アメリカ一国中心主義と世界の平和

2003.02

米ソ冷戦が終結して以来、アメリカのユニラテラリズム(以下「一国中心主義」とする)が目立ってきた。一国中心主義は、クリントン政権の時から公然と使われ始めた用語であり、正にアメリカだけが超大国として世界政治に君臨する状況に対応して生み出されてきたものだ。しかし、クリントン政権の時代にはまだ一国中心主義を唱えることはあっても、同盟国との協調関係を重視する名残が残っていたために、際だつまでには至らなかった。

 ブッシュ政権が登場すると、一国中心主義が全面的に追求されるようになった。それは、徹底したアメリカ本位主義であり、アメリカにとっての利害打算を中心にしてすべての政策を組み立てるというものである。同盟国との関係もアメリカの利益に従属せしめられることになる。またその自己主張は、政治軍事のみならず、経済、環境、価値観にまで及ぶものであり、要するにアメリカの対外政策の根幹に座るものになっている。

一国中心主義の危険な様相は、早くから懸念されていたが、とくに九・一一事件を契機として留まるところを知らない勢いで自己主張を始めた。テロリズムとの対決を「戦争」と規定した。「テロリストをかくまうものはテロリスト」という詭弁を弄してアフガニスタンに対する軍事行動を自衛権の名の下に正当化を図った。テロリストとの戦いにおける通常兵器の限界が明らかになると、核兵器の使用の可能性も公然と追求するようになった。テロリストとの戦いは、なんの論理的結びつきをも示し得ないままに、「悪の枢軸」を構成する「ならず者国家」に対する先制自衛戦争に結びつけられるに至った。こうしてイラクに対する戦争政策が公然と追求されるまでの段階に達している。

アメリカ一国主義のこのような暴走に対して、当初は形勢観望だった国際世論も、ようやくその危険を極める本質を自覚し、遅まきながらこれを牽制する動きを本格化させた。フランス、ロシア、中国が国連の安全保障理事会でアメリカの早期開戦論をなんとか阻止するべく様々な工作を行った。それよりも重要な動きは、国際世論が急速な戦争反対の動きを世界各地で展開するようになったことだ。ただし初動が遅れただけに、これらの動きがアメリカの一国主義の行動を阻止しうるかどうかについては予断を許さない。

しかし、アメリカの覇道以外の何ものでもない行動は、対イラク戦争が開始されれば、早晩破綻することが予想される。アメリカ経済はきわめて危険な状況にあり、戦争が長引くようなことになれば、たちまちその脆弱性をさらけ出すことになるだろう。かりに戦争に勝利しても、その後始末は国際社会に大きな負担となってのしかかってくる。世界平和は、そのいずれの状況に対しても私たちがアメリカの暴走を抑え、主導的に対応することによってのみ、実現の道が開けるだろう。

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