強制収用・徴兵制はあるか

2002.02

*2002年2月11日の集会で、私が小泉政権による本格的国内有事法制制定をめざす動きについて報告したことに関連して、会場から、建設省や東京都交通局がすでにきな臭い動きを始めていることについての懸念表明と、小泉政権の動きは徴兵制につながるのかという質問がありました。

1.強制収用について考えておきたいこと

建設省や都交通局がどのような具体的な動きを始めているのかは、私自身は承知していません。しかし本格的国内有事法制においては、陣地構築や臨時基地建設のための土地の強制収用はもちろん、医療・土木建築工事・輸送関係者の強制動員その他の国民の基本的人権を大幅に侵害する規定を盛り込むことは、早くから明らかにされてきました。

2002年1月に内閣官房名で出された「有事法制の整備について」と題する見解は、すでに1981年4月及び1984年10月に公表された「防衛庁における有事法制の研究について」を基礎にしたものです。すでにその当時から、様々な基本的人権を侵害することを公然と予定していました(詳しい内容をご承知になりたい方は、青木書店から出した拙著『新ガイドラインQ&A』の「資料」あるいは昭和57年及び60年版の防衛白書を見てください)。今回の見解を解説する新聞報道においても、政府が強制収用・強制動員を法律に盛り込むことが明確に指摘されています。本格的有事法制は、憲法が保障する基本的人権を踏みにじるものになることはハッキリしています。

強制収用との関わりで、もう一つどうしても考えておきたいことがあります。

本格的国内有事法制に対する私たちの立場を確認する上で、私たちがハッキリ認識してかからなければならないことは、上記の集会での報告でも私がくり返し強調しましたように、国内有事法制は自衛権の行使ということで正当化されるものではまったくない、ということです。アメリカ及び日本の描いている戦争シナリオには、日本が他の国から侵略されてこれに応戦するという本来の自衛戦争にあたるものはありません。唯一のシナリオは、アメリカが他の国に戦争を仕掛け、その国がやむを得ず在日米軍及びアメリカの侵略戦争に協力する日本に反撃(つまり自衛権行使)することによって、日本そのものが戦場になるというものだけなのです。

こちら(アメリカ及び日本)から殴りかかっていくのですから、相手が反撃してきたときに応戦するというのは、まったく自衛の戦争ではありません。「自衛権の行使」については、国際法上、厳密な条件を満たすことが必要です。他国による急迫不正な攻撃・侵略があり、こちらとしては実力行使以外に手段がなく、しかもその実力行使は必要最小限であること(過剰防衛は許されない)が必要とされています(自衛権行使の3要件)。アメリカと日本が描いている戦争シナリオは、自衛権行使とはまったく無縁であることは直ちに分かるはずです。

しかし、アメリカからすれば、日本が本格的な国内有事法制を作らなければ絶対に困るのです。次のように考えれば、その道理が分かります。アメリカが戦争を始める、とします。相手は当然、応戦して在日米軍(つまり日本)に反撃することになります。しかし、本格的な国内有事法制がない日本であれば、その日本には相手の反撃から在日米軍を守り、相手を撃退する体制がない、ということですから、在日米軍(そして日本)は手痛いしっぺ返しを食う、ということです。ということは、有事法制のない日本を前提にすると、アメリカは侵略戦争を始めること自体を思いとどまらなくてはいけないことになるのです。ですから、本格的国内有事法制を作るということは、アメリカが安心して侵略戦争をすることを可能にするためのものです。

アメリカが勝手に戦争を始めることに無条件で協力する。そのために国民の基本的人権を取り上げ、さらには日本が戦場になる(つまり国民の生命と安全を犠牲にする)ことまで平気でやる。これほど反国民的なことはありません。これほどアメリカに対して唯々諾々と従う政治は、世界中どこにもありません。だからこそ、ブッシュ大統領は日本を“高く評価する”のです。

したがって私たちが基本的にそして出発点としてハッキリさせておかなければならないことは、本格的国内有事法制とは侵略戦争・基本的人権侵害と結びついており、したがって正真正銘の憲法違反の代物だ、ということです。「相手からの攻撃に対処するものであるからいい」と考えるのはまったくの誤りです。

2.徴兵制はあるか

私は、政府・与党が徴兵制について口をつぐんでいるのは、彼らが国民の反発を警戒しているからだ、と判断しています。かりに今、誰かが口を滑らして「徴兵制」といったら、日本が大騒ぎになり、政局が大混乱し、小泉政権はおろか、今の与党体制がつぶれることは間違いないでしょう。

しかし、だからといって、今後とも徴兵制はあり得ない、と私たちが安心するとしたら、それは甘すぎる、と私は考えます。

私は、本格的国内有事法制に対する国民の姿勢如何によって、その後の事態は大きく影響されるのではないかと判断します。つまり国民の基本的人権を侵害する有事法制に国民が毅然として反対し、この法律の成立を阻止することで明確な意思表示をすれば、徴兵制導入はあり得ないでしょう。

しかし、有事法制に対して国民が曖昧な意思表示しかできないときは、政府・与党、というよりも保守勢力は徴兵制導入への野心を高めることにつながる可能性が大いにあると思います。自らの人権を権力に対して守り抜く強い意志を持ち合わせていない国民であれば、徴兵制に対してもどこまで強い意思表示をするか疑問だからです。

私は必ずしも、本格的有事法制から徴兵制への道が一直線だと考えているわけではありません。徴兵制を導入しなければ自衛隊が成り立たなくなるかどうかについては、以前はともかく、私は必ずしも判断がつきません。といいますのは、すでに海外派兵、戦争参加の実績が積み重ねられているにもかかわらず、自衛隊から大量の除隊者がでるという顕著な拒否反応が生じていない、という私にとっては若干意外な事実があるからです(日本経済が深刻な不況の中にあり、除隊した後の生活設計がたたない、という事情があるのかもしれませんが)。

しかし、戦後保守政治は戦前の体質を濃厚に受け継いでいます。彼らの体質は基本的に民主主義とは相容れないし、人権感覚は希薄です。むしろ、国民を彼らの思い通りに動くロボットにしたいというのが本音であることは間違いないところでしょう。そういう彼らの本質は、民主的な教育制度の基礎となっている教育基本法を葬り去ろうとする動きに如実に現れています。徴兵制をめざす動きも同根でしょう。したがって私たちは、徴兵制が話題になることすら許さないためにも、本格的国内有事法制に対して断固とした反対の意思表示を行わなければならないのです。

さらに重要なことは、徴兵制はとんでもないと思いながらも、本格的国内有事法制に対しては曖昧な見方・態度しか取ることができないでいる周りの人たちに対して、「有事法制を許すことは徴兵制への道筋を許すことになるのですよ。それでもいいのですか」という切り口で話しかけることです。保守勢力に議論の土俵を作ることを許すのではなく、私たちが議論のための積極的な土俵づくりをする、という発想を是非とも我がものにしたいのです。私たちが主導権を取り、保守勢力を防戦に追い込むことが可能になってはじめて、私たちは明るい日本の展望を切り開くことができるようになるでしょう。本格的国内有事法制をめぐる攻防をその転機にさせたい。私は国民の奮起を心から願っています。

RSS