日本はどのような国になっていくのか

2002.07.06

*日本政治論の講義の中で、一人の学生から、「日本はどのような国になっていくのかが最近見えなくなってきた。来週の最後の授業で是非先生が考える現時点から見たこれからの『日本』を聞かせていただきたい」というメモが寄せられました。とても重い問題提起でありますし、私としても正面からたち向かわなければならない問題だと思いましたので、文章にして考えることにしました。皆様にも参考に供します。(2002年7月6日記)

 日本はどのような国になっていくのか、という問題を考えるときには、このままの流れでいったら日本はどういう国になってしまうのかという問題(1〜2)と、国際的に見れば非常に大きな可能性をもっている国際的可能性いう問題(3)、そして以上の客観的及び主体的な条件を踏まえた私たちの自覚的な行動によってまったく生まれ変わることができる国という問題(4)というように分けることができると思います。私の専門分野に属さない問題群も含まれますが、以上の4つの問題について私の考え方を整理して提示してみたいと思います。

1.アメリカ・ブッシュ戦略にのめりこもうとする国(政府・与党)

端的に言って、小泉政治に代表される今の日本の政治は、アメリカ・ブッシュ政権のいうとおり、指図するとおりに日本を「戦争する国」にすることしか考えていないとしか判断できません。ブッシュ政権は、もともと米ソ冷戦が終わった後のアメリカの軍事戦略について根本的な修正・変更を加えることを目指してきましたが、9.11事件が起こったのを契機に、その脅威認識の根底に「恐怖という顔の見えない脅威」「非対称的脅威」という、およそ合理的な発想からは生まれようがない存在、いわば「お化け」、を脅威と見なす考え方を据え付けました。

「お化け」という非合理的な脅威が相手になるのですから、それに対抗するための戦略も合理性を欠いたものにならざるを得ません。大量破壊兵器及びミサイルに代表される非対称的兵器を開発する国(及びそういう国から大量破壊兵器の提供を受けるテロリスト)はアメリカを攻撃する誘惑に駆られるかもしれない。その対象に対してアメリカは、戦術核兵器の使用を含め、身構えなければならない。彼らが攻撃を仕掛ける誘惑に駆られる前に彼らをたたきつぶす戦略を考えるべきだ。こうしてブッシュ政権は、国際法上許されることがありえない先制予防攻撃の考え方にまで踏み込んでいます(イラクや北朝鮮に対する先制攻撃論)。

小泉政治の危険性の最たるものは、このようなブッシュ政権の脅威認識及びそれに基づく先制予防攻撃を含めた戦略を丸抱えで受け入れ、それを新ガイドライン有事法制安保の中に組み込もうとしていることにあります。そのことは、相手方の攻撃が行われる前にこちらから先制予防攻撃をかけることを正当化する安倍官房副長官の発言に反映されただけではありません。国連憲章の自衛権行使の基準の遵守を定める規定を故意にはずした武力攻撃事態対処法(案)を見ますと、ブッシュ政権がいずれイラクや北朝鮮を相手に行う危険性が高い先制予防攻撃に積極的に加わっていこうとする意図を読みとらないわけにはいかないのです。今や日本は、本当に国際社会の無法者の仲間入りをしようとするまでになっているということなのです。

ブッシュ政権の先制予防攻撃の戦略の対象は、イラクや北朝鮮だけには留まりません。アメリカは、台湾問題と絡んで中国との間でも戦争を行う計画を立てています。日本にとって問題となるのは、アメリカが北朝鮮、中国との間で戦争を行うと考えたときに、周辺事態が起こり、武力攻撃事態法の発動が現実のものになるということなのです。たとえば武力攻撃事態法では、「武力攻撃事態への対処においては、日米安保条約に基づいてアメリカ合衆国と緊密に協力しつつ」対処することを明言しています。要するにアメリカが北朝鮮、中国と戦争するというとき、日本は自動的に周辺事態に巻き込まれ、武力攻撃事態法に基づく有事体制に巻き込まれるということなのです。

小泉政治のブッシュ戦略に追随する政策は、朝鮮半島、中国をはじめとした近隣諸国との矛盾を深めずにはおきません。ブッシュ戦略にしたがえば、いつ何時アジアの平和と安全がかき乱されるか分からないのです。すべてはブッシュ政権の胸先三寸の中にあるのですから。いったん武力攻撃事態法が発動されたら、日本は文字通りアメリカ軍、自衛隊が我がもの顔に振る舞う戦場に変化するのです。国民の財産権を含む人権は吹っ飛んでしまいます。相手側からの反撃があれば、日本の私たちの生命と安全、日本という国土はとてつもない惨害に見舞われることになるでしょう。

2.政治も経済もじり貧になってしまう可能性がある国

私は経済の専門家でも何でもありませんので、権威のあることはいえません。しかし、小泉政権になってからの日本の政治と経済を見たとき、いったい何かよくなったことが一つとしてあったでしょうか。小泉政治は、今や国際的に破産しつつある市場経済原理にすべてを委ねる構造改革を行うという1点張りで政治を行ってきましたが、何にも具体的な成果は挙がっていません。それどころではありません。失業率は深刻なレベルで推移し、国民生活はますます苦しく、企業倒産は相次いでいます。何よりも許せないことは、明日に対する展望を何ら示し得ていないことです。医療改革法案が成立してしまったらどうなるかについては、かかりつけのお医者さんに聞いても、背筋が寒くなるような事態が待ち受けていることが分かるのです。政治についてはさらにいうことはありません。外務省「不祥事」から始まった一連の政治スキャンダルは、国民の政治に対する一切の信頼感を奪い去っています。要するに日本の政治と経済は断末魔の状態にあるのです。

政治経済のこの断末魔の状態をもたらしている最大の原因は何でしょうか。私は、結局は国民本位の政治と経済が行われていないところにもっとも重大な原因があるとしか思えません。政官財癒着の政治経済からは、真の国民のための政治経済政策が生まれてくるはずがないのです。これらの問題に関する点については、内橋克人先生のいろいろな発言を私は参考にしています。

私は、最近の世論調査の結果などを見ていて、次第に多くの人々が今の政治経済の実体に気がつき始めている、けれどもまだ痛みの深さ、放っておいたら致命的になる病根の深刻さがまだ痛切には分かっていない、というのが実情ではないかと感じています。この変化の傾向をどのように判断するのかについては、評価が分かれるところだと思います。

確かに多くの人々は事なかれ主義を望んでいることは間違いないでしょう。今の状態でも十分に深刻なはずですが、これ以上自分の身の回りに変化が起こらないならばなんとかやっていけるし、そうであってほしい、というのが過半数以上の人々の願いであると思われます。

しかし、本当に物事はそのような「なんとはなし」の感じで推移してくれるだろうか、ということになりますと、私はより多くの人々が「それではすまない」し、また、「そうであってはならない」と意識しているのではないかと感じています。たとえば、日経新聞の世論調査で、有事法制の反対派が賛成派を逆転したというような結果が最近出たということは、小泉首相の支持率が低迷したまま回復の兆しを見せないことと並んで、より深層での国民意識の変化を示していると思うのです。ミクロな話で恐縮ですが、私がお話しにうかがう有事法制に関する集会にも、ほとんどの会場で主催者が予想するよりはるかに多くの方が参加されているという事実も、私には決して偶然の出来事だとは思えないのです。

多くの人々は明らかに今の日本の政治経済に大きな不満を持っている。しかし今のところは、その不満に対する適切な答えが示されるに至っていない(この点では、多くの野党に責任があると思います)ために、不満がくすぶり続けている。それが今の日本の人々の状況なのではないでしょうか。

3.客観的には大変大きな可能性をもっている国際社会

他方、目を国際的に転じますと、日本の中にいるのではとても感じられない明るい要素を目にしないわけにはいきません。一つはブッシュ政治の行き詰まりですし、もう一つは日本の豊かな可能性です。

ブッシュ大統領は国内でなお70%程度の高い人気を維持しています。もっともかつての90%近い支持率に比較すればやはりその支持率の低下は否めません。しかも重要なことは、ブッシュ政治に対する支持率は今後さらに低下することが見込まれるに至っているということです。何よりも大きな事実は、「戦時の大統領」というイメージだけではこの秋に予定されている中間選挙で勝利を収めることはできないという予想が、ブッシュの共和党内部から公然と口にされる状況が出ていることです。

これにはいろいろ原因があります。内政に強い関心を示さないことが最大の原因としてあげられています。また、イスラエル・パレスチナ問題に対する取り組みが付け焼き刃で一貫性がない(要するに問題解決能力に大きな疑問がある)ことに対しても不満と批判が高まっています。エンロン以来の大企業の目先の利益本意の営業姿勢という問題も、ことが多くのアメリカ国民の年金問題と絡むだけに、簡単に見過ごすわけにはいきません。

欧州諸国、ロシア、中国さらには中東諸国においては、アメリカのイスラエル・パレスチナ問題に対する対応をめぐって批判が高まっています。これら諸国ではまた、アメリカの対イラク政策をはじめとしたいわゆる「悪の枢軸」政策に対しても強い批判が出ています。しかもそのアメリカは、多くの国際問題でアメリカ中心主義の政策を臆面もなく追求しているのです。

このように見てきますと、小泉政治がひたすら追随しているアメリカのブッシュ政治の前途は決して平坦なものではないことが分かってきます。私自身はむしろ、アメリカのパレスチナ和平問題に対する政策には出口がない、と判断しています。そうであるとすれば、アメリカが遂行しようとしている対イラク強硬政策に対する中東諸国を含む国際社会の支持も簡単に取り付けられるわけはありません。イラクに対する強硬政策がうまくいかないとすれば、その後に控える北朝鮮に対する強硬政策がうまくいくはずもありません。となれば、アメリカが日本に対して有事法制の成立を急がせる動機もそれだけ小さくなることになります。このように、国際政治的に見ますと、日本をめぐる国際環境は決して真っ暗というわけではないということが分かってきます。

4.人々が変われば日本は変わる、日本が変われば世界は変わる

私が今日本の皆さんに呼びかけたいのは、私たちの視点を日本の中にだけ限定しないで、国際的視野に立って物事を見ましょう、ということです。今述べましたように、有事法制をめぐる国際環境は決して暗いばかりではありません。私たちが国際情勢の動きを主体的につかみ、したたかに利用する判断力を持つならば、情勢は明らかに動かすことができるということなのです。

よく考えていただきたいことがあります。今の日本を攻撃することに利益を見いだす国がどこにあるか、ということです。日本が侵略戦争の過去を反省しないでアメリカと一緒に再び「戦争する国」への道を歩めば、そういう日本に対して警戒感をもつ国が現れることは避けることができません。しかし、日本が本当に過去を反省し、アメリカのアジア諸国に対する戦争政策を拒否し、平和憲法に徹する国になることを誓うのであれば、いった、どの国がその日本を攻めようと思うことがあるでしょうか。

安全保障はある意味で確率の問題です。侵略戦争の過去を反省しない日本が「1000万分の1の確率でどこかの国に攻められたらいけないから軍備をもつ」とします。そうすれば、そういう「すねに傷をもつ」日本から攻撃を受ける確率は1000万分の1よりははるかに高くなると考える近隣諸国が出てくるのは避けられないのです。そうであるとするならば、私たちはまず自分の行動をこそ律するべきだということに思いが及ぶはずです。

私はもう一つのことを日本の皆さんに考えてほしいと思います。それは、私がいつも話していることですが、日本は世界第2位の経済大国であり、日本がその気になれば、国際社会が直面している多くの重要な課題に対して重要な役割を発揮できるということなのです。日本が現在防衛費に使っている予算を世界の貧困、飢餓、教育、衛生、疫病などに振り向けるだけでも、日本はどんなに大きな貢献を国際社会に対して行うことができるでしょうか。ちなみに、そういう日本に対して、いったい誰がテロを考えるでしょう。

しかもそういう日本が先頭に立って、アメリカなどの戦争重視の政策を批判する積極的な外交活動を展開すれば、国際社会はやんやと喝采を日本に対して送ることになるでしょう。私は決して、アメリカを困らせるためにそういうことをしよう、といっているのではありません。日本という経済大国が軍備によらないでも立派に国際社会において貢献できるという実例を示すことによって、国際社会におけるこれまでのありきたりの考え方に根本的な変化をもたらすことができる、ということをいっているのです。

そして皆さん、そういう日本に変えることができるのは、じつは私たち自身だけなのです。私たちは、民主国家日本の主人公です。私たちがそういう考え方になれば、日本はそういう国際的な福祉国家に向けての道を歩み出すことができるのです。私たちが日本の政治を変えれば、そういう日本にすることができるのです。

私たちが変われば日本が変わる。日本か変われば世界も変わる。これは決して夢物語ではありません。ベルリンの壁が崩壊して欧州は変わったのです。ベルリンの壁を崩したのは一人一人の市民でした。彼らができたことがどうして私たちにできないのでしょうか。私は、是非とも一人一人の日本の皆さんが日本の主人公になるという決意を固めてくださることを期待しています。

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