北朝鮮問題と有事法制

2003.04.09

*以下の文章は、ある雑誌に寄稿したものです。有事法制を今国会で通そうとする動きは、「北朝鮮脅威論」を大きな材料としています。そのような主張に対する簡潔な反論を試みたものです。(2003年4月9日記)

 日本国内では朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)に関する大量の報道が行われている。北朝鮮を得体の知れない国、何をしでかすか分からない国、日本の安全に対して脅威となる国というイメージで満たそうとする、きわめて一方的な角度から描き出すものが多い。その効果はすさまじい。私が伺う集会(イラク問題や日本政府のとっている政策に対しては批判的な立場の人が多い)でも、話が北朝鮮に及び、私が質問すると、「北朝鮮には不安を感じる」と答える人が過半数を占める。

北朝鮮に対する日本国民の偏見は根が深い。日本人にはもともとアジア蔑視の感情がある。アジアの中でも朝鮮となるとその感情は強くなる。それでも韓国との交流が増えるに連れて、対韓感情は好転しつつある。しかし北朝鮮になると、冒頭の感情がつきまとうのだ。

そのような感情を煽る事件が相次いで起こる。ごく最近だけに限っても、不審船撃沈事件、被拉致者帰国問題。ミサイル発射問題など、話題に事欠かない。それらを利用して、政府・与党は「だから有事法制だ」という理屈を公然と持ち出す始末である。

しかし、本当にこういう見方は正しいか。

「北朝鮮は悪の権化」だとする見方は、過去の北朝鮮の行動に基づいて、これからの北朝鮮も変わりっこないという、単純を極める主張だ。しかし、もしある国家の性格が変わりっこないとしたならば、私たちの日本はどうなるか。アジア侵略を長期にわたって行い、第二次世界大戦の張本人の一つである不名誉な記録をもつ日本を、私たち日本人の多くは、「平和な国」といってはばからない。このことから見ても、「北朝鮮は悪の権化」だとする頑固な見方は成り立たないことは明らかだ。

さらに私たちとして考えなければならないことがある。もし仮に北朝鮮が、機会さえあれば他国を侵略する国家であるならば、その脅威をもっとも感じなければならないのは、北朝鮮に隣接する韓国のはずだ。しかし韓国は、金大中前大統領とノ・ムヒョン現大統領のもと、朝鮮半島問題は平和的解決しかあり得ない、ということを最大の政策としている。

韓国はそれこそ、北との間に朝鮮戦争を戦い、その深刻な教訓をもっとも痛切に体得している国家だ。その韓国が北朝鮮に対して「太陽政策」をもって臨むときに、日本が北朝鮮を最大の脅威とするというのは、日本人の私たちの何かもっとも大切な部分が狂っていると見る以外にないのではないか。

私がこの問題を重視するのには理由がある。アメリカはイラクに対して、国際法上許されない、先制攻撃による戦争をしかけた。その理由付けは、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を製造している「ごろつき国家」だから後顧の憂いを解くためだ、というものだ。 アメリカのブッシュ大統領は、イラク、イランと北朝鮮を「悪の枢軸」と決めつけ、まず矛先をイラクに向けたの。すでに対イラク戦争を始める前から、ブッシュ政権からは「イラクの次は北朝鮮だ」という声がしばしば聞こえてきている。

私たちが根拠のない「北朝鮮脅威論」に目を奪われていると、本当に第2次朝鮮戦争が現実となり、有事法制でアメリカに全面協力する日本は、北朝鮮の反撃の対象となって、文字通り修羅場になってしまう可能性がある。

私たちに求められているのは、なによりもまず北朝鮮について冷静な判断力を持つことだろう。そしてマスコミ及びそれを利用する政府・与党の「北朝鮮脅威論」を退けることだ。そうしてのみ、政府・与党が画策している今国会での有事法制成立の筋書きを崩すことができる。有事法制を不成立に追い込めば、アメリカは北朝鮮に対する先制戦争の発動を思いとどまらざるを得なくなるのだ。そうしてのみ日本は、平和国家としてアジアの平和と安定に貢献することができることになる。

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