「アメリカ・ブッシュ政権の戦略とイラク・北朝鮮問題」

2003.07.02

*この文章は、2003年6月21日に行った講演の内容です。ここで出てきます赤石裁判につきましては、そのホーム・ページもありますので見て頂きたいと思いますが、その集会で行ったお話しをまとめたものです。とくに北朝鮮問題については、マスコミがでたらめな報道をさかんに流すことによって、有事法制成立の促進剤になったという思いが私には強く、最近お話しする機会があるときには、以下のことをお話しすることを心がけています。是非皆さんにも読んで頂きたいと思い、テープを起こして頂いたのをいい機会に紹介することにしました(2003年7月2日記)。

皆さん、こんにちは。浅井でございます。

赤石裁判につきましては私のところにも毎回会報を送ってきてくださいまして、関心はもっておりましたし、ここでお話をすることを快くお引き受けはしたんですけれども、赤石裁判とのかかわりで何かお話しするというほどの知識を持ち合わせてないと申しあげたところ、国際情勢に関する話でもいいということだったものですから、そういうことでしたら少しはお役に立てるかもしれないと思って参上した次第です。

はじめに

赤石裁判と今日の日本の状況

最初に、赤石裁判と今日の日本の状況についての私個人の感想を申しあげたいと思います。

いま日本社会のあらゆる分野──政治・経済・社会・文化・教育等々の各分野──を全部、戦前の時点に押し戻そうとする「背広のファシズム」の動きが加速していると思います。「背広のファシズム」。軍服を着たファシズムならわかりやすいんですけれども、背広を着た政治家たちがファシズムの精神に凝り固まって日本をそういう方向にもっていこうとしていることを、強く懸念しております。

そういうなかで赤石先生が起こされた裁判は、表現の自由・教育の自由を真っ正面に掲げてその正当性を権力に認めさせようと意図されたものとして、私は非常に敬意を表しております。群馬のこの裁判についてもそうでありましょうけれども、日本全体の状況として、私たちの常識をまったく見向きもしないで、一瀉千里に政治を右傾化させていこうという動きが日々強まっていると言えるのではないかと思います。

特に教育におきましては、教育基本法改悪の動きが有事法制を成立させる動きとほぼ連動する形で進められてきている、ということを紹介しているホームページもございます。幸いにして教育基本法については本国会をなんとか乗り越えたという状況ではありますが、しかし教育基本法を改悪しようという動きがストップしたわけではまったくなくて、おそらく次の通常国会などにおいて教育基本法の改悪が上程されるであろうという状況があります。これは私たちとして心しておかなければならない状況だと思います。

また、私が関係している、高校の先生方を主体とした全国民主主義教育研究会の方がたとの時折のコンタクトを通じて、石原都政、さらには埼玉、千葉等においても、教育の反動化を押し進める動きが加速的に強まっていることをひしひしと感じます。

そういうことで、いまの情勢は国内的に見て非常に危うい。私は率直に申して、それに対して立ち向かう私たちの力が十分でないという状況を、ほんとに危機感をもって受けとめております。

教育反動攻勢と一体化して進む日本の軍国化

いまかけられている教育の反動攻勢は、彼らに言わせれば、戦後一貫して進めてきた文部省による教育反動化の終結点という位置づけではないかと思いますが、そういうふうにして教育を反動化させることとともに、日本の軍国化が着々と進められています。

いまの日本の軍国化という状況は、レジュメに書きましたように三つの要素が合わさっていると私は思います。一つは元凶としてのアメリカ・ブッシュ政権の世界戦略、これがその根底にあるということです。そして日本における大元として、憲法改悪を最終目標とする保守政治の流れがある。この流れは憲法改悪を最終目的としつつ、有事法制、イラク特別措置法等々において既成事実を積み重ね、九条の空洞化を押し進めています。

こんなに激しい動きが国民的に無風状態で通っていくということは、普通であれば考えられないことです。その加速剤として、歴史に類を見ない「北朝鮮脅威」論というものが盛んに利用されているわけです。したがって私は今日のお話においても、「北朝鮮脅威」論というものがいかに捏造されたものであるか、そして、あらゆる戦線における反動化を進める動きに対して私たちが敢然と立ち向かううえで、私たち自身の北朝鮮に関する認識を正確なものにすることが緊急に求められているということを、強く訴えたいと思います。

ただ、北朝鮮のことを議論する前に、アメリカの戦略、そしてアメリカの戦略の最初の発動の対象となったイラク戦争について見ておかなければ、なぜ北朝鮮が次の標的になるのかということもなかなかわかりにくいと思いますので、先にブッシュの世界戦略の要点をお話しし、イラク戦争の状況をお話しして、その後に北朝鮮の問題に触れさせていただきたいと思います。

 

1 ブッシュの世界支配欲

イ ブッシュの本心と原動力

アメリカによる世界支配の追求とその問題点というテーマを考える場合に、ブッシュ大統領が歴代の大統領よりもさらにあからさまに世界征服欲に燃えているということを認識することが、非常に大事ではないかと思います。

レジュメに、日本経済新聞社から刊行されている『ブッシュの戦争』という本を紹介してございますが、これは、アフガニスタンとの戦争までのブッシュおよびブッシュの取り巻き連中の考え方を、ウッドワードという記者がインタヴュー形式で取材してまとめた本でございまして、この中にブッシュの考え方が露骨なまでに見事に紹介されております。特にブッシュの野心ということについては、四五二ページから四五三ページに次のような記述がございます。

「ブッシュの未来像は、明らかに世界を作り直すという野望が含まれており、(そのためには)先制攻撃と、必要とあれば(アメリカ)一国のみの行動を辞さないという考えがそこにあった」。

これは、ウッドワード氏がブッシュと四時間にわたるインタヴューを二回やったうえでのブッシュに対する評価です。私たちはここから、ブッシュが掛け値なしの世界支配欲に燃えている非常に危険な人物であるということを知ることができます。

しかも、そのブッシュの野心を取り仕切る原動力は何かというと、四五三ページにこう書いてあります。

「インタヴューの間、『私は教科書どおりにやる人間ではない。直感で動く人間なんだ』という発言も含め、ブッシュは十数回にわたり、自分の《直感》や《直感に従った》行動のことを口にした」。

世界の唯一の超大国の最高指導者が、自分の直感にのみ従って行動する、これがいかに恐ろしいことか、私たちもちょっと考えればわかるわけですね。現に私たちはいま、その小型版ともいえる小泉の《直感》政治に翻弄されているわけですが、それの世界版がブッシュ政治であるということです。

そういうことについてウッドワード氏は、「政治家、大統領、最高司令官であるブッシュの役割が、自分の直感──自然のままに出てくる結論や判断──への信仰を原動力としていることは明白だった」と、警戒感を込めて書いています。

私たちはともすれば、アメリカという国は冷徹な利害打算、戦略的考慮に基づいて行動する国だと考えがちです。アメリカ帝国主義論というようなものを念頭におけば、そういうところが確かにあるわけですが、いま特に危険な所以は、そのアメリカの頂点に立つブッシュ大統領が、自分の直感を信じてそれをそのまま現実行動に移す人間であるというところにあるのではないかと思います。

もちろん、ブッシュの直感に基づく行動で世界政治に臨むとしたら、それは各国の反撃・反発を喰らうことは必至であります。したがってアメリカとしては、なんとかしてそのブッシュの直感というものを理論づけなければならない。それを理論づけるいろいろな議論が行なわれるにいたっておりまして、その代表的なものが先制攻撃戦争を「正当化」する論理であります。

ロ 先制攻撃戦争「正当化」の論理における問題点

先制攻撃戦争を「正当化」する論理は二つの要素からなっておりまして、一つは「脅威」をどういうふうに位置づけるかという問題であり、二番目が、その「脅威」に対してどう対応するかという問題です。

そこでブッシュ政権は、ソ連に代わる「脅威」認識ということを打ち出し、かつてのソ連に代わる「脅威」として「ごろつき国家」という考え方を強く出しております。皆さんがよく承知しておられる言葉で言えば、イラク、イラン、北朝鮮をひとまとめにした「悪の枢軸」論も、この「ごろつき国家」論の一つの具体的な現れです。

「ごろつき国家」がなぜソ連に代わる「脅威」になるかという一つの論拠として、「抑止の考え方は、リスクを犯すことに積極的で、自国の人々及び彼らの富を賭けるつもりのあるごろつき国家の指導者に対しては通用しない」と言っています。

要するに、アメリカのもっている膨大な核兵器は、「ごろつき国家」の指導者──サダム・フセインとか金正日など──に対しては効かない、これは押さえにならない、なぜならば、彼らは自分の国民、あるいは自分らの富、権力基盤を犠牲にする用意があるからだ、というわけです。したがって彼らはなりふり構わずアメリカに対して敵意をむき出しにしてくる。アメリカはそれに対して警戒しなければならない、という議論であります。

もう一つは、「ごろつき国家の指導者たち──特にサダム・フセインなど──は、テロリストに大量破壊兵器を渡す可能性がある」ということです。すなわち《自分たちが直接に手を動かさなくても、核兵器とか生物兵器とか化学兵器などの大量破壊兵器をテロリストたちに渡して、テロリストをしてアメリカを攻撃させることもしかねない。そのテロリストの元締めであるごろつき国家をなんとかしなければならないんだ》という議論です。

しかし、この議論はほんとうに現実離れをしている議論であることは、今回のイラク戦争でもはっきり証明されております。といいますのは、サダム・フセインにはアメリカを攻撃する意図は毛頭なかったということは明らかです。それから、アメリカはイラク戦争を正当化する議論として、サダム・フセインとテロリストの間に結びつきがあると言っておりましたが、それも証拠がないということがむしろ明らかになっています。ということは、「ごろつき国家脅威」論というものがじつは彼らが勝手に仕組んだでっちあげである、ということが明確になっているわけです。

しかし現実には、彼らはそういう「脅威」認識のまやかし性、そのペテン性をまったく頬かむりして、さらに次の段階に進む。要するに《ごろつき国家がアメリカに対して敵意をむき出しにしている。彼らはその敵意を現実の行動に移すかもしれない。その場合にはアメリカはたいへんな被害に遭うから、相手が攻撃する前にこちらから先制攻撃をしなければならない》という議論が出てくるわけです。

その議論の要点を、この総会のパンフレットの一二ページの上のほうに①から④まで書いておきました。特に注目していただきたいのは①です。「差し迫った攻撃を行う危険のある敵から自分を守るためには、その敵の攻撃に曝されるまで待つ必要はない」。要するに、相手が攻撃をしてくる可能性があるときには、こちらは相手が攻撃するまで待ってはいない、相手が攻撃する前にこちらから攻撃するんだ、ということですね。先制攻撃するということです。

④ではもっと恐ろしいことを言っています。「たとえ敵の攻撃の時間・場所についての不確実性が残っても──というのはつまり、敵がはっきり攻撃してくるということについて断定できない場合でも──、われわれ自身を守るための予想行動(敵に対する先制攻撃)をとることが緊要となる」。要するに、相手が攻撃してくるかどうかわからなくても先制攻撃をしていいんだ、というところまでアメリカの考え方がきているということです。

そして現実に、そういう理論に基づいてイラクに対して先制攻撃が行なわれました。イラクは何もしていないにもかかわらず、イラクに対して先制攻撃を行なった。この先制攻撃論が実践に移されたということであります。

しかし、この先制攻撃正当化「理論」には大きな問題点があります。「ごろつき国家」が先制攻撃を仕掛けるという主張、あるいはテロリストにWMD(大量破壊兵器)を渡すという主張が非現実的であることを無視しています。

今回のイラク戦争でわかるように、イラクがアメリカに対して先制攻撃を仕掛ける兆しはまったくなかったわけですね。しかしアメリカは《イラクが大量破壊兵器をもっている確実な証拠がある。その大量破壊兵器が使われたらいけないから、使われる前にイラクを攻撃する》というふうに話をもっていったわけです。

しかしいま私たちがだんだん知るにいたっていることは、じつはイラクは大量破壊兵器をもっていなかった可能性が非常に強いということであります。ここにおいて、アメリカのイラク先制攻撃正当化の「理論」がいかに根拠の怪しいものであったかということがわかります。

もう一つの、サダム・フセインがアルカイダあるいはビンラディンの仲間に大量破壊兵器を渡すというような証拠も、まったく見つかっていない。アメリカがあれだけ血眼になって探してもそういう証拠があがってこないことを見ても、先制攻撃を「正当」化する理論はとってつけたものであったということは明らかです。

そういう事実があるにもかかわらず、アメリカはこの先制攻撃理論を北朝鮮に対しても適用する可能性がありますので、この点は特に確認しておく必要があると思います。要するに、イラクにおいてその証拠がなかったことを、北朝鮮を相手にして再びやるかもしれない。ですから私たちは、このアメリカの「理論」なるもののペテン性を正確に認識しておく必要があるということを申しあげたいのです。

イラク戦争についてはいろいろ考慮するべき点がございます。まず私たちがくどいほどにはっきりさせておかなければいけないことは、アメリカの戦争の法的位置づけです。これは国際法上認められない違法な戦争であった、このことを私たちはかたときも忘れてはならないと思います。

これを申しあげる趣旨は、現在のイラク特措法について、「イラクの復興のためには自衛隊を派遣することもやむをえない、いいことではないか」という議論が、善意の人からですら出てくるという状況があるからです。

しかしここではっきり確認しておかなければいけないことは、アメリカがイラクに対して行なった戦争は、現在の国連憲章を初めとする国際法の下ではいっさい認められていない、無法な、違法な戦争であったということです。これをはっきりさせておくことは、そういう違法な戦争を追認し、それに加担していく日本のイラク特措法に基づく行動は、やはり国際法違反の行動なんだという点を、私たちがはっきり確認するためにも必要なことです。この点はきょうの本題ではございませんのでこれ以上申しあげませんが、国際法上認められない無法な戦争であるということについては、認識をしっかりさせておく必要があると思いますので、少し詳しく申しあげたいと思います。

いま国連憲章は、戦争──というよりもいっさいの武力行使──を禁じています。したがって、あらゆる戦争は国際法上違法ということになっています。そのなかで二つのケースにおいてだけ、国連が武力行使を認めている場合があります。したがって、今回のアメリカのイラクに対する武力行使が、国連憲章が認めている二つの場合のいずれかに該当すると言えるときにのみ、アメリカの行動は正当であったと言えるわけです。

その二つの場合というのは、一つは、国連がみずから軍事力を組織する、あるいは加盟国の軍事力行使を承認するというケースです。しかし今回の場合は国連は、安保理決議等々についての議論は捨象して結論だけ申しますと、安全保障理事会はアメリカがイラクに対して武力行使をすることを認める決議をいっさいしておりません。ということは、アメリカが、国連みずからの武力行使、あるいは国連が承認した武力行使に該当する行為としてイラク戦争を行なったのではない、ということであります。すなわち、第一の法理に基づく合法的な戦争ではなかった。その点では不法な戦争であったということです。

国連憲章が武力行使を認めるもう一つの可能性は、自衛権の行使です。国連憲章五一条は「武力攻撃が発生した場合には、これに対して対処することができる」と言っています。しかし今回の場合、イラクからの武力攻撃の発生ということはなかった。ということは、アメリカの行為を、国連憲章が認めている自衛権の行使と見ることもできないということであります。したがって、アメリカのイラク戦争は国際法上認められない不法な戦争であった。このことは決して忘れてはならない明確なポイントであるということを申しあげたいと思います。

ハ. イラク戦争について考慮するべき点

今回のあの戦争は、アフガニスタンに対する戦争と同じように非常に大きな惨害を招きました。私たちはアメリカに誘導されたテレビの画面しか見ておりませんからよくわかっていないわけですが、民間の調査によって三千数百名の民間人の命が失われたということが明らかにされ、報道されております。それに加えて、アフガニスタンに比べればはるかに近代的な都市の様相を呈していたイラクのいろいろな施設が破壊され、使用に耐えなくなっている。市民生活を脅かす大きい破壊が行なわれたということを、私たちは忘れてはならないと思います。不法な戦争によって、そういうとてつもない被害がもたらされたということです。

しかも先ほど申しましたように、大量破壊兵器は発見されていない。発見されるメドもたっていない。アメリカやイギリスにおきましては、ブッシュ政権、ブレア政権が嘘の報告をつくったのではないかという調査委員会まで議会においてつくられる、という状況が出てきております。

人の命、ものを破壊することは簡単ですけれども、それを再建することはとてつもなく難しいことです。イラク戦争の前にあったアフガン戦争によって、いまアフガニスタンはどのような惨状にあるかということが断片的に伝えられておりますが、そういう情報によると、一九九〇年代の内戦の時期に戻ったとすら言われているわけですね。

イラクの場合はアメリカとイギリスが、かつて日本に対して行なったような占領政策を行なうということになっておりますが、その占領政策によってどのようなことが行なわれるか、まったく見当がついていない。アメリカ・イギリス自体がブループリントをもっていないという状況です。そういう点は、対日戦争において戦後の対日投資についても周到に準備をしたアメリカとは違っているということを、私たちは知っておく必要があるだろうと思います。

こういうふうに、今回のイラク戦争は、法的に見ても実質的な関係から見ても私たちとしてはとうてい許すことができないものであるということを、あらためて確認しておかなければならないと思います。

ただしイラク戦争については、いくつかの注目すべきポイントが現れております。一つは、今回のアメリカ・イギリスの戦争に対して、フランス、ドイツ、ロシア、中国が敢然と立ち上がって反対をしたということであります。その結果、安全保障理事会が、アメリカに戦争をすることを認める決議を提出させなかったという事実があります。

もう一つ、さらに重要なこととして記憶しておいていただきたいことは、「国際世論対超大国」という構図が現れたことです。これは歴史始まって以来初めてのことです。世界で一〇〇〇万を超える人びとが「イラク戦争反対」という一点で団結してアメリカに対して対抗したという事態を、私たちは見ております。

なぜフランス・ドイツ・ロシア・中国が、アメリカの戦争を正当化しようとする安保理決議成立の阻止に最後まで頑張ったかと言えば、フランスのシラク大統領が何度も言っておりますように、自分たちの後ろには国際世論がついているという支えがあったからです。そういう役割を国際世論が果たした。今回初めて国際世論がアメリカの戦争を不法なものとするうえで大きな力を発揮したというこの重要な事実を、私たちは忘れてはならないと思います。そして、アメリカの戦争の不法性について認識を新たにし続けていかなければならないと思います。

2 アメリカのイラク攻撃を日本の視点からはどう考えるか

アメリカによるイラク戦争を日本の視点から見ると、そこには北朝鮮という要素が浮かびあがってきます。というのは、事実関係としてイラク問題の次にくるのは北朝鮮問題という可能性が非常に大きいということであります。

北朝鮮の問題がなぜ私たちにとって無視できない問題であるかといえば、イラクの場合は私たちは、所詮、対岸の火事ということで見過ごすことが許される──のではないけれども、現実には私たちはそれで過ぎてしまった。しかし北朝鮮に対してアメリカが先制攻撃を起こすということになりますと、アメリカが先制攻撃を起こす時点で「周辺事態」ということになり、日本の周辺事態法が動き出すわけですね。アメリカの先制攻撃即日本の戦争加担という問題を、必然的に、不可避的にはらんでいる。そういう危険性がある。これが第一のポイントです。

私がこの問題を特に強調する必要を感じているのは、北朝鮮に対するアメリカの行動に対しては、非常に残念なことに、日本国内にもこれを受け入れる議論がけっこうあるからです。「イラク戦争には反対だが、有事法制には賛成」という議論が、善意の人の間からも出てくるという状況があります。「なぜ有事法制に賛成か。それは北朝鮮という脅威があるからだ」ということになるわけです。

それから「アメリカがイラクに対してやったことには反対だが、日本には北朝鮮問題があるので、日本政府がアメリカを支持することは理解できる」という議論もけっこう強い。最近の朝日・共同等々の世論調査を見ましても、小泉政権の支持率はむしろ、わずかながら増加している傾向にあるということです。これは、小泉政権が北朝鮮「脅威」論を振りかざして有事法制を推進していることに、多くの善良な国民が乗せられているということを意味しているわけですね。私は、北朝鮮「脅威」論がこの一年あるいは二年来、日本国内における安保論議を非常に歪んだものにしてしまったということを痛感せざるをえません。したがって、特に北朝鮮問題を皆さんに考えていただきたいと思うわけです。

あらかじめ断っておきたいのですが、私は北朝鮮の核開発には断固反対であります。それは言うまでもないことであります。また私個人としては、《北朝鮮問題がなかったならば、有事法制がこんなに早く、簡単に成立してしまうことはなかっただろうに》という思いが非常に強い。そういう意味で、「北朝鮮」がいろいろなところに顔を出すことについては、私たちとして遺憾な点が多いという気持ちがあります。

しかし私たちとしては、ほんとうに北朝鮮がそういう問題をつくり出したのか、ということを問い直していく必要があるんじゃないかと考えます。

さらに言えば、北朝鮮のいまおかれた状況──経済的には破産寸前という絶望的な状況にあることは間違いないと思いますけれども──を考えて、いったい「北」に対するどのようなアプローチが生産的・積極的な結果を生むのかということを考える必要があるのではないか。具体的に言えば、イソップの「北風と太陽」のあの寓話の、北風を吹かせるのが妥当なのか、太陽の政策をとるのが妥当なのかという選択であります。

いま、テレビのチャンネルを回せば北朝鮮のことをやっていないときはないというぐらい、北朝鮮に関する情報ならどんな情報でもニュースになってしまう、という状況があります。そういう「反北朝鮮大合唱」のなかで、私たちは公正な議論をつくり出す立場を確立しなければならない。これをしなければほんとうにブッシュ・小泉の思うつぼにはまって、日本はアメリカの属国と成り下がり、アメリカの軍事戦略の一翼を担う立場に堕してしまうことは明らかだと思います。そういうことを私の問題意識としてあらかじめ理解していただいたうえで、お話ししたいと思います。

2ー1 「北朝鮮問題」の本質とは何か

ここで私は再び『ブッシュの戦争』という本を引用したいと思います。というのは、ブッシュの北朝鮮に対する見方が先制攻撃戦争を引き起こす可能性をほんとうにはらんでいるということを、皆さんに理解していただきたいからです。この本には、ホワイトハウスからはとても聞けないブッシュのホンネが明らかに映し出されております。

レジュメに長く引用しましたが、ちょっと飛ばして四行目ぐらいから読んでみますと、 「『……北朝鮮もだ。私は金正日が大嫌いだ!』ブッシュは指を振り回しながら叫んだ。『心の底から嫌悪を覚える。こいつは自国民を飢えさせている。……腹の底から嫌悪がこみ上げてくる。信仰故かもしれないし、あるいは──とにかく私は、このことになると感情的になってしまう。……私とて愚かではない。かりに金正日を倒そうとした場合──倒れるものならだが──国民の財政的負担は莫大なものになるだろう。性急に行動するべきではないという意見もある。……そういう意見には賛成できない」 こういうことが、この本の四五〇ページにはっきりと書いてあります。このようなむき出しの金正日に対する敵意表明は、サダム・フセインに対してもやっていませんね。ただでさえ「私は感情的に動く人間だ」と言っているブッシュが、北朝鮮問題に対してはさらに感情的になる可能性がある。これだけでも北朝鮮の「有事」、すなわちアメリカによる北朝鮮に対する先制攻撃の危険がある。ここに私たちが警戒しなければいけない十分な理由があるということを、まず申しあげたいわけです。

二番目に私が申しあげたいことは、今回の六月六日に成立したいわゆる有事法制の発端は何であったか、それは一九九四年に頂点に達した北朝鮮の核疑惑問題であったということです。ここに一九九六年一二月二四日付の朝日新聞があります。「朝鮮半島、核疑惑の危機に直面」。別のページに「ひそかに有事法制研究が始まった」とあります。ということは、今回の有事法制の議論はじつは一九九四年の北朝鮮の核疑惑を発端としているということを意味しております。朝日新聞もときにはまともなことを書くんですね(笑い)。

北朝鮮の核疑惑がなぜ有事法制に結びついたのか。長い話をごく短く言いますと、アメリカは当時、北朝鮮が核兵器を開発しているのではないかという疑いをもって、「核兵器をもつな」と圧力をかけたんですが、北朝鮮は「もっていないし、もつ気持ちもないし、能力もない」というふうに答えた。

らちがあかないということで、アメリカは九三年から九四年にかけて、北朝鮮に対して先制攻撃を加えて北朝鮮の核開発能力を未然にゼロにする、という作戦を立てたわけです。先制攻撃理論はブッシュがあみ出したもの、と先ほど私は申しましたが、事実上は、すでに一九九四年の段階でクリントン政権が北朝鮮に対してやろうとしていたことなんです。

それに対して北朝鮮は当然、反撃するだろう。その反撃は韓国にも及ぶだろうし、アメリカの主要な発進基地になる日本に対する反撃としても出てくるだろう。そのときに、韓国は有事法制があるけれども日本には有事法制がない。北朝鮮が反撃してきたときに日本は北朝鮮に叩かれるままになる。それでは困る。アメリカは戦闘を継続できないということになって、当時、一〇九五項目──あるいは一〇五〇項目でしたか──の対日要求が出されたわけです。要するに、アメリカが日本に対して「有事法制をつくれ」と言ってきて、それで有事法制の議論が始まったわけです。したがって、日本における有事法制論議は北朝鮮問題が直接のきっかけになっているということを、本質の二番目として挙げたわけです。

この北朝鮮の核疑惑問題は、一時的には外交的な解決の軌道に戻されることによって沈静化します。(テープA面終わり) (テープB面) この点は、総会のパンフレットの一六ページの「3、有事法制への動きを加速させたもの」のところに一連の経緯を書いておきました。要するにアメリカは、一段落したから日本は有事法制をつくらなくていい、と思ったわけではなくて、むしろそれを契機に《日本が有事法制をもっていないということは、アメリカがアジアにおいて先制攻撃による戦争ができないことを意味する》という教訓を得て、なんとしても日本に有事法制をつくらせるんだ、という方向に向かったわけです。それが橋本龍太郎・クリントンの共同声明であり、ガイドラインの見直し、新ガイドラインの制定、周辺事態法、そして今回の有事法制へと続いてきた一連の経緯であります。

北朝鮮の危機がいったん去ったにもかかわらず、なぜ日本国内ではこの数年来、有事法制の成立にいたる経緯が生み出されたのかということを考えた場合に、私たちとしては、国民により大きな影響を与えた問題として、北朝鮮に対する「不審・警戒」を煽る論調が非常に功を奏したという問題を見ざるをえません。

多くの日本人に《北朝鮮は日本に対して何をやるかわからない国だ。したがって有事法制は必要だ》という印象、あるいは受け止め方をもたせるにいたった事件として、パンフレットの一四ページに挙げました「不審船」事件、被拉致者帰国問題、核兵器開発問題という三つの事件が特に大きな役割を果たした、と私は思っております。

「不審船」事件、被拉致者帰国問題、核兵器開発問題が、ほんとうに私たちが北朝鮮に対して脅威を感じなければならないということを証拠立てる事件であったのかどうか、この点を私たちははっきりさせる必要があります。結論から申せば、これらの三つの事件については、政治による世論操作、そして私たちに思い込みをさせるような誘導が行なわれた、ということを申しあげたいと思います。

特に大きな事件だったのは「不審船」事件だったと思います。いろんなところでお話ししているうちに気がついたんですが、この「不審船」は日本の領海内で発見されて、追いつめられて沈没にいたった、というふうに理解している人が結構いるんですね。ところが、これは当時の新聞を注意深く読んでいただければ新聞報道からも確認できることですが、事件が起こったのは日本の領海を離れること三百数十㌔の公海上でした。日本にとっては何ら危険性のないところで起こった事件なんです。

そこにいた「不審船」に対して、こちらから「おい、止まれ」と命令を出して、それを聞かないで逃げだした船を追いかけ、追いつめて、日本側から先に発砲したんですね。追いつめられて三隻の海上保安庁の船に取り囲まれて逃げ場を失った彼らが、その発砲に対して、窮鼠猫を噛むばかりに反撃してきたんです。私たちはテレビの画像で、海上保安庁の船が銃撃を受けてたいへんな目に遭ったということだけを知っているわけですが、それはそういう経緯を経て起こったんです。

先に発砲したのは日本側ですから、これは正当防衛には当たらないことは明らかです。しかも公海上で起こっている。そういうことを考えますと、事件の全容がいかに私たちの頭の中で歪んで理解され、その歪んで理解されたストーリーがいかに私たちに《北朝鮮は危険である》というイメージを生んだかということを、私は皆さんに知っていただきたいと思います。

しかも《これで北朝鮮の危険性が証明された》とばかり、「引き揚げた船から重火器が出てきた。重火器が出てきたことは北朝鮮の危険性を証明するものである」というふうに、当時、盛んに言われました。それをみんなは《やっぱりそうか》というふうに受け入れた。

しかし考えていただきたいことは、この「不審船」なるものは、戦後一貫して日本の近辺を遊弋していたんですね。私が外務省にいたころもそういう事件はありました。

そして、この事件にいたるまで一度として「不審船」なるものから日本に対して重火器が使われたことはないということ、これは事実として承認せざるをえないことです。この重火器なるものは、彼らが万一の場合に自分を防衛するために備えていた武器だと理解するほうが素直なんです。それを、《日本に対する侵略用に備えていたんだ》とか、非常に世論を惑わす議論が行なわれて、彼らの「侵略性」「攻撃性」を現すものという議論に、私たちはまんまと乗せられてしまった。

私が声を大にして申しあげたいことは、「不審船」事件というのは、北朝鮮の日本に対する侵略性を証明するものではまったくないということです。彼らが麻薬の取引をやるとかいろんなことをやるという噂はありますし、それが事実であれば取り締まらなければいけないことですが、そのことと北朝鮮の国家としての侵略性・危険性という問題とはまったく別の問題です。こういう点を、まず私たちはしっかり認識してかかる必要があるのではないかと思います。

二番目の被拉致者の帰国問題についても、私はかなり不可思議な要素を感じざるをえません。レジュメには三つの問題を書いておきました。第一は「封印された賠償・補償問題」です。これは□□□□によれば、拉致問題を国家が関与した事件として認めたわけですね。国家犯罪だということを認めたわけです。ということは、日本側としては当然、北朝鮮に対して賠償・補償を要求する権利があるわけです。常識的に考えればそうですね。ところが、そういう話はいっさい出てきていません。なぜ出てきていないのか。

ここからは政府は口が裂けても言わないでしょうから私の推測になりますけれども、日本側がこれを盾にとって賠償・補償を求めれば、北朝鮮側は「それでは日本は、強制連行の問題、従軍慰安婦の問題、これに関する賠償・補償の問題をどうしてくれるか」と言うでしょう。そういうことを言われたら日本側は立ち往生してしまう。結局、小泉氏と金正日氏の間で交わされた合意が、日本側が経済協力をすることでお茶をにごすという政治的打開策であった。そう考えざるをえません。

被拉致者、あるいはその家族の方たちの気持ちは察するにあまりがありますけれども、しかし、その人たちがなぜそういう汚い問題について口を閉ざしているのかということについては、私たちは事実をはっきりさせなければいけないと思います。これだけ重大な問題ですから。しかし、そういう問題については言及しない。あれだけいろいろなことをおっしゃる家族たちが、この問題については口をギュッと締めて何もしゃべらない。私は、これは非常に大きな問題があると思っています。

もう一つは、問題をこじらせたのはどちら側か、ということです。当時の新聞をひもといていただければわかりますように、被拉致者の五人は日朝双方の合意のもとに、一〇日ないし二週間という一時帰国をしているんですね。そしていったん帰国した後に、家族の人たちが「もう帰さない」と言い出して、その結果、小泉首相が北朝鮮側との合意を破って、もう永住帰国だというふうに決めちゃったわけです。

皆さんは、それは当然ではないかと思われるかもしれません。しかし、一般的な人間関係で考えていただきたいんですが、ほんとうに信頼関係にある両者の間で何か約束が行なわれて、その約束を仮に一方が破ったとしても、私たちはそれについて、相手の立場を考え、理解してやることはできると思うんです。しかし、初めから信頼関係がなく、むしろ不信の固まりであるという両者がたまたま何か合意をしたときに、その合意の初っぱなに相手が約束を破ったら、破られたほうはなんと思うでしょう。今回の事件はまさにそういうことであって、憤激に耐えないと思っているのは北朝鮮のほうであって日本ではない、ということを皆さんに考えていただきたいと思うわけです。

さらに問題をこじらせているのは「国際化」という問題です。小泉首相が自分で約束を破っておきながら、今回のサミットにおいて、この拉致問題を核開発問題とパッケージの問題であるとしてしまった。要するに、核開発問題と一緒に解決されるべき国際問題として、サミット首脳たちの合意としてまつりあげたわけですね。これで被拉致者の帰国問題は国際問題になってしまった。国際問題にしてしまったということです。もはや北朝鮮と日本との間の話し合いでは片がつかない問題というふうに、小泉氏はもっていった。これは問題を複雑化するだけだということも、私たちとしては理解しておかなければならないことだと思います。

ちなみに、こういう問題が国際問題として扱われる例はほんとに少ないんですね。私はあまり聞きません。ナチの問題でも、ヨーロッパ・アメリカの間でも、強制連行、強制労働の問題はありますけれども、全部二国間の問題として処理されてきています。そういう問題をことさらに大きく国際問題にして、北朝鮮を追いつめる材料にしてしまうということにおいて、この被拉致者帰国問題で事態を悪化させる大きな原因が、北朝鮮側よりもむしろ日本側にあるということを、皆さんに考えていただきたいと思います。

核兵器開発問題というのは、北朝鮮が核兵器を開発しているかどうかという非常に深刻な問題です。私は先ほど申しましたように北朝鮮の核開発に反対でありますけれども、考えなければいけないことは、なぜ北朝鮮が核兵器開発にまでたどりつかざるをえなかったのかという、相手側の事情ですね。要するに、彼らは自分を守る術が何もないわけです。そういうところまで追いつめられている。

いま、日本のいろんな港で北朝鮮の船がいろいろな理由をこじつけられて、港内に泊められないとか、港外に停泊を余儀なくされているとか、いろんな事件がありますが、あれもアメリカの新聞に報道されたように、アメリカ政府が各国にそういうことをするようにとエンカレッジしているんですね。「やれやれ」と言っている。それを受けての行為だということです。

そういうように、アメリカの指示のもと、日本は大喜びで北朝鮮を追いつめるばかりの目標を追求しているんですね。これはまさに北風政策だと言わざるをえないと思います。そうした場合に北朝鮮としては、唯一の拠り所として核兵器をもつという選択をしても、私は賛成ではないけれどもその気持ちは理解せざるをえません。

「不審船」事件にしても被拉致者の問題にしても核兵器の問題にしても、どちらにより大きな非があるのかということについて、私たちは冷静に考える必要があります。どちらが劣勢にあるのかということを、冷静に考えてみていただきたいと思います。

私はよく例えるんですが、北朝鮮は言うならばハリネズミなんですね。そのハリネズミをアメリカという巨象、日本というライオン、韓国というトラが取り巻いて、いまにも食いつぶそうと構えている。それに対して《かなわぬまでも》と針を逆立てているのがいまの北朝鮮だと思います。

その北朝鮮の針を、何故に私たちが「脅威」とみなさなければならないのか。ここには明らかに私たちの一方的な、過去からある対アジア蔑視、そのなかで特に厳しい対朝鮮意識──時間がございませんので詳しくは申しあげられませんが──、そういうものが合わさって増幅されて《北朝鮮は脅威だ》という感情に直結しているのではないかと思います。

しかし、いままで侵略したことがあるのはどちらなのかと、歴史的な事実の問題を考えていただきたい。日本が北朝鮮を含む朝鮮半島を侵略し、植民地支配した歴史はあります。豊臣秀吉が侵攻したことなど、挙げればキリがありません。しかし朝鮮側が、特に北朝鮮・韓国が日本に侵略の矛先を向けようとしたことは、いまだかつてないわけですね。そういうことを考えても、私たちが北朝鮮を脅威だというふうに考えるのはおかしいわけです。

私は、国際関係はときに人間関係に置き換えてみるのがいちばんいい、と言っているわけですが、いじめの問題を考えてみれば明らかだと思うんです。北朝鮮はいじめられっ子の立場、私たちはいじめっ子の立場にあります。いじめっ子がどうしていじめられっ子からの□□を恐れなければならないのかということを、よく考えていただきたいと思います。

いま挙げた三つの例のほかにも「ラングーン事件があるじゃないか」とか「大韓航空機事件があるじゃないか」とか言われるかもしれません。そういう事件が過去にあったことは事実です。しかし過去の事件ということで言うならば、日本だって五十数年前までは軍国主義の国だったわけですね。その日本の私たちが平和国家に生まれ変わろうと決意し、実践してきました。私たちは、そういうことは可能だと思っている。

それと同じことが北朝鮮についてはあてはまらないと、どうして言えるのでしょうか。少なくとも金正日が親父の後を継いで指導者になってからの北朝鮮は、こういう言い方をすると僭越ですけれども、いままで外交のプロをやってきた私から見てもかなり《わかる》外交をやっているんですね。説明がつく外交をやっている。ということは、かなりの程度まで予測可能なんですね。

金正日の政権がどうなるかわかりませんが、しかし私たちは現実にゴルバチョフのソ連を見、訒小平の中国を見てきています。北朝鮮が変わらないと断言することは、私たちにはできないわけですね。そういうことを考えたときに、私たちが北朝鮮に対してどういう態度で臨むのかということを、ほんとうに考える必要があるのではないかと思います。

私は、北朝鮮に悔い改めることだけを要求するのではなくて、何とかして彼らが太陽の温もりを感じられるようになり、みずから引きこもりの状況から脱皮する方向に向かうような、そういう政策を私たちとして打ち出すべきではないか、それが、保守政治が進める北朝鮮「脅威」論に対抗するうえで私たちに求められていることではないかと思います。

ほかにもお話ししたいことがございますけれども、特に北朝鮮の問題は、今後の日本の安全保障政策を考えるうえでどうしても皆さんに真剣に向かい合っていただきたい問題であると確信するものですから、これについて長ながとお話し申しあげました。どうもありがとうございました。(拍手)

RSS