有事法制と国際関係

2003.07.29

*この文章は、ある雑誌の求めに応じて、国際関係が有事法制にどういうインパクトを与えたか、また、有事法制は国際関係にどのようなインパクトを与えるのか、という二つの視点から私の見方を記したものです。(2003年7月29日記)

1.国際関係が与えたインパクト

いわゆる有事法制の成立に対して国際関係が与えたインパクトとしては、今日の有事法制への直接の発端となった1994年をピークとした北朝鮮の「核疑惑」に対するクリントン政権の対応とその中で浮かび上がってきた日本の問題点、クリントン政権の下での新ガイドラインの策定に向けた動き、そして2001年に政権についたブッシュ政権の対日要求という三つの要素の働きが大きい。このほかに国際的な大きな底流として、米ソ冷戦終了後のNATOのあり方をめぐる米欧間の協議の先行という事情と、1990年代以後進んだ日本の「国際的軍事貢献」論に基づく動きに、一部のアジア諸国を除いた国際社会が深刻な警戒感をもって臨まなかったということも忘れるべきではないと思われる。

(1)1994年の北朝鮮の「核疑惑」問題

北朝鮮のインパクトについては別項で詳しく扱われる予定なので、ここでは、北朝鮮の「核疑惑」問題が如何に日本の有事法制制定問題につながっていったか、という点を中心にして述べることとする。

北朝鮮が核兵器を開発しているのではないかというアメリカの疑惑(これが北朝鮮の「核疑惑」と呼ばれる)は90年代初期にさかのぼる。アメリカは、北朝鮮に核兵器開発を思いとどまらせるための圧力を強めたが、核兵器開発の意思も能力もないとする北朝鮮との交渉は平行線をたどった。外交交渉における進展がないことに業を煮やしたクリントン政権は、93年から94年にかけて、北朝鮮の核関連施設を先制攻撃で破壊し、後顧の憂いを取り除く軍事作戦を立案し、実行しようとした。しかし、アメリカの作戦計画は、大きな困難に直面した。一つは、北朝鮮が38度線沿いに展開する軍事力によるソウルに対する大規模報復攻撃に直面するという問題であった(この問題については、ここではこれ以上深入りしない)。今一つの問題は、アメリカの軍事作戦は日本の基地から行われることが予定されたが、その日本に対してきた朝鮮がゲリラ戦力によって報復攻撃してきたときの日本の対応という問題であった。

私がいろいろな機会に紹介する1996年12月24日付の朝日新聞を開けば、日米安保に関する特集記事が載っており、「朝鮮半島核疑惑の危機に直面」(11面)、「ひそかに有事研究が始まった」(10面)という見出しが踊っている。この特集記事によれば、政府部内の研究は93年に始まったとされ、94年7月には防衛庁統合幕僚会議によって「K半島事態対処計画」としてまとめられたとされる。この研究では、畠山防衛次官(当時)が、『現行の法律から出発すれば、できないことばかりだ。研究は、何が我々に求められるか、起こり得るあらゆる事態の検討から始めてほしい』という指示に基づいて、「関係省庁が、現行法による制限を一応わきに置いて」研究を進めたと朝日新聞は指摘している。

結果的には、『93、94年には結局、朝鮮半島有事の際の日米協力についてなにも決まらず、進展はなかった。我々の交渉相手である防衛庁も外務省も、何の政治的決定権限を与えられていなかったから』と当時の米国防総省の日本担当官が語ったとされるように、有事法制の問題は具体的には浮上しなかった。しかし、それでこの問題が完全に立ち消えになったわけではなく、むしろその後の日米間の中心的テーマとなるに至ったのである。

(2)クリントン政権の下での新ガイドライン策定に向けた動きと結果

北朝鮮の「核疑惑」に際して日本が有事に対応できない体制にあることが露呈したことは、アメリカ側にとっては大きな衝撃であったに違いない。その証拠に、1994年10月に米朝合意ができた翌月の11月には、米国防総省のナイ国防次官補が早速日本を訪問し、いわゆるナイ・イニシアティヴに基づく日米間の協議が開始された。その成果は早くも95年11月に「新防衛計画の大綱」の閣議決定に反映され、結果的に翌96年4月17日の日米首脳安全保障共同宣言におけるガイドライン見直し開始合意へと続いていった(注:本来は、クリントン訪日による共同宣言発出を受けて大綱発表という段取りになっていたが、クリントンの訪日が延期されたために大綱の発表が先行する形になった)。

それ以後の流れは周知のところであるので、簡単に事実関係を摘記するにとどめる。97年6月8日にガイドライン見直しの中間報告の発表が行われた。97年9月23日に新しい「日米防衛協力のための指針」いわゆる新ガイドラインが最終合意された。そして99年5月24日には、新ガイドラインの周辺事態に関する部分をカバーする周辺事態法が成立した。

しかし、クリントン政権の下における日米軍事協力の進展状況に関しては、アメリカの対日強硬論者からは厳しい評価が下された。そのことは2000年10月に発表されたいわゆるアーミテージ報告に鋭く反映されている。この報告は、有望な可能性をもつけれども潜在的に危険が大きいアジアにおいては、日米関係は「過去のいずれの時期よりも重要である」という認識に立っている。世界第2位の経済大国であり、有力な軍事力を擁する日本は、「アメリカのアジアにおけるプレゼンスの要」であり、日米同盟は「アメリカの世界安全保障戦略の中軸」であるとする。しかるに、と報告は続ける。アジアで脅威と危機に直面しているにもかかわらず、ソ連封じ込め戦略が終わった後の日米関係は、「方向性を見失い、焦点と一貫性を欠いてしまっている」というのだ。こうして「90年代半ばまで同盟関係は明らかに漂流状態にあった」と断定している。報告は、96年の日米首脳共同宣言には一定の評価を与えつつも、アメリカの日本に対する関心は長続きせず、90年代末期には対日関心そのものが失われてしまった、と指摘している。以上から明らかなように、アーミテージ報告は、末期クリントン政権の対日安全保障政策を厳しく批判しているのである。

(3)ブッシュ政権の対日要求

アーミテージは、ブッシュ政権に置いて国務省ナンバー2の副長官という要職に就き、対日政策の立案、交渉、実施の要の位置に座った人物である。それだけに、アーミテージ報告はブッシュ政権の対日政策の基本文書という性格を色濃く持っている。さらに報告を追ってみよう。

報告では、日本政界や国民の間に見られる意識の変化に注目(注:日本政界に見られる意識の変化を代表するものとして小泉政権を評価することになる)し、日米が協力することによって新しい日米関係を切り開くことは可能だと判断している。とくに安全保障の分野では、日米が共通の認識とアプローチをとることが重要であると強調する。

報告が示した安全保障に関する対日要求は、露骨なまでに具体的である。特に重要なポイントは、私が機会あるごとに強調する点だが、「改定された日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)は、(日米)同盟において日本が役割を拡大する上での出発点であって最終目標ではない」としている点だ。その上で報告は、「日本が集団的自衛権を禁止していることは、同盟の協力にとって制約であり、この制約を除くことによって安全保障上の協力がより緊密かつ効果的になる」と指摘している。

アメリカの立場からいえば、新ガイドラインでは日本がまだ集団的自衛権に踏み込んでいないため、きわめて不満足な内容に留まっているということになる。アメリカが新ガイドラインについてもっとも問題にするのは、新ガイドラインに基づく日本の「すべての行為は、日本の憲法上の制約の範囲内において…行われる」ことになっていることだ。なぜならば、集団的自衛権の行使は、憲法違反だからできないという解釈は、政府自身が長年にわたって維持してきたものだからだ。ということは、ブッシュ政権は、日本が日本国憲法を踏み越えた日米軍事同盟の実現を要求しているというに等しい。

ブッシュ政権に対する最大限の忠誠を旨として行動してきた小泉政権が、テロ対策特別措置法を足がかりに、新ガイドラインに規定された対日攻撃事態に対処するべく、違憲の有事法制に足を踏み入れたのは、正にアメリカの対日要求に応えるためであることは、今や明らかだろう。しかし、違憲領域に土足で踏み込んだ有事法制ができたからといって、これでアメリカの対日要求がすべて満足されたわけではない。アメリカは、日本があらゆる意味においてアメリカとともに「戦争する国」に変質することを求めている。「イラク派遣特別措置法」もそのための今一つの努力であることは間違いないが、政府・与党が最終目標においているのは9条改憲であることは間違いない。

2.国際関係に与えるインパクト

有事法制成立が国際関係に如何なる影響を与えるかという問題については、日米軍事同盟をアメリカがどのように利用しようとしているかということを考えるかという問題と重なると言っていいだろう。それは優れてアメリカのアジア・太平洋戦略ひいては世界戦略と関わってくると思われる。アメリカの侵略的軍事戦略の片棒を担うということは、とりもなおさず日本もまた国際社会に対する侵略勢力の側に立つということを意味するものにほかならない。この問題は、より具体的には、アメリカが考える脅威対象の問題と関連づけて考察することが分かりやすいだろう。

なお、この問題を考えるときにいう有事法制とは、6月6日に成立した有事3法のみに限定するのではなく、周辺事態法、テロ対策特措法、イラク新法などの諸法律をも含めて考えることとする。ついでにいえば、政府・与党としては、アメリカの世界戦略に全面的に兵站支援を行うことができるようにするためには、個々の特別法では対応がしにくいという考えが強く、周辺事態法で対処する範囲以外を扱う包括法をつくる動きが出てきてもおかしくはない。したがって以下において有事法制というときは、広くイランなどの事態について新たな特別法を作り、あるいは包括法で対処する方向を目指すことなどをも織り込んだ概念として考えることとする。

アメリカ・ブッシュ政権の世界戦略において脅威とされているのは「恐怖」(terror)である。そして、その恐怖を引き起こすのが具体的には「悪の枢軸」に代表される大量破壊兵器を開発する(しようとする)「ごろつき国家」であり、またアメリカに憎悪を燃やす「テロリズム」ということになる。「ごろつき国家」として名指しされるのは、すでに打倒されたイラクのほかには、イラン、北朝鮮、リビア、シリアなどがある。しかし、名指しこそ避けているが、ブッシュ政権においてもっとも警戒を要する存在として意識されているのは中国である。したがって、私たちが考える必要があることは、これらの脅威とのかかわりにおいて有事法制がどのような影響を及ぼすか、ということになるだろう。なお、以下においては、北朝鮮は扱わないこととするが、それはもっぱら別項において扱われるという便宜的な理由によるものである。

(1)中国

有事法制が中国に対して及ぼす影響について、筆者の承知する限り、これまで当の中国からは生の(すなわち中国自身との関連において)警戒感は表明されたことはない。しかしだからといって、中国が有事法制に対して警戒感をもっていないと考えることはあまりにも現実離れしている。

じつは筆者はすでに別の機会(集英社新書『集団的自衛権と日本小憲法』)において、この問題については詳しく扱っている。要点だけを記す。アメリカは、台湾問題をめぐって、中国と軍事衝突に至る事態があることを想定している(ボブ・ウッドワード著『ブッシュの戦争』邦訳版48頁には、ブッシュの大統領就任直前に行われたテネットCIA長官による秘密情報説明会において、テネットは、ビン・ラディン、大量破壊兵器の入手容易性とともに、「軍事面その他における中国の台頭」をアメリカの直面する3大脅威としてあげたことが紹介されている)。その場合、台湾及びその周辺における米中軍事衝突は避けられず、日本はほぼ自動的にアメリカ側に立って中国と交戦状態に入ることになる(台湾は周辺事態法にいう周辺事態に含まれるからである)。

有事法制で「戦争する国」に生まれ変わっている日本は、アメリカの対中軍事作戦遂行のために全面的に動員される。このことによって、アメリカは中国との長期にわたる戦争遂行が可能となる。というのは、アメリカにとって唯一不利な点は、米本土から遠く離れたところで作戦行動を展開する点にあるのだが、その不利な点を日本が全面的にカバーすることになるからである。ということは、中国側からすれば、きわめて不利な戦争を強いられるということを意味する。

米中戦争において一つのカギとなる要素は、中国の保有するミサイル戦力である。この点に関しては、有事法制とともに米日協力の下で進められている弾道ミサイル防衛(BMD)が重要な意味を持つことになる。米日が有効な防衛システムの開発に成功すれば、陸海空3軍の戦力において圧倒的に劣る中国は、有効な反撃能力を無力化させられるからだ。

以上のことは何を物語るか。要するに有事法制は、米中軍事衝突の可能性を高めることによって、中国に対するアメリカ(及び日本)の軍事的脅威性をより一層現実的なものとするということだ。アメリカが中国との戦争を臨んでいるかどうかは、当面の問題ではない。有事法制ができたことによって、米中戦争の可能性は確実に高まるということであり、したがって、中国としてはその脅威にいやが上にも身構えることを強いられるということなのだ。

(2)日本の軍事プレゼンスの増大とそれへの反発

有事法制の整備充実は、アメリカの日本に対する海外派兵要求及び日本国内における対米軍事支援の強化要求を強めずにはおかないだろう。それらは有形無形の形で、日本の軍事大国としてのイメージを海外に扶植することにつながることは確実である。すでに東チモールにおいてオーストラリアがアメリカに代わって多国籍軍の指揮を執る役割を担ったように、米日支配層は、機会さえあればそういう役割を日本が担う方向に向けて進んでいくことは確実と思われる。

そのように日本が、アメリカと協力し、また、その傘下で海外での軍事プレゼンスを拡大することは、当然日本に対する現地側の反発、反感を強めずにはすまない。すでに石破防衛庁長官が明らかにしているように、テロリストによる国内の原子力発電所攻撃の可能性に対処するために、防衛庁と警察による合同図上演習が全国規模で行われている。正確に言えば、これはテロリストからの攻撃に対するものだけでなく、北朝鮮のゲリラによる攻撃にも対処する性格を持っていることはいうまでもないだろう。

しかし、有事法制を含めたアメリカとの軍事協力に突き進む日本でなければ、このような事態を想定する必要性はそもそも起こらないはずである。原発攻撃をも想定した対処を考える発想には、私たち国民の生命と安全を羽毛のごとく軽視する今日の保守政治の反国民性が余すところなく表されている。それはともかく、本稿の目的意識に即してここで確認しなければならないことは、日本が有事法制によってアメリカの世界戦略に深々と巻き込まれていくことは、アメリカに対する反発・反感を行動のエネルギーとする勢力が日本をも標的にする可能性をいやが上にも高めずにはすまないということである。

3.私たちはどう対峙したらいいのか

国際関係に視野を限定して考えるとき、私たちの課題は、国際社会の平和を目指すすべての勢力・エネルギーとの連帯を強めるということなのではないだろうか。すでにアメリカの対イラク戦争の時には世界の1000万人以上の市民が戦争反対に立ち上がった。この広範な市民運動がフランス、ドイツなどを動かして、アメリカの戦争を国連の認めない不法な戦争とすることを勝ち取ったのだ。世界規模の市民のエネルギーの一翼を担うことは、自らの政府がアメリカに追随する私たち日本の市民にとっては、さらに重要な責任と任務であると肝に銘じなければならない。

また、有事法制が中国、北朝鮮などアジア諸国を標的としている本質からいって、アジア諸国民との市民的な連帯を強めることは特別に重要な意味を持っている。しかも日本はかつてのアジアに対する戦争責任を未だ清算していない国家である。アジア諸国民に対する私たちの責任は二重の意味で重いといわなければならない。アジア諸国民との連帯を強める中で、日本の保守政治に引導を渡すために力を尽くすことこそが、私たちが担わなければならない今一つの責任と任務だと確信する。

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