アメリカによるイラク攻撃問題
−その正当化論理の異様性−

2002.10.14

*この文章は、アメリカのイラク攻撃問題についてその重大な問題点をいくつかの論点に絞って明らかにすることにあります。とくに2002年9月に出された「国家安全保障戦略」は、先制攻撃を法的に正当化しようとするブッシュ政権の最初の試みを示すものとして、とうてい看過することはできません。小泉政権は、アメリカの対イラク攻撃に対して「理解ある態度」を示しています。紙kし、このような主張が大手を振ってまかり通るようになれば、第二次世界大戦後の国連憲章に基づく国際ルールは空文化し、アメリカの無法がまかり通ることになることはハッキリしています。是非とも皆さんがこの小論を読んでくださり、国際社会が非常に重大な危機に直面していることについて認識を深めて頂きたいと願っています(2002年10月14日記)。

1.アメリカの国際情勢認識の変化

(1)国家安全保障戦略の示す認識

アメリカ・ブッシュ政権がイラク攻撃を声高に叫ぶ理由については、様々な推測が可能である。その根底の一つに、国際情勢認識の変化があると見なければならない。2002年9月に発表された「アメリカの国家安全保障戦略」報告(以下「安全保障戦略」)は、「ソ連の崩壊と冷戦の終結によってアメリカの安全保障環境が深甚な変化を経た」とし、「新しい致命的な挑戦がごろつき国家及びテロリストから登場した」と述べている。この新しい脅威とされるものの性格は、かつてのソ連からのものとはまったく異なっている。安全保障戦略によればこうなる。

「これらの現代における脅威は、ソ連が配置した破壊力には比すべくもない。しかし、これらの新しい敵の性格及び動機、これまで世界の最強国家だけのものであった破壊力を手に入れようとする決意、及び彼らが大量破壊兵器を我々に対して使用する可能性の増大により、今日の安全保障環境はより複雑かつ危険なものとなった。」

安全保障戦略によれば、少数のごろつき国家の登場は1990年代であり、これらの国家に共通しているのはその反米的性格であるとされる。安全保障戦略は、ブッシュが年頭教書の中で使った悪の枢軸という表現をもちいず、問題のある国家としてはイラクと北朝鮮だけを名指しにしつつ、その他のごろつき国家も核・生物・化学兵器を追い求めているとし、「これらの国家がそういう兵器を追求し、世界的に交易することがすべての国家に対して忍び寄る脅威となってきた」とするのだ。

(2)アメリカの脅威認識の異常性

安全保障戦略がごろつき国家の脅威性を強調するのは何も突然なことではない。すでにその徴候は、2001年9月に出された「4年ごとの防衛の見直し」(以下「QDR」)の脅威認識の異常性に見られていた。そこでは、アメリカに対する新しい脅威として、「恐怖という顔のない脅威」「巨大な不確定要素」「急速で予見できない変化」という、いわばつかまえどころのない「お化け」がアメリカにまとわりついているという認識が示されていた。

QDRには、次のような叙述が至る所に顔をのぞかせている。「アメリカは、大量破壊兵器をはじめとした戦争に対して非対称的アプローチで挑む広範な範囲の能力を有する敵に挑戦される可能性がある。」「アメリカの地理的な位置はもはや、その人口、領域、及びインフラに対する直接攻撃から免除されることを保障しなくなった。」「時とともに、ますます多くの国家がより精度を増す弾道ミサイルを保有するようになる。」「テロリストは、支援国家や庇護国家の支持を得ており、大量破壊兵器の急速な拡散により、今後のテロリストの攻撃はこれらの兵器を使用するものとなる可能性がある。」等々。

このような「お化け」認識の行き着く結論は、QDRによればこうなる。「今日アメリカが戦う戦争は、アメリカが選択するものではない。それは、恐怖という悪の力によってアメリカに暴力的にもたらされるものだ。我々は、アメリカの利益がどこでいつ脅迫されるか、いつアメリカが攻撃されるか、また、いつアメリカ人がその攻撃の結果として死ぬかについて、正確に知ることはできず、知らないだろう。したがって、突然性に対して適応することが我々の計画の条件となる。」

QDRは、こういう認識がもたらされたのが9.11事件であることを、次のような表現で認めている。「9.11の攻撃は、この見直しから出てくる戦略の方向及び計画の諸原則を確認するものである。」

事の是非はともかくとして、9.11事件がアメリカ・ブッシュ政権の戦略思考に重大な影響を与えたことが容易に理解できる。しかし、それ以上に重大なことは、その影響が、彼らの思考を狂わせ、とんでもない被害妄想としか形容のできない方向へ彼らの戦略を向かわせたことにある。

2.先制攻撃を正当化する議論

(1)先制攻撃を正当化する安全保障戦略

再び安全保障戦略に戻らなければならない。安全保障戦略は、「この新しい脅威の本質を理解するのにほぼ10年かかった。ごろつき国家及びテロリストの目標を前提にすれば、アメリカはもはやかつてのように物事に反応するという姿勢にのみ依拠することはできない。攻撃者を抑止することができないこと、今日の脅威が間近なものであること、敵が選択する武器によってもたらされる被害の大きさということを考えるならば、そういう姿勢は取り得ない。我々は、敵に最初に攻撃させることはできない。」と論じて、先制攻撃を正当化する主張を展開するのである。その狂気の主張は次のように展開されている。

〇報復と脅威にのみ依存する抑止は、リスクを犯すことにより積極的で、自国の人々及び彼らの富を賭けるごろつき国家の指導者に対しては有効に働かない。

〇今日、敵は大量破壊兵器を使える兵器と見なしている。ごろつき国家にとっては、これらの兵器は脅迫材料であり、近隣諸国に対する侵略の道具である。これらの兵器はまた、ごろつき国家がアメリカに最後通牒を突きつけ、ごろつき国家の侵略的行動を抑止し、撃退するのを妨げるのにも用いられるかもしれない。ごろつき国家はまた、これらの兵器をアメリカの通常兵力における優越性を克服する最善の手段と見なすであろう。

〇伝統的な抑止の概念は、気まぐれな破壊と無辜の民を標的にする戦術を旨とするテロリストに対しては働かない。テロを支援する国家と大量破壊兵器を求める連中が重なる事態は、我々に行動を強いるものだ。

〇数世紀にわたって、国際法は、急迫した攻撃を行う危険のある相手から自らを守るために、合法的に行動をとることができる前に、攻撃に曝される必要はないということを認めてきた。法学者や国際法学者は、先制の正統性の条件として急迫した脅威の存在を指摘してきた。

〇我々は、急迫した脅威という概念を今日の敵の能力及び目標に適応させなければならない。ごろつき国家とテロリストは、伝統的な手段で我々を攻撃しようとはしない。彼らはそれでは失敗することを知っている。むしろ彼らは、テロ活動そして可能性として大量破壊兵器の使用によろうとする。それらの兵器は、簡単に隠せるし、秘密に運べるし、警報なしで使用できる。

〇アメリカは、長きにわたって、国家の安全保障に対して十分な脅威となるものに対抗するために、先制行動の選択肢を維持してきた。脅威が大きくなればなるほど、行動しないことのリスクはそれだけ大きくなるのであり、たとえ敵の攻撃の時間及び場所についての不確実性が残るとしても、我々自身を守るための予想行動をとるケースがより緊要となるのである。敵によるそうした敵対的行動を阻止し予防するために、アメリカは必要に応じて先制的に行動する。

〇アメリカはすべての場合に台頭する脅威に先制するべく武力を使用するわけではないし、各国は侵略の口実として先制に訴えるべきではない。しかし、文明の敵が公然とまた積極的に世界のもっとも破壊的な技術を求める時代に、アメリカは危機が募ってくる間ものほほんとしていることはできないのだ。

〇我々は常に我々の行動の結果を見計らいながら、慎重に行動する。我々の行動の目的はつねに、アメリカ、同盟国そして友人に対する特定の脅威を根絶することにある。我々の行動の理由はハッキリしており、武力行使は計算されており、その原因は正しい。

(2)先制攻撃理論の問題点

先制攻撃の正当性をこれほど明確かつ公然と主張したものは、これまでの国際社会では、イスラエルを除いて例を見ない。イスラエルはこれまで、イラクの原子炉攻撃などに際して、先制自衛の議論を展開してきた。ブッシュはこうしたイスラエルの主張を高く評価している(2001年11月3−4日付インタナショナル・ヘラルド・トリビュン紙掲載のG.ウィル論評「イスラエルのサダムに対する攻撃からのアメリカにとっての教訓」)。

9.11事件を経たアメリカは、異常を極めた脅威認識を公然と打ち出し、今や、イラクをはじめとするいわゆるごろつき国家に対する先制攻撃を正当化するまでに至っている。その理屈は以上に見たとおり、きわめて恣意的であり、結論先にありきのずさんを極めたものである。

まず病膏肓に至るといわなければならないのは、いわゆるごろつき国家の指導者は自国の人々及び富を賭の対象とすると決め込んで、抑止の論理は働かないとしている点にある。独裁者であればあるほど、自らの権力基盤を確保することに熱心になるのは当然のことだ。アメリカに対して第一撃を加えたとしても次の瞬間には怒り狂ったアメリカによって壊滅的な打撃を受けることは、誰にとっても常識である。増してブッシュ政権においてはなおさらのことだ。サダム政権が大量破壊兵器を開発生産しているとすれば、確かに厳しく対処する必要はあるが、先制攻撃の論拠とするのは飛躍がすぎている。

また、イラクは湾岸戦争の教訓からも十分に学んでいるはずである。当時もイラクは十分な量の化学生物兵器をもっていたとされた。しかし、アメリカの強力な報復攻撃という警告の前に、結局はそれらの兵器の使用に踏み切ることを控えざるを得なかったのだ。その状況は、今日においても変わらない。

イラクがテロリストに対して大量破壊兵器を渡せば、確かに使用される可能性が出てくるが、その結果は、イラクが直接アメリカに攻撃をかける場合と異ならない。アメリカがイラクとテロリストとの結びつきを即断した時点で、イラクの命運はきわまってしまう。イラクがテロリストに大量破壊兵器を渡すに違いないという主張はきわめて根拠薄弱だ。

ブッシュが2002年10月7日に行ったイラクの脅威に関する演説では、イラクの核兵器保有についてもきわめて漠然とした言い方しかできず、イラクが保有しているとは断言できなかったことも留意すべきだ。

安全保障戦略は、これらの重大な問題点に対する明確な回答を与えないままに、先制攻撃を国際法的に合法とする強引な主張を展開している。その要点は、急迫した攻撃の危険に対しては先制攻撃をすることができるというに尽きている。

しかし上述のように、そうした急迫性は論証できない。そこで安全保障戦略は、「急迫した脅威という概念を今日の敵の能力及び目標に適応させなければならない」(前述)とし、「敵の攻撃の時間及び場所についての不確実性が残るとしても、我々自身を守るための予想行動をとるケースがより緊要となるのである」(前述)ということによって、先制攻撃を正当化しようとするのだ。いかに強引を極めた立論であるかが分かるはずだ。

(終わりに)国連及び国際社会の責任

アメリカの異様な脅威認識及びそこから出てくる先制攻撃を正当化しようとする主張は、もしこれを認めるならば、国際社会のよってたつ平和と安全の基礎を突き崩すことになることは明らかである。今国連及び国際社会に求められていることは、こうしたアメリカの主張の異様性に警戒感を高め、とくに先制攻撃を正当化しようとする議論の非を明らかにすることにある。要するに今のアメリカは狂っているとしかいいようがない。狂ったアメリカを国際世論の力で正道にまで押し戻すこと、これのみが21世紀国際社会の展望を明るいものとする所以であることを私たちは知らなければならない。

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