有事法制と私たちの三つの責任

2002.05.01

*これは、メーデーの集会で有事法制について発言したものです。時間が限られていたので、所々を短くしましたが、ここでは準備した原稿をそのまま載せます。(2002年5月1日記)

 4月29日のニューヨーク・タイムズ紙は、アメリカのブッシュ政権がイラクに対する戦争を、当初考えていた今年の秋ではなく、来年の早い時期に行うことを考えていることを報道しました。ブッシュ大統領が「悪の枢軸」の筆頭にあげたイラクのサダム・フセイン政権を打倒するための作戦だというのです。

ブッシュ政権が考えているのは、イラクがアメリカに対して攻撃を仕掛けてくるのを待って、イラクを叩き返すということではありません。サダム・フセイン政権が大量破壊兵器を開発している。サダム・フセインはその大量破壊兵器を、アメリカに攻撃することを考えるテロリストたちに渡すかもしれない。それは、アメリカにとって脅威である。だから、先制攻撃を仕掛け、サダム・フセインを亡き者にすることによって、「後顧の憂い」を断つ、というのです。

こんなことを淡々と書く新聞も新聞ですが、それよりもっと許せないのは、新聞記者の取材に対して公然と先制攻撃を口にするブッシュ政権の要人たちです。先制攻撃をするとは侵略戦争をするということです。そんなことが国際的に許されていいわけがありません。ところがブッシュ政権にかかると、「悪」は懲らしめればいいのだ、という身勝手な主張にすり替えられてしまうのです。

恐ろしいことは、ブッシュ政権がこんな危険なことを公然と語っても、国際的に厳しい批判が巻き起こらない状況があるということです。今や、世界最強の国家・アメリカがなにを言っても、あきらめが先に走って、アメリカにハッキリともの申す存在が国際的に見えにくくなってしまっています。そういう中で、アメリカはますますおごり高ぶるという状況になっているのです。

なぜイラクのことをお話ししたかと申しますと、アメリカがイラクの次に標的にする可能性があると考えているのが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)であり、また、台湾問題をめぐって、アメリカは中国と軍事衝突する可能性があることを考えているからであります。有事法制、特に武力攻撃事態法でいう「武力攻撃事態」とは、まさにアメリカが北朝鮮や中国に対して戦争を仕掛けることを考え、そのことを日本政府に一方的に通報して来るときに始まる事態であるからであります。なぜそういうことになるのでしょうか。

アメリカが北朝鮮あるいは中国に戦争を仕掛けることを考えるとき、アメリカは当然北朝鮮あるいは中国からの反撃に直面することを考えます。北朝鮮あるいは中国の反撃は、アメリカとの交戦状態がエスカレートすれば、アメリカに全面協力し、アメリカが作戦基地とする日本を反撃の対象にすることは間違いありません。ですから、アメリカが戦争を考え、日本政府が「ハイ、そうですか」と受け入れたときがまさに、「武力攻撃のおそれのある場合」あるいは「武力攻撃が予測される事態」であり、すなわち「武力攻撃事態」なのです。

アメリカは、自分が戦争をしようというときの備えとして、日本に「戦争する国」になることを要求しているのです。日本にそのときに「有事」の備えがなかったら、アメリカは「安心して戦争する」ことができないというわけです。要するに、アメリカが侵略戦争するための態勢作りの一環として、日本の有事法制が位置づけられているのです。

これだけでもとんでもないことです。有事法制を許すということは、日本が再びアメリカの侵略戦争に加担するということなのですから。それは、侵略戦争を反省し、二度と侵略戦争をしないことを国際社会に公約した憲法の前文と第9条を踏みにじるものです。私たちは、憲法違反の有事法制を絶対に許すことがあってはなりません。日本が再びアジア近隣諸国に対して侵略者となることは絶対にあってはならないことです。

有事法制は、主権者である私たち国民の基本的権利を全面的に奪いあげ、地方自治を根底から突き崩すという点でも、憲法違反そのものであります。この点については、会場の皆様も認識があることであると思いますので、これ以上深入りいたしません。

最後に私は、私たちには三つの重大な責任が問われていることを申し上げたいと思います。子供・孫たちに対する責任、国際社会に対する責任、そして主権者としての責任ということであります。

子供・孫たちに対する責任については、自明なことですので詳しく申し上げる必要はないでしょう。「平和に徹する国」を子供たちに引き継ぐのか、それとも「戦争する国」「戦争の惨害に直面する国」を子供たちに押しつけるのか、その責任はひとえに私たちにかかっているということであります。

国際社会に対する責任と申しますのは、次のことであります。つまり、私たちが有事法制を阻止することができれば、アメリカが北朝鮮や中国に対して侵略戦争を行うことを不可能にすることができます。したがって日本は、アジアの平和と安全に対してきわめて重要な貢献を行うことができる、ということなのです。もし万が一、有事法制の成立を許すようなことになりますと、私たちはアジアに戦争の悲劇を押しつけることを許すということなのです。私たちの有事法制阻止の闘いは、アジアの平和と安全に直結しているのであります。私たちは、この上なく重い国際的な責任を負っていることを深く認識する必要があります。

主権者としての責任という点については、残念ながら私たちの間でも深く自覚されるに至っておりません。私たちは、まがりなりにも民主国家であることを謳う日本の主権者であります。私たちは今や、明治憲法の下における天皇の臣民ではないのであります。仮に私たちの力が及ばず、有事法制の成立を許してしまうことがあれば、私たちが国内で反対したということは、国際的には意味を持ちません。日本国民が有事法制の成立を許したということになってしまうのです。有事法制に裏付けを得たアメリカの侵略戦争に加担する日本について、私たちは侵略戦争についての責任を免れることは、もはやできません。そういうことにならないために、私たちは決して有事法制を許してはならないという主権者としての責任を担っている、ということを肝に銘ずることが求められています。

皆さん、以上の三つの責任を重く受けとめ、どんなことがあっても有事法制を許さないという決意を、メーデーのこの日に是非とも我がものにしてください。

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