自衛隊参戦・有事立法がめざすもの
(2002年2月11日の集会での発言)

2002.03

*2002年2月11日の集会での発言をご参考までに紹介します。

この「自衛隊参戦・有事立法がめざすもの」というテーマを考えるうえでは、本来であればアメリカの世界戦略を踏まえる必要がありますし、自衛隊参戦・有事立法がめざすものにたいして私たちがどう対応するかということもお話しないと完結したことにはならないのですが、今日は時間の限定がございますので、当面の問題にしぼりこんで、かいつまんでお話したいと思います。

一、なぜ小泉政権は急ぐのか

私たちは、クリントン政権の時に新ガイドラインができたのを見ております。その新ガイドラインを受けて周辺事態法ができております。当時私たちは、周辺事態法を戦争法という別名でよびあらわしました。それについては、私は間違いだとはおもっていません。しかしアメリカ側からすると、新ガイドライン、周辺事態法の程度ではとうてい彼らの要求を満たすことにはならないという考え方が、とくに現在のブッシュ政権を構成する指導者の間では非常に強いのです。

その対日要求をもっとも明確な形であらわしたのが、私たちがアーミテージ報告という名前で承知している文書です。アーミテージ氏は、いまアメリカ国務省のナンバー2で、対日政策の最高責任者の地位にあります。このアーミテージ報告はブッシュ政権ができる前年の二〇〇〇年一〇月にだされたものでありますけれども、今日のアメリカの対日認識、対日政策の所在を理解するうえでは、つねに私たちがかえっていかなければならない重要な報告であると思います。このアーミテージ報告のなかでの最大の、そしてもっとも具体的な対日要求は何であったかというと、日本に対して集団的自衛権行使に踏み切れということでありました。

さらに、対日軍事要求を含めたアメリカの全体としての世界戦略、軍事戦略については、QDR(「四年ごとの防衛見直し」)という報告があります。二〇〇一年九月末、9・11がおこった直後に発表されたものですが、そのなかで詳しくブッシュ政権としての考え方が示されています。時間の関係で詳細には立ち入ることができませんが、二つだけ申し上げておきたいことがあります。

一つは、「脅威」についての認識が異様を極めるものになっていることです。ソ連というような具体的な国家による脅威を想定するのではない、といっています。そうではなく、「恐怖という顔の見えない脅威」と言っておりまして点に最大の力点をおいています。それに対してアメリカはどのように対応するかという発想なのです。

もう一つは、その中でとくにアジアに対しての警戒感が非常に強い、ということです。そして、アジアはアメリカから非常に距離が長い、したがって同盟関係は非常に重要だと結びつけています。このことからすぐ分かりますのは、ブッシュ政権において日米軍事同盟を強化する方針は微動だにしていないということです。むしろ強まっているということを私たちは確認しておく必要があると思います。

そういうアメリカの世界戦略とそのもとでの日本の戦略的位置づけ、そしてその中での対日軍事要求ということであります。その対日メッセージは、小泉首相、そして現在の保守政治——私が保守政治という時には民主党も含めています——がもつともよく理解するところであります。そして彼らは、何とかしてアメリカのそういう対日軍事要求に応じなければならないということを方針としています。したがって小泉政権は、機会がありさえすれば、アメリカの対日軍事要求を満たすべく可能なかぎりの措置をとりたいと虎視眈々と時期をうかがってきた、と位置づけることができます。そういう彼らにとって、9・11事件はまさに奇貨とすべきもの、アメリカの対日軍事要求を満足させるために国内に売り込む格好の材料である、と判断したということだと思います。

ひとことだけ触れておきたいことがあります。アメリカは今回の報復戦争におきまして、同盟国の軍事協力、軍事行動への参加ということをまったく必要としていなかった、むしろ邪魔にしていたということが明らかになっております。そういうアメリカの基本認識からしますと、日本が自衛隊を派兵してアメリカに対して軍事協力を行うべき必要性はまったくなかったということがはっきりしております。したがって、9・11事件というのは小泉政権にとりまして、アメリカが9・11があるかないかにかかわらず日本に求めてきていた集団的自衛権行使への踏み切りを加速するための材料として使われた、ということが、私たちが明確に踏まえておかなければならないことだと思います。

二、テロ対策特別措置法

いわゆるテロ対策特別措置法は、以上に申し上げました大きな枠組みの中で、つくられたということであります。このテロ対策特別措置法については詳しく述べるまでもないと思いますが、二つの大きなポイントがあります。

一つは、アメリカの対日軍事要求、集団的自衛権行使への踏み込みをめざして、「戦争する国」に限りなく接近していくものだ、ということであります。この点に関しましては、頭の整理のために、三つの「突破」という形で考えてみたいと思います。

一つは地理的制約の突破です。周辺事態法のときも、初めの段階で政府は「周辺事態とは地理的概念ではない」という説明を試み、なんとか地球範囲で対米軍事協力をおこなうようにしたいとする動きを示しました。けれども、最終的には国会答弁などをつうじて、アジア・太平洋という地理的な範囲をさす概念というふうに、みずから収斂させざるをえなかったということがございます。その周辺事態法は、今回のようにインド洋、中央アジアにおける事態にたいしてそのまま適用するのは無理があるということでした。

しかも、アメリカは必ずしも対テロ戦争というものをアフガニスタンに限定する意思はまったくありません。アフリカにも拡大する、あるいは中南米にも拡大する、またフィリピンということで東南アジアにも拡大するということでございまして、この対テロ戦争というものは、アメリカにおきましては全世界的規模で戦うべきものと位置づけられております。したがって、そういうアメリカに対して日本が今後協力していくうえでは、地理的制約を自ら課す結果になった周辺事態法では役にたたないということがあったわけです。

もう一つは、時間的制約の事実上の突破ということであります。政府は特措法について、時限法であり、期限が限られていると説明してまいりましたが、いま申しましたように、ブッシュ政権は対テロ戦争をアフガニスタンだけに限定するつもりはないし、今後どんどん拡大していく方針です。それだけではありません。対テロ戦争の「テロ」の定義を拡大することによって、ブッシュが「悪の枢軸」と決めつけたイラン、イラク、北朝鮮に対する紛争を視野におさめる戦略をとっています。そういうことから考えますと、このテロ対策特別措置法なるものも、実はアメリカが対テロ戦争を続ける限りいつまでも生きつづけることになるということでありまして、したがって事実上は時間的制約も突破したということになると思います。

それからもう一つは、政府みずからの憲法解釈においておこなってきました集団的自衛権についての制約を全部取り払うことをはかったものであるということです。政府自らがおこなった集団的自衛権行使についての制約とは、武力行使と一体化するかどうかとか、武器使用の基準をどうするかといういろいろなものがございますが、そういう制約を一挙に取り払うということを事実上おこなった、ということであります。

したがって、結論的には、テロ対策特別措置法によって日本は「戦争する国」に限りなく接近した、と言わなければならないと思います。

しかし、アメリカの対日軍事要求というモノサシから見ますと、実は、このテロ対策特別措置法もアメリカにとってはまだまだ不十分なものであります。

まず、武力行使についての制約が依然として存在することです。これは、アメリカにおける日本の戦略的位置づけという面からいいますと、二つの意味があります。

一つは、イギリスが今回の戦争において実際におこなったような攻撃面においてもアメリカ軍と協力するということは、現在のテロ対策特別措置法ではできないと政府自らが言わざるをえない状況があります。要するに、「自衛のため」という名目がたたないかぎりは武力行使ができないという制約を離れることはできていないのです。しかし、アメリカからすれば、そのような限られた内容では非常に不完全だということです。

もう一つは、東チモールにおいてオーストラリアが果たした役割を考えていただきたいのですが、アメリカには自らは手抜きをしたい戦争もあるわけです。そうした場合に、同盟国をしてアメリカの代理戦争をさせるという位置づけがあります。そういう点でも、テロ対策特別措置法ではそこまで踏み込んだものにはなっていない、ということであります。しかし、代理戦争の主役になるという役割もアメリカにとっては欠かせない対日軍事要求の中身であります。

アメリカの要求基準からいった場合のこの法律が持つ二番目の制約は、「大義名分における制約」ということです。それは何かといいますと、テロ対策特別措置法を正当化する際に政府が使いましたように、どうしても国連とのかかわりを考えざるを得ないということであります。しかし、アメリカ、とくにブッシュ政権になってからはっきりしておりますことは、国連安保理の決議があろうとなかろうと、アメリカがやると決めたときには戦争をやる、国連の枠組みはいっさい関係ない、という立場であります。したがって、今後アメリカが行う軍事行動において、今回の9・11のときにアメリカ主導でデッチあげたようなあいまいな安保理決議一三六八というようなものもできない可能性があります。

すでにブッシュが言い出した「悪の枢軸」発言などにみられるアメリカのやり口には、ロシア、中国だけではなく、イギリス、フランスその他西欧諸国も警戒感を高めています。とくにイラクに対する軍事行動についてそうであります。そうした場合に、たとえアメリカが安保理決議をデッチあげようとしても、他の大国が拒否権を発動するということは非常にあり得るわけです。しかしだからといって、アメリカはイラクにたいする軍事行動を控えるのかということになれば、私は、ブッシュ政権はいったん決めた場合にはそのまま突っ走る危険性が高いと思います。そうした場合に、アメリカはおそらく日本に対して協力を求めてくるでしょう。そのときには、国連が明確に賛成しない戦争でも日本はコミットしなければならない状況が出てくる。そういうことについても、いまのままでは制約があるということであります。

もう一つ、申し上げておきたいことがあります。実は日本国内の新聞もほとんど報道していないことで、私も原文を見て知って驚いたことがあります。それは何かというと、小泉首相が一月にアセアン諸国を訪問したときに、最後の訪問地シンガポールにおいて政策演説というものをやっております。この政策演説のなかで、アメリカでの同時多発テロは安全保障の考え方を大きく転換させたと切りだしていまして、そこから東南アジアにおいてもミンダナオ、東チモールなどが不安定な地域として存在する、そういうところにおいて日本はこういう地域における紛争予防に積極的に協力したい、と言っているのです。

ミンダナオでは、いまアメリカが特殊部隊を含めた六六〇人というアフガン以外では最大の兵力を投入した対テロ戦争を展開しつつあります。そういう地域にたいして日本も積極的に協力したいと言っているのです。日本とアセアンは、テロその他の国境を越える問題にも共に取り組む必要がある、とまで踏み込んで言っております。そういう小泉首相の野心といいますか、アメリカと歩調を合わせた軍事行動をとる日本、「戦争をする国」日本という方向をめざすうえでは、やはり今のテロ対策特別措置法では十分にやりきれないところがあるということになるのです。

したがって、彼らはさらにいろいろな策動を講じようとしているということが分かります。

三、有事法制

私たちは去年の十二月、「不審船」撃沈という事件を目にしました。私は、この事件についての受け止め方は、私たちの側も含めてあいまいでありすぎたのではないかと考えております。

この「不審船」撃沈につきましては、政府の側から「いや自沈したのかもしれない」という奇怪なる主張が出てきてから、私たちの側においても「撃沈」という言葉を使うことを差し控えた方がいいのではないか、事実と違つたら大変なことになる、というような自制がはたらきまして、物事の本質を見にくくしている状況があります。

まず、この言葉の使い方がいかに物事の本質についての目を曇らせているか、ということについて述べさせていただきたいことがあります。これは教科書問題でも起こったことです。南京大虐殺について、「南京大虐殺というものはあったのか」という藤岡信勝氏の問題提起があります。彼は虐殺があったことは認めます。しかし、大虐殺と「大」をつけるためには、いったい何人死んだのかを知る必要がある。その事実がわからないかぎり「大虐殺」とは言えないではないか、という趣旨の議論をしているわけです。

今回の事件においても、最後の段階で船が沈むにいたった直接の引き金は何かということは、なかなか証明が難しいでしょう。そうすると藤岡氏的な議論でいけば、「撃沈」したかどうかはわからない、ということになるわけです。

しかし、今回の事件の場合、海上保安庁が日本の領海外で、改正された海上保安庁法の規定にも反して先制攻撃をしかけたことに問題の本質があります。これは、国際的に言えば、日本がおこなった武力行使そのものであります。つまり、憲法第九条の禁じる武力行使なのです。それを小泉首相は正当防衛とハナから言っていますが、正当防衛というのは国際法上非常に明確な概念でありまして、先に向こうが攻撃してこなければ絶対的に行使できない権利として位置づけられています。しかし政府自体も認めたように、先に攻撃をしかけたのは海上保安庁であることは非常にはっきりしています。正当防衛などではありえないわけです。ということはすなわち、明らかに不法な武力行使、国連憲章でも憲法でも禁じられている武力行使です。そういう問題の本質を見にくくさせるために、「沈没」といういかようにも受けとめることができる言葉におき換え、問題の本質をすりかえることがおこなわれたことを、私たちは正確に知っておかなければならないと思います。

いずれにしても、政府・与党が有事法制に突っ走ろうとするなかで、この「不審船」撃沈事件をしばしば利用する事実から見ても、私は、きわめて政治的にデッチあげられた事件である可能性が強いのではないかという疑いを深めております。

ところが私たちの問題の本質理解においても、この「不審船」事件についてもう一つ非常に議論をあいまいにしている要素があります。それは、この武力行使をおこなったのは海上保安庁であり、警察行動だということです。率直に言って、これは日本国内のみに通用する議論だと思います。アメリカのコースト・ガードは日本の海上保安庁にあたりますが、このコースト・ガードは明確にアメリカの軍事組織の中に入っています。海上保安庁の国内法上の位置づけが警察であるかどうかということは、国際法上はまったく関係ないことです。現実に中国や韓国の報道をみましても、海上保安庁が警察に属するかどうかは問題として考えていません。

そういうことを考えますと、この「不審船」撃沈事件というのは、戦後の日本が憲法と国際法に違反しておこなった不法な軍事行動、武力行使であるという位置づけをしなければならないと思います。そういった議論がなされないままに、不審船のような事件があつたらたいへんだとか、北朝鮮は何をやるかわからない国だからとか、そういう感情論によって物事の本質が覆い隠されて、それが有事法制を促進する論拠に利用されようとしているということをしっかりつかんでおく必要があると思います。

その有事法制ですが、「有事法制とは何か」ということでありますが、ここでも非常に論点が明確にされていません。意識的に明確にされていない、とすら思いたくなる状況があります。そして意識的に明確にしたくない政府・与党の議論にたいして、私たちの側も明確に批判しきるまでにいたっていないのは、じつに深刻な状況ではないかと思います。

いま政府が国会に提出しようとしている有事法制の本質は何かということでありますが、二つのポイントに絞ってお話しします。一つは「対日攻撃対処」、もう一つは「平時における協力」ということになると思います。

「対日攻撃対処」といいますと、いかにも日本が自衛権を行使するという問題であると受け止められがちであり、また政府・与党はそういう印象を国民の間に広げたいと努力しております。しかし、この「対日攻撃対処」とはいったい何なのかということを私たちは明確にする必要があります。その点で、私は今回の「不審船」の事件とか、九四年の北朝鮮「核疑惑」の問題とか、あるいはアメリカが描いております台湾有事シナリオということで、その本質をつかむことが容易にできると申し上げたいと思います。

じつは北朝鮮「核疑惑」の際に明らかになったことは、アメリカが先に北朝鮮に攻撃をしかける、したがって北朝鮮がそれに対する自衛として——ここにおいて初めて「自衛」が出てくる——反撃をする。反撃の対象には、アメリカに協力する日本も当然含まれるということです。アメリカと日本は、もともと侵略者、先制攻撃をする側にあるわけで、それに対する反撃として、つまり自衛権の行使として、北朝鮮の攻撃がある。それに対して日本が再び軍事的に対処するというのは、もはや自衛権行使として位置づけられるものではありません。この点をしっかりしておかなければならないと思います。ところが、いまの有事法制はそのことを大きな念頭に置いている。これは全然、自衛権行使としての有事法制ではないということです。

それからアメリカが描く台湾有事シナリオも同じことです。じつは、台湾の独立ということがアメリカのなかでくすぶっている。台湾が独立を宣言した場合には、中国は阻止するために軍事的に動くだろう。その時には、アメリカとしては台湾を防衛するために日本から発進して中国と軍事的に対立するということであります。戦争がエスカレートしてきますと、アメリカに協力する日本、あるいは日本にあるアメリカ軍基地をめがけて中国は弾道ミサイルを発射する可能性があるというシナリオです。これは、アメリカが実際に描いているシナリオです。ここにおきましても、日本は自衛権の行使として中国に対抗するという論理は出てこないわけです。アメリカに協力して戦争に加担するということでありますから、それにたいして自衛権を行使するのは中国です。自衛権を主張できるのは中国であって日本の側にはない、ということです。

以上の点から、「対日攻撃対処」という問題の本質は自衛権行使の領域の問題では全くない、ということを繰り返し強調させていただきたいと思います。

「不審船」撃沈事件にしましても、日本の領海にもいない船舶が日本に対して緊急不正の攻撃をするということもまったく予見されていない段階で、日本側が先に攻撃をするということ、これはまさに平時における武力行使という範疇でありまして、まさに新ガイドラインにいう「平素からの協力」としての日米軍事協力の一環として位置づけられます。ちなみに今回の「不審船」事件にしましても、最初に「不審船」が北朝鮮から出てきたとことをキャッチしたアメリカが防衛庁に通報し、日本が後追いをしたということも、新聞報道などでわかってきています。ここにおいても、平時における日米軍事協力がおこなわれている。それにもとづいて日本が軍事行動をとったという先例にもなるわけです。ここにおいても自衛権の行使という問題はありえない、ということを確認しておく必要があると思います。

そういうことで、私たちは有事法制の問題について、自衛権の行使とはまつたく無関係な、侵略戦争の結果として自業自得で招く、相手からの自衛権行使としての反撃に対する有事法制だ、ということを押さえておくことが必要だと思います。この点をしっかりおさえておくことは、これから政府がしかけてくる有事法制についての世論誘導に対して、私たちが説得力ある議論を展開するための基本条件、出発点だと思っていることをつけくわえておきたいと思います。

最後に、有事法制そのものについて、若干最近の動きもふまえて考えておきたいと思います。

一つは、この一月二十二日に政府が与党に出した「有事法制の整備について」という文書についてであります。この有事法制の仮の名称としては「武力攻撃事態対処法」というような表現がされています。

まず確認しておかなければならないのは、有事法制はそれだけではないということです。たとえば二月一〇日の「日経新聞」によりますと、二月九日に山崎幹事長と中谷防衛庁長官の会談がおこなわれまして、その際に物品役務提供協定(ACSA)の戦時における適用ということを考えているという話であります。それは何かというと、アメリカ軍が日本で陣地を構築する際の土地を提供するということが一つの内容になっていました。さらに読み上げますと、「有事の際に陣地を構築するための土地利用や、緊急車両通過のための通行規制など、私権制限を伴う例外規定を自衛隊だけではなく、アメリカ軍にも認めることで検討する」ということで両者は合意したという内容です。したがいまして、私たちは有事法だけに目を向けるわけにはいかない。他の関連法律も着々と拡大し、その危険な内容を深めつつあるということをしっかり知っておく必要があると思います。

その上で、この「武力攻撃事態対処法」なるものに着目してみますと、第一分類から第三分類という分類の仕方がおこなわれております。防衛庁所管の法令を改めるものが第一分類、他省庁所管の法令を改めるのが第二分類、そしてどこの省庁が所管するかいまのところわからない事態を第三分類としているようであります。二月三日までの段階では、この第三分類も含めて、この通常国会で法律をつくろうということになっていたのですが、二月五日の政府・与党会議で、この第三分類についてはまだ内部で見解が詰まっていないということになったというのです。一説によりますと、第三分類まで一気に入り込むと私権制限があまりにも明確になると、公明党が難色を示したということも報道されております。いずれにしてもこの第三分類のものは別途切り離して検討するという方向になりつつあるということであります。

そうであれば私たちは安心なのかというと、そうではありません。この法律はもともと自衛権とはまったく無関係な、極めて侵略的な戦争の結果引き起こされかねない日本にたいする反撃にいかに有効に対処するか、という法律であることを踏まえますと、私たちはそれをハナから許してはならないということでなければなりません。

それともう一点、私が強調しておきたいことは、この第一分類、第二分類についても、実は私権を非常に侵害する内容を含むものであることは、各新聞の報道によっても明らかになってきている、ということです。たとえば、物資とか土地を自衛隊が強制収用することも考えられていますし、それから民間業者や労働者の強制動員ということもこの法律によって実現することを考えているようであります。ここまできますと、本当に憲法の基本的人権の内容にもろに踏み込む法律になることも、私たちは考えておかなければならないであろうと思います。

どうして政府・与党がそのような憲法違反が明確な法律をしゃにむにやろうとしているのかということですが、ここで彼らが使う議論というのは「公共の福祉」による制限ということであります。この「公共の福祉」というものの内容については、日米安保条約にもとづく対米協力を含むということを、沖縄県知事による代理訴訟にたいして最高裁が下した判決で司法として確認したことがあります。政府は、「公共の福祉」の中には、そういう日米安保上の日本の対米軍事協力という内容も含むという見解です。この議論を彼らは最上段にふりかざすことになると思います。しかし、「公共の福祉」のなかに「国益」だとか日米安保条約上の日本の対米軍事協力義務とかが含まれるはずはないということ、これは憲法論としてしっかりやらなければならないことであろうと考えます。これは私が承知していないだけのことかもしれませんが、非常に重要な論点であるにもかかわらず、これまでのところ私たちの側からこの問題についての明確な解明とか問題点の指摘が必ずしもおこなわれる状況になっていないと思います。

最後に、私はいまの状況は予断を許さないものがあると思います。小泉政権が田中外相更迭問題を機にして一気に失速する勢いになってきていることもありますので、果たして彼らの思惑どおりにこの有事法制が、これまでの数年間のように無風のままで、あるいは国民が明確な反対意思を表示する前に国会を通過してしまうということでは必ずしもなくなった状況が今日出てきたとは思います。しかし、はっきり言いまして、これはまだ小泉政治の自らの失敗、私たちからすれば敵失によっておこった偶然にすぎない。こういう状況において、私たちがまだ明確な問題意識と政府の行動に対する批判力、そして多くの国民の説得力ある考え方を提起するまでになっていないということを、私たちは自らの課題として重く考えなければならないのではないかと考えております。

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