「平和国家」・日本のあり方と国際社会とのかかわり方

2004.02.29

*この文章は、ある雑誌に載せることを予定して書いた原稿です。年初の「自衛隊のイラク派遣に思うこと」を下敷きにしてある会合でお話しをしたところ、国家観、平和観についてさらに詳しく私が考えていることを文章にしないかというお誘いがあり、そのお誘いに乗って書いたものです。年初のコラムでの発言の続編という位置づけにもなる、といえましょうか。ご批判、ご叱正の反応に接することを期待しています(2004年2月29日記)。

 日本はいま、「平和国家」としての国のあり方が根底からひっくり返されるかつてない危険きわまる状況に直面しています。具体的には、戦後日本のあり方を定めた平和憲法を改悪しようとする動きが本格化していることです。保守政治による平和憲法を突き崩そうとする動きは、一九九〇年の湾岸危機の勃発をきっかけにして強まりを見せてきました。

保守政治は、「一国平和主義」では国際社会において「普通の国家」としての国の存立を全うできないという切り込み方で、太平の眠りの中にいたことが確かに否定できない状況にあった多くの国民を揺さぶり、彼らが設けた政策論議の土俵に国民を引きずりあげました。そして「一国平和主義」を清算する道は軍事的国際貢献しかないという論法を国民に押しつけ、自衛隊の海外派兵への道を突き進んできたのです。

一九九〇年から二〇〇四年までのわずか一五年に満たない時間の間に、湾岸戦争に対する戦費(一一〇億ドルあるいは一三〇億ドル)の拠出から始まって、自衛隊のPKO派遣の積み重ね、対アフガニスタン戦争における米軍(多国籍軍)艦船に対する洋上後方支援、そして戦闘地域であるイラクに対する武力行使に踏み込むことを前提とした自衛隊派遣と、平和憲法の根幹を突き崩す「実績作り」が着々と積み重ねられてきました。

この間に法律面でも、同様の「実績作り」が行われてきています。PKO法、周辺事態法、テロ対策特別措置法、武力攻撃事態対処法、そして今国会に上程が予定されている国民の基本的権利を大幅に制限し、奪いあげることを内容とするいわゆる国民保護法制という名の下における国家総動員体制を可能にする法案、等々。どれをとっても憲法違反の法律であり、しかもそれらがほとんど国民の本格的な抵抗もないままに、形式的な国会審議を経て成立してしまったし、また成立させられようとしているのです。

何故に保守政治は、これほどまでに急ピッチで物事を進めてきたのでしょうか。その最大の原因はアメリカの対日軍事要求のエスカレーションです。もともと平和憲法改悪を虎視眈々と狙ってきた戦後保守政治にとって、アメリカの圧力の高まりは、「アメリカ=国際社会」というイメージがなんとはなしに受け入れられがちな日本国民に対して、「アメリカの対日圧力=国際社会の対日希望」という形で売り込むことを可能にしました。

もう一つ、国民が保守政治の攻勢に対して受け身になった原因として、米ソ冷戦の終結をきっかけとして、国連が軍事的機能を発揮するケースが増えたことが働いています。米ソ冷戦期の国連は、大国の拒否権によって軍事的機能を営むことに厳しい条件を課せられていました。その「封印」が解け、特にアメリカと緊密に協力することになった国連(安保理)は、国際問題・紛争の解決に軍事力を行使することに積極的になったのです。これもまた、保守政治にとっては追い風として働きました。国連に対して長らく「国際平和の担い手」というイメージを強く抱いてきた多くの国民は、国連がお墨付きを与える軍事活動に対して日本がかかわることに対しては、次第に抵抗感を麻痺させていったのです。

しかしイラク戦争で明らかになったように、時に国連はアメリカの言うとおりにならないこともあります。そういうときでも、アメリカは日本に対し、アメリカとともに戦いに身を投じる軍事同盟国であることを求めているのです。平和憲法の下での自衛隊のイラク派遣には、どうしても無理・制約が生じています。そうした無理・制約を完全に取り払い、名実ともにアメリカの有力な目下の軍事同盟国になるためには、いまや平和憲法そのものを改めなければならない。だから保守政治は、改憲を本気で進める動きに出ているのです。

私たちは、本当に正念場を迎えています。このまま保守政治に押し切られるのか。それとも最後の一線で踏みこたえて、保守政治の改憲の野望を打ち砕くことができるのか。私は、保守政治の改憲策動を挫折させるためには、今のままではとても勝負にならないとヒシヒシと感じています。多くの国民が保守政治の野望の危険性をハッキリ自覚し、保守政治が支配する国会の改憲提案に「ノー」の回答を突きつけるようにする。そこにすべてのカギがかかっています。そのためには、私たちは何を考え、しなければならないのか。そのことを真正面から考え、皆さんに提言することにこの文章の目的があります。

1.私たちの平和観と国家観(国際観)における曖昧さ

(1)平和観の問題

私は、現在の危機的状況を生み出してきた私たちの側における主体的な原因として、戦後日本における私たちが、私たち自身の平和観及び国家観(さらには国家のあり方を考える上での前提ともなる国際観)を突きつめて考えることを怠り、曖昧なままにやり過ごしてきたことを、自省の念を込めて指摘しないわけにはいきません。しっかりした平和観と国家観(国際観)を我がものにしている私たちであったならば、保守政治の攻勢に対して、現在そうであるように、これほど易々と追い込まれるはずはなかったと思います。

戦争に敗れて無条件降伏し、日本という国家を新しく生まれ変わらせることを誓った(ポツダム宣言の受け入れ)国民は、それまで足蹴にしてきた「平和」という問題について、様々な機会に真剣に考えるチャンスがありました。しかし、その都度その作業を国民的規模で真正面から行うことを避けたり、怠ったりしたために、多くの国民は地に足のついた平和観を我がものにすることができないという事態を繰り返して今日に至っているのです。

最初のつまずきは、アメリカが、対日占領政策を順調に進めるために、日本軍国主義の戦争責任問題とりわけ昭和天皇の戦争責任を不問にする政策を採用したことに対して、国民の多くがその不当性を突く問題意識を明確に持てなかったことにあります。日本軍国主義及び昭和天皇によって行われた侵略戦争の被害者でもあった国民は、軍国主義(及びその継承的担い手である戦後保守政治)と昭和天皇の戦争責任を明確に断罪し、清算しなければ、民主主義国家に生まれ変わった日本の主権者としての立場を全うすることはできなかったはずです(改めていうまでもなく、過去の清算を拒否する保守政治がその後の日本を支配し続けているために、この課題は現代もなお国民に課せられています)。そして、そうした過去を引きずったままであるために、戦争を無条件に放棄する(いかなることがあっても二度と戦争に訴えない、つまり国際社会に対して加害者にならない)という第九条が指し示す平和の意味を、多くの国民が体得することには繋がりませんでした。

このように加害責任が不問に付されることを徹底的かつ主体的に追及することができないまま今日まで来ている国民の多くは、戦争の被害者であるという意識だけから、平和について考えるようになりました。そして、そこから出てくる「平和」の中身は、「戦争はこりごり」「二度と戦争に巻き込まれたくない」「いまある平和を壊されたくない」といった感情的情緒的な次元に留まってしまうことになりました。そうした消極的な「平和」感情からは、国際問題にかかわることをも疎ましく受けとめる感覚が派生してきます。それは確かに「一国平和主義」といわれても仕方がない、いわば弱々しい「平和」観でした。

その後も国民が確かな平和観を我がものにするきっかけはしばしば訪れました。たとえば、沖縄をアメリカの軍事占領の下においたまま、しかも日米安保条約とパッケージの形で日本本土が独立を回復するということは、憲法の示す平和を実現することからは遠く離れていました。しかしほとんどの国民は、日米安保には違和感を持ったものの、沖縄を切り捨てることにはほとんど無関心でした。ここには明らかに、多くの国民の「平和」観に重大な問題が伏在していることが客観的に示されていました。また、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争を始めとした、アメリカが日本の基地を利用して行う戦争に対する多くの国民の「我関せず」の反応もまた、国民の平和観が鍛えられていないことを明らかにするものでした。

一九九〇年代に保守政治は、そうした国民の「平和」観を「一国平和主義」だとして攻撃するようになりました。実をいえば、戦後保守政治こそが、対米追随一本槍で、国際関係には積極的にかかわろうとしない「一国平和主義」の張本人だったのです。しかしアメリカの対日要求の前に、彼らはそのことを覆い隠し、手のひらを返す形で国民の「一国平和主義」感情を諸悪の根源であるかのように言い募るようになったのです。そのとき、しっかりした平和観を我がものにしていなかった国民の多くは、保守政治の居直り的な攻撃に対してタジタジとなってしまいました。

戦後における国民の平和観は、「国連中心主義」という国連信仰によっても悪い意味で骨抜きにされました。戦争放棄を中心とする憲法の平和主義と、憲章上ハッキリと軍事力行使の可能性を規定する国連の平和主義との間には、「平和」をどう捉えるかという根本的な点において基本的な違いがあります。ところが、米ソ冷戦時代に軍事的には骨抜き状態にあった国連が自らの存在理由を模索していた姿を、戦争放棄を掲げる憲法のもとにおける平和主義の国のあり方とダブらせて、「国連中心主義」を唱えたのはかつての私たちでしたし、多くの国民はその主張に共鳴しました。しかし、先にも述べたように、米ソ冷戦後の国連は、ある意味、憲章の定める姿(アメリカが当初意図したもの)を取り戻したのです。

かつて「国連中心主義」とは、憲法の平和主義をないがしろにする保守政治の対米追随主義外交を批判する代名詞でした。ところが一九九〇年代以後になると、国連の「変質」に着目した保守政治が「国連中心主義」を言い出しました。しかし私たちは、戦争放棄の憲法に立脚する平和観に磨きをかける努力をゆるがせにしていたために、国連の「変質」が持つ意味を深く考えられませんでした。そのため、「国連中心主義」を掲げて軍事的国際貢献を迫る保守政治のトリックを見抜いて、国民に機敏にかつ有効に働きかけるだけのしっかりした平和観を持ち合わせていなかったのです。その結果、多くの国民は保守政治に引きずられていく羽目になりました。

(2)国家観(国際観)の問題

では、国家観(国際観)についてはどうでしょうか。私は、私たち自身を含む国民の多くが国家や国際社会について考えることを避けて通ってきたのではないか、という強い印象を持っています。もちろん、そうなったのにはそれなりの歴史的な原因がありました。

私たち自身を含め多くの国民が、国家という言葉を口にすること自体、なにか戦前の暗い過去を連想させるものとして、忌み嫌うという傾向は確実にありました。そしてそれはすでに過去のものになったわけではなく、特に私たちの側において、今日においてもなおその傾向から自由になったとは言えない状況があると思います。

国家を忌み嫌う国民感情は、第二次世界大戦までの歴史が大きく関係しています。戦前においては、国家は国民の上にのしかかる存在でしたし、すべての国民を侵略戦争に引きずり込み、悲惨な体験を余儀なくさせた張本人でした。すでに述べたように、戦後に自ら生まれ変わる機会があったにもかかわらず、当時の国民は、侵略戦争の責任を明確に追及し、過去の国家と決別することができなかったために、確かな平和観を我がものにすることができなかったし、新生日本という国家観を我がものすることもできなかったのです。多くの国民を支配したのは、国家そのものを忌み嫌う感情だけでした。

このことの重要性を理解することを助けてくれる材料は、戦後における日本とドイツの違いです。ドイツでは、ナチズムの戦争責任がそれなりに徹底して行われ、第二次世界大戦を引き起こしたナチズムに対する清算が行われました。そのためにドイツ国民は、新たに民主主義国家として生まれ変わったドイツを我がものとして捉える健全な国家観を育むことができたのです。

しかし日本の場合、憲法によって民主主義国家として生まれ変わることが定められたにもかかわらず、憲法は象徴天皇制という制度を設けて過去との断絶を不完全なものにしてしまいました。さらに、米ソ冷戦の深まりを受けたアメリカの対日政策の変化により、戦前の軍国主義の過去を引きずる政官財の指導者たちが復活し、戦後日本を長期にわたって支配することになる保守政治の源流となったのです。こういう状況の下では、日本国民が「国家は生まれ変わった」という実感を持つことができなかったのには、致し方のない面があったことは否めません。その結果、私たち自身を含む多くの国民にとって、国家はマイナス・イメージだけのものになり、健全な国家観が育まれないことになったのです。

国民の多くが国家という問題について考えたがらなくなったのには、独立回復後の早い時期に、保守政治が国民に古くさい国家観を押しつける政策を推進しようとしたことも働いたと思われます。教育の分野における文部省(当時)の教育反動化をめざす動きは、早くも五〇年代に起源をもっています。岸信介首相の時代には、安保闘争をピークとする政治の反動化をめざす動きが強まりました。これらの動きは確実に、国民の国家に対するマイナス・イメージを増幅するものでした。

一九六〇年以後の保守政治は、それまでの教訓を彼らなりに消化して、違った対応をとることになりました。それは簡単に言えば、国民に国家のことを意識させない政策、ということができると思います。端的に言えば、国民の関心を経済・生活に振り向ける政策が意識的に行われました。もともと国家に違和感を持っていた多くの国民は、そうした保守政治が操るままに、ますます国家という問題に向き合うことから遠ざかっていきました。多くの国民にとって、国家はあたかも無縁な存在として位置づけられるまでになりました。

その結果近年には、奇妙な現象が現れるまでになりました。たとえば、国際社会とのかかわり方を考える場合に、国家に働きかけて主権者である国民の意思の実現を図るという発想はきわめて希薄で、国家とは距離を置いたNGOの活動を評価する傾向があります。

そこには、保守政治が支配する国家による外交活動では国民の意思は反映されるはずがない、という現実認識(保守政治のもとでの日本外交に関するその認識自体は正しい)が働いています。NGO活動の元祖である欧米諸国では常識の、国家による外交活動とNGOによる活動との棲み分けという発想はほとんどみられません。ここには明らかに、国家を国民とは対立的な存在としてしか捉えない心の働きが反映しています。

そもそもNGO活動に熱心にとり組む人たちにしてみれば、私がこの文章で盛んに使っている国民というとらえ方をされることに対して、違和感を持つ向きが多いのではないでしょうか。国民という表現は、国家の存在を前提にしているからです。ですから、国民ではなく、市民という自己表現が好まれる傾向があります(ちなみに、この傾向は、国際社会とのかかわり方を考える人々の間だけではなく、国内で様々な草の根の活動・運動を積極的に行う人々の間にも見られます)。

私は、NGO(や国内の草の根)の諸活動に反対しているのではありません。そういう活動の重要性を認識する点では、むしろ人後に落ちないだけの自信があります。私がここで強調したいのは、正常な国家観を自覚的に育むことを怠ってきたと言われても仕方がない私たちを含む国民の多くは、主として国家からなる国際社会についての正常な国際観を育むことを妨げられるようになっているのではないか、ということです。

個人(や国家ではない組織)が国家を通さずに国際社会に直接かかわるが求められる状況は、今後ますます増えることは間違いないでしょう。その点をしっかり承認した上で、好き嫌いの問題ではなく事実の問題として、そして予見しうるかなり長い将来にわたって、主として国家からなる国際社会が存在し続けるという認識を踏まえる必要があると思います。ということは、私たち自身を含め、国民が日本という国家を通して国際社会にかかわっていくという課題の重要性をしっかり認識する必要があるということです。

以上に述べたことは、私たちの側における主体的な問題として捉え直すならば、次のようにまとめることができます。まず、私たちは、自らの平和観と国家観を鍛え直す必要があるということです。そして、国際社会とのかかわり方(一九九〇年代以後、「国際貢献」という言葉で表されることが多くなった事柄)について、国民に対して積極的な発信をする能力を格段に強める必要に迫られている、ということです。

2.避けずに国家(国際社会)に向き合い、平和について考えよう

以上では、まず平和観の問題を扱い、次に国家観(国際観)の問題を扱いました。以下では、まず国家観(国際観)の問題を取り上げ、その上で平和観の問題を取り上げます。そして最後に、どのような国家観(国際観)及び平和観を提起するのかについて考えます。

なぜかと言えば、国家観の裏付けのない平和観は、保守政治の改憲策動に立ち向かい、多くの国民が改憲に反対するという可能性を現実のものにする上では、説得力を持ち得ないと考えるからです。保守政治が国のあり方を変えることに狙いを定めている今、私たちが確固とした国家観の裏付けを持たないままの平和観に留まっているのでは、保守政治の改憲策動を打ち破る説得力をもつことはできない、と私は確信します。

(1)なぜ私たちは国家観(国際観)の問題に向き合うことが必要なのか

私たちがしっかりした国家観(国際観)を持たなければならないのは、以下のような理由からです。まず、保守政治が私たちに押しつけようとしているのは、戦前に逆戻りする古くさい国家観です。その本質は、国家を国民の上におくことにより、国民が国家のために犠牲になることを当然視すること、そして国民の犠牲を顧みず「戦争する国」にすることに、その最大の狙いがあります。それは要するに、平和憲法が基礎を据えた民主主義の根幹を突き崩すことと同義です。その点が多くの国民にハッキリすれば、保守政治に対する国民的認識が改まることは大いに期待が持てます。保守政治の危険を極める狙いを国民にハッキリ認識してもらうためには、私たちが平和憲法に基づく国家観、つまりは民主主義に基づく国家観を積極的に提起する必要があるのです。

次に、前に触れたように、私たちは、予見できる長い将来にわたって、日本という国家を通じて多くの国際関係に関する問題に係わっていかなければなりません。その日本が、「戦争する国」としてかかわるのか、それとも「戦争しない国」としてかかわっていくのか、そのいずれの道を選択するかによって、国際社会のあり方は大きく影響を受けますし、その結果は当然、国際社会の一員である日本の進路にもはね返ってくるに違いありません。保守政治の改憲策動が客観的に問うているのはそういう「国のあり方」であることを多くの国民にハッキリ認識してもらうためには、やはり私たちの側から説得力ある国家観(国際観)を提起することが不可欠です。

保守政治の古くさい国家観(国際観)は、国際関係の民主化(この問題自体、突っ込んで考える必要がありますが、紙幅の関係で省略します)という問題を考える上でも、大きな妨げになります。それは要するに弱肉強食を当たり前のものとするものだからです。「長いものに巻かれろ」式の考え方がともすれば支配しがちな日本では、建前はともかく、多くの国民が内心ではそういう保守政治の考え方を受け入れがちな、諦めに似た雰囲気があります。しかし、この点については、そういう認識、雰囲気が間違いであることを、声を大にして訴える必要があります。そのためには、私たちがしっかりした国家観を我がものにすることが不可欠の前提になります。

「過去の遺産」を背負っている日本という国家は、国家としてその清算にとり組まなければならない、ということについては前に触れました。保守政治がこの課題を徹底的にネグって来たことにも言及しました。この課題を清算しない日本は、これからも国家関係のあり方についていい加減な考え方しか持ち得ない国家と見なされ続けます。率直に言って、この問題についても、保守政治を大目に見る国民的な雰囲気が濃厚に存在しています。私たちは、国家観の重要な一部分として、国際関係において歴史問題が持つ重要性をしっかり認識すべきことを、これまた声を大にして多くの国民に訴える必要があります。

(2)なぜ私たちは改めて平和観の問題に向き合うことが必要なのか

このように、私たち自身の国家観(国際観)を正す必要性があることについては、分かって頂けたと思います。そのことを前提にした場合、平和観については、私たちはどういうことを考える必要があるでしょうか。

まず平和観の問題を考える前提として、「平和」とは何かという定義の問題において、そもそも様々なとらえ方があるという状況があることを認めなければなりません。したがって、私たちが平和の問題を考え、議論するときには、まず、そこで考え、議論する「平和」の内容をハッキリさせることが、不要な混乱・対立を避けるために必要になります。特に戦後の日本社会においては、平和問題一般と平和憲法の平和という問題が混同される傾向が強かった分だけ、なおこの問題に留意する必要があると思われます。また、戦後日本の政治状況の反映として、保守政治のいう「平和」(=対米追随)と私たちの側の憲法に基づく平和主義との間に深刻な対立があり、そのことが平和問題を議論する国内の土壌を狭くする、という問題があったことも忘れるわけにはいきません。

他方では、一九九〇年代以後の日本国内の政治状況を見れば、すでに述べたように、平和問題に関して、保守政治の側の一方的攻勢に対して、私たちの側が積極的な平和論を提起・展開することに後れをとる、という事態を生み出しています。国際的には、米ソ冷戦終結後とくに、「戦争か平和か」という狭い意味(筆者注:それは、憲法第九条とのかかわりで考えるべき平和の問題、ということになります)での平和問題に加え、貧困、環境、AIDSなど、広い意味での平和にかかわる多くの問題(筆者注:これらの問題は、日本国憲法に即していえば、前文とのかかわりで考えるべき平和の問題です)にも注目が集まるようになりました。

保守政治は、もっぱら狭い意味の平和問題に国民の注意を向けさせようとしてきました。その動きを代表するのは、「軍事的国際貢献」論であったことは言うまでもありません。それが今日の改憲への動きに直結しているというわけです。

したがって私たちは、平和をめぐる内外の状況・課題を踏まえ、この状況・課題に適切かつ積極的に応えるだけの骨太の平和観を提起することが求められています。保守政治が迫っている「戦争か平和か」という選択に対して、憲法第九条を活かしきり、「平和に徹する」「戦争しない」日本という選択肢が今日正に有効であることを多くの国民が納得する平和観を提起することはもちろんです。さらに「骨太」というのは、保守政治が口を濁す、より広い意味での平和の問題にも、平和憲法、なかんずくその前文、に即した平和観を提起する必要があるという意味です。紙幅がないので深くは言及できないのですが、大国である日本という国家は、これらの問題に関して、ほかの国々にも増して積極的にとり組むことが求められていることにつき、多くの国民が認識を深めるように働きかける必要があることを付け加えておきたいと思います。

(3)どのような国家観(国際観)及び平和観を提起するのか

これまでに述べたことと重複するかもしれませんが、最後に、私たちはどのような国家観(国際観)及び平和観を国民に対して提起することが求められているかについて、原則的な点に絞って、整理して述べておきたいと思います。

何にも増して本質的に重要なことは、人間の尊厳の承認(その具体化としての人権の保障)を根幹に据えることをすべての国家観(国際観)及び平和観の基本におくということです。私たちは、いかなる理由があるにせよ、「国家」(「国際社会」)及び「平和」の名の下において、人間の尊厳を否定し、損なうことがあってはならない、という国家(国際社会)及び平和と人間の関係の根本的なあり方を承認することを、国家観(国際観)及び平和観の基礎に据えなければなりません。

とくに国家と個人の関係のあり方に関しては、国家を個人の上におくことを狙いとする国家観を保守政治が押しつけようとしていることを退ける必要があります。保守政治の国家観を打ち破る上で特に重要なことは、国家はいかなる理由によっても個人の尊厳を奪うことがあってはならないという国家観を提起することです。その国家観を多くの国民が我がものとすれば、保守政治の改憲策動に対して、多くの国民が「ノー」回答を突きつける展望が生まれてくることは、前に強調したとおりです。

平和という問題を考える場合においても基本は同じです。「戦争する国家」への選択を迫る保守政治に対して、私たちが対置するのは「戦争ほど人間の尊厳を損なうものはないから、戦争は否定しなければならない」という平和観です。そして、保守政治が無視しようとする貧困、環境、AIDS等の問題について、そういう問題が人間の尊厳を全うする可能性を奪いさる原因になっているからこそ、大国・日本は積極的にかかわっていかなければならないという平和憲法(特に前文)に基づく平和観なのです。

最後に一つだけ但し書きを付け加えておきます。現代の国際法の下では、「国家の内政に干渉してはならない」という内政不干渉の原則があり、また、「人民の自決」という原則もあります。他方において、国際人道法が徐々に形成されつつあって、内政不干渉や人民の自決という原則に修正を迫る動きもあるという歴史的な時期に当たっています。したがって、人道的考慮を理由にした先進国による途上国に対する干渉・介入については、平和にかかわる非常に複雑な問題が存在し、今後も現れるであろうことを十分に認識してかかる必要がある、ということを認識してケース・バイ・ケースで対処する必要があります。

その点では、自衛隊のイラク派遣が「人道支援」「復興支援」を名目にして強行された、という生々しい現実の問題が私たちに突きつけられています。憲法違反の問題として扱うだけに留まらず、広く平和をどう捉え、どうかかわるかという視点からも、この問題に厳しい批判を行い、自衛隊派遣を中止させる、という取り組みが求められています。

(補足)

4月に、5人の日本人がイラクで拘束されるという事件が起こりました。とくに最初に捕まった3人については、彼らを拘束したグループからビデオと声明が送られ、その解放をめぐって、国内で大問題になりました。その経緯は省きますが、私が本稿で取り上げた平和観、国家観・国際観とのかかわりでも、重大な問題点が浮き彫りになったので、その点に焦点を当てて、補足しておきます。

3人が解放される前から、政府及び自公連立政治の指導者の口から、盛んに「自己責任」を問う声が喧しく唱えられ、多くのマスコミもそれに乗りかかる報道を行いました。それは、3人が自衛隊のイラク派遣に反対する立場であり、そのイラク行きも客観的に政府・連立政治批判の性格を持っていたからでした。拘束グループの声明が自衛隊のイラク撤退を3人の解放と結びつけていたことも、今回の問題の政治的性格を際だたせました。

3人のうちの2人は、本文でも言及したNGOの関係者です。彼らは、アメリカの対イラク戦争・占領支配によってイラク民衆が被っている被害(高遠さんはストリート・チルドレン、今井さんは劣化ウラン弾)に対する深い関心から、悩んだ末にイラク行きを決行しました。それは、日本政府の勧告(渡航中止・退避)を無視する形をとらざるを得ませんでした。

3人の行動は、彼ら自身が認識していたかどうかは別にして、客観的には「個人を国家の上におく」立場に基づくものでした。しかも、彼らの行動は、「武力による」平和の道に固執する政府・自公連立政治に対して、自らの生命を賭しての「武力によらない」平和の実践(少なくとも「武力による」平和観に対する異議申し立て)という意味を持っていました。そうであるが故に、政府・自公連立政治にとってはますます許しがたいものだったのです。「自己責任」論の背景にあるのは、「国家を個人の上におく」古くさい国家観と「武力による」平和観をあくまで3人に押しつけようとするものだった、というほかありません。

私は、3人の家族が「自己責任」論の圧力の前に屈することを余儀なくされたこと、そして3人が解放された後は、家族が現地に飛んでまで日本国内の「自己責任」論の圧力に3人が屈する働きかけをせざるを得なかったことを目撃して、まったくやるせない気持ちです。3人が硬い表情で帰国した姿、とくに高遠さんが心身共に衰弱して、家族に身体を支えられながら北海道の自宅に戻った姿に、いたたまれない思いをしました。

しかし、いまの3人には過酷すぎるし、家族の人たちには辛すぎるでしょうが、私はあえて言いたいのです。つまりこの結果は、3人とその家族が強靱な平和観、国家観・国際観を我がものにしていなかったことが不可避的にもたらしたことだ、ということです。

3人の行動は、国際的には高く評価されています。アメリカのパウエル国務長官ですら、日本人は彼らを誇りに思うべきだ、と言っているのです。フランスのル・モンド紙は、「自己責任」論の異様さを批判しています。健全な国際観という座標軸を具えているならば、3人と「自己責任」論を振りかざす連中のどちらがまともなのかは、一目瞭然なのです。私達が健全な平和観、国家観を具えることは、健全な国際社会の一員となる(健全な国際観を持つ)ためにも必要不可欠であることを、今回の事件は物語っています。

(2004年4月21日記)

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