拉致事件についての日本国内の報道姿勢

2002.10.03

*この文章は、北朝鮮の拉致事件に対する日本国内のマスコミの報道姿勢のあり方について、強い疑問を覚えるので、私の考えているところを記したものです。(2002年10月3日)

 私は、10月1日の国際政治の講義の中で「国際政治という視点で物事を見るということはどういうことか」という問題意識を9月17日の日朝首脳会談に引きつけて話をしました。その時行った話のレジュメはこの文章の終わりにつけておきます。9月17日以来の国内のマスコミの報道姿勢と私の学生に話した内容に対する学生の反応はあまりにも対照的でした。そのなかの主な問題を取り上げて、皆さんにも考えて頂きたいと思います。

1.拉致事件と補償問題

私は、拉致問題に関して、これが重大な国家犯罪であることを金正日自身が認めたにもかかわらず、小泉首相が一言もそれに関する補償問題に言及していないことに注目します。

小泉首相がこの拉致事件に関して補償問題に言及しない理由について判断することは難しくありません。拉致問題について補償を要求すれば、当然第2次世界大戦時の強制連行やいわゆる慰安婦などの問題について、北朝鮮から補償要求が出されることになるから、それを避けるというのがその理由であることは明らかです。植民地支配に関する謝罪と補償を切り離したい(補償の代わりに経済協力でお茶を濁す)発想に立つ小泉首相以下の日本政府としては、補償問題には黙りを決め込むことがいちばん都合がいいのです。

本当におかしいと思うのは、日本のマスコミのどれ一つとしてこの問題を取り上げようとしないことです。この問題を直視しなければならないことは、マスコミとして理解・認識していないはずがありません。ところがそれを一様に無視するということは、マスコミ自体が小泉首相以下の日本政府のごまかしに同調していることを意味しています。私は、日本のマスコミがここまでモラルが落ちていることを愕然かつ暗然とした気持ちで受けとめています。

私が心からお気の毒に思うのは、政府のそういうしたたかな打算に巻き込まれている遺家族の方たちのお気持ちです。政府が真摯に過去の清算を行う覚悟を決めた上で拉致問題についても真相をしっかり最後まで突き詰め、北朝鮮側の遺家族への謝罪と補償に応じる姿勢を引き出す努力をするという基本姿勢にたてば、この問題の解決の出口は見つかるはずなのです。政府の巧妙なアプローチに遺家族が完全に乗せられて、ひたすら北朝鮮を難詰するということからは、いかなる解決も生まれてこないでしょう。

私は、以上の小泉首相の問題の取り上げ方に関する疑問を正直に学生に伝えました。じつはこの講義には約300名の学生が出席していて、2,3年生を対象とするこの講義にだいたい各学年の半数ぐらいが出席していた勘定になります。私が本当に嬉しかったのは、講義後の感想を記してくれた学生(約230人ぐらい)の誰一人として小泉首相以下の日本政府のやり方を擁護するものがいなかったことです。むしろ意見表明をしてくれたかなりの学生が、過去の所業をねぐるために小泉首相が補償問題を取り上げなかったこと、北朝鮮に対しては補償ではなく経済協力というごまかしで対応することに強い批判を明確に述べてくれました。日本は過去の行為に対して補償をするべきだというのが大半の学生の反応だったのです。私は、事実関係を正確に伝えれば、明治学院大学国際学部の学生たちが実に健全な判断をするということに本当に嬉しくなりましたし、同じことは世間一般についてもいえるのではないかと感じました。

学生の中には、「これは、北朝鮮にとっても、日本にとっても危険であると思う。当の被害者の方々は、これで納得するわけもなく、新たな溝の始まりのように見える。そして日本では、責任をとる、という考えが薄れ、結局はお金で終わってしまうのだ。また、日本がおかしなナショナリズムを作り上げるきっかけにもなるだろうと思う」と、実に鋭い指摘をしているものもいます。

2.拉致事件と国交正常化交渉の成り行きについて

特に10月2日に政府の拉致事件調査団が持ち帰ってきた結果に関するマスコミの報道姿勢は、「北朝鮮はとにかく信用できない国」とすることに徹底しています。このような報道姿勢から生まれるものは、「そんな国と国交正常化交渉を行うのはとんでもない」というものか、「拉致問題にけじめをつけない限り、交渉を前進させるべきではない」というものかのいずれかしか出てこないでしょう。

そういう主張がまかり通れば、日韓平壌宣言の前提は崩されてしまうことは目に見えています。なぜならば、宣言では拉致問題について明確に言及することを避け、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題」については、北朝鮮が再発防止で適切な措置をとるということで一応完結させているのですから、日本側が今後さらに拉致問題を追求するということになれば、宣言のよってたつ基礎は崩れてしまうことになるからです。

私が学生に話をしたのは10月2日の事実関係が公表される以前の段階でしたが、拉致問題と国交正常化交渉をリンクさせるべきではない、リンクさせるならば、日本の過去の国家犯罪についても同様に取り上げるべきだという学生の反応は、基本的に新たな事実関係によって影響を受けるものではないと思います。 むしろ私が、マスコミ報道について本当に心配するのは、「こんな北朝鮮は相手にするべきではない」から始まって、だから「有事法制はやはり必要なんだ」という方向に議論がすり替えられていく危険性です。小泉首相にしてみれば、北朝鮮訪問によって支持率が上昇するという成果を得た上に、難航している有事法制案については促進材料を得るという得がたい結果をも手にしたことになります。一部の野党からは宣言を発出したことについて揶揄されるでしょうが、それが小泉首相の命取りになるとはとても考えにくい状況です。

(終わりに)

私は、事態の流れ、特にマスコミ報道について警戒的に見過ぎているのかもしれません。むしろそうであること、自分の判断が間違っていることを願っています。しかし、冷静に物事を分析したときに出てくるはずの反応(明治学院の学生が示した反応)は、今の異常を極めるマスコミ報道からはとうてい期待しようもないことに、私は心底からの怒りを覚えざるを得ません。世論をあおるだけのマスコミは、結局は有事法制の成立、有事における民間公共機関に対する政府のコントロールへの屈服という道筋をたどる運命が待ち受けているのではないでしょうか。

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