が相変わらず感情的・感覚的な「力によらない」平和観の次元に留まっていたならば、今後数年間(三年間)の間に情勢を根本的にひっくり返すことは望むべくもないことだと思う。

*「力による」平和観に立つ人々との共闘の可能性を積極的に追求する必要性

①国家観の問題では、「国家を個人の上におく」立場に執着する日本の保守勢力の危険性に対し、「個人を国家の上におく」立場に立つ広範な国際的世論(多くの欧米諸国を含む)の関心を高めることによって、これを孤立させる大きな可能性がある

(注)日本の保守政治の本質・体質に関する国際的認識はきわめて薄い。というより、一部の日本専門家を除けば、まともな関心自体がない、というべきだ。私たちは、危険な国家観、歴史認識(歴史認識の欠落)を本質とする保守勢力が、改憲を強行し、「戦争する国」を実現するならば、国際の平和と繁栄に対して禍根となる危険性が極めて高いことを、国際的に積極的に発信していく必要がある。特にこの課題は、日本の危険性について身を以て体験しているアジア諸国においては、深刻な問題意識が共有されていることにかんがみれば、私たちは、アジア諸国の世論と連帯して、欧米諸国における日本(特に日本の保守政治)に対する無知・無理解の状況を早急に改めるべく、働きかけを強めていかなければならない。

ちなみに、私個人のもとには、Japan Focus Newsletterというアメリカの友人(Mark Selden)からの通信物が不定期にE-mailで送られてきている。これは、日本で出される注目すべき文章を友人たちが英語に翻訳して、アメリカ内外の識者の日本理解を深めることを意図したものである。私としては、JCJが彼らとも協力する関係をつくることを望みたい。

email: ms44@cornell.edu

voice: (607) 257-5185

web: http://www.japanfocus.org

②核兵器の問題では、「力による」平和観に立つ側の中でも、大量無差別殺戮兵器としての本質、放射能による深刻な影響などにかんがみ、違法化、廃絶を支持する動きがあり、「力によらない」平和観に立つ側が積極的に働きかける可能性がある

(2)被爆地・広島の平和発信拠点としての役割に期待すること

−「力による」平和観による二重の犠牲を払わせられたヒロシマ

*日本軍国主義の重要な戦争拠点としての役割とそのツケ

*アメリカによる日本の敗戦受け入れ強要政策としての原爆投下の対象

(注)二重苦のツケを払わされたヒロシマが、単に被爆地としての位置づけに自己を限定するということ(その客観的反映は、ヒロシマが今では保守政治の強固な地盤となっていることに見られる)は、結果的には平和発信拠点としての力強い土台そのものを内部から崩していくことにつながってしまうのではないか、ということを懸念する。

やはりヒロシマは、「力によらない」平和観を内外に向けて発信する拠点としての役割を自覚的に自らに課すべきではないか。特に今後数年間という中期的な展望に限定すれば、様々な核問題と、国際の平和と繁栄そのものに直結する憲法改正問題とに、平和発信拠点としてのヒロシマは大きなエネルギーを傾ける必要があるのではないだろうか。

−被爆地・ヒロシマは核問題にどう向き合うのか

*「核テロリズム」

(注)「テロリズム」について国際的に蓄積されてきた共通認識がブッシュ政権によってきわめて恣意的な意味あいで使われるようになってしまった問題、テロリズムには国会外のものによるものと国家によるものとがあるという事実、国家以外の主体によるテロリズムについては、その原因(多くの場合は貧困及びアメリカの二重基準の対外政策)に即した解決が探求されるべきであり、ブッシュ政権の武力一辺倒の政策は、問題の解決にならないどころか、テロリズムの温床の拡大という最悪の事態を招いていること、などに注目する必要がある

従って、「核テロリズム」の問題についても、以上のような問題を踏まえた上での取り組みが求められるのであって、アメリカの核問題に関する二重基準の政策が実は「核テロリズム」という問題にも深く関わっていることに着目しなければ、この問題の根本的解決にはつながらない

*北朝鮮の核開発問題

*台湾問題をめぐる米中戦争の可能性

*核拡散問題

*アメリカが進める「使える」核兵器開発問題

*平和利用(特に原子力発電)

cf.広河隆一『チェルノブイリから広島へ』(岩波ジュニア新書)

アメリカの先制攻撃によって始まる可能性の大きい北朝鮮に対する戦争では、北朝鮮のゲリラによる日本の原子力発電所を標的にした破壊工作によって、チェルノブイリに匹敵する被害がにほんかくちでひきおこされることが予想されることを念頭におかなければならない。

−再び「戦争する国」(憲法「改正」)に向かおうとする日本政治に対して、ヒロシマは如何なる立場で臨むのか(核廃絶の主張と「戦争する国」への方向転換は両立するか)

*「力による」平和観と「力によらない」平和観との間の選択

(注)二重苦のツケを払わされたヒロシマが、単に被爆地としての位置づけに自己を限定するということ(その客観的反映は、ヒロシマが今では保守政治の強固な地盤となっていることに見られる)は、結果的には平和発信拠点としての力強い土台そのものを内部から崩していくことにつながってしまうのではないか、ということを懸念する。

やはりヒロシマは、「力によらない」平和観を内外に向けて発信する拠点としての役割を自覚的に自らに課すべきではないか。特に今後数年間という中期的な展望に限定すれば、様々な核問題と、国際の平和と繁栄そのものに直結する憲法改正問題とに、平和発信拠点としてのヒロシマは大きなエネルギーを傾ける必要があるのではないだろうか。

*日米軍事同盟に対するヒロシマの立場

(注)アメリカ・ブッシュ政権が進めようとしている海外兵力展開見直し構想において重要なポイントは、海外軍事拠点としての日本の位置づけが今後ますます重視される傾向を強めるということにある。特に岩国は、厚木基地の代替基地としての機能を担わせられること、また、沖縄の基地機が岩国に移転することが取りざたされる状態になっている。

この問題はもちろん、岩国の今後のあり方というローカルな視点だけで考えるべき問題ではなく、日米軍事同盟強化という根本的問題に対して、日本に住む私たちが如何なる態度決定を行うか、という問題として捉えるべきであることはいうまでもないことである。ただし、「岩国はどうなるか」というローカルな関心が高まる中で、その問題意識を突破口としてより本質的な問題へと人々の関心・問題意識が高まるように働きかける必要があると考える

*現代の戦争の行き着く終着点を身を以て体験したヒロシマは、核廃絶に係わる平和発信拠点であるにとどまらず、戦争廃絶に係わる平和発信拠点として自らを位置づけることが求められているのではないか

(注)戦争廃絶というと、「あまりにも非現実的」という響きを与えるかもしれない。しかし、「力によらない」平和観の本質は、まさに戦争廃絶にある。

「力によらない」平和観の出発点は、まずは平和憲法を守り、生かしきることにある。憲法改正を阻止することは、当面の最大の国内的(そして国際的)課題である。この課題を中心にすえつつ、国際社会が直面している多くの問題に対して、「力によらない」平和観の立場からできる限り具体的で説得力のある問題解決の指針・政策を提起することを考えていかなければならない。

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