参議院選挙の結果に思うこと

2004.07.14

参議院選挙の結果は、残念ながら、事前に大方のマス・メディアが予想したとおりの結果になった。ひねくれた見方をすれば、マス・メディアの思惑と有権者の予測との相乗作用が働いて、民主党の勝利、自民党の敗北、共産党の惨敗という結果をもたらしたとも言える。あえて「ひねくれた見方」というのは、マス・メディアの1社(特に朝日新聞あるいは毎日新聞)でも、今度の参議院選挙の最大にしてもっとも中心に座るべき争点が、21世紀の日本の進路を決める憲法「改正」問題にあるという論陣を張り、選挙の争点に関する既成観念(最大の焦点は年金問題という固定観念と、今回の選挙は二大政党制への流れを決める選挙だというもの)を打ち破る努力をしていたならば、選挙の帰趨に一定の影響を与えたに違いない、と思うからである。そういう明確な選挙への視点が提供されたならば、有権者は、もっと真剣に自分の1票の行方について考え込むことにつながっただろうし、そうなれば、憲法「改正」反対を正面に掲げて選挙戦を戦った共産党(社民党)に対する注目度はもっともっと高まったに違いないと思うのだ。もちろん、年金問題は非常に重要だが、順序としては、憲法「改正」問題が最大の争点(有権者の投票行動の決定という点からすれば、有権者が最優先するポイント)として据えられるべきだったのであり、有権者にもそういう自覚と認識が求められていたはずである。

 私は、今度の参議院選挙の結果を「二大政党制の定着」として特徴づけることは、きわめて皮相的な見方だと考える。今回の選挙で問われるべきだった最大の争点が憲法「改正」の是非にあった以上、今回の結果は、改憲派である点でまったく土俵を同じくする自民党、民主党及び公明党の大勝利を意味するものであり、憲法「改正」に反対する共産党及び社民党の大敗北を意味するものといわなければならない。よほど内外の与件の変化が起こらない限り、改憲への足取りは、今後急速に高まるに違いない。

私は、8月後半に出版することになっている本(仮のタイトルは、『戦争する国?しない国?』〔サブタイトル:戦後保守政治と平和憲法の危機〕の予定で進んでいる。青木書店)で、自公連立政治と民主党がなれ合い政治を行うとどんなに恐ろしい結果を招くか、ということを、いわゆる国民保護法制に関する国会審議の実態を検証することで明らかにした。そこでは、最大野党の民主党が国会審議の時間の大半を消化し、自公連立政治との間でどうでもいいことに無駄に時間をつぶす姿があった。国民保護法制に反対する共産党、社民党にはほんのわずかな審議時間しか割り当てられず、核心をつく問題提起をするまもなく、質問を終えることを余儀なくされていたのだ。こんなに重大な法律条約が、まさに駆け足審議で国会を通過してしまったのだ。

朝日新聞ですら、「護憲勢力の衰退に伴い、安全保障をめぐる論議で大きな比重を占めてきた憲法論議は低調で、論戦のあり方は様変わりした」(5月21日付)と評したように、それはかつての大政翼賛議会となんら本質において変わるところはない。来年の通常国会に提出することが既定の事実になっている教育基本法「改正」、憲法改正に関する国民投票に関する法律、緊急事態基本法などについては、大政翼賛政治への足取りはますます強まるだろう。そしてその先には、憲法「改正」が待ち受けている。

私は、共産党、社民党にも率直に問題提起をしたい。

共産党に関しては、同党が選挙戦で憲法「改正」問題を終始重視したことを、私は評価する。しかし、残念ながら、共産党の問題提起の仕方は、いわば「まず年金、そして憲法」という順序であり、共産党が率先して争点の土俵作りをリードするだけの迫力はなかった。したがって、結果として自民党(プラス公明党)対民主党という選挙戦の構図に風穴を開けるパンチ力を生み出し得なかったのは、私から見れば、必然的な結果であった。

もう一つ、共産党に強く希望したいのは、憲法「改正」が今後の最大の政治課題になることが必然の状況を直視し、これに立ち向かうための国民規模の闘いにどのように係わるかについて、これまでのかかわり方に関する抜本的再検討を含め、真っ正面からとり組んで欲しい、ということである。憲法「改正」阻止は、全国民的課題であり、全国民規模の共闘体制を早急に築き上げるためには、過去の遺産という共産党独自の問題(ハッキリ言って、それは国民規模の問題ではない)と国民規模の問題とを区別して臨む、という基本を確立して欲しい。

更にもう一ついわせてもらうならば、議会政党として、民主党との野党共闘が必要な場合ももちろんあるだろう。しかし、ここ数年の共産党の国会での行動を第三者の立場で見ると、どうも影が薄くて姿が見えない、という印象を抱く。もっというならば、民主党という改憲勢力に対する基本姿勢がハッキリ浮かび上がってこない、という問題である(この選挙戦では、民主党批判も明確に行ったが、そういう基本姿勢が国会の場では見えなかった、というのが私の強い実感である)。これでは、選挙戦の時になって、急に第三の軸ということを強調しても、多くの国民に浸透するわけがないと、強く思う。

社民党に対しては、選挙戦のさなかに村山富市氏が現れて、私はハッキリ言って、正直唖然とした。社民党の日米安保容認、自衛隊合憲への路線の大転換は、まさに村山首相の時代のことではなかったか。先に紹介した私の近く出る本で詳しく扱っているように、「力による」平和を体現する日米安保(及び自衛隊)と「力によらない」平和の道を指し示す平和憲法とは、まさに水と油、まったく相いれない。今回の選挙で社民党が護憲を強調したことは評価する。しかし、社民党にとっての最大の問題は、「護憲」の中身である。村山市を引っ張り出す(あるいは彼が勝手に出てきたのかもしれないが)というところに、私は社民党の護憲の立場が抱え込む本質的な矛盾をなんら清算していないことを見出すほかない。

社民党が真に説得力(国民の支持)を回復するためには、その説得力(国民の支持)を失う根本原因となった、村山時代の路線転換の誤りを徹底的に清算するのが先決である。そうしてのみはじめて、党再生への手がかりをつかむことができるのだと思う。

RSS