アメリカはなぜ国際世論を顧みないのか

2003.02.16

ある新聞社の取材で、これほどイラク反対の国際世論が高まっているのに、どうしてアメリカ政府はその世論を尊重しようとしないのか、という点についての私の考え方を尋ねられました。多くの方が疑問に思っておられることだと思いますので、私の判断・考えを紹介したいと思います。(2003年2月16日記)

1.アメリカの特殊な歴史事情

(1)「古い欧州」に対する違和感

イラク攻撃に対する反対の国際世論は欧州にのみ限られているわけではありません。しかし、欧州においてもっとも激しい反対の世論が動いていることはまぎれもない事実ですし、その国際世論に押される形でフランス、ドイツの両政府がアメリカの攻撃に反対する先頭に立つ形になっていることは否めない事実です。

アメリカは、古い欧州から決別する形で建国した経緯もあり、欧州の動きに対して鳩もすると懐疑的、さらには批判的な反応を示すことがあります。特に今回のように、アメリカ政府が「大義名分」を振りかざして行動しようとするときに、それに対して欧州が反対すると、アメリカもことさらに感情的に反応するということが、歴史上これまでにもよく見られるところです。

(2)「使命感」の歪んだ現れ方

アメリカは、建国の歴史に見られるように、自由と民主主義の担い手としての自負心があります。今回のイラクに対する戦争のように、本音の部分では生々しい国益追求が強く支配しているのに、自分の行動を正当化するためにはとにかく自由と民主主義の旗手としての役割遂行というか、使命感の実現というか、とにかく自分を正当化しないではいられない国民性があります。そして主観的には露骨な国益追求に対する批判が起こると、むしろ逆上して自分をますます正当化しようとすることで、エリート層のみならず、一般国民までが団結するということになるのです。

もちろん一般国民がエリート層の宣伝に乗せられて動くのは、アメリカの思い通りに事態が動く間に限ってのことであることは、例えばヴェトナム戦争のことを思い出せば、直ちに理解できることです。しかし、注意したいのは、アメリカの一般民衆が政府に対して批判的になるのは、国際世論が盛り上がることに対する自己反省の機運としてであるというよりも、事態が政府のいうようにはなっておらず、自分たちがだまされていることを自覚した場合であることの方が重要であることは、湾岸戦争の後の動きを見るとよく分かります。

(3)突然「超大国」となったことに対する指導者層の優等生感覚

アメリカは長い間国際政治に対しては不即不離の立場で接してきたと思います。そういうことではもはややっていけられないという自覚がアメリカの指導者にとって本物になるためには、第一次世界大戦後の歴史的経験を経ることが必要でした。しかし、第二次世界大戦で急に自分が世界の中心になり、国際的なリーダーとして振る舞うことが求められたときに、果たしてアメリカの指導者に十分な心構えがあったかどうかについては、大きな疑問が残ります。

むしろ、田舎の秀才が突然檜舞台に立たされたときのように、十分な訓練に裏付けられた自信が伴わないままに、「俺がやらなければどうなる」という気負いだけがアメリカを突き動かしたように思われます。そういう気負いは、米ソ冷戦が「アメリカの勝利」に終わって、唯一の超大国になった今のブッシュ政権にはことのほか強く働いていると思います。

そういう感覚で行動しようとするブッシュ政権にとって、イラクに対する軍事行動を「若気の至り」「軍事だけが物事を解決することはできない」として批判されることはどうにも我慢が行かないことになるのでしょう。

(4)外国との交流が少ないブッシュ政権の特殊事情

特にブッシュ政権の要人は、アメリカ国内で純粋培養されたものが政権の中枢を占めているという特殊事情が働いています。こういう人たちは、海外経験の豊富な歴代政権と比較しても、余計にアメリカ中心主義になりがちです。ましてやそのアメリカが、今や向かうところ敵なしのような状態においては、なおさらです。

2.天動説的国際観

以上のような歴史的経緯をふまえますと、アメリカ人の多くが天動説的な国際観を身につけていることが理解されるし、そのような国際観が彼らの行動を支配しがちであるということにも理解が行くと思います。そういう天動説的国際観は次のように自己主張をする傾向が強く、従って、他者からの意見や批判に対して「聞く耳持たぬ」傾向が強く表れるのです。

(1)異論・異説に対する許容性の乏しさ

なによりもはた迷惑なことは、天動説的な国際観の持ち主は、自分が正しいと思いこみますから、自分とは異なる意見や考え方に対しては、きわめて許容性が低く、聞く耳を持たないということに現れがちです。

(2)自己に同調するもののみを優遇する姿勢

国際共同体という観念を盛んにブッシュ政権が強調するように(正確に言うと、ブッシュ政権だけには限られませんが)、要するにアメリカ的な価値観を受け入れるものだけが国際市民であり得るような、そういう「えこひいき」が顕著な傾向として現れます。逆に言うと、アメリカの言うがままにならないものは排除され、否定され、あまつさえは攻撃すべき対象とされるのです。

(3)伝道師的行動

すでに19世紀にアメリカの宣教師が中国をはじめとする諸地域でキリスト教を広めるように強引に活動した事例が示すように、自らを正しいと思いこむアメリカ人的行動は、往々にして国際政治の世俗の舞台においても他者の改宗を迫る行動に出る傾向が強いのです。アメリカ外交は、そういう色彩で色濃く性格づけられています。

RSS