東京反核医師の会 第2部 総会記念講演
「国際貢献と日本国憲法」

2004.04

*タイトル及び下記にもありますように、この文章は2月21日に東京反核医師の会で行ったお話しです。会の事務局の方がテープ起こしをしてくださったので、舌足らずだったところを若干補ってみたのが、以下の文章です。年初の所感(自衛隊のイラク派遣に思うこと)をさらに敷衍したもの、という位置づけです。

日 時 : 2004年2月21日(土)15時00分〜 17時30分

会 場 : 新宿農協会館8階会議室

今日焦眉の問題〜改憲論議の動向〜

最初に今日の大きな問題として、改憲の問題にふれます。

わたくしは、PKO派遣問題の時から、保守政治の究極の狙いは改憲だということは申しあげてきたし、今や目を反らしたくても反らせない課題として目の前に突きつけられるに至った。皆さんに深刻な問題意識として据え付けていただきたいという事でお話しさせていただきます。

改憲のための憲法上の要件は憲法96条に3つあります。 「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案」というのが1つ。要するに国会が3分の2の多数で提案する。総議員という意味が、死亡などによって空席になっている選挙区の議員を含めるのか、それとも法律の定める定数なのか、厳密に言うとハッキリさせる必要があるのではないか、と個人的には思います。2番目の要件は、国会が提案したものに対する「国民の承認にはその過半数の賛成を必要とする」としている点です。その過半数はいったいどういう過半数なのか、という問題がすぐでてきます。第3に96条は更に一定の制限を定めており、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行なわれる投票」ということまでは書いている。しかし96条はこれしか書かれていないということです。したがって、自民党などにおいては2番目、3番目の問題をどう扱うかということについて具体的な議論が始まっており、そのための法律を国会で上げてしまおうという動きがでてきている、ということを知っておいて頂きたいと思います。

最初の要件である、3分の2以上の賛成で国会が発議し提案するという点について、そう簡単じゃないだろうと皆さん思われますが、現実はそうではありません。2月15日の東京新聞は「9条改正に関する国会議員アンケート」の結果を報道しています。アンケートは昨年(2003年)の11月下旬から1月中旬まで行ったそうです。対象は衆参両議員合わせて724人全ての国会議員で、回答率は57%です。その結果としては、改憲反対が20%となっていますけれども、おそらく改憲に反対する社会・共産両党の議員は積極的に回答したことが考えられます。それに対して、改憲を当然視するような議員は非協力的な態度であったために、結果として改憲反対が20%ということになったのではないか、と考えられます。

そういう点を斟酌してもなお、憲法を改正するべきかという質問に「はい」と回答した改憲派の議員は全体の72%を占めたというのです。更に重要なことは、改憲派の議員に優先的に改正すべきテーマを3つまで出してもらったところ、全体の63%が9条を上げたということです。公明党議員は、9条改正については消極的なものが多いとされていますが、全体として改憲に賛成が多いのは、環境権の問題とかをあげる、そういうトリックがあるということです。

私たちとして特に認識しておかなければならないのは、「クリアーされている国会の改憲提案のための必要議員数」ということです。要するに、憲法96条が定める国会の3分の2以上の多数という要件は現時点ですでにクリアーされているという認識を、私たちは持たなければならないということです。

従って、私たちが改憲を阻止しうるか否かについては、3つ目の要件である「国民投票、国民の意思」というところにおいて私たちが過半数という答えを示せるかどうか、というところにかかっているということです。

予想される今後の動きという点については、改憲のための国民投票に関する法律の制定の動きが具体化しております。そしてすでに、公明党も含めて、改憲案を巡る各党の具体案作りが起動しているということで、自民党の場合は2005年までに成案を作ると公言しています。私は、この日程は早まることはあっても遅くなることはないと考えています。そういうことになりますと、本当に9条が危ないということです。

ただし、数年前の朝日新聞の調査で、第9条改憲賛成かという世論調査に対しては、60%以上の人が反対という答えを出している。従って、ここに国会の多数の意思と国民との意思との間にギャップがある。しかし、これも楽観できないわけで、他の新聞の世論調査によると、憲法改正全体−憲法第9条とは言わないで−の改正について賛成か反対かという設問に対しては、ゆうに過半数を超える数が賛成になっている。その多くの人たちは、環境権の問題、プライバシーの問題、その他人権規定において十全を欠くということについて問題意識を持っているということになっています。

ですから、私たちとして想定しなければいけないのは、政府与党が第9条改憲だけを正直に国民に対して問いかけることはありえないということです。第9条を含めて憲法全体としてまるごと提案ということで出てくるであろうということを、私たちは考えておかなければならない。

従って、国民に求められる問題意識というのは何か、改憲阻止の手がかりはどこにあるのか、ということについて、改憲阻止を何としても実現したいと思う私たちがはっきり見定めておかなければならないことは、改憲派は色々と理由をつけるであろうが、とにかく第9条改憲にその中心の狙いがあるということを見定めるということです。

従って、私たちはこれから国民に対して積極的に働きかけを行わなければいけない。その場合に、様々な立場から改憲を支持する善意の人たちがいます。こういう人たちは、環境権、プライバシーが盛り込まれる改憲が良いことではないかということで支持する。そういう人たちに対して私たちはどう働きかけるのか、ここにポイントがあります。私が強調したいポイントは、「あなた達のそういう選択は、第9条改憲支持と同じ結果をもたらすということを認識した上で、なおその選択の立場を維持するのかどうか」を問いかけるということです。そういう問いかけを今後積極的にやっていかなければいけないのではないかということです。

環境問題とか人権問題など、そういう問題を重視する人たちと同じ立場に立って力を合わせなければいけない色々な問題があるわけです。しかし、改憲という問題に関しては、その人たちに対して、「あなたたちは、自分達の運動の中心テーマである環境とか人権問題を重視するあまり、第9条を改憲するという、最も環境、人権に対して残酷な結果を招くことになってもかまわないのか」と率直に問いかけることが必要だと思います。私たちが強調しなければいけないのは、改憲ということは、環境権、人権問題を重視する人たちにとっても、「結局自らの立場を否定することと同じなのですよ」と認識してもらうということです。

それから、改憲をすれば、自衛隊が本格的にアメリカと一緒に戦争することになるわけです。ですから、それはすなわち過去に対する反省をまったく欠き、古い国家観にしがみつく保守政治に導かれることになる。ということは、日本及び私たち日本人は、再び過去と同じ過ちを繰り返す道に踏み込むことになる、その事を覚悟しなければならない。こういう事を本当に分かった上で、なお改憲に賛成するのですか、としっかりと問いかける必要があるのではないかと思います。

私は、これから数年間における私たちの最重要課題、すなわち改憲をいかに阻止するかということについて、最小限これらの点を踏まえた上で、環境問題、人権問題などにおいてこれまで同じ立場で協力しながら運動を進めてきた多くの人たちの中に、改憲を支持してしまう多くの人たちが多くいるという現実を見据えて、第9条改憲を是とするか非とするか、というギリギリの問いかけをしていかなければいけない時期にきているということを申しあげておきたいと思います。

自衛隊のイラク派兵強行

2004年初頭の内外情勢の特徴として、改憲という大問題があることに加え、日本の情勢も国際社会の情勢も予断を許さない状況にあるということを認識していだきたい、というのが次のテーマです。

4つの問題があります。「自衛隊のイラクの派遣強行」ということが行なわれているという問題、小泉首相の憲法「改正」発言を含めた各政党における改憲への動きの本格化、国民生活を無視した底なし沼の経済財政運営、狭隘かつ危険な国家観、という問題です。

「自衛隊のイラク派兵強行」ということについて申し上げたいのは、保守政治の「対米追随」という本質がついにくるところまできた、ということです。アメリカのやった戦争が国際法違反だ、絶対許してはならない戦争だという議論が、いまやほとんどのマスコミ世論から消え失せている。それを受けて、国民的にもそれは違法という視点すら消えています。

しかし、法律を無視した行動が日常的に行なわれることになったら社会生活は成り立たないわけです。それと全く同じように、国際社会においても、アメリカの国際法違反の行動を許したらいったいどうなるかという問題がでてきます。現にインドとかロシアも先制攻撃という選択を公言するという事態になっています。

ちなみに人民日報に「先制攻撃拡大化の挑戦」という署名論文がありました。その中では、アメリカのほかに、ロシア、インド、イスラエル、オーストラリアが先制攻撃ありという立場を公然と表明しているとありました。この論文で注目されたのは、日本の防衛庁も、防衛白書の中で、ミサイル攻撃などに直面する前に日本は外国の基地に対して先制攻撃の打撃を与えるという考え方を表明している、ということを書いていることでした。

私たちは、自衛隊のイラク派兵といいますと、国内問題として捉えがちですけれども、全体としてのアメリカ・日本の世界軍事戦略の中での位置づけと、この中で色々な問題と関連づけて考える必要があると申しあげておきたいと思います。

なぜ小泉政権が憲法「改正」に執心するのかということですけれども、アメリカの対日要求がここまできたということです。

今までは、改憲に至らない段階で日本がなしうる対米軍事協力のあり方ということでアメリカも納得していた。しかし、ブッシュ政権になって、もうそれでは足りない。日本がイギリス並みの同盟国になるということを求めている、ということに本質がある。「イギリス並みの同盟国」ということは、端的に言えば、アメリカの指揮の下に他国に攻め入る軍隊ということです。このアメリカの要求を満たそうとすれば、いくら憲法9条をひっくり返して解釈しても無理がある。ですから、憲法9条改正なんです。もうそこにきている、待ったなしという段階に来ている、ということです。従って、アメリカの要求を満たすためには改憲が不可避にとなったということが、私は最大のポイントだと思っております。

底なし沼の経済運営

数日前から、日本経済の回復ぶりを報道する記事が紙面を踊っているわけですけれども、これは日本経済の二重性が非常に露になっているということです。要するに、大企業中心の経済指標をみると確かに良くなっている。しかし、そのことが私たち国民には全然実感されないという実情があるのです。

「アメリカのBSE騒動」は牛肉をめぐるものでしたが、私は、これが主食をめぐる問題になったときにどうなるのか、ということを考えました。本当に示唆に富む材料として受け止めなければならないと思います。要するに、食料自給率が20数%にまで落ち込んでいる日本が、いざ何かあった時に、とんでもない事態に陥るということについて、今度のBSE騒動が氷山の一角として示しているということを是非皆さんに理解しておいていただきたいと思います。

国際情勢の見方〜日本の常識と世界の常識

国際情勢ということでは、「窮地に陥りつつあるブッシュ政権」という問題と、「国際関係の大きな特徴」ということで、私たちが「常識」だと思い込んでいることが国際社会的にいうと決して「常識」ではないということが結構あるという問題について申し上げたいと思います。私たちが「常識」と思っていることが「常識」ではないとなると、国際社会の実情理解が随分変ってくるということを2番目の問題として申しあげたい。

「窮地に陥りつつあるブッシュ政権」については、本当に日本の新聞はどうしてここまでアメリカにおける世論の変化を伝えないのかと、私は疑問に思ってならないほどに、今のアメリカのブッシュ政権に対する世論は大きく変りつつあります。最近の世論調査で、ブッシュ支持率は52%だった。過去最低です。さらに転げ落ちていっても不思議はない。これがなぜ重要かというと、そのブッシュに「あなたと一蓮托生」と言ってついていこうとしているのが小泉政権だからだ、ということです。ブッシュ政権がじり貧になっていけばいくほど、アメリカべったりの保守政治の実態についても、多くの国民が本当にもっと見やすい情勢認識ができることになります。ここが重要なポイントだと思います。

もう1つは「国際関係の大きな特徴」ということで、日本の「常識」との乖離という問題です。4つのポイントがあります。

1つは、国際的には、対ブッシュ政権不信、ブッシ政権に対する警戒感がかつてなく強まっているということを認識するのが必要だということです。この点を私たちはよく見なければいけない。何故にフランス・ロシア・中国などが、対米関係が重要なのにイラク戦争については立場を変えないかということです。先制攻撃を一旦認めてしまったら国際社会は『ヤクザ』の世界になってしまう。そういうことになったら本当に強い者だけがのさばるということになってしまう、ということです。そうあってはならない。そういう点についての認識がまったく欠けている日本社会の現状は、『ヤクザ』の親分であるアメリカによって支配される国家になってしまっているということです。これは笑い事ではないのであって、こういう認識を是非我がものにしていただきたいと思います。

それから、「対テロ戦争」といいさえすれば、日本ではなんとなく受け入れる雰囲気になりつつありますが、本当にテロに対して戦争という手段が有効なのか、ということを厳しく考えなければなりません。現に、アフガニスタン、イラクの現状を見れば、戦争という手段に訴えることは有効ではない、ということが証明されているわけです。

アメリカの武力行使をちらつかせる政策がリビアの核開発計画放棄を導いた、とブッシュ政権は主張しています。本当にそうでしょうか。ブッシュは得意げにイラク、アフガニスタンに対して強行姿勢をとったことに対し、恐れをなしたリビアが折れてきたんだと説明しているし、その報道を真に受けた報道が日本国内で行なわれている。しかし、現実は全くそうではない。

いわゆるパンナム機事件が1988年におこりましたけれども、あの時以来本当に忍耐強い外交交渉がリビアと、アメリカ・イギリス・国連の当事者の間で行なわれてきたその蓄積の結果であること、また、リビアには長い間国際的な制裁が課せられてきたのですが、リビアがそれに耐えられなくなってきたこと、さらには、経済制裁を解除してもらって国際社会に復帰したいということで、核を放棄するという選択をしたというのが事の真相です。そういうところも、国内の報道を見る限り出てこない。

また、中国に関する報道が日本の新聞報道に載らない、という問題もあります。中国に関する報道といえば、マイナスの印象を与えるものが相変わらずほとんどです。従って私たちは、ほとんど正確な認識が得られない。文化大革命、天安門事件等によって、一般の日本人の中に負の中国観ができあがってしまって、マイナス的な報道しか受入れないという状況があるのです。

しかし、実際の中国はもっと変っている。本当に中国の実像というのは、国際社会におきまして、私たちが「常識」と見なしていたことが本当は「常識」ではないということを指摘する意味で、非常に重要な判断材料を提供しています。そういうことを是非とも皆さんには分かっていただきたい。

戦後日本のあり方の再考〜狭隘かつ危険な国家観の現れ

次に、「過去を鑑とすることを拒否する狭隘かつ危険な国家観」ということに関してですが、私は本当に新年早々ぞっとしました。小泉首相が和服姿で、皇居で天皇と会った直後に靖国神社に参拝している。ここに、小泉氏の思想といいますか、歴史認識といいますか、そういうものが集中的に現れていると感じました。彼の反動的な言動は本物だということです。本当にあの人物は深みのない、ブッシュにも勝るとも劣らない凡庸な人物だと思います。しかし確信犯であるという点では、これまたブッシュにひけをとらない人物であるということです。だから、人の話なんて関係ないのです。彼にとっては、日本の戦争責任という問題も関係ない。A級戦犯を靖国に合祀することに特別な気持ちはない、とまで言い放ったわけです。そういうところも、大きな問題として考えておきたいと思います。

朝鮮半島の情勢について関連して触れておきたいのは、日朝交渉ににじみ出る「過去の清算」を不問に付する意図という点です。

本当に拉致は許せない。しかし、この問題がここまで悪化し、長引いた原因は、要するに、拉致被害者が一時帰国した後、一旦北朝鮮に帰り、その後で家族揃って帰るかどうかを決めるという合意を、日本側が一方的につき崩したところにあります。ところが、そんなことは拉致と比べて小さな事だという心情が、小泉首相だけではなく、多くの国民にもあります。

しかし、60年近くにわたって徹底した相互不信に裏付けられた関係を営んできた当事者が、やっと日朝平壌宣言で解決への糸口を開いたのです。そうした時に、どんな小さな約束でも守らなかったならば、その相互不信が根底にある関係は維持できないということです。そこを小泉流のスタイルは自分に都合の良いように動かしてしまう。そうして北朝鮮にその責任を押付けるということです。

個人的な対人関係を考えてみてくだされば、分かりやすいと思います。信用できない人と約束を交わすということがそもそも難しい。そういう相手とどうにか約束を交わしたとき、その相手がのっけからその約束を破ったらどうなりますか。個人の次元に引き下げて考えると非常に理解できる問題です。そういうことを私たちは考えなければならない。こういうことを不問にした北朝鮮強行姿勢では、本当に過去の清算をするには程遠い状況に、小泉首相はもちろん、私たち多くの国民もいると申しあげたいのです。

一番肝心の「日本はどうしてここまで危機的な状況になってしまったのか」ということに話を移します。この点については、急に日本が悪くなってしまったということではなく、1947年に平和憲法ができて以来、保守政治が憲法に対して一貫した歪曲を積み重ねてきた、ということをしっかりと押さえる必要があるということを強調したいと思います。

私は「平和憲法」があったから戦後の日本は平和だった、とは考えていません。日本は、沖縄を置き去りにして独立しました。日本国憲法は、沖縄に対しては1972年まで適用がありませんでした。それから、ベトナム戦争を始めとするアメリカの世界的戦争に日本が加担してきたという事実があります。

これらのことが意味するのは、他国あるいは沖縄の被害者から見れば、日本は加害者だ、ということです。それらのことに目をふさぎ、私たち自身が「私たちは関わっていなかった」「私たちは目をつぶっていれば平和だった」と思いこんで、「日本は今まで平和だった、平和国家だった」というのは、私に言わせれば、自己欺瞞です。

そういうふうに私たちが自己欺瞞をさせられたというのは、戦後政治が巧みに国民を騙す政治を積み重ねた結果だったということなのです。保守政治は、少なくとも90年代になるまでは、憲法に対する攻撃をなりふり構わずするということはなかった。国民向けには、平和国家、平和憲法が自らの依ってたつ基礎であるかのようなふりをしてきた。しかし、対外的には、例えばアメリカなどから軍事的要求をされると、「憲法の制約があるから日本はできない」と言って、憲法を悪者扱いにして逃げてきた。日本には、そういう憲法政策があったわけです。そのことについても、私たちはしっかりした批判の目を持ち得なかったという問題があります。

もう1つお話ししておきたいのは、私たちは、「平和国家・日本」「平和憲法」を守ると呪文のように言い続けさえすれば、それだけで平和が確保される、日本はやっていける、というふうに考えてしまう傾向がありますが、それだけでいいのかという問題についてです。私に言わせれば、この問題は「私たち自身の平和観と国家観における曖昧さ」という問題に結びつきます。

戦後数十年にわたり、私たちは平和憲法にいわばあぐらをかき、「平和」と「国家」という問題に正面から向き合おうとせず過ごしてきてしまったのではないかと思います。そういう問題を1つ1つ吟味しないと、本当に私たちが考える「平和」「国家」というのが何なのか、どういう内容を押さえておかなければならないのか、ということがハッキリしていない。

明確さを欠く私たちの「平和観」、例えば、「天皇の戦争責任」というものを口にしない私たちの「平和観」などというのは、多くの他国民からすれば、結局はごまかしではないかということになって、そっぽを向かれてしまうのです。「国家」に至っては、この言葉を口にすること自体を忌み嫌ったり、避けたりする傾向が今でも強く見られます。これでは、国際社会が日本という国家に大きな期待を寄せている現実に対して、私たちの側から説得力のある国家構想を多くの国民に示す、ということなどできないことになってしまうのです。

今までは憲法改悪ということがまだ先の話だと思われていました。そういう状況だったら、私たちの平和観、国家観が曖昧なままでもやり過ごせてきたかもしれない。しかし今この時点では、もう数年後には憲法は変えられてしまう可能性が非常に高いわけです。その時になお私たちの「平和観」「国家観」に「曖昧さ」があると、とても保守の動きには太刀打ちできないということを今は申しあげざるをえません。私たちには「平和国家」というイメージをさらに具体化する努力を怠ってきたのです。今緊急に求められていることは、どのような「平和国家」をつくるか、ということについて、多くの国民が納得し、賛成する積極的な構想、提案をできるようにするために全力を挙げるということではないでしょうか。

私たちの課題

保守政治が戦後一貫して憲法を歪める政治をおこなってきた。そしてそれに対して私たちが十分かつ的確な批判をなしえないとともに、私たち自身の「平和観」「国家観」というものについても「曖昧さ」を残したまま今日に至ってしまった。このツケが1990年代以来の保守攻勢の中でドッと突きつけられています。

1990年以来具体的に保守攻勢の格好の材料になったのは、日本はいったいどのように国際社会と向かうのかという問題をめぐってでした。彼らは、軍事的国際貢献という主張で迫ってきました。彼らが国民に受け入れを迫ったのは、暴力に対しては武力に依らなければ平和は維持・回復できない、という「平和論」であり、そういうアメリカを中心とした動き(このアメリカ中心の動きを、彼らは「国際社会」と言い換えています)に協力することが日本という国家の責任だ、という「国家論」です。しかも彼らは、米ソ冷戦終結以後再び軍事的にも活発な動きをとるようになった国連をも利用し、「国連中心主義」を自ら唱えるようになりました。これらを集約したのが「軍事的国際貢献」論であった、ということになります。

国連は、90年代以来私たちが考えているような方向には動いておりません。外国特にアメリカが支配する国連になっているのです。そういう国連とどう向かい合うかということについての、要するに国連観、そういうものも私たちにはできていませんでした。

こうして、保守政治の「軍事的国際貢献」論に対して私たちは結果的に反撃することができないまま今日に至っているということだと思います。これが今の状況であり、まさにその結果がアメリカの対日軍事要求のエスカレーションと保守政治の「戦争する国」に向けた動きということになっています。

やはりそういうことを考えると、私たちの国家観というものはどうあるべきか、平和観というのはどうあるべきなのか、国際車会館はどうあるべきか、国連観はどうあるべきか、という少なくとも4つの問題に対して、本当に自信を持って国民に説明し納得してもらえる、私たちの考え方、判断、分析、対応、政策が必要です。こういうものがなければ、保守政治の古臭い官僚的な国家観、彼らの軍事的平和観、アメリカ追随の国際社会観、アメリカが支配する国連と仲良くしていこうとする国連観、そういう見方が多くの国民に対して説得力を持ってしまうということは避けられないと思うのです。

私たちは本当に大急ぎで、しかも全力を挙げて、これらの問題に対しての私たちの考え方を整理し、政策を練り上げ、そしてそれを改憲阻止という課題に結びつけ、国民的エネルギーをくみ上げるということを考えることが今の課題ではないかと思っております。

どうもありがとうございました。

RSS