参議院選挙に思うこと

2004.07.05

残り1週間を切った参議院選挙。朝日新聞の世論調査では、自民党を民主党が激しく追い上げて、2大政党制への勢いを受けて、第3勢力である共産党や社民党は劣勢が否めないという。2大政党制の元祖であるイギリスでは、先の欧州議会選挙で、与党・労働党が第3党に転落したことが大きく取り上げられているが、最大野党の保守党もじつは伸び悩み、第3勢力である自由民主党が大きく躍進して3党鼎立の状況を作り出している。政党政治は、大衆社会における民主主義の政治制度として確立しているが、2大政党制が即民主主義であるわけではないことを、このイギリスの政治状況が示している。

 私は、自民党と民主党の憲法改正問題を中心とする選挙公約を一通り目を通したし、それよりも、武力攻撃事態対処法、イラク特措法、国民保護法などの国会審議における自民党と民主党との間のやりとりについては、つぶさに追ってきた。そこから明らかになることは、自民党と民主党とは、本質的にも体質的にもなんら変わるところがない似た者同士だ、ということだった。

民主党が勝利を収めたとしても、憲法改正に向けた流れはなんら影響を受けないだろう。年金問題にしても、弱者にしわ寄せ、という点ではなんら本質的に変わることはないだろう。自衛隊のイラク派兵に民主党は反対、というが、日米軍事同盟強化という本質のところでは、自民党より勇ましい。そんな民主党が、日本の対イラク政策について抜本的見直しをする力量があるとは、到底思えない。

以上を要するに、2大政党制が日本で実現するということは、それだけ日本の政治が国民の手から離れ、国会という密室で自民党と民主党が談合を深める場に変質する危険性を高めるだけのことだ、ということを意味している。

日本は、今本当に国家の進路が問われる関頭にいる、と私はヒシヒシ実感している。「力によらない」平和観を代表する平和憲法を貫き通すのか、それとも「力による」平和観を体現する憲法「改正」の道に進むのか。民主主義の真髄である「個人を国家の上におく」国家観を体現する平和憲法の真価を発揮するのか、それとも戦前に逆戻りする「国家を個人の上におく」国家観を根底におく「改正」憲法に我が身を委ねてしまうのか。今回の参議院選挙における国民一人一人の投票先を決める基準はこの点にしかないと思うのである。

今は、政党の好き嫌いをいっているときではない。平和憲法に対してコミットするものは、すべからく自民党(公明党)と民主党を拒否しなければならない。共産党(社民党)が政権を取ったら、と心配顔をする人たちがいる。私が言いたいことはただ一つ。これまでにも言ってきたことだが、共産党(社民党)が政権を取るとしても、先の先の話であり、当面の最大の問題は憲法「改正」を許すことがあっていいのか、という問題だ、ということである。勿論、共産党(社民党)が一挙に改憲を阻止する3分の1の壁を越えることは、望むべくもないだろう。しかし、平和憲法堅持を唱える共産党(社民党)が少しでも前進すれば、改憲阻止の弾みになるし、手がかりにもなることは間違いない。逆に、共産党(社民党)が議席を減らすことにでもなれば、私たちは近い将来に憲法「改正」案を突きつけられ、国家に押しつぶされる存在に成り下がることは目に見えている、ということを覚悟しなければならない。

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