自衛隊のイラク派遣に思うこと

2004.01.08

*本来は2004年が始まるに当たって、内外情勢についての回顧と展望を行うという作業を行う意欲で書き始めましたが、コラムでこれまで書いてきたことを読み返してみると、結局は二番煎じの内容になってしまうことに気づき、取りやめました。その代わり、と言っては変ですが、当面する最大の問題である自衛隊のイラク派遣に焦点を絞って、日本国内の平和観のあり方、「平和国家」日本のありようについて日頃私の考えていることと絡めて書くことにしました(2004年1月8日記)。

 小泉首相による皇居訪問直後の靖国参拝という最悪の出足で始まった2004年の日本政治。今年も日本政治は難問山積だなという重苦しい気持ちがどんよりと胸につかえます。元旦の中国・人民日報には、「中共中央及び国務院の人材工作強化に関する決定」という人材強国をめざす強い意気込みが伝わる重要決定(2003年12月26日付)が掲載されていました。彼我のこのギャップの大きさを目の前にして、ますます気持ちが落ち込むのをどうすることもできませんでした。

本当に、日本という国家はどうなるのでしょうか。まったく国家構想のひとかけらももたず、口先だけの帳尻あわせだけで日々を無為に過ごす小泉首相以下の政治家に、これ以上日本の舵取りを任せていたら、日本の行く先は、よほどの僥倖にでも恵まれない限り、真っ暗というほかないとしか考えられません。

そういう政治のありようを集中的に示しているのが、過半数以上の国民が反対・慎重という声を上げる中で強行される自衛隊のイラク派遣だといえます。

私は、平和憲法があったから戦後の日本は平和だった、とは思っていません。平和憲法を守る日本であったならば、ヴェトナム戦争をはじめとしてアメリカ軍が世界に戦争を仕掛けることを許すようなことはあってはならなかったはずです。そもそも、沖縄をアメリカの軍事占領下においたまま(つまり、間接的にアメリカの軍事戦略に協力する形で)、いわば沖縄を切り捨てた形で独立を回復することを選択した時点で、「平和国家」日本には大きな影がつきまとっていたのです(この影は、沖縄の現状が示すとおり、今日も色濃くつきまとっています)。この二つの例を考えるだけでも、私たちは自らの平和観の中に潜む曖昧さを厳しく再検討してこなければならなかった、と改めて思います。

そういう再検討が国民的に不断に行われてきたならば、私たちの国家観、平和観はもっと力強い運動のエネルギーを生み出してきただろうし、そういうエネルギーに支えられた「平和国家」日本は、保守政治の「解釈改憲」の手法による既成事実の積み重ねという平和国家の土台崩しの試みを力強く押さえ込むだけの「国の姿・形」を国の内外に示すことができていたのではないのでしょうか。しかしそういう自己反省が厳しく行われてきたとは到底言えない実情があります。そうした曖昧さをそのままにして、保守政治の「解釈改憲」と既成事実の積み重ねに順応する国民世論の変化に、強力に働きかけるすべを私たちが持ち得ていない現時点での結果が自衛隊のイラク派遣なのだ、と私は自己反省を込めて受けとめています。

しかし、私たちが自らの平和観を鍛え直しながら、国民世論に働きかける可能性はまだまだ残っていますし、本腰を入れてとり組まなければならない課題は巨大なものがあります。

自衛隊のイラク派遣に対する国民の不安は強いし、関心も深いと思います。少なくとも自衛隊が他国で殺人を行ったことはないし、殺されることもこれまではなかった。そのいずれが現実の事態になっても、「平和国家」日本という多くの国民がまだもっている(しがみついている、という方が正確でしょう)イメージ(心のよりどころ)は、最終的に粉々に砕けます。その時、私たち国民のこれまでの平和観のいい加減さが、逃げ場のない形で白日の下に曝されることになるでしょう。そしてより重要なことは、戦後日本のありよう、つまり「平和国家」日本としての「国の姿・形」もまた正面から問い直されることになるのです。自衛隊のイラク派遣ということはそういう問題なのです。

現実には、そういう事態に直面しないかもしれない。しかしその僥倖頼みで、私たちはこの問いから逃げることは許されないのです。私たちが今なすべきことは、自らの国家観、平和観を鍛え直しつつ、「その事態になったら考える」という気持ちでやり過ごそうとしている国民世論に、「そういう事態に直面する前に、この国の『平和国家』としてのあるべき姿・形をしっかり確認し直し、私たちの曖昧な平和観を徹底的に見直す」ことの緊要性を分かってもらうべく、ありとあらゆる努力を行うことではないでしょうか。

RSS